第1話


 動く死体、その存在が発見されたのはつい最近のこと。

 いや、全く冗談など抜きで。たった10年かそこらの記録しかないのだ。


 一番新しい記録によると、それは砂漠化した地をゆらゆらと歩いていたとか。

 発見した自然視察作業員が治安局へと通報し、その存在が明らかになった次第だ。


『死体が動いている、早くきてくれ。』


 詳しくは知らないが大体こんなものだろう。

 通報した作業員は、その声に半信半疑で駆けつけた警官に泣いてすがったというのだから。

 あながち間違いではない筈だ。


 警官たちも哀れなものである。

 こんな通報、酒か麻薬に酔った誰かのものだと思ったことは想像に容易いと言うのに…。

 彼らの目の前に、実際にそれが突きつけられたのだから。


 ─ゾンビとかいう、架空の世界の産物が。


 発見された当時は一部の業界で騒ぎになり、一般に知らせるべきかどうかと議論が交わされたものだった。

 これは危険だ。民間にも注意を呼びかけるべきだという声。

 しかしパニックが起こる、ここで情報を留めておき、秘密裏に処分すべきだという声。


 このゾンビの存在が少数ならば、隠しておくほうが得策だろう。

 むやみに民間に知らせて面倒な事態になることは避けたい。


 ただ、これからこのゾンビが頻繁に登場するようになったら?

 映画なんかでよく見る展開では、一般人に死傷者が出ることももちろん、感染者がでてしまうことだってありうる。

 そうなれば今の時代の情報網だ。瞬く間に世界中に知れ渡り、隠し立てした一派は槍玉に挙げられるに違いない。


 当然のようにそのどちらともが拮抗し、議論は平行線の一途をたどる。

 しかし、どちらとも大胆な行動に出るべきではないと判断したのだろう。慎重に慎重に会議は平行していたのだ。


 そんな風に発見者たちがこそこそと方向性を決めている間に事件は起こる。


 なんとも馬鹿馬鹿しいこと。

 秘密裏もなにもない。誰が一番だなんて分かりようもない。

 どちらにとってもこれは予想外の展開だったのではないだろうか。



 …このゾンビは、




 ──世界各地で、発生したのだ。






 ・─・─・幕間・─・─・





「嫌になるねぇ…。」


 窓辺に座った男、…エルナンドは思わずため息を吐いた。


 足を組んで低めのソファーに腰掛けた彼は二十の後半か、三十の前半かといった出で立ちだ。

 真っ白な丸机に片肘をついて、つまらなそうに頰を潰した。


 エルナンドは毛嫌いする何を睨むように鋭くて冷たい表情を浮かべている…。

 その視線を追ってみれば、半端に伏せた彼の目はガラスをはめ込んだ木枠の向こう側を見下ろしていた。


 古ぼけた建物の並ぶ港町。

 潮風の厳しく吹き付ける町を、原色に近い緑色をもつ葉の厚い植物たちがところどころ彩っている。

 照りつける煌々とした日光が肌を焼く、その町にあるレンガ建ての建物の一室。

 赤錆まみれの階段を上がった先に、その部屋はあった。


 こぢんまりとした部屋には生活感はあまりなく。どちらかというと、オフィスや応接室のような作業的な冷たさを感じる。

 実際、ここで生活する人はいない。

 確かにここを切り盛りするひとの家とは繋がっているが、この場所はそのひとが仕事をするところだ。


 白を基調とした内装。

 やっぱり厚みのある青々とした観葉植物に彩られたそこは、独特な消毒液に似たにおいが漂っている。

 部屋の中央にはカウンターがあり。そこから見渡せる部屋の壁に沿って長めのソファーが並んでいて、ここが待合室なのだとわかる。


 エルナンドはその一番端。小さな丸机が傍に添えられた、窓辺の席に座っていた。

 昼を過ぎて太陽が、古びた町の広がる地面へ西日をと突き刺す…。

 そんな強い光がエルナンドの目をも照りつけて、エルナンドは眉をひそめた。


「いつ見ても、気味の悪い連中だな。」


 しかし、呟いたのはその日光への不平不満ではなく…。

 窓の下を行く、人影に向けられたぼやきだった。


 しかし、エルナンドのそのつぶやきは下をゆくその影どころか、誰に聞かれるわけでもなく…。

 部屋と外を隔てるガラスに吸い込まれて消えていく、


 …はずだったのだけど。


「まぁ、冷たい人ね。」


 後ろから返ってきた声があった。

 くすくすと笑うような明るい声。しかし、それはどこかそれとは相反する仄暗さを持っていた。

 女性のものだろう…、穏やかで聴きやすい高い声。


 エルナンドは振り返った。


「ソフィー。」


 そう呼びかけた先に立つのは、やはり女だった。長い髪を後ろで軽く結わえた、美しい人。

 

 彼ににこやかな笑みを向ける彼女の年頃は二十か三十か…。

 独特の艶めきを放つ風貌は彼女に妖しい印象を持たせていた。


 彼女が歩くたび、長い白衣の裾が揺れる…。

 エルナンドは彼女に微笑みかけた。


「ああ、お茶なんか用意してくれたのかい?別に構わないって言ったろ。」

「あら、せっかく持ってきたのに飲んでいかないつもり?」


 有無を言わせずそうあしらって、彼女はエルナンドの前の丸机に紅茶と茶菓子を添えていく。

 ふわりと香る芳ばしい香りにエルナンドの顔は自然と笑みの形を作った。

 その向かいの席にソフィーが腰掛ける。


「いや、悪いね。まだ仕事中だろうに。」

「本当にね。」


 彼女の体が椅子に収まると同時にそう声をかければ、ソフィーは半眼になってこちらに視線を投げてきた。

 その責めるような視線にエルナンドは咄嗟に曖昧な笑みを作って誤魔化す。


 時計の針はもう昼をだいぶ過ぎたところを指しているのに、夕方と呼ぶには名ばかりで。

 少々西に傾いているものの、まだ日は高い位置にあった。


 沈む気がないのか、ずっとそこに居座る太陽が家に帰るには早いと地面を照りつけて…。

 室内にいるエルナンドたちが電灯をつけるに及ばないほど、はっきりと鮮明に手元を明るくさせていた。


 ソフィーが大袈裟にため息をつく。


「毎度毎度、いい迷惑だわ。」

「まぁまぁ、そう言わないでおくれよ。」


 宥め賺すように笑ったが、ソフィーはじろりとこちらに冷めた視線を投げかけた。


「こんな頻繁に顔を出されたら言いたくもなるでしょ。…エルナンド、あなた仕事は?」

「できるだけ早めに片付けてきたのさ。1秒でも早く君に会いたくてね。」

「あらあら。」


 ソフィーは、呆れたように肩をすくめる。

 そしてエルナンドに圧をかけるようにテーブルに肘をついた。

 半分伏せられた艶かしい瞳が、エルナンドを責め立てる。


「嘘はいけないわ、エルナンド。」

「…大丈夫さ、俺のワークメイトたちは案外頼れる奴らが揃ってるからね。」


 その圧力に負けてエルナンドは気まずそうに目をそらした。

 大丈夫。多少のことには目を瞑ってくれる優しい仕事仲間たちだから。

 少しぐらい仕事を押し付けたって、一発ゲンコツを落とすぐらいで許してくれる、…筈だ


「しょうがないひとね、彼らがかわいそうよ。」

「人生少しはスリリングな方が楽しいと思わない?」

「そういうスリルはいらないわねぇ。」


 ソフィーは少々の呆れをにじませてくすくすと喉を鳴らして笑った。

 まぁでも、と彼女はお愛想ばかりに言葉を続ける。


「今は退屈してたところだから、丁度いいかもね。」

「それなら何よりだ。」


 ほっと胸をなでおろして、エルナンドは頭を掻いた。

 そんなエルナンドを見咎めて、ソフィーは意地悪な笑みを浮かべる。


「次はないわよ。覚えておいて。」

「えー、そんなぁ。」

「いい加減にしないとクビになるわ。もしそうなったら敷居も跨がせないから。」


 ビシリとそう言って、ソフィーは紅茶のカップを傾ける。

 ほとんど音もなく減っていく紅い水。

 それを眺めながらエルナンドは軽く苦笑いをした。


 …クビになるのも、あげてもらえなくなるのも御免である。


「わかったよ、わかった。今度こそこれっきりにするってば。」


 軽くそう言って、エルナンドはこれで満足かい?と言うように、にこにこと柔和な笑みを貼り付けている。

 その表情には反省の色などカケラもないことが見て取れた。


 …彼の仕事仲間の苦労はのちにも続きそうである。

 ソフィーは半端諦めたように息をついた。


「そう言って明日には忘れちゃうんでしょう?」

「よくご存知で。」


 からりと悪びれる様子もなく笑って、エルナンドは顔を背けた。


 しかしそっぽを向いた薄い笑みが張り付いていて。

 すぐにエルナンドはそのどこか意味ありげなその視線を彼女へと戻した。


「君だって毎度中にあげてくれるじゃないか。」


 年中、と言うわけでもないが。来るたびがらりとしている彼女の診療所。

 その中心で退屈しているソフィーは、訪ねていけばほとんどの場合招き入れてくれて。

 こうしてお茶なんかを振舞ってくれる。


 口では悪く言うが、彼女だって早退社するエルナンドを匿う共犯者だ。


 ふふふ、ソフィーは穏やかに笑んだ。


「…今から追い出してもいいのよ?」

「ごめんごめん、いつもありがとうソフィー。」


 とは言え。

 共犯者なんて名ばかりで、ソフィーの方ははエルナンドの身など簡単に差し出せるのだ。

 なんてったって彼女はこの診療所の女王、匿われてるエルナンドとは立場がまさに雲泥の差。


 さすがに追い出されちゃたまらん。

 エルナンドはヘラヘラとした笑顔で彼女に礼をのべた。


 そんなエルナンドを、呆れ混じりに見やってソフィーは息を一つ机の上へと落とした。

 そして、何の気なしと言った風に窓の方へとその視線をずらすのだった。


 ざわざわと活気の溢れる街並み。

 その中の一点を眺めつつ、彼女は口を開く。


「で、何が気味が悪いって?」

「ん?…ああ、」


 彼女の問いにしばし言いよどんで、エルナンドは先ほど窓の向こうに見えた光景を思い出した。

 それも同時にふっと吹き出す。


 わざわざ聞かなくたってわかってるくせに。


「はは、言わせないでくれよ。」


 悪戯めかして紡がれた彼女の質問にエルナンドは苦笑った。

 そして窓の外に視線を戻す。


 そこには何の変哲も無い街並みが広がっていた。


 たくさんの個人経営の店が立ち並ぶこの建物の下の通りは賑やかだ。車がまばらに行き交い、人々が賑やかに往来する。


 その通りには八百屋、パン屋、散髪屋、服屋、カフェ。たくさんの看板が建物の間にずらりと並んでいた。

 中には歩道の方にまで飛び出して商品を陳列するものもあり、店の中で明るく客の接待をする店の店員なんかも見える。

『平穏』とか『平和』だとかそんな言葉がよく似合う。大通りの風景。


 そこに確かながひとつ。


「なんで、あんなのが歩いてんのかねえ。」


 エルナンドがため息混じりに顎でしゃくったのはふらふら歩くひとつの影。

 大量の羽虫を集らせた醜い体を持つ男のそれ。

 ベラベラと剥がれた皮膚と、腐り落ちた体を引きずり歩いている


 ボロ切れのような服を纏い、公道を歩いていく。

 行き交う人は、それを避けたり、素通りしたり、無意味に声をかけたりと様々な反応を見せている。


 ふらふらあてどもなく、彷徨うように歩く彼らは……、



 ──リビングデッドとか呼ばれる、だ。





「全く、おっそろしい世の中になったもんだ。」






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