102.惚気たい~梨花~
月曜日の朝、海王高校の最寄り駅を出て学校に向かうあたしの足取りは軽い。なんて気分のいい朝だろう。土曜日の部活前に続き、今日も玄関で行ってきますのちゅうをしてもらった。紗奈と、そして陸先輩に。一日頑張ろうという気持ちになる。
3日前、紗奈があたしの彼女になってくれた。子供の時からずっと想ってきた紗奈。やっと心が結ばれた。更にその晩は念願も叶った。
そして同日、陸先輩が彼氏になってくれた。ずっと尊敬していた先輩。初めて惚れた男子。彼女に続いて同時に彼氏まで手に入れた。感無量だ。
週末は幸せな夜を過ごせた。麻友さんも素敵だったけど、好きな人と一緒に夜を過ごすことはこんなにも幸福感で満たしてくれるのかと、あたしの頭の中は完全に色惚けしていた。
学校に到着して朝練が始まると、あたしの横で大野君と永井君がストレッチを始めた。なぜこの二人はいつもあたしを挟むのだろう? まぁ、いいけど。すると大野君が言った。
「月原、なんかやけに機嫌がいいな」
「えへ、わかる?」
我ながらデレデレが止まらない。顔が締まらない。けどどうしようもない。
「何があったんだ?」
「彼氏ができちゃった」
ピキッ。
そんな音でも聞こえてきそうなほど大野君の脚が伸びた。大野君は何とも形容しがたい表情をしている。
「だ、大丈夫?」
寒いから筋が凝り固まっているのかな? ふと反対隣を見ると永井君が、前屈のまま顔を砂のグラウンドに埋めている。
「だ、誰だよ?」
大野君がなんとか体勢を持ち直して聞いてくる。よほど伸びたのか顔が歪んでいる。
「地元の先輩で遠距離恋愛なの。あたしがずっと好きだった人」
「マジ?」
その声は永井君から上がった。砂で顔が汚れている。飴食い競争みたい。整っているのであろうせっかくの顔が台無しだ。
「うん、マジ」
「て言うことは天地先輩も知ってる人?」
むむ。鋭い質問をしてくるな。ここで知っている人と答えたら、野次馬根性丸出しで陸先輩に群がるのでは?
けど、先輩だと言ってしまった。つまり学年が違うのでやっぱり部活の繋がりが一番自然か。と言うことは中学時代、サッカー部で一緒だったあたしと陸先輩だから、陸先輩も知っている人という建前がベターか。
「そうだと思う」
一応曖昧を含ませて答えておく。
あたしと紗奈が破った同棲生活決まり事第七条が改正して復活した。内容はあたしの恋愛事情の口外禁止だ。だけど、あたしだって彼氏と彼女ができたことを本当は言いたい。惚気たいのだ。そこで陸先輩と紗奈は妥協案を考えてくれた。
あたしに彼氏ができたことは言ってもいい。ただしそれが陸先輩だということは言ってはいけない。けど彼氏が誰なのかは聞かれるだろうから、地元の中学の先輩で、遠距離恋愛ということにしよう。こうなった。
紗奈もあたし同様バイセクシャルの仲間入りだ。あたしと紗奈のバイセクシャルは最高秘密事項だ。だからこれは一番口を固くしなくてはならない。
あたしと紗奈の秘密を守るため、あたしに彼女ができたことは言ってはいけない。これが第七条に抵触する。もちろん紗奈に彼女ができたことも言ってはいけない。あたしに繋がって第七条に抵触だ。
そして陸先輩にもう一人彼女ができたことも言ってはいけない。これもあたしに繋がって第七条に抵触なのだ。陸先輩一人だけが二股だと思われないようにする意味もある。
ただあたしは限りなく同性愛者寄りのバイセクシャル。突然変異で唯一たまたま陸先輩を好きになってしまったようなもの。
逆に紗奈は限りなく異性愛者寄りのバイセクシャル。突然変異で唯一たまたまあたしを好きになってしまったようなもの。あたしとは少し傾向が違うのだ。
当事者以外で三人の関係を知っているのは、麻友さんとそらだけだ。二人にはとても感謝している。
「な、なぁ。どんな人なんだ?」
「えぇ、それは秘密」
大野君の質問に惚気顔で答えるあたし。自分で惚気ていることがはっきりとわかる。けど止められない。それから、どんな人かと聞かれても、まだ設定を考えていない。ここは秘密で通す。
「遠距離恋愛なんて辛いだろ?」
「全然。まったく。幸せいっぱいだよ」
永井君の質問に即答。本当は遠距離恋愛ではないけど。それどころか同棲中だけど。ただ幸せいっぱいなのは本当だよ。
その日のお昼休み。あたしはクラスの友達、
「んんんん! りかぁぁぁ!」
突然乃亜が奇声を発した。手には自分のスマートフォンを持っている。て言うか、女子なんだから咀嚼してから口を開こうよ。口の中が丸見えだよ。
「どうしたの?」
「か、か、か……、彼氏できたの?」
「なにー!」
陽奈子まで奇声を上げる。あなたたち二人、女子力大事だよ。
「まだつい3日前だよ? なんで知ってるの?」
「SNSに上がってる」
「うそ?」
「本当だよ。ほら」
乃亜から渡された乃亜のスマートフォン。そこには――
『海王スリートップ月原梨花に彼氏ができたって。あとは小金井ちゃんだけだ』
――と書かれていた。むむ。情報が早い。
確かに朝練で大野君と永井君に言ってから、サッカー部でも大騒ぎになった。その後広まって、とうとう誰かがSNSに上げたというところか。騒ぎが大きくなってしまった。
男子がやたら寄ってくるからモテる自覚はある。けど、具体的に誰があたしに好意を寄せているのかは、本人から告白されるまでわからない。
追っかけてくる人がいることや、サッカー部の部員がデレっとした顔をするのは、アイドルを見るような目だと思っている。嫌味になるので口にしては言わないが。ただそらが言うには、これがあたしの鈍感さらしい。よくわからん。
ふと横の席を見てみると永井君が項垂れている。どうしたのだろう? 今日はずっとこの調子だ。体調でも悪いのだろうか? 公式戦はしばらくないから部活には影響ないだろうけど、ちょっと心配だな。
「誰なの? どんな人?」
永井君へのあたしの心配をよそに、陽奈子が続ける。では、サッカー部で話した設定をもう一度。具体的な人柄とかは設定がまだ決まっていないので、秘密で通したが。
そう言えば、廊下が騒がしい。土屋先輩と親衛隊の人たちに啖呵を切って以来、教室の入り口に群がる親衛隊の人数は減った。それでもゼロではない。ただ、ここ最近では一番騒がしい。
人の教室の前で何を騒いでいるのだろう? ……って、やっぱりあたしに彼氏ができたことを騒いでいるのか。さすがにそこまで鈍感ではない。
ふと気になるのが里穂ちゃんだ。大丈夫だろうか? スリートップと言われるようになった当初、里穂ちゃんは隠れファンが多かった。だから人が群がることはなかった。迷惑掛けちゃうかな? 申し訳ないな。ただ、あたしが陸先輩と結ばれたことが一番申し訳ない。
初めて里穂ちゃんから陸先輩への気持ちを聞いた時、あたしは陸先輩への気持ちを認識していなかった。だからはっきりと恋愛感情はないと言えた。しかし今は里穂ちゃんにとって悪い方向に転がってしまった。ただ決まり事があるので真実は言えないが。
すると、ずかずかと人の教室に入ってくる一人の男子生徒。三年生の
この鷺沼先輩は恐らくイケメンなんだと思う。相当モテるそうだ。そう他の女子から聞いたことがある。しかししつこい。親衛隊のメンバーではないが、いつもあたしに言い寄ってくる。そして今日も。
「月原。彼氏できたって本当か?」
「あの……。今まだお弁当中なんですが……」
そう、まだ愛しの紗奈が作ってくれたお弁当を食べ終わっていない。紗奈お手製のお弁当を食べる時間を害されると、あたしはすこぶる機嫌が悪くなるのだ。
「俺がずっと付き合ってほしいって言ってただろ?」
あたしの話を全く聞いていない。だからこの人苦手なんだよ。相手の都合を考えたことはないのだろうか。
「彼氏ができたのは本当です。答えたからもう離れて下さい」
「そんなわけにいくかよ。引けねぇよ」
「はぁぁぁぁぁ」
深いため息が出た。引けないと言うのが美学だとでも思っているのだろうか。ナルシスト全開だな。ダメだ、このままでは乃亜と陽奈子にも迷惑を掛けてしまう。あたしはお弁当箱の蓋を一度閉じて廊下に出た。鷺沼先輩は何も言わずについて来る。
廊下で話を始めるあたしと鷺沼先輩。しかし話はただの平行線。そしてそれを我がもの顔で聞く親衛隊。あたしは教室の壁を背にして完全に囲まれてしまった。まったく、もう。あたしの自由時間が。
「あ、いた。梨花?」
ん? 名前を呼ばれた。聞き覚えのあるいつも聞いている声。あたしの大好きな人の声。聞き間違えるはずもない。陸先輩だ。その陸先輩は野次馬をかき分けてあたしの前まで来た。
「木田がサッカー部のことで探してたぞ? 二年の教室まで行こうぜ」
「あ、うん。わかった」
このやり取りをきっかけに鷺沼先輩と親衛隊の人が渋々捌けて行った。サッカー部のネタは学校活動のネタ。引かざるを得ない。正直、ちょっと助かった。ただ部活を引退した陸先輩が動いてくれて申し訳ない。スマートフォンで呼び出してくれても良かったのに。
「もしかして弁当途中か?」
「うん……」
「じゃぁ、持って来いよ」
「わかった」
あたしは急ぎ足で教室からお弁当を持つと陸先輩について行った。すると陸先輩は二年生の教室群がある階を通り抜け、階段を更に上がった。
「陸先輩? どこまで行くの?」
「屋上」
「え? なんで? 二年の教室って……」
「梨花が捕まってたから救出。屋上で一緒に食べようぜ? 紗奈も待ってるから」
キュン。なんて彼氏と彼女だ。どこかであたしが囲まれている情報でも拾ったのだろう。確かに部活を理由にするなら一番自然に連れ出せるし、元部員の陸先輩が来る方がより自然か。陸先輩、紗奈、ありがとう。大好きだよ。
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