93.唸る美少女犬~陸~

 困ったな。新年新学期が始まり、普段は尻尾を振る可愛い美少女犬が、今日は初日から睨みを利かせて唸っている。もちろん我が愛しの彼女、紗奈のことだ。しかも海王高校最寄り駅を出てから。原因は毎日駅で待ち伏せして、後ろをついて来る土屋先輩。


 土屋先輩は特に話し掛けてくることはない。もし俺が一人で歩いていたらわからないが。部活を引退する前、梨花と一緒に登校していた時は、梨花が害なしと判断し、土屋先輩を無視した。


 しかし、紗奈は違う。二学期にテスト週間などでサナリーと三人で登校した時は、梨花に宥められて紗奈が引き下がった。それなので紗奈の唸りは一日で終った。けど二人での登校になると紗奈は違った。あの時は我慢していたようだ。


 俺は紗奈のリードを握るように、しっかりと紗奈の手を繋いだ。飼い犬がよそ様に噛みついてはいけない。電車の中までは紗奈の方がしっかり手を握っていたのに。

 海王の生徒が目立つ、駅から学校までの道中の方でこうなるとは。俺が仲の良さを見せつけているみたいではないか。


「土屋先輩」


 あぁ、限界か。紗奈が足を止めて後ろを振り返った。そう思ったら強い口調で土屋先輩に声を掛けたのだ。とにかく俺は紗奈の手を離さない。土屋先輩は俺には恐縮そうな目を向けるものの、紗奈には敵意むき出しの表情を見せる。


「あなたのしていることはストーキングだってわかってます?」

「何よ? りっくんの彼女だからって調子に乗って。ほんのちょっとだけ可愛いからって調子に乗って。留美はりっくんの家まで付いて行ってるわけじゃないんだから」


 まぁ、確かに。それはしっかりと梨花に釘を刺されたからね。サナリー親衛隊諸共。


「家まで付いて来ないのなんて当たり前の中の当たり前です。それをしなくてもあなたのしていることは付き纏いですよ?」


 まぁ、確かに。て言うか、周囲の注目が増す。登校中の海王の生徒達が、この修羅場に野次馬の目を向けては、俺達の脇を通り抜けていく。中には立ち止まる奴までいる。

 時間に余裕はあるので、ここで立ち止まっていても遅刻はしないと思うが、それでも早く学校に行って俺は教室に入りたい。


「そんなことない。留美はストーカーじゃない」

「ストーカーにストーキングしてる自覚なんてあるわけないじゃないですか。だから教えてあげてるんです」

「きー! 黙って聞いてたら調子に乗って」


 黙って聞いてはいないだろうに。前よりマシにはなったけど、土屋先輩も十分噛みついているよ。


「紗奈、行こう?」


 俺は紗奈の手を引いた。しかし紗奈は動かない。


「ダメ。ちゃんとはっきりさせないと。もしなんか事情があって陸先輩が一人で登校する時があったらどうするの? 私は看過できないよ?」


 まぁ、確かに。俺が一人で登校する時があったら、今までのように土屋先輩が大人しく後を付いて来るとは考えられないな。ただそれでも、土屋先輩は遠慮を覚えた。選手権都大会の日に声を掛けられたことでそれを理解した。

 昼休みだって来なくなった。それは圭介にも迷惑を掛けることを意味するからだろうが。


「ほら。りっくんだって後ろをついて来ることに迷惑してないじゃない」


 あぁ、ダメだこりゃ。俺が紗奈に先を促したことでそう思ったのだろう。冬休みを挟んで前と後では状況が違うのだ。

 俺は紗奈の手を離した。そして、土屋先輩の正面まで歩み寄った。


「ちょ、先輩?」

「りっくん」


 手を離されて虚を突かれた声色の紗奈。対照的に期待の笑顔を向ける土屋先輩。俺は土屋先輩を真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「土屋先輩ごめんなさい。俺が迷惑だと思っていなくても、俺の彼女を刺激するならやっぱり迷惑です。今までは一緒に登校していた相手、梨花に理解があったから許容できました。けど、今日からは俺が心から好きな紗奈です。だから土屋先輩が引いて下さい」


 それを聞いてぽかんとする土屋先輩。しかしその表情はすぐに崩れた。そして絞り出すように言った。


「うぅ……、りっくん。ダメなの?」

「はい、ごめんなさい。土屋先輩の気持ちには応えられません」

「うぐっ。わかった……」


 土屋先輩は泣き出し、俺と紗奈の脇を抜けて先に学校へ向かった。あぁ、女子を泣かせてしまったな。やっぱり気持ちがいいものではない。俺は学校への方向に振り返って紗奈の隣に戻った。


「先輩……」

「ん? ……って、おい……」


 泣くなよ、紗奈。目立つから止めてくれ。なんで紗奈まで。紗奈を泣かせないって梨花と約束したのだ。て言うかそう言えば、そらと二人でサナリー二人を泣かせた元日の日のことは免責だよな?


「うぅ……。先輩、嬉しいよ……」

「わかった。わかったから泣くなよ」

「泣いてないもん」

「そうだな。泣いてないな。だから頑張れ」

「うん」


 パチパチパチパチ。


 なんだ? 俺は周囲を見回した。すると海王の生徒が数人、俺と紗奈を取り囲んで拍手をしている。この野次馬どもめ。俺は無駄に目立つことが嫌いなんだよ。見るな、見るな。


「感動した」

「さすがスリートップの彼氏」


 まったく、野次馬達は無責任なことばかり言いやがって。そもそもスリートップだから紗奈のことを好きになったわけではない。仕事や家で献身的に支えてくれる紗奈により惚れたのだ。

 中学時代だって人間不信になりかけた俺を支えてくれた一人が紗奈だ。だから俺は紗奈に惚れたのだ。高校に入って生活を共にするまで、その気持ちに気づかなかった自分が今では恥ずかしいくらいだ。


 ただ、そう理解すると改めて思うこともある。思い知ったのは、冬休み中にそらがいたことで元日にした話。その話をサナリーにして、そらのサナリーに対する気持ちを知って、それが嬉しくて、やはり俺は梨花にも惚れている。改めてそう思い知ったのだ。

 ただ、だからと言ってどうすることもしない。今の生活を守るだけだ。紗奈が俺の彼女だという事実は変わらない。だから紗奈を一番に想うし、そもそも梨花は同性愛者だ。俺の心の面積はしっかり紗奈が大半を占めている。これからも俺の行動は変わらない。


「へぇ、陸って男らしいじゃん」


 その声は野次馬が捌けた直後に聞こえた。声の方向を振り向くとそこには水野が立っていた。肩に通学鞄を提げて、コートのポケットに手を突っ込んでいる。


「あ。茜先輩、おはようございます」

「紗奈、おはよう」


 紗奈と水野はお互いに挨拶を交わし、俺もそれに続いた。と言うか、もしかして水野一部始終を見ていたのか?


「一年の時はここまで女子を守る奴だとは思ってなかったな」

「そ、そうか?」

「そうだよ。優しい奴だとは思ってたけど、優しさ故にそれが誰にでも向いちゃうから。さっきの留美先輩への一言は驚いた。格好良かったよ」

「う……、ありがと」


 と言いながらも恥ずかしい。水野は「先行くね」と言葉を残して学校に向かった。俺は紗奈の手を取り、歩き始めた。


「先輩、格好良かったって」


 ご機嫌でそんなことを言う紗奈。俺の手をしっかりと握り返す。


「恥ずかしいわ。それに他の女子に褒められたんだぞ? そんなに嬉しいか?」

「そりゃだって、私のことを庇ってくれたことに格好いいって言ってくれたんだから。嬉しいに決まってんじゃん」


 よくわからん。いや、恥ずかしいからそう思うようにしているだけだが。そして軽やかに歩を進める紗奈。


「今まで一途に陸先輩を想ってきて良かった」

「あぁ、ありがとうな。それから悪かったな」

「え? なんで謝るの?」


 訳が分からないと言った様子で俺を見上げる紗奈。それに俺は言葉を足す。


「ずっと謝りたいと思ってたんだよ。俺のことを真剣に好きでいてくれたのに、それに気付いてやれてなくて。それどころか俺は自分の気持ちにも気づいてなかったし」

「先輩……」


 紗奈が手を離さずに摺り寄ってくる。歩きにくいから少し離れろよ。


「先輩も中学の時から私のことを好きでいてくれたの?」

「たぶんそうだと思う。人間不信になりかけても変わらず接してくれて、居残り練習に誘ってくれてたからな」


 これこそ俺がずっと気づいていなかった俺の本心だ。これは梨花に対しても言えることだ。

 俺は梨花に対する表面的な魅力に憧れていて、梨花のことを好きだと思っていた。けど違った。梨花に対しても紗奈に対しても、俺を支えてくれていたということに惚れたのだ。


「そっか、そっか」


 紗奈が満足そうに頷く。そう言えばと思い、俺は紗奈に今まで聞いたことがない質問を投げ掛けてみた。


「紗奈も中学からって言ってたけど、具体的にはいつから俺のことを好きだったんだよ?」

「入学してすぐ」

「は? そんな前から?」


 驚いた。俺より1年も前だ。俺は中学三年になってすぐの頃から人間不信になりかけていたから。だから紗奈と梨花に惚れたのは恐らくこの頃からだと思う。


「なんで?」

「きっかけはあるけど、教えない。私の大事な思い出だから」

「何だよ、それ」


 はにかむように笑って歩を進める紗奈。俺はちゃんと言ったのに。まぁ、俺との思い出を大事だと言ってくれるのならここは満足して、引いておこうか。


「あ、そうだ。今週末の木田社長との会食。紗奈も出席しろよ」

「え? 私もいいの?」

「あぁ。役員候補なんだから、そろそろ顔合わせしないといけないし。先方には言ってあるから。まだ会ったことないだろ?」

「うん。予定しておく」


 今週末の金曜日、崇社長と会う。会社設立に対しての返事だ。川名さんから選手権の全日程終了後の最初の金曜日と言われた、それが次の金曜日だ。


 ちなみに選手権は前日に決勝戦が行われ全日程が終了した。優勝候補と呼び声の高かった高校が優勝。海王高校に勝った高校は準優勝だった。準優勝という好成績を残してくれたことで、負けたチームとしても報われる。


「秘書さんも一緒かな?」

「たぶんそうだと思うぞ」

「凄い美人なんでしょ?」

「うん、まぁ」


 そう紗奈に言ったことはあるが、改めて考えると、他の女性の容姿を彼女との会話で褒めるのはどうなのだろう? ただ、紗奈は機嫌を悪くしている様子はないのでいいが。恐らく梨花が仲良くしていることもあって興味を持っているのだろう。


「梨花も陸先輩もそう言うからどのくらいの美人さんか見てみたかったんだよ」

「ま、度肝抜かれることは覚悟しとけ」

「そんなに?」

「そんなに」


 とは言え、俺にとって一番魅力的なのはやっぱり紗奈だよ。これはただの惚気かな。

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