66.ゴール裏のフーリガン~陸~

 10月になった。衣替えも済ませ、ブレザーを羽織っている。日中はまだ暑さも感じるが、部活のために朝早く家を出る俺は、その時間に外に出ると肌寒さも感じる。

 出掛けに紗奈から俺と梨花へのキスは日課になりつつある。ただ梨花はその時以外、紗奈を求めている様子はない。書斎で俺が見た時だけだ。


 今日もいつものようにその梨花と登校だ。電車の中で、俺が梨花の手すり棒になるのも当たり前になってきた。今ではもう乗り込むなりすぐ、何も言わずに梨花は俺の手首を握ってくる。梨花にとってはつり革がちょっと高いのだろうか。


 そして電車を降りて学校へ向かう道中のこと。ポケットで俺のスマートフォンが振るえた。メッセージの受信だ。


「……」


 俺はそのメッセージを読んで固まってしまった。声も出ない。突然足が止まった俺に怪訝な表情を向ける梨花。


「どうしたの?」

「帰ろうかな……」

「は?」


 梨花が俺のスマートフォンを覗き込む。


「ん? 湯本先輩からじゃん」


 そう、メッセージの送信者は圭介である。俺のスマートフォンから目を離さず、読み上げ始める梨花。


「何? 何? 留美姉が帰ってきた……」

「ひぃっ……!」


 恐怖から声が出た。「留美姉るみねえ」そのワードに。梨花は隣で小首を傾げている。いつもなら梨花のこの仕草は破壊力抜群の女子力満点なのだが、今はそれに興奮している余裕もない。


「誰? 留美姉って?」

「け、圭介の従姉」


 すると圭介が次のメッセージを連投してきた。


『今日から海王に復学だ』

「お、俺、転校するわ」

「ちょ、ちょい、ちょい」


 踵を返した俺のブレザーの襟を梨花に掴まれる。そして結構強く引き込まれた。


「来週は中間テストなのに何言ってんの? それが終わったら準々決勝だよ?」


 確かにその通りなのだが、俺の気持ちはとっくの昔に海王高校から離れている。この現実をどう躱すか、それしか考えられない。


「とにかく行くよ。練習、練習」


 俺は梨花に引っ張られて学校まで行ったのだ。




「何なのよ。陸先輩の周りは女子の名前ばっか」


 学校に到着し、部室と更衣室に別れる時、梨花の機嫌はすこぶる悪くなっていた。そんなこと言われても……。て言うか、なんで梨花が怒るんだよ。紗奈を想ってのことかな?


 俺は部室で着替えてグラウンドに出ると、木田を発見した。俺はすかさず木田に近づく。


「圭介の従姉が帰ってきた」

「何?」


 低い声で反応する木田。声がバトル系アニメの主要キャラさながらだ。木田ってそんな声が出るんだな。目がマジだし。


「それって土屋留美つちや・るみ先輩?」

「イエース」


 やっと標準に戻った木田の声に、俺が訳の分からないテンションで肯定をしてみせる。するとそこに梨花がやってきた。


「その人誰なんですか?」

「天地くんと同じクラスの……、誰だっけ? 誰だったかの従姉よ」

「湯本先輩ですよね? それは聞きました」


 さっき俺が「圭介の従姉」だと言ったばかりだろ。圭介を覚えろよ、木田。


「私達の一個上の天地君のストーカーよ」

「はぁぁぁあ?」


 語尾を上げて梨花が反応する。ストーカーか、大げさな表現ではあるが、あながち間違いではないような気もする。近からず遠からずと言ったところか。


「サッカー部の入部を知られるのも時間の問題だよな?」

「安心して。私が守るわ」


 心強い。木田がジャンヌ・ダルクのように思える。とにかく練習をしよう。準々決勝まで2週間ちょっとだ。俺の目標は全国大会。紗奈と梨花を全国に連れて行くのだ。


 俺はストレッチとウォーミングアップを経て、セービングの練習を始めた。征吾は実に従順である。従順な後輩を望んでいるわけではないが。中学の時の俺は紗奈と言う、暴れん坊の後輩に懐かれていたわけだし、あまり先輩面は慣れていない。

 ただ征吾のモチベーションは高い。俺からポジションを奪ってやろうという気迫が見て取れる。うむ、実にいい傾向だ。


 そして林だ。相変わらず俺を嫌っているようだが、しかし最近わかってきた。林は自分から俺に質問をしてくることはないが、俺が人と話をしている時には、練習をしながらでも聞き耳を立てている。

 特に征吾と話している時はそれが顕著だ。技術や知識を盗んでやろうと虎視眈々と狙っている。どこの職人だよ。まぁ、それはそれでいいことだから何も言うまい。

 ただ、征吾に先を越されるのがよほど悔しいのか、それがモチベーションに繋がっている。俺への反骨心と合わせていい傾向ではある。そしてこの一カ月で二人は驚くほど伸びた。これは大嶺監督も評価していることだ。


 そう感心しながら、征吾と林に出してもらうボールに飛びつく俺。


「りっーくーん!」


 空耳、空耳。


「りっくんってばー!」


 だから空耳だって。

 校舎側のゴール。俺はそこでセービングの練習をしている。校舎は背中、つまりゴール裏だ。絶対に校舎へは振り返らない。恐ろしい声がすぐ近くで聞こえたから。恐らく校舎の中ではなく、グランドのすぐ脇にいる。


「陸先輩。あの女子って陸先輩を呼んでるんじゃないっすか?」


 余計なことを言うな、征吾。練習に集中しろ、俺。


「早くシュート打って」


 俺は林と征吾に声を掛けた。すぐさま林からシュートが飛んでくる。横っ飛びキャッチ。ボールはしっかり胸に抱え込んで、着地は肩から。

 セービングの基本をしっかり体に覚え込ませる練習なので、強いシュートではない。だからシューターはシュートに不慣れなゴールキーパーにも務まる。起き上がるとすぐに征吾がシュートモーションに入る。


 カツカツカツ。


 背後でローファーが、ゴール裏にあるコンクリートの階段を駆け下りる音が聞こえる。俺の第二視野に捉えた木田が物凄いスピードでこっちに駆け寄ってくる。やばい、試合の時よりも危機察知能力が働いている。


 ポフッ。


 トンッ。


「練習中ですよ!」


 征吾が蹴った球出し音と、グラウンドに着地したローファーの音と、木田の怒鳴り声が同時に聞こえた。俺の右に飛んだ征吾のシュート。俺はそれを無視して、真っ直ぐ正面に向かって走っていた。ペナルティーアーク付近にいた征吾の所まで。


 ぽかんとする征吾。俺は征吾の背中に隠れていたのだ。征吾の肩越しにゴールを見てみると、ゴールには征吾が蹴ったボールが転々と転がっている。俺が立っていた場所には木田が仁王立ちしていた。しかし木田は俺達に背を向け校舎を向いている。

 俺と征吾の横では顔を赤くして俯く林。なぜ……? 前から思っていたのだが、林は木田が近づくと大体こうなる。

 そしてゴールネットを挟んで木田と対峙しているのはツインテールの女子生徒。梨花が時々やる麗しいローツインテールとは違う。サイドテールとでも言うべきか、耳の真上で束ねている。


「邪魔よ。りっくんに会いに来たの」


 木田に対して喧嘩腰に言うサイドテールの女子生徒。


「土屋先輩。今練習中です。大会期間中の大事な時期なんです。邪魔をしないで下さい」


 そう、このサイドテールの女子生徒こそ土屋留美先輩。海王高校三年生で圭介の従姉なのだ。


「なんであんなにサッカー部を拒んでいたりっくんが入部してんのよ? あんたがそそのかしたの?」

「違います。天地君は自分の意思で入部してくれました。とにかく練習の邪魔をしないで下さい」

「じゃぁ、終わるまでここで見てる」


 そう言うと土屋先輩はコンクリートの階段に腰を下ろした。マジか……。ずっとゴール裏にいるのか。スタジアムのゴール裏にいるフーリガンの方がまだプレッシャーが弱いような気がするのだが。


「天地君。私はゴール脇にいるから続けて」

「お、おう」


 木田がゴール脇にいてくれるようだ。助かる。PKの時の線審さながらの位置だな。俺はとりあえずゴール前に戻り、ゴールの中のボールを征吾に返した。


「林、頼むわ」


 そう言うと林が球出しのために助走を取った。そして至近距離なのにドンッと強いシュートを打つので、俺は慌ててパンチングで逃れた。何だよ、今はキャッチがメインの練習なのに。それを見てすかさず咎める木田。


「林君! 今は強いシュートを受ける練習じゃないでしょ!」

「悪かったよ……」


 なんでいつも木田には素直なのだ。その素直さを少しは俺にも向けてくれ。


「何よ、あの子。りっくんをいじめないで」

「……」


 後ろから聞こえてくるのは野次だ。嫌だな。実に嫌だ。けどこれはこれでメンタル強化になるのかな。ゴール裏からの声だし。


「次いきますねー」


 征吾が手を上げて声を出す。ポフッと緩いシュートが飛んできて、俺は左に飛んで、しっかりキャッチして、胸に抱え込む。着地は肩から。よしよし。


「きゃー! りっくん格好いいー!」

「う……」


 恥ずかしいことこの上ない。背中からの声に。はぁ、黄色い声援って言えば聞こえがいいのだろうけど、そんな漫画みたいな話、サッカー部の練習の場には実際はないのだ。そんな声を向けられても恥ずかしいだけだ。

 シュートを決めたフィールドプレイヤーならまだしも、セービングの時のキャッチングの練習だ。フォームを確認する練習である。試合中ではありえないほど弱いシュートだ。それに一喜一憂されては恥ずかしいだけだ。


 俺は後ろからの声に集中力を乱されながらも、なんとか自分のターンを終えた。そして次は征吾の番。俺は球出しだ。


「いくぞー」


 俺が手を上げてポフッとボールを蹴る。征吾もしっかりキャッチして抱え込んだ。着地も問題ない。うむ、うむ、基本が身に付いている。とは言え征吾は経験者だから、元々そのあたりのことは心配していない。


「ちょっとー! なんでりっくんのシュートを止めるのよ。空気読みなさいよ」

「……」


 ゴールキーパーの練習だぞ? 空気を読んでほしいのはこっちの方だ。もう呆れてものも言えない。

 征吾と林には申し訳ないが、メンタル強化の練習も併行していると思って付き合ってもらおう。林も木田が近くにいると刺がないし、心なしか張り切っているようにも見えるし。


 そして始まるフィールドプレイヤーのシュート練習。俺は土屋先輩から離れたく、反対側のゴールへ移動した。次は本気のシュートを本気で止める練習だ。


「すいません。今練習中なんでグラウンドには入らないで下さい」


 聞こえてきたのは梨花の声だ。何だろうと思って声の方向を見てみると、なんと土屋先輩がフィールドを縦断していた。サイドバックの縦運動もびっくりの、縦断行進ではないか。俺は頭を抱えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る