99.二人の本心~陸~

 困ったな。もちろん紗奈と梨花のことだ。あれから1週間が経とうとしている金曜日の授業中、俺は耽っていた。暦はもうすぐ2月に変わろうとしている。


 あれ以降、二人は一切口を利かない。紗奈に怒っている様子はない。しかし戸惑っているのは目に見えてわかる。家事や仕事は手を抜かないが、それ以外の様子は改善の兆候が全くない。

 梨花も然りだ。梨花からしたら、紗奈の方から話しかけてくれないと自分からは話し掛けづらいのだろう。心中察する次第だ。


 朝練に出る梨花を、いつも通り玄関まで俺と紗奈が見送りに出る。しかし紗奈と梨花は目を合わせない。今まで毎日欠かさずしていたキスもしない。本当は梨花としてはしてほしいのだろうが、お互いに目も合わせないのだからそれも叶わない。


 そして気まずいのが食卓だ。俺が一人で会話を振っては、二人がそれに応えてくれる。しかし二人の間で会話は成立しない。席が隣同士だからうまくいかないのかと思い、梨花を俺の隣に移動させたのだが、今度は紗奈に面と向かってしまってこれもうまくいかない。


 紗奈はそらとよく電話をしている。紗奈の相談相手はそらのようだ。梨花もそらとは一度電話で話したらしい。しかし梨花はそれっきり。ただそらからは責められなかったと、それに梨花は安堵していた。梨花とそらの関係は今まで通りとのこと。

 そして梨花の相談相手は川名さんのようだ。なんと川名さんには自分が少数派だと知らせているとのこと。これには驚いた。


 そして二人に共通する話の聞き手が俺だ。お互いを不安にさせないように、それぞれの部屋に入る時はドアを開けっ放しにして話をする。情報開示のようなものだ。

 ただ、話をしていても進展がない。どちらかと言うと、雑談ばかりだ。それでも少しは気が楽になればと思い、俺は話を聞いている。


 こんな状況と内容なので俺は俺で誰にも相談できない。水野は俺の気持ちが二股なのを知っている。しかし、共同生活をしていることを知らない。木田はその逆。二股のこともある程度は察しているが。そもそも木田の俺に対する気持ちを気遣うと言えない。


 そして何よりブレーキを掛けるのが、梨花が少数派だという事実。人に相談をするにしてもこれを避けては通れない。

 梨花から聞いたところによると、知っているのは俺とそらと川名さんだけ。そして今回の件で紗奈にもカミングアウトをすることに至った。これ以上は絶対に誰にも言えないと言っていた。これには俺も納得だ。だから俺は誰にも相談できない。


 そして迎えた昼休み。俺はいつものように公太と圭介と弁当を突いていた。すると徐に公太から言われた。


「なんか、今週のお前変じゃないか? ずっと考え事してる感じだし」

「確かに。授業中もぼうっとしてて、当てられても答えられないし」


 それに圭介が続いた。しっかり気づかれているな。何と答えたらいいものか。


「えっとな、中学の時の仲良かった二人がトラブっちゃってさ。それでどうしたものかと」


 うむ。間違いではない。紗奈と梨花のことだから。質問を続けたのは公太だ。


「地元にいるツレってことか?」

「あぁ」


 本当は東京にいる二人なのだが。サナリーのことだとは気づかれていないようだ。良かった、うまく言えたと思う。


「トラブルって喧嘩か?」

「それとはちょっと違うんだけど、かなり気まずい雰囲気なんだよ」

「ふーん。つまり陸がその二人の仲介してるわけだ」


 仲介か……。俺も当事者なんだよな。けど、状況として仲介しているのは間違いない。


「まぁ、そういうこと。二人が一切口を利いてないみたいで困ってんだよ」

「まぁ、腹割って話すしかないよな。そういう場合は」

「腹を割ってね……。そうだよな、それしかないよな……」


 紗奈と梨花がそらと川名さんのそれぞれにどのような相談をしているのかはわからない。もしかしたら、俺にしていることと同じように、ただ雑談をしているだけなのかもしれない。それでも今の状況を改善するためには話が必要か。


 この日の授業を終え俺は紗奈と一緒に自宅に帰ってきた。下校中も仕事中も俺と二人だけの時間の紗奈はいつも通りだ。それは梨花にも言えることで、梨花と二人で話している時は梨花もいつも通りなのである。


「なぁ、紗奈」

「ん?」


 俺は書斎の自席から紗奈に声を掛けた。紗奈は手を止め、俺を向く。


「梨花とはやっぱり気まずいか?」

「……」


 紗奈の返事が止まった。これは肯定だろう。しかしいつまでも今のままでは、いつまた梨花が出て行くと言い出すかもわからない。梨花に何か目的があって出ると言うのならばそれは仕方がない。しかし、今の状況からそうなるのは寂しい。絶対に阻止したい。


「梨花の気持ちを知ってどう思った?」

「……」


 答えにくいよな。彼氏に対して他の人からの気持ちを知ってどう思ったかなんて。紗奈から嫌悪感は感じられないものの、梨花の気持ちに戸惑っているのだろう。


 するとしばしの沈黙を経て紗奈が言った。


「先輩はどう思った?」

「……」


 逆質問できたか。やっぱり俺も答えづらい。彼女相手に他の女子からの告白を嬉しかったなんて。


「先輩って梨花のことも好きだよね? 恋愛感情で」

「……」


 気づかれていた? そんな……。紗奈を不安にさせないためにひた隠しにしてきたつもりなのに。


「怒らないから正直に答えていいよ」


 なんだかふっきれた。紗奈のその言葉で俺の意思が決まった。俺は真剣な目で紗奈を見た。


「わかった。それならお互いに色々ぶっちゃけよう。腹を割って話そう。恨みっこなしで」

「わかった」


 紗奈も真剣な目で同意してくれた。これこそ昼休みに公太から言われこと。まずは俺と紗奈だが、話すと決めたのだから、今がその時だ。


「紗奈の思う通りだ。俺の中では紗奈を一番に想ってるけど、梨花に対しても気持ちはある」

「やっぱりそうか。なら梨花の気持ちを知って嬉しかった?」

「あぁ」

「梨花の私に対する気持ちは前から知ってたの?」

「あぁ」

「それでキスを許容してたの?」

「……。あぁ」


 これには言葉が詰まった。けど、嘘を吐くわけにはいかない。腹を割って話すと言ったのに、いきなり紗奈からの信頼を裏切るわけにはいかないから。


「それって酷くない?」

「……」


 責められた。恨みっこなしって言ったのに。けど当然だよな。梨花に対して向けた気遣いと、俺が紗奈と梨花のキスを綺麗だと思ってしまったこと。それで俺は梨花が俺の彼女とキスをしたい気持ちを汲み取った。これがいけなかった。


「まぁ、いいけど。今は先輩と喧嘩してる場合じゃないし」


 俺は胸を撫で下ろした。紗奈がここは引いてくれた。次は俺からの質問だ。


「紗奈は梨花の気持ちを知ってどうだった?」

「嬉しかった」


 嬉しかったのか? ずっと友達だと思っていた相手から恋愛感情の告白を受けて?


「戸惑ってるんじゃなくて?」

「最初は戸惑ったけど、私も梨花のことが大好きだから」

「それって恋愛感情?」


 俺はざわつく心臓に落ち着けと言い聞かせながら紗奈に聞いた。俺は紗奈からどっちの回答が出ることを期待しているのだろう。


「わからない。けど今のこの状況のまま梨花と離れるのは嫌。それだったら梨花の気持ちに応えたいし、私の気持ちもそう切り替えたい。そう思えると言うことは、そういうことなんだと思う。最近そう考えるようになってきた」


 驚いた。紗奈も梨花に恋愛感情に寄った気持ちを抱き始めている。恐らく今まで紗奈にそれにはなかったのだろう。しかし、それを受け入れようとしている。


「けど、先輩と別れるのは絶対に嫌。先輩への気持ちも本物だから」

「それは俺も同じ」


 良かった。心変わりというわけではなさそうだ。安心した。


「紗奈は梨花とキスをする時ってどんな感じ?」

「……」


 言い辛そうだ。紗奈の返事を待とう。と思っていたら紗奈はすぐに言葉を返した。


「幸せな気持ちになるし、欲情したことがある」

「そっか……」


 欲情したことがあるのか。けど、毎回ではなさそうだ。


「梨花とエッチしたいとは思う?」

「……」


 コクン。紗奈は一時の間を置いて首肯した。顔を真っ赤にして。そうなのか、意外だった。


「最初はそんなこと考えたこともなかった。けど、梨花とたくさんキスするようになって、梨花の気持ちを知って、興味を持ってしまった自分がいる」


 なるほどな。だから俺が梨花の紗奈に対する気持ちを知りながら、二人のキスを許容したことをあっさり許したのだろう。

 そして紗奈は自分の気持ちにこそ戸惑っているのだと気づいた。だからこそ梨花を直視できず、うまく会話もできなかったのか。梨花の気持ちに困っていたわけではないのだ。


「先輩はやっぱり梨花に欲情してるよね?」

「否定したところで嘘がバレバレだよね……」

「そりゃ、まぁ。怒らないから正直に答えて。梨花とキスしたことはあるの?」

「ないよ」


 梨花から頬にキスをされたことは一度だけある。しかし、梨花とキスをしたことがあるかと問われればそれはノーだ。それはお互いが求め合ってという意味だと思っているから。


「そっか。ちゃんと誠実でいてくれたんだね」


 紗奈からの信頼は繋がっているようだ。これにも安堵する。


「これからどうしようか?」


 紗奈が不安そうに言う。そうだな……。俺と紗奈は三人それぞれの恋愛感情がわかった。


「もし紗奈が嫌でなければなんだけど……」

「ん?」


 まだ顔を赤くした状態の紗奈が俺を向く。俺は意を決して紗奈に自分の意見を言った。緊張した。こんなことを言って紗奈に嫌われないか不安だったから。


「わかった。私はそれに納得する」

「本当?」

「うん。今晩にでも早速梨花に話してみよう?」


 うむ、話は早い方がいい。いつまでも梨花を不安にさせておくわけにはいかない。


「あ、けど……」


 紗奈がまた俯いた。不安そうな表情を見せる。


「私からはうまく言えないから、話すのは先輩にお願いしてもいい?」

「わかった。任せて。けど、紗奈もいる場で話したいから夕食の後でどう?」

「うん、わかった。それでお願いします」


 今晩、夕食後。その時か。一気に緊張が襲う。梨花が自分の気持ちを告白したことで起こったこと。それでも梨花は納得してくれるだろうか。

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