69.梨花の覚醒~陸~

 一瞬の沈黙を経てざわつき出す一年八組の教室。それもそのはず一年スリートップ女子の一人、紗奈が熱愛発言をしたのだ。


「私は陸先輩の彼女です」


 言ってしまったよ、とうとう。梨花の学校生活……。サナリー親衛隊……。そして俺の学校生活……。嫉妬の目が向く。しかし、何やら土屋先輩はまだ余裕の表情をしている。


「ふふ。そんな嘘吐いて。強がってんでしょ」


 むむ、紗奈の言葉を本気で捉えていないようだ。これは肯定と否定どっちがいいのだろう? 肯定しても嫉妬で学校生活が危うい。否定しても土屋先輩に脅かされる。しかし梨花のこともある。それならここは……。


「付き合ってはいな――」

「証拠ならありますよ」


 俺の言葉を遮る紗奈。俺は否定をしようとしたのに。


「ツーショットの画像たくさんありますよ? 何ならちゅうしてる画像も見ます? 最近の日付だから証拠になると思いますけど?」


 あぁ、完全に止めだ。紗奈は間髪を入れずに土屋先輩に止めを刺した。一層騒がしくなる一年八組の教室。表情を崩し始める土屋先輩。


「うぐっ……、りっくん本当なの?」


 コクン。俺は首を縦に振った。観念して認めたのだ。紗奈のこの発言、否定したところで紗奈のスマートフォンに人が群がってくる。プライバシーの侵害よろしくで。


「留美の心を弄んでたの?」


 ブンブン。今度は首を横に振る。これには力が入った。


「こんなにりっくんのことを想って尽くしてきたのに、最低」


 だから最初からそのつもりはなかったんだって。弄んだわけではないと今否定しただろうに。


「りっくんの、ぶぁーかぁー!」


 泣きながら教室を出て行く土屋先輩。はぁ、溜息しか出ないよ。これで土屋先輩に学校生活を脅かされる心配はなくなった。それでも別の問題がな……。


「陸?」

「陸先輩?」

「紗奈ちゃん?」


 一様に唖然とした様子の圭介と征吾と綾瀬。俺と紗奈に聞きたそうな表情を向ける。それを代表して圭介が質問をした。


「お前らやっぱり付き合ってたのか?」

「えへへ」


 はにかんで笑う紗奈。「まぁ」と言って肯定する俺。それに今度は綾瀬が質問を続けた。


「紗奈ちゃん、いつから?」

「7月から」


 それより俺は決まり事違反のことが気になっている。俺は紗奈に聞いた。


「て言うか、紗奈。内緒だっただろ? 梨花はどうすんだよ?」

「梨花ならもうこのことは知ってるよ」

「は?」

「親衛隊は任せろ。交際をオープンにしてでも陸先輩を守れ。って」

「梨花が言ったのか?」

「うん。先輩、一年の時体育館の倉庫に監禁されたこともあるんだってね?」

「う……」


 苦い顔をする俺と圭介。蘇るトラウマ。あの日俺を助け出したことで圭介も放課後何だかあったそうだ。恐ろしくて内容は聞いていない。


「そんな人、超危険人物じゃん。私だって彼氏を守るために動くよ」


 紗奈のこの発言に俺の顔が赤くなるのがわかる。て言うか、なんでこの場の一同、皆顔を赤くしているのだ。まったく、みんなして照れやがって。恥ずかしい。けど嬉しい。


「いつ誰から聞いたんだよ?」

「昨日の昼休みに由香里先輩から聞いた」

「ま、まじか……」

「その話を梨花にも話してこういう話になった。隠せるに越したことはないけど、まぁ、ダメなら言ってしまおうって」


 と言うかである。梨花が親衛隊を一手に引き受けたのか? あれほどうんざりしていたのに? どういう心境の変化だよ。

 そして慌ただしくスマートフォンを操作する一年八組の生徒達の姿が視界に入る。これはSNSを使っての拡散決定だな。しかも土屋先輩が乗り込んできたのだ。恰好のネタではないか。




 この日俺は夕練を終えると、揃って梨花と下校をした。久しぶりに戻ってきたいつも通りの下校。梨花と二人で一緒に歩くこと自体は。しかし全く違う。


 グラウンド脇のコンクリートの階段は見学ができるようにスタンド式になっている。練習中、そこに親衛隊が群がっていた。完全に目的は梨花である。わかってはいたことだが、紗奈に彼氏がいると知れて、こぞって梨花狙いだ。

 その梨花はそんな外野を気にすることなく、黙々と部活の進行に携わっていた。あれほどうんざりしていたのに、一度気持ちが決まるとハートが強い。とは言えごめんよ、梨花。

 そして梨花と一緒に学校を出ると聞こえてくる陰口。わざと俺に聞こえるように言っているのだから、陰口と言うより野次か。


「あいつ、日下部の彼氏だろ。なんで月原も離さねぇんだよ。タラシが」


 耳に入ればさすがに心が折れそうになる。しかし助けてくれた梨花と紗奈の気持ちを無視するわけにもいかないし、ここは我慢だ。人間不信になりかけた中学の時を思えばまだ楽な方か。


 学校から駅まで向かう途中、梨花がふと足を止める。そして後ろを振り返った。まぁ、俺も気にはなっていたのだが。俺達のすぐ後ろを付いてくる人に。


「完全なストーカーですね。家まで付いて来るつもりですか?」

「途中まで帰る方向が一緒なんだからいいでしょ?」


 答えたのは土屋先輩だ。あれだけのことがあったのに、夕練もグランド脇で見学していた。すかさず木田が詰め寄ったが、土屋先輩の「大人しく見てるわよ」の一言で木田が引き下がった。

 言葉の通り、今までとは打って変わって土屋先輩は大人しく見ていた。俺に合わせての移動もしなかった。


「帰り道別れる所から先まで付いて来たら警察呼びますから」


 梨花の強気の発言。こんな梨花は初めて見るな。


「そっちの男子たちもです」


 より強く言う梨花に、更に後ろから様子を窺っていた親衛隊たちがビクッと肩を震わせる。中学の時は紗奈の後ろに隠れて、守ってもらっていた印象の梨花。なんだか大きくなった。そうか、その頃にはもう紗奈のことが好きだったんだっけ。


「あなたはりっくんの彼女じゃないでしょ? なんでそんなに出しゃばるの?」


 不満げに言葉を返す土屋先輩。梨花はそれに動じることなく答えた。


「陸先輩は親友の彼氏です。変な虫が付かないように一緒に行動してます。家も近所ですし。過激な人がいるとわかった以上、これからも離れるわけにはいきません」

「なんなのよ、もう」


 土屋先輩をひっつき虫扱いする梨花。まぁ、あながち間違いではないが。


「別に俺達の目的は月原なんだから、俺達はいいだろ」


 そこに食い下がったのは親衛隊の一人だ。名前は……、知らん。


「この際だからはっきり言っておきます。あたしは親衛隊の人たちの誰にも興味を持っていません。あたしが大事にしているのはサッカー部と、親友の紗奈と陸先輩だけです」


 むむ、なんだかそれは嬉しいな。梨花のその言葉に素直に引き下がる親衛隊。第七条違反は結果的に全ての問題を解決してしまったのではないだろうか。今日のサナリーは二人とも大きく見える。逆に俺はしっかりやれているだろうか。少し自信がなくなるな。


「行こ? 先輩」

「あ、うん」


 俺は梨花に促され、そのまま家路に就いた。さすがに自宅最寄り駅まで付いて来る人はいなかった。自宅が近づくにつれて、俺達を追っていた生徒は順々に捌けていった。土屋先輩もその一人であった。


「おかえりー」


 玄関ドアを開けるなり制服にエプロン姿で出迎えてくれる紗奈。


「紗奈ぁ。あたし頑張ったよ。紗奈のために陸先輩守ったよ。ぎゅうして」


 そう言って紗奈に両手を広げてアピールする梨花が甘えている。珍しい。強がっていただけで、やっぱり気が張っていたのだろうか。


「梨花、ありがとう」


 そう言って紗奈は梨花をハグする。梨花は紗奈の温もりに心地よい表情を浮かべている。


「ちゅうもしてほしい」

「いいよ。ちゅっ」


 途端に明るい顔になる梨花。朝の出掛けのキス以外ではこれも珍しい。梨花が紗奈にキスをおねだりした。俺にお伺いを立てて書斎で濃厚なキスをした日以来か。しかもハグまで。


「先輩もおかえり。ちゅっ」


 紗奈がキスとハグで俺も迎え入れてくれる。いいな、こういうの。




「なんか今日は色々と迷惑かけてごめんな。あと、ありがとう」


 俺は寝室でマッサージをしてくれている梨花に言った。うつ伏せの俺の脚を梨花の手が心地よく這う。梨花はハーフパンツにTシャツ姿だ。最近マッサージの日はちゃんと服を着るようになった。肌寒くもなってきたし当然か。


「ううん。あたしと紗奈はいつも先輩には良くしてもらってるから。これくらい」

「うぅ……」


 気持ちよくて声が漏れる。疲れが癒される。学校に部活に仕事にと、紗奈と梨花には本当に助けてもらっている。


「こっちこそありがとね」

「ん? 何が?」

「紗奈のこと。色々と許容してくれて」

「いや。別に」

「先輩の知らない所では手出してないから安心して」

「そっか、そっか。わかった」


 気持ちいいな、マッサージ。俺は梨花に言われて仰向けになった。毎度、毎度、梨花にはあいつのことが申し訳なくなるけど。けど、梨花ももう慣れたのか文句を言わない。


 そして俺は寝落ちした……。


 隣に人の温もりを感じる。体感から一時間も寝ていない。そうか、隣にいるのは紗奈か。今日は金曜日だ。しまったな、紗奈と一緒に寝る約束の日なのに、寝落ちしてしまった。俺は薄く目を開けた。


「え?」


 驚いて少し身を引いた。なんと、梨花が俺の隣で寝ていたのだ。寝室の照明は点いたままだ。


「しー」


 その声は背後から聞こえてきた。俺は後ろを振り返った。すると紗奈が顔と腕をベッドに乗り出してこっちの様子を見ていた。


「このまま寝かせてあげて」


 紗奈は梨花を起こさないように小声で言った。


「あ、うん。それはいいけど、俺はどうすれば?」

「そこで寝ていいよ。私ベッドの下で、布団敷いて寝るから」


 梨花までそのまま寝てしまったのか。そしてよくよく見てみると床には既に布団が敷かれている。なら、俺が布団で寝ればいいような気もするのだが。


「二人ともいつも頑張ってるから今日だけ特別だよ。ちゅっ」


 紗奈がそう言ってキスをしてくれた。そして俺を腕で跨いで梨花の頬にもキスをした。


「紗奈……。うへへ」


 おい、梨花、その笑い方。女子力が……。まぁ、幸せそうな寝言と寝顔だしいいか。しかし梨花の寝顔、可愛いな。

 紗奈はそのまま寝室の照明を落とした。そして横になっている俺の頭を撫でた。心地いいな。マッサージとは違う癒しだ。


「浮気はだめだよ。私にとってはキスからが浮気だからね」


 むむ。一緒に寝ることは? 手を繋ぐことは? けど、紗奈の手が心地よくてそんな考えすぐにどこかに飛んで行った。


「紗奈、おやすみ」

「おやすみ」


 俺は再び夢の世界へ誘われた。

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