58.魅惑の金曜日~陸~

 9月最初の金曜日。疲れた。ヘトヘトだ。

 ミニゲームや3チームに分かれての紅白戦など、夕練は実戦形式の練習が多い。しかし紅白戦は空きチームも出る。それなのに空きチームはゴールキーパーも含めて、学校の外を走らされる。海王のサッカー部ってこんなにハードだったのか。


「ただいまー」


 俺は未だ笑いが止まらない膝をなんとか前に出し、家に帰って来た。玄関ドアを開ける腕には握力もない。


「おかえりー」


 するとすかさず玄関まで出迎えてくれる紗奈。制服にエプロン姿だ。萌えるな。そしてその笑顔に癒されるよ。


「ご飯できてるよ? それとも先にお風呂にする? それとも――、んごごごご……」

「おかえり」


 書斎から出てきた梨花がすかさず紗奈の口を塞ぐ。久しぶりに見るな、この光景。


「おかえりなさい」


 続いて書斎から出てきたのは木田だ。あぁ、なるほど。木田がいたから紗奈の口を塞いだのか。そう言えば梨花と木田は部活を少し早めに切り上げて、いなくなっていたな。うちにいたのか。


 俺はまず風呂を済ませて、そして夕食を取った。紗奈の作る飯がうまい。今までもうまいと思っていたが、体を動かすと尚更だ。

 それを微笑ましく見る紗奈。その紗奈の隣で食事を取る梨花。そして俺の隣には木田。いつまでいるのだ? まぁ、別に夕食くらいいいけど。崇社長からご馳走になったことがあるわけだし。


 夕食が済むと書斎で仕事だ。と言ってもほとんど紗奈が進めてくれているので確認作業が主だ。


「8月の試算表は?」

「はい、これ」


 紗奈が自分の席から直接ファイルを渡してくれる。綺麗にまとめてあって、税理士も紗奈の仕事が丁寧なのでやりやすいと喜んでいた。


「うん。いいね」

「色々と打診が来てるからまとめてフォルダに入れてあるよ。収益マンションの物件案内もあったから早めに見といて」

「わかった」

「へぇ、二人ともさすがね」


 横から口を挟む木田。木田は梨花と一緒に梨花のデスクでパソコンを向いている。今月から選手権の都大会が始まる。それで早めに部活を切り上げ、二人ここでミーティングをしていたのだろう。


「お褒めいただきありがとうな。そう言えば、俺って選手登録間に合うのか?」


 サッカーの公式戦に出場するためには、各都道府県のサッカー連盟に選手登録をしなくてはならない。入部したばかりなので俺はそれが心配だったのだ。


「天地君なら一年の時から既に登録されているわ」

「……」


 仕事が1年以上早い。て言うか、俺の知らないところで何を勝手に登録しているのだ。もし俺がクラブチームにでも入っていたらどうしていたんだよ? 二重登録で違反ではないか。


「さてと。こんなもんですかね、木田先輩」

「そうね。今日のところはこれくらいにしましょう」


 どうやら梨花と木田は終ったようだ。もう9時前だが、木田はどうやって帰るのだろう? 迎えを呼んでいるのか、電車で帰るのか。運転手さんは起きているのかな?


「お風呂いただくわね」

「……」


 ……ん? ……ん? ……ん?


「ちょっと待った! どういうことだ?」


 ここは口を出さずにはいられなかった。風呂だと? それってまさか帰るつもりがないのか?


「どういうことって、もう遅いから泊めてもらおうと思って。金曜日だし」


 やっぱり。何を考えているのだ。それに明日は休みとは言え、結局朝から部活だ。


「だめですよ、木田先輩」


 すかさず紗奈も参戦。そりゃそうだよね。彼氏を守ってね。


「なんでよ? 天地君のベッド広いんだから、私と天地君と二人で寝られるでしょ?」

「きー! 寝取るつもりですか?」

「そうよ」


 おい、そうよって……。あっけらかんと言う木田、恐るべし。


 この後紗奈とのいくらかの押し問答を経て木田は帰って行った。ちなみに川名さんが車で迎えに来てくれた。助かるよ、川名さん。


 仕事を終え、宿題や予習復習も済ませて、気づけはもうすぐ日付が変わりそうだ。俺はベッドにダイブした。中学生の頃はこんな生活だったなと思い出す。特に中一の時だ。身体もできていない成長期に過酷なことをしていたなと、今になって恐ろしくなる。

 部活から帰って来て、ネットビジネスを進めて、学校の宿題をやって、そして株の勉強をした。寝るのは毎晩1時過ぎだった。そして朝練のために早起きだ。その努力が報われて、中二で株取引が成功したのだが。


 コンコン。


 寝室のドアがノックされた。いかん、疲労で「どうぞ」の声が出ない。すると遠慮がちに開くドア。室内の照明が点いているのを確認してか、途中からドアの開閉速度が速まった。


「もう寝る?」


 そう言って入ってきたのは梨花だ。いつもの薄着だがそれに興奮する余裕もない。ただ梨花の問いに強がってはおこう。


「まだだけど。どうした?」

「マッサージしてあげよっか?」

「マジで? して!」


 俺は声を弾ませた。すると梨花が笑顔を向けてベッドに上がってきた。薄着の梨花が俺と一緒にベッドにいる。この状況になってみて気づくが、これっていいのだろうか?


「紗奈にはちゃんと言ってあるから」


 梨花のその一言が俺の不安をかき消した。それならば遠慮はない。そして梨花がうつ伏せの俺に跨った。するとマッサージが始まった。


「うぅ……」


 俺は唸り声を上げる。凄く気持ちいいのだ。体中が癒されていく。ハーフパンツにTシャツ姿の俺を、梨花が服の上から指圧してくれる。


「梨花、上手いな」

「中学の時、部活引退してから暇だったから、少しだけスポーツトレーナーの講習に通ったんだよ。紗奈にしてあげたくて覚えたんだけど、役に立って良かった」


 そうか、梨花は梨花で紗奈に尽くしたかったんだな。紗奈が今、俺にそうしているように。付き合うまで紗奈のその気持ちに気づかなくて俺ってバカだったな。


「これなら他の部員からも引っ張りだこだろ?」

「他の部員にはマッサージできること言ってないよ?」

「なんで?」

「あたし男の人の身体は積極的には触れないから」


 なるほど。梨花は同性愛者だからな。けど、そうすると疑問が一つ発生するのだが。


「俺は?」

「それがよくわからないんだよね。先輩なら平気なんだ」

「ふーん」


 どういう意味だろう? 眼中にないほど対象外なのか、舐められているのか、はたまた信頼か。とは言え、梨花は恋愛対象が男じゃないし、俺には紗奈がいる。


 俺の腰を押さえる梨花が俺の太ももに腰を落とした。ベッドに圧迫される俺の下半身。あぁ、元気になっちゃった。うつ伏せだから気づかれないか。そして腕に向かって梨花の手が伸びる。気持ちよくて意識が遠のく。


「はい、次。仰向けになって」


 やばい、寝落ちしそうになっていた。梨花の言葉で夢の世界の入り口から舞い戻ってきて、俺は梨花に従い体の向きを変えた。


「ちょ、ちょっと……」

「あ、ごめん……」

「もう。紗奈には内緒にしてあげるよ。て言うか、言えないし」

「助かる」


 はい、この会話。俺の元気なあいつがバレてしまった会話です。寝落ちしそうになってもこいつには関係ないようだ。こうして正面もマッサージしてもらう俺だが、梨花の手が足の付け根に伸びるとドキドキする。そして脈打つあいつ。

 しかし性的興奮とは関係なく、梨花のマッサージは気持ちいい。首がカクンと折れそうになるほど脱力する。枕に頭があるので実際にはカクンと折れないが。


「次。上体起こして」


 正面が終わって言われた。まだ何かあるのだろうか? 俺は梨花に言われた通り上体を起こしベッドで胡坐をかいた。すると梨花は俺の背後に回り、腕や肩を伸ばしてくれた。寝ている時に足は伸ばしてくれていたのだが、上半身も伸ばしてもらえるのか。


「先輩、さすがに腕太いね」

「そうかな」

「筋肉もしっかり付いてるし」


 梨花の吐息が耳に掛かる。梨花の髪が頬を霞める。そして梨花の胸が俺の背中に密着する。柔らかい。見た時からノーブラなのはわかっているが、キャミソールと俺のTシャツの薄い布二枚で隔てただけだ。心臓が落ち着かない。


「本当、さっきから元気だね」

「生理現象だ。意識的にどうこうできるものじゃない」

「まったく」


 梨花からは視線を落とすと見えてしまうのだろう。そう言いながらも梨花は背中や腰までしっかり伸ばしてくれた。かなりリラックスできる。尤も、一部分を除いてだが。紗奈がサッカーを引退して、更に男子には触れない梨花。このマッサージは今や俺だけの特権か。


「はい、終わり」

「ありがとう」


 時計を見るともう日付が変わっていた。かなり体が軽くなった。体温が上がっているようにも感じる。血行が良くなったのかな? いろんな意味で。


「紗奈呼んでくるね」

「ん?」


 俺の声が聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、梨花は反応を示さず寝室を出て行った。そしてすぐに寝室に入って来たのは紗奈だ。可愛らしい笑顔を向けてくれる。


「先輩、今日は一緒に寝よう?」

「え? 夜から潜り込むの?」

「そうだよ」

「でも……」


 夜から一つの寝床に入って、俺は大好きな紗奈に対して理性を保てる自信がない。木田を持ち帰った日は緊急事態だったのでどうにかなったが、普段の生活の中でそれは断言できない。今は梨花も家にいる時間だし宜しくない。


「梨花には言ってあるから。今日は先輩と一緒に寝るって」

「そうなの?」

「うん。梨花も全然平気って言ってくれた」

「そっか。なら、その……、今日いいの?」


 とん。紗奈が額を俺の胸にぶつけてきた。耳が赤くなっている。そしてぎりぎり耳に届く小さな声で一言。


「いいよ」


 一気に脈が速くなった。さっきから相変わらずあいつは元気だ。俺は寝室の照明を落とすと紗奈と一緒にベッドに入ったが、けどなんだか勿体ないのですぐにはがっつかず、紗奈を抱きしめて話を始めた。


「どうだった? 梨花のマッサージは?」

「気持ちよかった」

「中学の時、そらがしてもらったのを2、3回見たことあるけど、梨花上手だよね。そらがそう言ってた」

「うん」

「体密着するから、男の人は興奮するでしょ?」


 見たことあるならわかるか。そりゃ、わかるよな。梨花は黙っていると言ってくれたが、ここは素直に認めるべきか。


「ごめん……」

「ふふ。そこで嘘吐いたら浮気だって怒ってやろうと思ってたけど、正直だね」

「だって。隠しようがないし。かと言って梨花に変なことはしてないから」

「わかってるよ。先輩のそういう誠実なとこ好きだよ。だから信用もしてる」

「そっか。ありがと」


 反って株が上がったようだ。安心した。今日は心地よく眠れそうだ。

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