60.仕事社会が成す技~梨花~

 日曜日。前日の一日練習を考慮してこの日の部活は午前がオフ、午後からだ。しかし陸先輩は、午前中は仕事をすると言って紗奈と出掛けて行ったのだから逞しい。あたしはとりあえず家の掃除と洗濯を済ませた。陸先輩とはそれぞれ昼食を済ませて学校で合流だ。


 昨日は練習試合だった。陸先輩は期待以上の出来だった。相手もそれなりにサッカーの強い高校だったが、30分ゲームに3本出て、失点はなんと0。恐れ入る。

 しかもゲーム毎に味方のディフェンダーとしっかりコミュニケーションを取って、課題も修正してくれた。元々技術と経験のあるディフェンダーだから、統率力が加わると本当に心強い。


 一年生レギュラーの大野君はボランチなので守備の時の確認を陸先輩に仰いでいた。感心だ。もう一人の一年生レギュラーの永井君はサイドバックなので、二、三年生のディフェンダーに混じって陸先輩と確認作業。これも感心。

 更に一年生の控えゴールキーパー征吾君は、Aチームの試合中、ずっと試合から目を離さなかった。試合後、Aチームのディフェンスの確認作業にも、輪の外から聞いていた。更に陸先輩にプレーのことで貪欲に質問をする。これにも感心、感心。

 そして、そして、その征吾君の懸念事項だった食事管理は、なんと紗奈と同じクラスの女の子が買って出てくれたとのこと。これにはマネージャーとして頭が上がらない。征吾君も勉強熱心だし、成長が楽しみだ。


 しかし新たに生まれた懸念事項が一つ。二年生のゴールキーパー林先輩が陸先輩の入部を快く思っていないのだ。完全にへそを曲げてモチベーションが下がっている。

 陸先輩が入部しなければ、元々いた正ゴールキーパーの離脱でAチーム入りの可能性もあった。一カ月毎に征吾君と、BチームとCチームを入れ替わっているような立場だから。しかし今の状態では第三キーパー確定だ。Cチームで征吾君の後塵を拝している。


 そして始まった今日の部活。あたしと木田先輩はフィールドの外から練習風景を眺めていた。


「木田先輩、また……」

「あぁ。困ったわね……」


 あたしの目に付いたのは林先輩だ。陸先輩のアドバイスを無視して黙々と練習をしている。陸先輩も林先輩の自尊心を傷つけないように気を使って言っている。しかし林先輩はそんなことお構いなしだ。

 しかし、陸先輩もよく我慢強く言っているものだ。あからさまな無視を続ける林先輩は、普通の人なら相手にしなくなるようなレベルだ。むしろ喧嘩になってもおかしくない。


「ちょっと行ってくるわ」


 木田先輩がそう言って、ゴールキーパーの練習をしている三人のもとへ行った。大嶺監督は基本的に部員間の対立には口を出さない。自主性を重んじると言えば聞こえはいいが、ここまでくると規律の乱れに繋がるのだけど。

 選手のメンタルコントロールもマネージャーの仕事とは言え、ちょっと手に余ってきた。それに林先輩のあのモチベーションではCチームのままだ。そんなことを考えながら、あたしは木田先輩の会話に耳を傾ける。


「林君、仲良く慣れ合えとは言わないけど、チームメイトで協力し合って練習は進めてちょうだい」

「わかったよ」


 おい。なぜ木田先先輩の言葉にはそんなに素直なのだ。後輩とは言え、さっきあたしが同じようなことをお願いしに行った時は無視だったのに。


「天地君も入部早々ごめんね」

「いや」


 優しく答える陸先輩。しかし陸先輩って成長したな。後輩のあたしがこんなことを言うのもおこがましいけど。


 陸先輩は基本的に優しくて面倒見がいい。中学の時からそうだ。しかし道徳観に強い拘りを持っている。例えば試合中、倫理を外れた悪質な選手が相手チームにいると、よく突っかかっていた。そのおかげでイエローカードをもらったことも何度かある。

 しかし、今の陸先輩を見ているととても我慢強い。今の光景は林先輩の行動の方が明らかに子供だ。けど陸先輩は嫌な顔一つせず、根気よく林先輩とコミュニケーションを取ろうとしている。これも仕事社会が成せる人材育成の技なのだろうか。

 そんな風にこの光景を見ていると陸先輩と征吾君の会話が聞こえてきた。


「征吾ってさ、前に俺に言ってくれたけど、俺に追いつくことが目標なわけ?」

「はい! 陸先輩に追いつきたいです」

「あのさ、追いつきたいんじゃなくて、追い越す方を目標にしろよ。林はそう思って練習してっぞ? 追いついただけじゃレギュラーになれねぇから。そういうところ、林のメンタルを一緒に見習おうぜ」

「は、はい!」


 神か、この人は。征吾君も触発されたのか、力強く返事をした。陸先輩はこれだけ林先輩に無視されても、へそを曲げることなく相手を認めている。そして、それを後輩に一緒に見習おうとまで言っている。

 あたしは自分が恥ずかしい。林先輩のモチベーションは低くなかった。言われてみれば確かに陸先輩の言うとおりだ。林先輩は拗ねているだけで、練習をさぼっているわけではない。あたしもまだまだだな。


 この後すぐに休憩となった。近くにいた木田先輩が陸先輩にタオルを渡す。あぁ、あたし陸先輩のタオル持っていたのに。木田先輩は自分のタオルを渡したのだろうか? 陸先輩は陸先輩でデレっとして受け取っているし。紗奈に言いつけるぞ。


「月原、ドリンクちょうだい」

「ん!」


 しまった。顔も向けずにドリンク押し付けちゃったよ。まぁ、声の主は永井君っぽかったしいいか。


「月原……」

「何よ?」


 悪態を吐きながら顔を向けるとそこには困った顔の永井君が立っていた。


「このボトル空だよ」

「え? あそう。ごめん、ごめん」


 どうやら空のボトルを持っても気づかないほどになっていたようだ。その後、ドリンクを取りに部員が群がって来て、その一人一人にドリンクを渡し終わると、あたしの周りから人が掃けた。その頃。


「月原って面白いな」

「え? 何がですか?」


 声を掛けて来たのは美山先輩。キャプテンで、ポジションは攻撃的ミッドフィルダー。しかもイケメンだからもてるそうだ。あたしは一般的な女子の目線を持ち合わせていないので、その価値観を共有できないが。


「陸が入部してから何かと陸に絡みたがるよな? さっきからよく見てるし」

「いや、そんなこと」

「だって今機嫌悪かったのだって、陸が木田と仲良くしてたのが気に入らなかったんだろ?」

「……」


 そうなのか? あたし、そんなことで機嫌が悪くなったのか?


「陸に惚れてんのか?」

「はぁぁぁぁあ?」


 おっと、驚きのあまり先輩に対して失礼な口の利き方をしてしまった。ちょっと反省。


「あたしが陸先輩にですか? 先輩としては慕ってますけど、美山先輩が思ってるような特別な感情はないですよ」

「ふーん……。ま、俺は傍観者だから楽しく見させてもらうけど。もてるキーパーってもの珍しいな。かっかっか」


 この人完全に楽しんでいる。確か、美山先輩には他校に彼女がいるのだっけ。そりゃ傍観者だろうよ。しかし、あたしが陸先輩に?

 確かに陸先輩のことは好きだ。先輩として尊敬している。しかしそれは恋愛感情ではないはず。なぜなら紗奈への恋愛感情は本物だからだ。陸先輩は……、違うはず……。もう、なんだよ、すっきりしないな。美山先輩のバカ。


 この後の紅白戦。補欠のBチーム対ベンチ入りが危ういCチームのゲーム。Cチームの林先輩は見せてくれた。シュートセーブを連発したのだ。あれだけ無視していたと思っていた陸先輩の意見をきちんと取り入れている。素直ではないだけか。

 しかし、Bチームの征吾君はもっと圧巻。目に見えないファインプレーを連発した。なんと、ユニホームどころかキーパーグローブがほとんど汚れていないのだ。つまり、味方をうまく動かして決定的なシュートを打たせなかった。

 確かにBチームとCチームでは実力差がある。しかしこれは立派だ。


「あいつ化けたな。この1週間で」


 大嶺監督がベンチでぼそっと言った。これはもちろん征吾君に対してだ。ゴールキーパーとはファインセーブをするほど評価されやすい。しかし人の身体能力上、絶対に防げないシュートがある。味方をうまく使ってそれを打たせない上で、防げるシュートは最悪打たせてもいい。これがゴールキーパーの理想像だ。

 ただ消耗しているBチーム。征吾君のコーチング、つまり指示出しでかなりの運動量があったからだ。しかしなぜ征吾君はこれほどまでにコーチングがうまくなったのか、夏休み中はそれがうまい印象はなかったのに。夏休み明けまだ1週間だ。


「お前の仕業か? 天地」

「いやぁ、勉強熱心な征吾の努力の賜物っすよ」


 大嶺監督と一緒にベンチで紅白戦を見ていた陸先輩。陸先輩が何か魔法をかけたのだろうか? て言うか陸先輩、校外ランニングサボっているし。


「あと、梨花のノートのおかげっす」

「え? あたし?」


 はて? 何のことやら。陸先輩に言われて確かにスカウティングノートは貸した。それをどう活用したのかは知らない。それと征吾君の成長がどう関係あるのだろう?


「梨花のノートって、公式戦、練習試合、紅白戦、全部のゴールシーンが図解付きで正確に残ってるだろ? 中には惜しいシーンや、あわやのシーンも」

「あ、うん」

「それを作戦ボードで再現して、こういう場合はどう味方を動かしたらいいかを征吾にレクチャーしたんだよ」

「え? そんなこといつの間に?」


 陸先輩が忙しいのは慢性的だ。部活の練習中に技術的な指導をしていることは知っているが、部活が終れば仕事や学校の勉強もしなくてはならないから、真っ直ぐに家に帰る。いつ理論の指導までできる時間があったと言うのだ。


「学校の昼休み。まだ3回くらいなんだけどな」

「昼休み? しかもたったの3回?」

「いやさ、征吾が俺の講義をスマホで動画を録るんだよ。それを家に帰って見て、復習してるみたいで」


 ぽかーん。そんなことまでしていたのか。


「あと、試合のDVD見てこういう場合はどうするのかって、休み時間や部活の練習の合間に聞きに来るんだよ」

「そこまでしたらたったの1週間で化けるのも納得だ」


 口を開けたままのあたしをよそに大嶺監督が答えた。あたしはまだ驚いているよ。


「おい、征吾!」


 すると突然、何やら怒鳴り声が。Bチームの二年生3人ほどが征吾君を囲んでいる。


「お前は走らないポジションだから疲れないだろうけどな、こっちのこともちょっとは考えろ!」


 どうやら征吾君のゲーム中のコーチングに対して不満が上がっているようだ。格下相手に征吾君の指示で相当走らされたからな。


「ちょい、待ち。ちょい、待ち」


 その輪にすかさず割り込む陸先輩。今まであたしの横にいたのにいつの間に。


「そんなみんなで征吾に詰め寄るなよ。確かにみんなの運動量には恐れ入るよ。けど考えてみ? フィールドプレイヤーは振り返ったらゴール前に必ずキーパーが立ってるだろ? けどな、キーパーは振り返ったら背後には無人のゴールしかないんだぞ? それがどれだけ怖いことか」

「ははは。確かに。間違いねー」


 本当に確かにだ。そんな考え方をしたことがなかった。陸先輩の一言で不穏な輪の空気が一瞬で和んだ。もしかして海王高校サッカー部は、期間限定とは言え、とんでもなく大物選手を拾ったのではないだろうか。

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