90.無人のゴール~陸~

 芝の上で横に飛ばした体を着地させるとすぐに背後を振り返った。俺の目に映ったのはサッカーボール。ゴールネットに擦れながら、転々と跳ねている。


 ピピー!


 主審から吹かれたのは得点を知らせるホイッスル。俺には絶望の音でしかなかった。ゴールキーパーである俺の背後にある無人のゴール。その中のボールと主審の笛が海王高校の失点を告げる。


「っしゃーーーーー!」


 すぐに聞こえてきた相手選手の歓喜の声。それに加わる相手校の関係者達の歓声。


 ピッ、ピッ、ピーーー!


 失点直後、間を開けずに無情にも響く試合終了のホイッスル。後半アディショナルタイムの一発だった。


 あぁ、負けたのか……。


 準々決勝、スコアは2対3。互いが攻撃力を発揮させ、一瞬の緊張も解けない試合だった。これで俺のサッカー人生が終わりを告げた。




 試合後のロッカールームで、落ち込む選手たち。3失点したディフェンス陣はそれが顕著だ。俺もそうである。

 頭ではわかっている。俺達ディフェンス陣だけの責任ではないことを。あくまでチーム力で負けたのだ。オフェンス陣も絡む組織力で負けたのだ。その結果が個人のせいではなく3失点に繋がっただけ。それでもやりきれない。悔しい。


 泣いているのはディフェンダーの永井と高橋先輩。経験の少ない一年生と、これで引退の三年生だ。そして横に目を向けると、梨花の姿を捉える。梨花も泣いていた。俺は梨花に歩み寄る。


「梨花……」

「ごめんなさい。あたし……、あたし……。相手の攻撃力を見誤ってた……」

「梨花のせいじゃないから」

「うぐっ、うぐっ……」


 梨花の嗚咽は続く。今日の対戦相手は確かに強豪校ではあったものの、攻撃力にあれほど長けたチームだとは誰もが予想外だった。昨日までのチームから化けたように今日は攻撃力を発揮していたのだ。

 どこのチームも試合毎に成長している。だから梨花のせいではない。


「陸先輩が終わっちゃう……。嫌だよ……」


 俺は梨花の頭を撫でると、梨花は俺の肩に額を預けて泣き続けた。今の会話はどうやら他の部員には聞こえていないようだ。そう、俺は負けたこの日、部員に伝えなくてはならい。


 三年生の先輩は三人固まり涙を流し始めた。この大会に懸ける思いは相当なものだっただろう。翔平は気丈に笑顔を作り、永井を励ましている。永井はまだ二年ある。ぜひともこの悔しさをバネにしてほしい。


「全員揃ってるな」


 ロッカールームに入ってきたのは大嶺監督だ。その脇で木田が目を真っ赤にしている。そしてスタンドで観戦していた他の部員達も続々と入ってくる。


「反省会は後日、残った部員だけでやる。今日は解散式だけだ」


 そう言って部員全員が大嶺監督に向いた。


「まずは高橋」


 大嶺監督のその言葉を聞いた高橋先輩が部員達の前に出て挨拶をする。後輩達の嗚咽が響くロッカールームで。泣きながらも後輩達は卒業を控えた三年生の最後の言葉をしっかりと聞く。


 そして、次にボランチの阿部先輩。一年生の愁斗とコンビを組んで、海王高校の前線とバックラインをずっと繋いでくれた。真っ赤に腫らした愁斗の目がしっかりと安倍先輩を見据える。


 次はフォワードの佐藤先輩。今大会1得点3アシスト。4試合で立派な成績だ。企業チームへの入社が決まっていて、今後は社会人サッカーに舞台を移す。


「最後、天地」

「はい」

「「「え……」」」


 大嶺監督名前を呼ばれ、俺が返事をするとロッカールームがざわついた。俺の引退を知っているのは監督、コーチ、顧問とマネージャーの二人だけだ。選手は誰も知らない。


「ちょ、どういうことだよ?」

「陸先輩?」

「陸?」


 まず林の声が響く。それに続く征吾と翔平。すかさず大嶺監督が言葉を足す。


「天地は離脱中の川口の助っ人として俺から頼んで選手権まで入部してもらった」


 ロッカールームのざわつきは収まらない。俺はそんな中、部員達の前に立ち、口を開いた。


「助っ人。そういう約束で大嶺監督から誘ってもらいました。これが俺の最後のサッカー人生です。かけがえのない仲間達とサッカーがやれて本当に幸せでした。ありがとうございました」


 俺はそう言って頭を下げた。ありきたりな言葉だと思う。けどこれは俺の本心だった。これ以上いくら言葉を重ねても、俺の部員達への感謝の気持ちはもう一杯だ。短い言葉で締めよう。これに目一杯の感謝を込めよう。


「助っ人って何だよ? まだ二年だろうが。引退する必要ないだろ」

「そうっすよ。インハイまで続ければいいじゃないっすか」


 林と征吾の張った声が響く。ありがとう、二人とも。そう言ってくれて。けど、ごめんな。俺には他にやることがある。俺は戻る足で川口の前まで行った。


「あと頼むな」

「あ、あぁ」


 川口はまだ理解が追い付いていないのだろう。川口とは一度も練習を一緒にやったことがない。しかし、公式戦は必ず応援席で見てくれた。


「川口、林、五反田」

「「「はい!」」」


 大嶺監督の張り上げた声に、三人がピリッとした返事を返す。


「川口は今後練習に復帰するがブランクがある。林は技術が伸びた。五反田は体ができた。これからキーパーのポジションはレギュラーを白紙にする。練習を進める上で便宜上AチームからCチームに分けるが、お前たちは現時点で横一線だ。レギュラーを争え!」

「「「は、はい!」」」


 大嶺監督の張り上げた声が、林を、征吾を、川口を、そして他の部員達を黙らせた。俺はロッカールームを出るまで、問い詰められることはなかった。そう、ロッカールームを出るまでは。


「痛っ……」


 俺の胸倉を掴む林の手。それを傍らで見る征吾。征吾の表情は悲しげだ。俺は背中を競技場の外壁に叩き付けられて、鈍い痛みを感じていた。そして林に怒鳴られる。


「どういうことだよ? ポジション争い勝ち逃げかよ?」

「違うって。最初からそういう約束だったんだよ」

「続ければいいだろ? 別に辞めなくてもいいだろ?」

「そういうわけにはいかないんだよ。俺には他にやることがある」

「何だよ、それ?」

「何してるの!」


 そこに割り込む女の声。木田だ。梨花もいる。二人は俺達に駆け寄ってきた。木田はすぐに林を引き剥がし、梨花は征吾の傍に立って、俺達の様子を窺う。


「陸先輩。俺、先輩を追い越すことが目標だったんすよ。目標がいなくなったらどうすればいいんすか?」


 征吾は声を発すると半泣き状態になった。そして俺に詰め寄ろうとする。


「征吾君……」


 梨花が征吾を制した。梨花の目も悲しげだ。


「月原さんは知ってたの? 陸先輩が引退すること。木田先輩もっすよ。あんま驚いてなかったっすよね?」

「「……」」


 梨花と木田は顔を伏せて押し黙ってしまった。あぁ、こうなってしまうのか。選手を育てることも目的の一つだった入部。しかし、辞める時は結局納得してもらえないのか。仕方がないよな。それでも入部を決断したのは俺だ。人のせいにはしない。自己責任だ。


「なんで翔平は知らなかったんだよ?」


 林が続く。キャプテンの翔平が知らなかったことへの不満だ。ご尤もだと思う。


「私達が無理を言って天地君にお願いしたことなの。お願い、これ以上天地君を責めないで」

「だから何で無理を言ってまで入部させる必要があんだよ? その無理を言う理由って何だよ? 川口の助っ人だからか? 天地は自分の意思で入部したんじゃないのかよ? それがなんで辞めんだよ」


 正論だ。林の言うことは何も間違っていない。そして木田もとうとう泣き出した。責任を一手に背負う発言をして、林に反論されて。ここで木田を庇ってあげらない自分が情けない。この場のみんなを安心させてあげられる言葉が出ない自分が情けない。


 この後、話は進まないまま、木田が林と征吾を連れ出した。俺は梨花と一緒に家路に就いた。俺と梨花は言葉を交わすことがなかった。試合に負けた悔しさよりも、チームメイトとの蟠りが残ったことで、後味の悪い一日となった。


 家に帰ると日が傾き始めていた。俺は風呂も入らずに書斎に籠った。梨花も自室に籠っている。紗奈は書斎で心配そうな表情を俺に向ける。まだ夕食を作り始めるには早い時間なのだろう。俺は紗奈と言葉を交わすことなく耽っていた。すると。


 ピンポーン。


 インターフォンが鳴った。リビングにそらがいたはず。俺も紗奈も書斎の自席から動かなかった。この家の住人とそら以外、誰とも会いたくない気分だ。


 すると程なくしてそらが書斎に入ってきた。


「お兄ちゃん、お客さん」

「ごめん。断って。今は誰とも……」

「それが、サッカー部のマネージャーの木田さんって人なのよ」

「は?」


 なぜ木田が? 梨花とのスカウティングの資料作りなら日を改めてほしいのだが。二年になってから知ったことだが、木田は気遣いができる奴だ。だから今日は俺の心中を察してほしい。

 俺は立ち上がり、リビングのインターフォンまで行った。モニターには木田が映っている。木田には申し訳ないが、今日はお引き取り願おう。


「木田、ごめ――」

『天地君。ごめんなさい』


 木田は俺の声を聞くなり、俺の言葉を遮った。先に謝罪の言葉を言われた。どうしたのだ? 木田から恐縮そうな感じが見て取れる。


『二人を止められなかった』

「は?」


 するとモニターに映り込んだのは林と征吾だった。うそだろ、おい……。


『征吾君が天地君の家を知ってるからって行こうとしたの。それに林君もついて行くって言って。それを引き留められずに結局私もここに行き着いたの』


 マジかよ……。それでとりあえず代表で木田がインターフォンを押したってところか。大晦日の決まり事違反が裏目に出た。こうなってはしょうがない。腹を括ろう。オートロックを解錠した。


 俺はまず梨花を呼びに行った。そしてそらも書斎に集めて紗奈も含めた四人で話し合った。三人が俺の意見に納得した頃にもう一度インターフォンが鳴った。俺は玄関を開け、客人を迎え入れた。俺に梨花もついて来る。客人とは木田と林と征吾だ。


「なんで月原さんがここにいるの?」


 玄関に入るなり疑問を口にする征吾。それに梨花が答えた。


「うん。先輩の妹がこっちにいる間はあたしも紗奈も頻繁にここに来てるから」

「そっか。二人は陸先輩の妹さんと親しいんだっけ」


 これで梨花と紗奈がここにいることは納得してくれたようだ。とりあえず俺は客人をリビングに通した。

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