原稿盗難事件(後)
「どうして……?」
ヤギは手を止め、汗を拭いました。
オオカミ、キリン、ヤギ、それにアリツカゲラも呼んでロビー中を捜しましたが、原稿は見つかりません。今このロッジに逗留しているのは、彼女たち四人だけです。
アリツカゲラは腕を組んで、首を傾げます。
「うーん、風で飛ばされちゃったんでしょうか……」
「窓は閉じていたし、それに風に飛ばされたのなら、ロビーの中にまだあるはずなんだけど……」
オオカミは原稿がなくなったというのに、特に焦る様子を見せません。いつも通りの、クールな雰囲気を保っていました。
「セルリアン――でしょうか?」
「原稿だけを食べるセルリアン? そんなのいるのかな……。聞いたこともないけれど」
「じゃあ、他のフレンズが持って行ったんじゃない?」
ヤギが言います。
「フレンズさんですか……。でも……」
今度は、アリツカゲラがそれを否定しました。
ロビーとダイニングは、隣り合った部屋です。行き来するには間の扉を通る必要がありますが、先ほどの食事中、その扉は開きっぱなしでした。
つまり食事中でも、アリツカゲラにはロビーの様子がずっと見えていたのです。これは今日だけのことではなく、彼女はお客さんが来た時すぐにわかるように、いつもこうして食事をしているのです。
「本当にずっと見ていたの? 見逃したんじゃないの?」
キリンが厳しく追及します。いつの間にか、彼女は名探偵モードに入っていました。
「まあ確かに、ずっと見ていたわけではありませんけど……。でも、フレンズさんが通ったら音もするでしょうし……」
ロッジの中は綺麗に保たれていますが、昔造られた施設ということもあって、ところどころ床がぎしぎし軋みます。それはロビーも例外ではありません。
「なるほどねえ。面白い謎だなあ」
オオカミが楽しそうに言いました。
うーん、とヤギは頭を悩ませます。
どうして、どうやって原稿はなくなったのだろう? 風で飛ばされたのでもなく、フレンズが持ち去ったのでもないとすれば……。
そうだ、とヤギは思い付きました。
「キリン、キリンはどう思うの?」
自分が何者かすら見抜いた名探偵なら、見事な推理を披露してくれるのじゃないかしらん。
「え、わ、私?」
突然の名指しに、キリンはめんくらって、自分を指差しました
「お、久々に推理が見られるかな?」
オオカミが面白そうに言います。憧れの先生の期待とあっては、キリンも「わからない」とは言えません。
「そ、そうね……。は、犯人は……」
ごくりと喉を鳴らす一同。キリンは眼を閉じて考えます。
彼女はかっと眼を見開くと、びしりと指を突き付けました。
「犯人はあなたよ! ヤギ!」
「「「えええ……?」」」
オオカミ、ヤギ、アリツカゲラの声が重なりました。
「ヤギは紙を食べると聞いたことがあるわ! お腹が空いたあなたは、じゃぱりまんまで我慢できなくなって、原稿に手を伸ばしたのよ!」
「そ、そんな、私じゃないよ!」
ヤギは何度も首を振って、否定します。
「本当に~? 嘘をついてもいいことはないわよ」
キリンの疑わし気な視線に、ヤギも必死で考えます。
「本当だって! それに……、そう。私が食べるとしても、そんな時間なんてなかったじゃない! 私たち三人でダイニングに入って、それから一度も外に出なかったのに……」
「ぐっ」
尤もな言い分を聞いて、キリンが呻きます。
オオカミとアリツカゲラは、互いに顔を合わせて苦笑しました。
「またしても私の推理が間違うとは……」
よっぽどショックだったのか、キリンはがっくり肩を落としました。アリツカゲラが笑いながら、
「それだったら、キリンさんが盗んだって言う方が説得力がありますよ。オオカミさんの大ファンだそうですし」
「ま、まさか! ちゃんと完成を待ってこそのファンなんだから……」
ヤギはだんだん落ち込んできました。
名探偵でも解けない謎となると、もうどうしようもないんじゃないか、とヤギは思いました。オオカミには残念なことですが、原稿はまた新しく――
「いいえ、名探偵は諦めないわ! 推理できない謎はない!」
突然、キリンが声高に叫びました。はっとヤギが見ると、彼女は不敵な笑みを浮かべています。
「……それ、私の漫画の台詞――」
オオカミが言い掛けて、途中で止めました。
「原稿は綺麗に全部なくなっていた……。散乱していたわけじゃない。だからきっと、誰かがやったことよね……。誰か――でもロビーへ来たフレンズはいない。セルリアンでも、フレンズでもない誰か……」
「なんだか、言っていることがめちゃくちゃなような……」
「まあ、いつものことだから」
ぶつぶつと独り言を言うキリンに対し、アリツカゲラとオオカミが身もふたもない会話を交わしました。
しかし、ヤギは違いました。推理できない謎はないと名探偵が言うのなら、きっと解けるはずです。そして、名探偵の言葉の意味。
フレンズではない誰か……?
そんな存在が、このロッジに――。
「あ」
そんな間抜けなつぶやきが、ヤギの口から漏れましたが、小さな声だったので、誰も聞いていませんでした。
「今度こそわかったわ! 犯人はアリツ――」
「ボスね! キリン!」
キリンの台詞を遮って、ヤギが言いました。
ボス――青くて小さな、不思議な存在です。ヤギがこのロッジへ向かう途中にも、何人かと会いました。お話はできないようですが……。
「え、どういうことですか?」
「えっと、アリツカゲラ。このロッジのじゃぱりまんって、ボスが持ってきているんだよね?」
「え、ええ……。そろそろ無くなりそうっていう頃にボスが来て……。今日はボスが来るのを待っていたので、食事の時間が遅れてしまったんですが……」
アリツカゲラが不思議そうに答えます。
「たしかに、私たちがダイニングに入った時も、ボスとすれ違ったね」
オオカミが、思い出したように手を打ちました。ヤギは頷きます。
「それで、たぶんだけど……。ボスはじゃぱりまんを持ってくる以外に、掃除もしているんじゃない? このロッジとっても広くて綺麗だけど、アリツカゲラ一人しかいないわけだし」
「掃除……? ヤギ、つまり君が言いたいことは――」
何か気づいた様子のオオカミが、眼を丸くしてヤギの顔を見つめます。
「うん。机の上には、原稿もペンも、なにもなかった。だからたぶん、じゃぱりまんを持ってきたボスが、帰り際に掃除をしようとして、全部持って行ったのかと」
「でも、ボスがいたらいたで気づかないかな?」
「それも……、ないと思う。いつもと違うことがあればアリツカゲラも気づいたろうけど、ボスがいるっていうのはいつものことだから、気にも留めなかったんじゃないかな。実際にキリンだって、ボスに躓いて転びかけるくらいだったわけだし。それに……」
ふたりは、無言で続きを促します。キリンだけ、すこし顔を赤くしていました。
「それに、ボスって小さいから、机の陰になって見えなかったんだと思う。だよね……、キリン?」
キリンは驚いてほとんど固まっていましたが、ヤギに名前を呼ばれて、ようやく我に帰りました。彼女は首を横に振り、
「……い、いえ。違うわ、ヤギ。私は――」
「だよね? ね?」
ヤギがキリンの瞳を覗きこみます。
「……ええ、そうよ! 私が言いたかったのは、まさにそれよ!」
キリンが胸を張って、宣言しました。
「って、待って下さい。ということは、オオカミさんの原稿は今……」
アリツカゲラが言うと、キリンは「あっ」と声を上げ、
「ロッジは広いわ! まだきっと掃除中よ! うおおおお、先生の原稿は返してもらうんだからあああぁぁぁ~~」
猛スピードで駆け出して行きました。
「キリンって、あんなに足速かったんだ……」
どこか暢気に、オオカミが言います。
「謎も解けたことですし、私は失礼しますね~」
アリツカゲラは微笑んで、退室していきました。
オオカミとヤギが、部屋に残されます。ふいに、オオカミがにやりと笑いました。
「いいの、ヤギ? キリンはたぶん――」
「いいの。だって私、キリンのお蔭でわかったんだもん。だからキリンの推理。それに自分がなんの動物かも教えてもらったし……」
オオカミは何かを言おうと口を開きかけて、
「ふーん……。そういえば、君は図書館に行くんだっけ?」
そう訊ねるだけにしました。
「うん。いちおう博士にも訊いておきたくて。……そういえば、どうしてキリンは私がヤギだとわかったのかしら?」
「白いもこもこの毛。二本の角。……確かに、ヤギっぽい見た目をしているからね、君は」
「わかるの?」
「うん。でも、キリンはどうかな……」
「ほかにも特徴が?」
「いや、そうじゃなくてね」
オオカミはキリンが出て行った方を見て、くすりと笑いました。
「ここに来たみんなに、『あなたはヤギ』って言っていたんだよ、キリンは……」
キリンの足音も叫び声も遠ざかっていき、もう聞こえません。
だけどきっとキリンはボスを見つけて、原稿を取り戻すに違いない。
ヤギはなぜかそう確信していました
どうして私はそう思ったんだろう?
そうだ……。
あとで、名探偵に訊いてみよう。
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