98.困惑~紗奈~

 私は梨花のことが大好きだ。それこそ陸先輩と並ぶくらいに。しかし陸先輩のことは恋愛感情なのに対し、梨花のことは友情だ。同性として意識したことはない。ん? 異性として……、いやこれも違う。つまりはやはり恋愛感情で、としか表現できない。


 しかしその梨花は、私のことが恋愛感情で好きだと言った。


 凄く戸惑っている。物心ついた頃から梨花はその気持ちを抱いていると言った。そう、物心ついた時には既に私達は一緒にいたのだ。幼馴染である。恋愛漫画でよくあるような男女の幼馴染ではない。同性の幼馴染なのだ。

 梨花の気持ちには全く気づかなかった。これで自分を鈍感だと罵ることはどうしてもできない。梨花と特別仲がいいのは親友だと思っていたから。同性だから。どれだけ親密になっても相手の抱く気持ちが恋心だなんて気づくわけがない。


 梨花は中学入学後すぐの頃に気づいたと言っていた。つまり私への恋心に気づいて3年以上。もう4年近い。私が陸先輩に惚れた時期とおおよそ同じ。この年数をどんな気持ちで過ごしてきたのだろうか。そして私は梨花の目の前で陸先輩と結ばれた。

 解せないのは、梨花が私と陸先輩の関係を温かい目で見ていたこと。これははっきりと断言できる。陸先輩と付き合うことを後押ししてくれたのは梨花だし、キスだって見せてほしいと言った。嫉妬の気持ちはなかったのだろうか?


 そして梨花は、その陸先輩にも惚れていた。その気持ちは一緒に暮らし始めてからで、気づいたのは陸先輩が高校でサッカー部に入ってかららしい。

 つまり私が梨花に好きな人が誰かと聞いた時は、まだ陸先輩への気持ちに気づいていなかった。そして、ずっと気になっていた梨花の好きな人が私だったのだ。すべて辻褄が合う。頭では納得ができる。


 そんなことを考える寝不足の日曜日の朝、やるせない気持ちの中私は昨晩そらから届いたメッセージを見た。


『梨花から話は聞いた。私は三人が仲良くしてくれることが一番の望み』


 そらは梨花の気持ちを知ったのか。いや、もしかしたら既に知っていたのかもしれないな。とは言え、仲良くか……。すぐには無理だろう。


『わかった。けど、今はよく考える。今度話聞いて』


 私は昨晩それだけ返信した。そらからは『いつでも聞くわ』と返信が返ってきた。


 昨日のことは私の誤解だとわかった。梨花に対しても陸先輩に対してももう怒りはない。むしろ陸先輩を殴ってしまったことが申し訳ない。

 梨花に対して嫌悪感もない。私も陸先輩を想って自慰行為に耽ったことがあるから。理解はしている。洗濯物からそういうことをしていることにも気づいていたし。その想う対象が私と陸先輩だったというだけのことだ。


 スマートフォンが7時を表示し、私はベッドから起きた。今日、梨花は部活がある。お弁当はいらないと聞いているが、朝御飯は必要だ。


 私はキッチンで炊事を始めた。するとすぐに梨花がリビングに入ってきた。手には洗濯籠を抱えている。


「おはよ……」


 消え入りそうな梨花の声。なんとか耳に届く程度の声量だ。一瞬私を見たようだが、すぐに顔を伏せてしまった。私が梨花に向いた時にはもう、梨花の目線は私の目から外れていた。気まずさが手に取るようにわかる。


「おはよ……」


 私もそれが伝染したかのようにか細い声で挨拶を返す。梨花は洗濯籠を抱えてサンルームに消えた。洗濯物を干すようだ。

 タイマーで洗濯機を回していたのだろう。私が起きて洗面所に行った時には洗濯機は動いていなかったから。学校が休みの日は朝の余裕があるので、梨花は自分の負担分の家事をしっかりとこなす。


 今日の朝食のメニューはスクランブルエッグにカリカリベーコンだ。梨花の好みに合うように卵は甘めに味付けをしている。そしてトースト。これも梨花の好みだ。陸先輩が米派なので普段は米が多い。しかし時々トーストも取り入れている。


 梨花が洗濯物を干し終わり食卓に着いた。それに合わせて私も椅子に座る。陸先輩はまだ寝ているようだ。定休日だしゆっくり休んでほしい。しかし今朝の食卓。聞こえるのは食事の音だけ。私と梨花からは声が一切出ない。隣同士なので物凄く気まずい。

 梨花は今何を考えているだろうか? 昨日出て行くと言った。それだけは嫌だ。昨日、梨花と陸先輩との間で、すぐには出て行かない話になったと聞いているが。けど、今の気まずい雰囲気も嫌だ。だからと言って何も発せない自分が恨めしい。


 会話のない永遠とも取れるような時間の朝食を経て、制服に着替えた梨花が玄関に立った。これから部活に行く。ちょうどその時陸先輩が起きてきた。助かる。見送りは欠かさないつもりだが、一人では荷が重い。

 ローファーを履き終わった梨花が私と陸先輩を向く。瞬間、私は梨花から目を逸らす。はぁ、何をやっているのだろう。立場からして梨花の方が弱い。それなのに私から歩み寄らなくてどうするのだ。


「行ってきます……」


 ボソッと呟くように言う梨花。俯いた状態の私の第二視野が、これまた俯いた感じの梨花を捉える。


「行ってらっしゃい」


 陸先輩がはっきりと言葉を返す。私も続かなくては。


「行ってらっしゃい……」


 あぁ、私って軟弱者だ。結局目も合わせず、か細い声で言っただけ。もう少しはっきりとした声で言わなくては。そうすれば少しは普段に近づくはず。私は言い直そうと、意を決して顔を上げた。


 あぁ……。


 梨花は既に背中を向けて玄関ドアを開けていた。この日の朝は心が折れてしまった。決意を固めた途端に機能しない自分の第二視野が恨めしい。


 この後、陸先輩の食事と洗い物が終わり私は自室に篭った。陸先輩は食事中、梨花のことでは何も言わなかった。気にはしているだろう。


 自室のベッドの上に座り、枕を抱える。梨花と朝のキスもできなかった。それに寂しさを感じる自分がいる。梨花とのキスが好きなことは自覚していたのだけど。梨花のことが友達として好きだから。……のはずだけど。

 友達としてのキス。挨拶代わりのキス。おふざけの延長。しかし梨花の気持ちを考えると、梨花は本気だったのかもしれない。梨花は同性が好きなことを隠すために、わざと気楽な感じで言っていたのかもしれない。それに気づかず応じていた自分が情けない。


 ただ考え方を変えると、私も梨花とのキスが好きなのだから、梨花のことを恋愛感情で好きになれるのではないだろうか。


 このキスを梨花以外の女の子とするものだと考えてみる。陸先輩の理解があってこその前提ではるが。恐らく梨花ほどできないと思う。毎日であったり、時には濃厚であったり。他の女の子とは無理だ。おふざけで1~2回軽くする程度が限界だ。


 更に思う。濃厚なキスの時は決まって欲情する。今まではそれを陸先輩にぶつけてきた。と言っても、梨花がいるので自己処理だが。ただ、原因を作るのは梨花。つまりは梨花に対して欲情していたのか?


 ふと想像をしてみる。私が梨花と絡むことを。お風呂で見る梨花の身体。梨花は顔の良さは言わずもがな、身体も綺麗だ。胸が小さいことにコンプレックスを抱いているようだが、私から言わせてもらえばそんなことは関係ない。艶やかである。

 そんな綺麗な身体と絡むことを想像すると興奮する。あんなに可愛い子とキスをしながら肌を合わせることを想像すると身体が疼く。


「はぁ、梨花……」


 私は気づけばベッドの上で自分を慰めていた。自分の世界にいたのは梨花。たった一人だ。私には陸先輩がいるのに。罪悪感が私を襲う。けど、満足感もある。この複雑な感情に困惑する。


 では私にとって梨花は性だけの対象だろうか? いや、それは違うと思う。梨花とのキスが好きな理由は性的な意味だけではないからだ。凄く幸せな気持ちになるのだ。欲情するのも濃厚なキスをした時だけ。


 つまり私は梨花のことを恋愛感情で好きになれる?


 ここまで行き着くと私は梨花の気持ちに応えたくなる。

 しかし梨花からの告白は一方的に気持ちを告げられたもの。しかもハプニングによるものだ。私や陸先輩に何をしてほしいとかはなかった。強いて言えば梨花は、私と陸先輩の今までどおりの関係を望んでいるということ。

 けど私は梨花のことを恋愛感情で好きになれる。いや、恐らくもうその域に足を踏み入れている。昨日梨花の気持ちを知ってから、梨花を想うと息苦しくなる。身体がふわっと熱を帯びるような感覚に陥る。陸先輩に向けるものと同じだ。


 コンコン。


 そんなことを考えていると部屋がノックされた。私は慌てて服を整えた。そしてベッドの淵に座った。


「どうぞ」


 その言葉でドアを開けたのは陸先輩だ。遠慮がちに部屋を覗き、私を見る。


「どうしたの?」


 私は平静を装って聞く。さっきまでの背徳心が拭えない。うまく切り替えられない。ただ、陸先輩には私の戸惑いや罪悪感が伝わらないでほしい。


「今日休みだからさ。どっか遊びに行かないかな、って思って」


 デートのお誘いだ。気を使ってくれているのだろう。昨日のことがあったばかりだから。むしろ、殴ってしまって気を使うべきは私なのに。


「うん。行きたい」


 私は声を弾ませて答えた。すると安堵したように陸先輩の顔が綻ぶ。しかしその笑顔に罪悪感が蘇る。


「じゃぁ、着替えたら行こうか?」

「……」


 私は今二人の人を同時に好きになろうとしている。ずっと追いかけてきてやっと振り向かせた陸先輩。それなのに私はそれを裏切ろうとしている。陸先輩の顔が直視できなくなって俯いた。


「紗奈?」


 陸先輩が私の様子に気づいてしまった。私の傍まで来て顔を覗き込む。陸先輩を不安になんて絶対にさせたくなかったのに。私に好きな人が増えようとも、陸先輩への気持ちが冷めることは一生ない。それほど私は陸先輩のことが好きなのだ。


「どうした?」


 陸先輩がベッドの淵に座って私の肩を抱き寄せる。私は思わず陸先輩にキスをした。できるだけ濃厚なキスを意識した。陸先輩は驚いたようだが、すぐに応えてくれた。


 陸先輩の愛を感じたい。私は陸先輩が心から好きなのだと再確認したい。言葉ではなく、行動で私は陸先輩を誘った。

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