尾行の心得(後)

「……あれ?」

 あたりは暗く、月明りもほとんどありません。ナマケモノは少しぼんやりした後、自分が背負われていることに気づきました。

 夜の森です。風はありませんが、時折どこからか、草木の擦れる音がしました。

「あら、起きたの?」

 キリンは足を止め、顔を後ろに向けました。

「うん。……なんで私、背負われてるんだっけ?」

「さっき言った通りよ。巧い隠れ方を教えてほしくて」

 言われてみると、確かにそう言われた気もします。言われなかった気もします。よく憶えていませんでしたが、それはまあいいや、とナマケモノは思いました。それよりも、

「……さっき?」

「ま、まあ少し時間は飛んでるけど……。でもヤギに追いつかないといけないし」

「え、もしかして、ずっと私を背負って歩いてたの?」

「ええ。見失ってから、もう随分経つわ……」

「……寝ないの?」

「私はほかの子と違って、あんまり寝なくても動けるのよ」

 キリンはやや自慢するふうに言いました。名探偵としては、張り込みする際に便利な特徴だと思っているからです。

「ふ~ん、私とは全然違うなあ」

「まあ、これだけの時間眠り続けられるっていうのはね……」


 ナマケモノは眠い眼をこすりながら、周囲を見廻しました。彼女は「あれ」と呟くと、

「……でも、どうして道じゃなくて、森の中にいるの? そのヤギ――って子も、道からそれちゃったの?」

「うっ……、それは」

「…………」

「…………」

 彼女にその気はありませんでしたが、ナマケモノの沈黙は、キリンに対しむやみと重くしかかりました。

 耐え切れず、キリンが口を開きます。

「……ごめんなさい」

「どうしたの?」

 ナマケモノは首を傾げました。キリンは意を決して、頭を下げます。

「その、遅れを取り戻そうと近道したら、迷っちゃったの……」

「…………」

「その、あなたも無理やり巻き込んでしまって、本当に――」

「……まあ。大丈夫だよ」

 キリンはその言葉を聞いて、はっと顔を上げました。ナマケモノは怒るでもなく、相変わらずいつものだる~んとした顔でキリンを見つめています。

「ゆるして――くれるの?」

「う~ん、さっきはセルリアンから助けてくれたし、別に怒る理由もないかなあって。樹があるところなら、私はどこでも大丈夫だし。むしろ、キリンの方が大丈夫なの?」

「う、まあ、私は……」

 キリンは地面を見ました。彼女にはもう、ここがどこかもわかりません。道を外れ森の中に入って、樹々の隙間を抜けるうちに、すっかり方向感覚を失っていました。

 そんな彼女の様子を見て、ナマケモノが提案しました。

「……とりあえず、休まない? 私も疲れたし」

「あなたはずっと休んでいた気がするけど……。まあいいわ」

 ナマケモノは樹からぶら下がり、キリンがその下に腰掛けました。落ち葉の触れ合う、がさがさという音がしました。

 すっかり疲れた様子で、キリンは溜息をつきました。


 ふいに、ナマケモノが言いました。

「……私がいつも、どうやって隠れているか教えようか?」

「! え、ええ。セルリアンにも見つからなかったんでしょう?」

 勢いよく、キリンが頷きます。

「うん。そうだなあ……。一番大事なのはね、動かないこと、かなあ」

「え?」

「うん、動かないとね、セルリアンも案外こっちに気づかないんだよねえ。すぐ近くにいても、無視して行っちゃうの」

 キリンがナマケモノを見上げます。確かに、先ほどぶら下がってからというもの、彼女は全く動いていません。ですがそれでは困ります。

「ちょ、ちょっと! それじゃあ、尾行にならないじゃないの」

「そんなこと言われても~……」

「ほかに! ほかに何かないの? あるわよね?」

「う~ん」

 考え込む素振りを見て、キリンも期待の眼差しを向けます。

 そうして、暫くの時間が経ちました。

「……そうだ」

「何かあった?」

「うん。えっとね、苔をこうね、身体にくっつけるんだ~」

「……苔?」

 そうだよ、と返事をして、ナマケモノが見せてくれます。彼女の身体のところどころには苔が付いていて、その緑色が森に溶けこませてくれるようです。

「なるほど……。その苔は、どうやって付けたのかしら?」

 今度びっくりしたのは、ナマケモノの方でした。

「どうやって? 考えたこともなかったけど……。う~ん、気づいたら付いてた、ような……」

「ええ……」

「参考になった?」

 キリンは、具体的な方法としては、あまり参考にならないな、と内心では落胆していました。枝から不安そうに眼を向けてくるナマケモノに、苦笑で応えます。

「でも……」

 全く使えない、という訳でもないなと思い直します。

 ――苔でなくても、身体を緑で隠す、というのは使えないかしら? 例えば……。

 唐突にキリンは立ち上がると、近くの地面に落ちていた、葉っぱの付いた枝を拾い上げました。それを自分の身体の前で持ってみます。

「こういうことね!」

 見下ろすと、身体が枝葉に紛れて、見つけにくくなっているように思いました。これなら、森の中の尾行も上手くいきそうです。

「ありがとう、ナマケモノ! これでまたひとつ、レベルアップできたわ!」

「……う~ん」

 嬉しそうなキリンの様子を見下ろしつつ、ナマケモノは首を傾げます。

 多少隠れたところで、キリンの網目模様は、この森の中ではたいそう目立って見えました。が、彼女は、

「…………」

 黙っていました。実のところ、彼女はちょっと眠たくなっていたのです。


「ようし、これであとは、ヤギを見つけるだけだわ!」

「……問題はそれだねえ。私は捜し物するのは――」

 突然、がさがさ、という音がしました。

 ナマケモノは動かないまま、キリンは顔の前に枝を持ってきます。

 その音はだんだん大きくなってきました。

「……上?」

 キリンが視線を上へ向けると、樹々の枝から枝へ、すばしっこく移動する、黒い影が見えました。どうも、セルリアンではないようです。

「あら、こんなところでどうされたのかしら、ナマケモノ? ……と、この方は」

 枝を持ったまま硬直しているキリンに、顔を向けます。黒い、美しい尻尾をもつフレンズです。するりと地面に着地して、前髪を整えました。

 敵ではないとわかって、気を取り直したように、キリンは枝を下ろしました。

「は、はじめましてね。私はキリンよ」

「初めまして。私はクロテンといいますわ。どうぞ、よろしく」

 クロテン(ネコ目イタチ科テン属)は、スカートの裾をつまみ、お辞儀をしました。

「たまたま目についたので、声をかけさせて頂いたのですけれど……」

「……いやあ、実はフレンズを追う際中に、迷っちゃってね~」

 ナマケモノが言います。それを聞いて、クロテンは表情を曇らせました。

「それはお困りですわね……。なんの手掛かりもないんですの? 例えば……、その相手がどこに行く予定なのか、とか」

「え? ど、どうして?」

 キリンはびっくりして、そう訊きました。

「だって、見失ったとしても、目的地がわかっていれば、そこを目指せば良いでしょう?」

「あ……。確かに……」

 キリンは考えもしなかったことでした。尤も、もし思いついたとしても、この状況ではあまり意味がないのですが……。

「あら、もしかして――」

「図書館! その子は図書館に行くつもりなの」

「……それはそれは」

 クロテンは眼をぱちくりさせました。

「ちょうど私、図書館から来たところです。良ければご案内いたしましょうか?」

「ほ、本当? ぜひお願いするわ!」

 キリンが持っていた枝を放り投げ、クロテンの手を握りました。

「は、はい……。あなたはどうするの、ナマケモノ?」

「……うう~ん、じゃあ私も行こうかなあ」

 こうして、クロテンに案内されて、キリンとナマケモノは図書館を目指すことにしました。


「では早速参りましょうか」

「ええ!」

 元気を取り戻したキリンが、腕を突き上げます。

「……ぐう」

「ちょっと!」

 ナマケモノの返事は寝息でした。

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