67.一年の教室~陸~

 恐らくさっきまでの光景を梨花も目にしているだろう。彼女が今朝の話の主だとはもうわかっているはずだ。


「何よ、あなた。一年? ほんのちょっとだけ可愛いからって調子にのって。私はこう見えても三年よ」


 こう見えてもって……。確かに童顔で中学生くらいに見えるけど。紗奈や梨花の童顔とは系統が違う。サナリーは年相応と言われればそれも納得できる若々しさ。そして麗しいほどの可愛さ。けど土屋先輩はただ単純に顔が子供っぽいのだ。


「ふーん。今時年上とか言って。つまり自分でおばさんを強調するんですね」

「り、梨花?」


 なぜ応戦している梨花? 君はそんなキャラではないだろ? 唖然とする俺。その俺に声を掛けてくる木田。


「た、逞しいわね、月原さん。日下部さんよりまずあの子を攻略しないとあなたには近づけそうにないようね……」

「……」


 攻略って何だよ? 攻略って。


「あなたりっくんの何なのよ。私は去年からりっくんのこと知ってるんだから」

「あたしは中学の時から知ってますけど」


 その後も「きー、きー、きー、きー」梨花に向かって吠える土屋先輩。勘弁してくれよ。すると俺の視界に映り込む男子生徒がいた。校舎の脇を早歩きで歩いていて、俯き加減での登校だ。


「あいつ……」


 圭介だ。他人の振りしやがって。後で覚えてろよ。


 ひとしきり梨花に吠えた土屋先輩は俺が移動した先のゴール裏に移動し、野次なのか黄色い声援なのかわからない言葉を轟かせていた。部員のみんな、朝から本当にごめん。




 そして昼休み。必死で逃げる俺。手には弁当が握られているが、まだ食べていない。腹は減っている。早く紗奈が作ってくれた弁当を食べたい。


「りっくん。待ってよー。一緒にお弁当食べようよー」


 後ろから聞こえてくる悪魔の声。土屋先輩だ。あなたに捕まったら何をされるかわからない。待つわけがない。


 走り続けて気が付けば一年の教室群。まず一組の前を通る。凄い人だかりだ。あぁ、梨花目当ての親衛隊か。いやいや、感心している場合ではない。その人だかりを抜け二組の前。うむ、走りやすい。

 と思ったのも束の間。三組の前はまた人だかりだ。今度は紗奈目当ての親衛隊か。よほど暇なのかこいつらは。親衛隊をかき分け俺はやっとの思いで四組の前に出た。その時に誰かに足を引っ掛けられた。くそっ、誰だ、今の。いかん、ガン飛ばしている暇はない。

 膝を付いてしまった俺は急いで立ち上がる。


 ぽふっ。


 すると顔に柔らかい感触。なんだか心地いい。ずっとこの感触に包まれていたいな。


「あ、あ、天地先輩こっちです」

「ん?」


 俺は手を引かれた。訳も分からず連れ込まれた教室。どこだここは?


「お弁当、まだですよね? ここでい、い、一緒に、食べ、ましょう」


 俯き加減で話す女子生徒は、ツートップワンシャドウの一角、シャドウストライカー小金井だ。尤もこの形容は俺しかしないが。他の生徒は三人まとめてスリートップと言う。だって、小金井は隠れファンが多いのだから。証拠に親衛隊が結成されていないし。

 ん? 待てよ。と言うことはさっきの柔らかい感触は小金井特有のマシュマロだったのか。そしてここは一年四組の教室だな。


「りっくーん」


 俺は小金井に押されて身を隠した。廊下から見えないように、そして壁ドン男女逆転バージョンだ。身長差が逆転するので小金井のグレイトバストが腹に当たり、小金井の腕は俺の胸の横だ。しかも両手。目立つなぁ。一年スリートップの一人小金井とこの体勢は。


「りっくーん」


 すると悪魔の声が遠くなった。救急車とは違って音は変わらないんだな。けど土屋先輩が四組の前を抜けて通り過ぎたことはわかった。その後、俺は小金井に促されて席に着いた。


 土屋先輩は早速やってくれた。4限目が終わるなり俺の二年二組の教室に乗り込んできたのだ。圭介が盾になってくれて、なんとか俺は脱出できたが。朝他人の振りをしたことを散々取っちめてやったから。恐らく圭介はあの後ノックアウトされたのだろう。


「はぁ、はぁ、弁当」


 俺は紗奈の弁当を開けた。さっきこけたので少し崩れている。しかし、麗しい。愛する彼女が作ってくれた弁当をやっと食べられる。


「ありがとうな、小金井」

「い、いえ……」

「へぇ。この人が天地先輩。どうも、初めまして」


 小金井のグループには4人ほどの女子がいて、その中の一人が言った。皆して俺を物珍しそうに見られているのだが、なぜ?


「あぁ、里穂の――」

「あわわわわ。そ、それは、今は、関係ないから」


 慌てて言葉を遮る小金井。何なのだろう? とにかく助かった。腹は減っている。俺は弁当を食べよう。そう言えば……。


「俺が追われてるの、よく知ってたな?」

「あ、はい。け、今朝、サッカー部の練習グラウンドが賑やかだったので、な、何かあったのか気になって、り、梨花ちゃんに聞きました。そ、それで注意してたんです……」

「あぁ、なるほど。小金井のおかげで助かったよ」


 確かにあれは目立つよな。て言うか、小金井の顔が赤くなった。さっきあらぬ体勢だったからな? 時間差か? けどあれは恥ずかしいよな、申し訳ない。


「ど、どういう、人、なんですか?」


 相変わらずおどおどしながら話す小金井。まだ俺に人見知りしているのかな? 一緒に旅行も行った仲なのに。とは言え、クラスにはこんなに友達ができたようで安心したよ。


「えっとな……」


 俺は話し始めた。土屋先輩とのエピソードを。そして口をあんぐりと開けて聞く小金井とその仲間たち。完全に箸が止まっている。どうやらどれだけの危険人物かは理解してもらえたようだ。

 紗奈にも心配かけるだろうな。紗奈にも言わなきゃいけないよな。けどな……。できれば言いたくないな。今こうして小金井に話すだけでもトラウマが蘇り、足が震えたのだから。


 小金井のおかげで昼休みはなんとか憩いの時間を過ごせた。しかし土屋先輩は夕練にも来た。はぁ……、どこへいく、俺のモチベーション。目標の全国大会が遠のく。

 夕練は組織のパターン練習と、ミニゲームや紅白戦などの実戦形式の練習が主だ。すると朝練と違って土屋先輩もヒートアップ。失点すれば攻撃陣に野次。シュートを防げば黄色い声援。スポ根漫画との逆転現象に俺は頭を抱えた。


「あのうるさい女子何なんすか?」


 部活後、部室で着替える俺に問い掛ける永井。本当、何なんだろうね。


「陸のストーカーだよ」


 代わりに答えてくれたのは翔平だ。やっぱりみんなその意識なのね。

 翔平は去年、隣のクラスだったから、よく目にしていたな。まぁ、そのおかげで体育も合同だったから、翔平とは入部前から親しくなれたわけだけど。


「モテモテっすね、陸さん」


 それ、あんまり嬉しくないよ、愁斗。だって学校の空き時間は常に俺の教室に来るのだから。腕はホールドしてくるし、抱き付こうとしてくるし、終いにゃキスしようとしてくるし。さすがに全部躱したけど。去年から変わっていない。去年も全部躱したけど。

 しかも土屋先輩は誰が見ていようとお構いなしだ。それがきついのだ。圭介曰く、土屋先輩がこんな風になったのは突然らしい。それまでは恋愛の相手が年上か同級生だったらしく、その時はおしとやかだったそうだ。

 その土屋先輩が年下の俺に惚れた。すると途端に豹変したそうだ。それまでも尽くす性格だったそうだが、その際限がなくなったとか。まったくいい迷惑だよ。


 付き合うまでの紗奈は過剰なスキンシップを梨花の前か俺と二人の時にしかしなかった。自分なりのルールがあったのだろう。そんな風なら俺としても理解のしようはあるのだが。まぁ、それでも土屋先輩の気持ちに応えることはないが。

 そして土屋先輩からの贈り物だ。ハイブランドの品の数々。恐れ多くて一切受け取らなかった。受け取ったら土屋先輩に期待をされそうな気がしたわけだし。


「ほえ~、大変っすね。それ聞くとさすがに羨ましいとは思わねぇっす」


 同調してくれて嬉しいよ、愁斗。しかし土屋先輩は、俺みたいな地味な男子高生のどこがいいのだか。仕事のことは隠しているから、金に寄ってきているとは考えられない。


 部室でそんな話をして着替えた俺は、梨花と一緒に学校を出る。……それに加えて土屋先輩も。やはり付いて来るのか。


 サナリーとの登下校では慣れていたと思っていた。女子二人と歩くことに。て言うか、サナリーは基本的に俺を挟まなかった。梨花の気持ちを知って今にしてやっと理解できるが、紗奈が真ん中だった。

 今俺は挟まれている。とにかく目立つ。そしてくっついてくる土屋先輩。不機嫌な梨花。なぜ……? この不機嫌が紗奈に伝染しないといいけど。そんな日が数日続いた。怖くて紗奈にはまだ土屋先輩のことが言えていない。




 そして土屋先輩が復学して最初の金曜日。一年八組の教室で弁当を突く俺と圭介。圭介のスマートフォンはずっと振るえっ放しだ。着信とメッセージの連投で。征吾と綾瀬が俺達のランチタイムに付き合ってくれて良かった。

 俺達は今避難中である。まさか一年の教室で弁当を食べているとは思うまい。小金井に助けられてから一年の教室は恰好の隠れ家だと気づいたのだ。俺のスマートフォンには先ほど公太と水野と吉岡からメッセージが届いていた。


公太『土屋先輩がお前と圭介を探してる』

水野『二組の教室で留美先輩が吠えてる』

吉岡『留美先輩うるさいから持ち帰って』


 水野の言う二組とは俺達のクラス二年二組だ。恐らく圭介にも同じ内容のメッセージが届いているのだろう。けど圭介のスマートフォンを鳴らし続ける主のメッセージに埋もれて、圭介は見ていないだろう。もちろん主とは土屋先輩だ。


「いい加減、留美姉に陸の携帯教えてもいいか?」

「ば、ばか。それは絶対止めろ」


 慌てて俺は圭介を制した。今は土屋先輩に連絡先を知られていないことだけが救いなのに。


「誰なんすか? その留美姉って」


 話に入ってくる征吾。俺と圭介はどんより弁当を突いている。あぁ、いつも紗奈が手間暇かけて作ってくれる弁当なのに。もっといい気分で食べたいよ。


「こないだ言ってた圭介君の従姉?」


 むむ、綾瀬の圭介の呼び方が変わっている。さすが真剣交際に発展すると違うね。俺と紗奈は元々名前呼びだが。そんな俺の関心をよそに圭介が二人の質問にまとめて答えた。


「あぁ、そうだよ。早速初日からサッカー部の皆様に迷惑を掛けてる張本人だよ」

「あぁ、あの。いつも木田先輩と月原さんとバトってる人っすか? 何なんすか? あの人」


 バトル……確かにそうだよね、征吾。うるさいよりそっちの方が印象に残っているんだな。本当に恥ずかしいよ。みんなごめん。征吾はレギュラーじゃないから部室で着替えていない。だから、話していなかったね、そう言えば。

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