61.天地塾~陸~

 4限目。昼休みを前に腹の虫が鳴る。今週末から選手権都大会が始まる。海王高校は一回戦シードなので、来週末が初戦だ。部員は一様に気合が入っていた。


『天地塾開催のため、昼休みは弁当を持って部室集合です』


 これは授業中に征吾から届いた携帯メッセージなんだが、なんだ? 天地塾とは。しかも弁当を持ってとは? 部室で昼飯を食うのか? 今まで食後に、征吾の一年八組の教室でマンツーマン指導してきたのだから、今更変える必要もないではないか。


 キーンコーンカーンコーン。


 そして授業が終わった。昼休みであるが、今週からこの時間の弁当は満タンだ。紗奈が間食用に食べ物を持たせてくれるようになったから。とりあえず、弁当と梨花のスカウティングノートを持って部室に行こう。作戦ボードは部室にもあるし。


「あれ? 陸、どこ行くんだ?」


 声を掛けてきたのは圭介だ。俺が席を立って教室の外に向かっていたからだろう。


「部室。集合が掛かった」

「今日は一年の教室行かないのか?」

「あぁ。圭介一人で行ってくれ」

「無理だよ……」


 おい。1週間背中を押してやったのだから、そろそろ独り立ちしろよ。て言うか、綾瀬は圭介との関係の進展を待っているのだぞ。告白したのだから、早く友達の関係から上げてやれよ。

 そんな不安げな圭介をよそに俺は教室を出た。


 歩いて部室まで到着すると征吾は既にいた。て言うか、人が多い。永井と二年の山田、サイドバックか。それから二年の加藤に三年の高橋先輩はセンターバックだ。ボランチまでいる。愁斗と三年の阿部先輩だ。


「まさか、天地塾とは俺が講師のディフェンス講座では……」

「そういうことだ」


 俺の疑問に答えたのはキャプテンの翔平。なぜお前までいる? 攻撃の選手だろ。て言うか、俺が講義をするのか? 聞いていない。俺はそんなに偉い人間ではない。


「ごめん、お待たせ」


 俺の後に入ってきたのは木田。おいおい、一体何人……。


「すいません。遅くなりました」


 梨花まで。総勢俺を入れて11人かよ。


「うおっ!」


 部室の片隅に林までいた。気づかなかったよ。総勢12人か。ゴールキーパーが全員と、レギュラーのディフェンス陣にキャプテン。そして二人のマネージャー。林も俺の講義を聞くのか? 相変わらずムスッとした態度だが。


「征吾君が陸先輩から理論を教えてもらってるのを聞いて、あたしがみんなにも声を掛けたの。攻撃陣は自由にやってくれた方が力を発揮するチームだから、キャプテンにしか声掛けなかったけど」


 部室に入ってくるなりそんなことを言う梨花。マジか……。ここは講義と言うより、みんなで意見を出し合って意思統一をする、ミーティングの場だと思うことにしよう。俺が講師だなんて恐れ多い。


 こうして弁当を突きながら始まった天地塾。自分でそう言いたくはないが……。中には弁当ではない部員もいる。いつの間に買ってきたのだ。モチベーションが高くていいことだが、学生の本分は学業だよ。


 塾が開講して賑やかになる部室で、ホワイトボードの作戦ボードに選手に見立てたマグネットが貼られている。皆一様に真剣な表情だ。

 さすがなのは三年センターバックの高橋先輩。経験値高い分、理解が早い。しかしなぜそれほどの能力がありながら今まであなたが統率してこなかった? まぁいい。センターバックの二人は試合中に声を掛け合ってフォローし合えばいいさ。後は俺が任されよう。


 て言うか、征吾の弁当なかなかうまそうだ。柏木がしっかり作ってくれている。まぁ、紗奈の弁当にはちょっとだけ劣るがな。へへん。とは言え、俺と梨花の弁当のおかずが一緒。当たり前なんだけど、共同生活がバレないか不安だよ。


 そそくさと弁当を片付けてもなお続く天地塾。皆と多くの意見交換ができた。うむ、活気があってよろしい。今まで監督やマネージャー任せで、あまり自主的にこういった場は設けなかったのだろう。

 ただ、監督の意向を無視してはいけないので、判断が難しい場面は監督の意見を仰ぐことになった。その場合は練習の時に、高橋先輩とキャプテンの翔平が代表してお伺いを立ててくれるそうだ。確かに、この場に翔平もいてくれて良かった。


 キーンコーンカーンコーン。


 そして予鈴が鳴り、第一回天地塾はここまでだ。有意義な時間だった。今回出た内容を夕練の実践練習の時に意識して取り組めば成長に繋がる。


「今日もサボりかと思った」


 教室に戻るなりこんなことを言ってくるのは水野だ。俺をどのように見ているのだ、水野は。俺はサボり魔ではない。


「先週だって昼休み消えただろ?」

「先週はご飯食べた後じゃん。湯本も一緒だったし」


 よく見ているな。とは言え、確かに仕事で授業を抜ける時はいつもお世話になっているから、水野には頭が上がらん。


「部室行ってたんだよ。部活の勉強会」

「ほえ~。頑張ってんね」

「海王の初戦は来週末なんだよ」

「そう言えば遥がそんなこと言ってたな」


 柏木はサッカー部の話をしているのか。征吾の食事管理は迷惑じゃないようなので良かった。


 キーンコーンカーンコーン。


 そして本鈴が鳴った。そう言えば、圭介はちゃんと綾瀬のところに行けたのだろうか? すでにこの教室にいるが、雰囲気を見る限り、圭介もまんざらではないような気がするのだけど。俺から綾瀬の教室に誘われることを楽しみにしていた節はあるし。


 この後5限目が終わると俺は圭介のもとに行った。お節介かな、俺。


「圭介、昼休みはどうした? 一年の教室行ったか?」

「……」


 無言で寂しそうな目を向ける圭介。うん、よくわかったよ。


「陸、俺どうしたらいい?」

「いやいや。その前にお前はどうしたいんだよ? 今の関係のままか?」

「ちょっと前進したい」

「ならちゃん恋人同士の交際に切り替えろよ。それこそ男らしく自分から言って」


 圭介がここまでに奥手だとは。言動はあんなに軽いのに。


「そんなことできねぇよ」

「夏休み以降一緒に遊んだりしてねぇのか?」

「してない……」

「相手は誘ってもらうの待ってんぞ? 今週末にでも遊びに行こうって誘ってやれよ?」


 よくもまぁ、俺も自分のことを棚に上げて口が回るものだ。付き合うまでの紗奈、ごめんよ。今反省するから。


「陸も一緒に来てくれるか?」

「ったく。自分から言って正式交際に発展させると俺に約束しろ」

「うぅ……、わかったよ……」


 そう言うと圭介はポケットからスマートフォンを取り出した。そして綾瀬にお誘いのメッセージを送った。今週の土曜日だ。綾瀬からはすぐに返事が届き、受けてくれるようだ。


「じゃぁ、陸頼むな。日下部も一緒でいいから」


 ここで紗奈の名前を出す圭介。俺と紗奈って秘密交際なのに、一度噂になったせいで深い関係だと思っている奴が多いんだよな。それでも隠し続けるけど。


「ごめん。俺その日は部活だわ」

「は?」

「だってその日は選手権の初戦の一週間前だもん。休めねぇよ」

「最低だ。仲間だと思ってたのに」

「かっかっか」


 知ったことか。自分で何とかしろ。


「じゃぁ、俺もこれ以上進めないからな」


 くそ。チキン野郎め。せっかく初彼女ができそうなのに。圭介にその気がないなら仕方がないが、そうではないことをさっきはっきりと聞いた。だからここは必殺技を出そう。録音アプリ起動だ。再生をポチッと。


『ちょっと前進したい』

『ならちゃんとした交際に切り替えろよ。それこそ男らしく自分から言って』

 ・・・

『ったく。自分から言って正式交際に発展させると俺に約束しろ』

『うぅ……、わかったよ……」


 口をあんぐりと開ける圭介。へっへっへ。


「俺は『その代わり』と言って約束したわけではない。お前が勝手にわかったと言ったんだ。頑張れよ、圭介」

「最低だ。鬼、悪魔」


 ひどい言われようだな。圭介の幸せを願っているのに。ここまできたらもう一発釘を刺してやろう。


「このこと知ってんのは他に……、公太と愁斗と永井か。紗奈も知ってんのかな? みんなにこの録音データ送っとくわ」

「わかった! ちゃんとする! ちゃんとするからそれは止めてくれ!」

「よし、約束だぞ。自分から言えなかったらデータばら撒くからな」

「うぅ……」


 ふっふっふ、勝った。とは言え圭介だって関係の発展を願っているのだから。本当、お節介だな、俺。




 そして翌日。昼休みのサッカー部の部室に増える部員……なぜ? 塾生が増えている。控えのディフェンス陣まで参加しているのだ。人口密度と弁当密度が増す部室は、何とも形容しがたい香りが充満している。


 ただ、ミーティング形式と言っても本当に塾さながらだ。作戦会議の場ではなく、パターンごとに守り方のセオリーを説明する場である。中には強豪校なのにこんなことも知らなかったのかと思う事項もあったが、今まで身体能力とセンスだけでやってきたのだろう。

 大嶺監督は今まで教えなかったのか……? まぁ、あの人は選手の特性をしっかりと掴んだ采配が武器だしな。それから技術を上げるための練習や指導が得意だ。俺がキーパーの二人に指示出しの基本を伝授すればいい。塾はディフェンダーまで増えてしまったが。

 何より林だ。無愛想ながらも毎回ちゃんと出席している。そして無愛想ながらも俺の話をちゃんと聞くようになった。征吾の後塵を拝することに焦りを感じたのだろうか。征吾の熱心さが林を触発したから相乗効果だ。これはいい傾向である。


「天地くん、ブランクあるのになんでそんなに詳しいの?」


 講義の合間に木田がふと疑問を投げかける。


「知識はブランクと関係ないだろ?」

「それでもよ。なんでそんなに詳しいのよ? あなた忙しい人でしょ?」


 仕事という言葉を使わずに忙しいとだけ表現してくれる木田、ありがたい。


「サッカー止めてたと言っても、好きなことに変わりはなかったからな。色んな試合見たし、記事もたくさん読んだんだよ。体はフットサルで動かしてたから問題なかったし」

「化け物ね。知識があると言っても、そんなすぐにサッカーに反映できるなんて」


 化け物呼ばわりか。俺も紗奈をそう表現したことがあるが、それって褒め言葉だよな? うん、そう捉えよう。




 翌週月曜日。朝練を終えて運動部が揃った教室内に悲鳴が上がった。悲鳴の主は公太と水野と吉岡なんだが。どうやら圭介が綾瀬と正式なお付き合いをすることになったようだ。ちゃんと頑張ったんだな、圭介。


 その週末。俺達サッカー部は危なげなく初戦を突破した。スコアは4対0。俺はレギュラーとして先発出場をすることができた。久しぶりの公式戦で、フィールドに立った喜びと勝てた喜びで俺は満たされた。

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