名探偵颯爽登場
原稿盗難事件(前)
「あなた……」
アミメキリン(鯨偶蹄目キリン科キリン属)は眼を細め、向かいに立つ少女の姿を、つぶさに観察します。
じっと見つめられ、少女は怯えるように肩を震わせました。
キリンは右手を上げ、びしりと相手を指差します。首に巻いた長いマフラーが、ゆるりと揺れました
「ヤギね!」
少しの間、沈黙が降ります。
相手からこれといった反応が得られず、キリンは慌てました。
「え、ちょ、ちょっと! 違うなら違うって言いなさいよ!」
「いえ……、その……、そうなの?」
「え?」
「あの……、ごめんなさい。私、自分がなんの動物か、まだわからなくて……。ヤギ、なの?」
少女は首を傾げました。
その様子を見たキリンは、ぱちくりと瞬きしました。ほどなく、彼女の口元が緩みます。
「そ……、そうね! この名探偵の推理によれば、あなたは十中八九ヤギで間違いないわ!」
「そうなんだ……。私は、ヤギ……」
ヤギ(推定)は自分に言い聞かせるように、何度か頷きました。言われてみると、自分はヤギであるという、妙な確信もありました。
「で、でもまあ、名探偵でも間違えることはあるから、いちおう図書館に行った方がいいわね! 行くんでしょう?」
「うん、ここで一泊したら、行くつもりなの」
そう言って、ヤギは窓から外の景色を眺めます。夕焼けの色は薄れ、辺りはいよいよ暗くなろうとしていました。
ここは、ジャパリパークにある宿泊施設、ロッジアリツカの一室。最上階にある、「みはらし」の部屋です。キリンが泊まっている部屋に、ヤギがやって来たところでした。
「ところで、名探偵って、なあに?」
ふと気になってヤギが訊ねると、キリンは大声を上げました。
「あなた知らないの⁉ 名探偵を⁉」
「う、うん……。え、そんなに有名なものなの?」
「えっと、名探偵っていうのは、不思議な謎を解決するヒーローのことよ! 僅かな証拠も見逃さず、そのずば抜けた推理力で……」
キリンの長々とした話を、ヤギは眼を輝かせて聞いていました。
「へええ……。凄いんだね、キリンって!」
名探偵――。自分がなんの動物かも推理してしまうとは、このキリンはなんて凄腕の名探偵なんだろう。自分でもわからなかったのに……。
「みなさ~ん、準備ができましたよ~!」
ふいに、階下から声がしました。このロッジのオーナー、アリツカゲラ(キツツキ目キツツキ科ハシボソキツツキ属)の声です。
「あ、じゃあ一緒に行きましょ」
「うん!」
キリンとヤギは一緒に部屋を出ました。
「あなたは、どうして名探偵をすることにしたの?」
階段を降りながら、ヤギがそう訊ねてみます。すると、よくぞ訊いてくれたとばかりに、アミメキリンは熱っぽい口調で答えました。
「ホラー探偵ギロギロ! まあ、あなたは知らないと思うけど。ジャパリ図書館で、名探偵を主人公にした漫画を読んだの。それが面白くて……」
「漫画……」
ヤギには漫画が何かわかりませんでしたが、キリンが楽し気に話すのを見て、訊ねるのは、後にすることにしました。
「……それでね」
調子よく語っていたキリンが、ふいに息を潜めます。
「ここだけの話、実はいま、その漫画の作者が、このロッジに泊まってるのよ!」
一階に着いて、ふたりはダイニングへ足を向けます。その途中、ロビーの机に座るけものがいました。キリンが、ヤギに耳打ちします。
「あの人が作家のオオカミ先生。ちょうど原稿を描いているみたいだけど……」
「あの人が……」
会話が聞こえたのか、タイリクオオカミ(ネコ目イヌ科イヌ属)が顔を上げました。
「おや、新しいお客さんかな?」
「こんにちは。えっと……、先生」
おずおずとヤギが頭を下げます。
「ああ、別に私のことは好きに呼んでくれればいいからね。実際のとこ、先生なんて言うのは、キリンくらいなものでね」
「それは、みんなが先生の作品を読んでいないからです! あんな面白いのに……」
キリンが拳を振り上げるのを、オオカミは苦笑して宥めます。
「わかったから。ダイニングに行くの? 私も一緒に行くよ」
そう言って、立ち上がりました。
「あ、原稿……」
ヤギが机を指差します。机の上には、描きかけと思われる、オオカミの原稿が置かれたままでした。ああ、とオオカミは片手を振りました。
「大丈夫だよ。ご飯を食べた後も、ここでもうちょっと描きたいし……」
三人がロビーの横にあるダイニングに入ると、アリツカゲラが机の上に、じゃぱりまんの入った籠を置いたところでした。
「うぉ!」
それに気を取られたのか、キリンが躓いて転びそうになります。
「気をつけなね」
オオカミが苦笑しました。
「あ、お待たせしました~。早速食べましょう」
顔の周りの黄色が特徴的なアリツカゲラが、三人のために椅子を用意します。たくさんのじゃぱりまんを見て、ヤギはすっかり自分のお腹が空いていることに気づきました。
食後。オオカミが怖い話をひとつ披露したあと、アリツカゲラが籠を摑み、
「そろそろ片付けますね」
と立ち上がりました。じゃぱりまんの籠は、普段はダイニングの奥に保管しておいて、食事の時間になると彼女が出してくるのです。
「私も、さっきの原稿に取り掛かろうかな……」
「見学! 見学いいですか、先生!」
「はいはい」
キリンに倣って、ヤギもオオカミが原稿を描く様子を、見学させてもらうことにしました。
「――あれ?」
ロビーに入ってすぐ、オオカミが首を傾げました。
「どうしたの?」
ヤギが訊きましたが、オオカミは答えずに、先ほど座っていた机に向かいます。キリンとヤギは顔を見合わせ、彼女を追います。
そして、それを見つけました。
いえ、見つけなかったと言うべきでしょうか。
「原稿が……」
小さく、ヤギが呟きました。キリンはびっくりしてなにも言えません。
ロビーにある机。
なにも乗っていない机。
なにもない。
オオカミの原稿は、そこにはありませんでした。他の机にも、部屋のどこにも……。
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