51.神聖な場所での背徳~梨花~

 夏休みも残すところ1週間。だめだな、あたし。実家に帰った時に紗奈が経験をした話を聞いてから、手が止まらない。毎晩、毎晩、枕に顔を押し付けて、声が漏れないように自分を慰めている。

 陸先輩は紗奈を抱いてどんな感覚だったのだろうか? 紗奈は陸先輩と交わってどんな感覚だったのだろうか? 紗奈に話を聞いたとは言え、経験がないあたしには未知の領域だ。


 二人はあたしが家にいる時間は恐らく何もしていない。何もと言うのは語弊があるか。少なくとも付き合う前まで以上のことはしていない。夜中に紗奈が陸先輩の寝室に忍び込んでいるような物音は聞かないし、陸先輩も然りだ。あたしに気を使っているのかな?

 けど最近部活で家を空けることが多いあたしは、夏休み中の昼間の二人はどうなのだろうと、興味がある。確か、紗奈が初めて陸先輩と家で行為をしたのは終業式の日だ。あたしが部活でいなかった時で、その時は最後まではできなかったそうだが。


 紗奈と陸先輩は今、お仕事のアポイントで出掛けている。帰りは午後だと言っていた。あたしは今日、部活には出ないつもりだ。

 今は午前で家には誰もいない。陸先輩の寝室に忍び込んでみる。掃除機を持って自然を装った。誰に対してのカモフラージュなのかと、自分で問い掛ける。その答えは自分が抱く背徳心に対してだ。

 あたしは掃除機を床に置くと陸先輩のセミダブルのベッドで横になってみた。そしてタオルケットで身を覆った。


「ここで二人はしてるのかな……?」


 陸先輩の枕に顔を埋める。陸先輩の匂いがする。けど、少しだけ紗奈の匂いも混じっている。夏休み中は何度かシーツも枕カバーも洗濯した。つまり間違いない。最近二人はここで一緒に寝た。恐らく昼間だ。

 その時の二人の光景を妄想してみる。すると途端に襲ってくる興奮。動き出すあたしの手。――止まって。――だめだ、止まらない。

 陸先輩、紗奈の感触をあたしにも教えて。紗奈、紗奈はどういう表情をするの? 男の人に抱かれるって幸せなの?


 あたしは二人の神聖なベッドに潜り込んだ背徳の中、何度も何度も昇り詰めた。誰もいない家で声を我慢することもしなかった。


「はぁ……、はぁ……、紗奈……」


 呼吸が整わない。息が乱れる。汗もかいたし、体中がベタベタする。バレないようにシーツと枕カバーは洗って干しておこう。そしてあたしはシャワーを浴びよう。


 お昼になると紗奈が作っておいてくれた昼食を食べた。気持ちを切り替えなくてはいけない。陸先輩が帰ってきたら今日はあたしと二人でお出掛けだ。早く意識を正常に戻さないと、紗奈どころか陸先輩の顔も恥ずかしくて見られない。


 昼食を食べ終わると、お皿を片付けて、家の掃除を始めた。もうあと1~2時間で二人は帰って来る。それまでに掃除は十分終わりそうだ。シーツと枕カバーは洗濯して、もう干してあるから乾くだろう。


 やがて掃除を終えたあたしは書斎の自席に着いた。スカウティングのノートを広げてみる。海王高校サッカー部の新チームの弱点はゴールキーパー。それを強調するように何重にもその部分を赤丸で囲っている。


「陸先輩、入部してくれるかな? また陸先輩のプレーする姿が見たいな。もう紗奈のプレーは見られなくなっちゃたし」


 誰もいない書斎で独り言を呟く。中学入学と同時に始めたサッカー部のマネージャー。そしてすぐに始まった紗奈と陸先輩の居残り練習。あたしのサッカーの原点だ。この二人のプレーが全てなのである。


「ただいまー」


 玄関が開く音に続いて聞こえる紗奈の元気な声。すぐに陸先輩からも同じ台詞が聞こえた。二人が帰って来たのであたしはノートを閉じ、二人を出迎えに玄関まで行った。


「おかえり」

「すぐ着替えるわ」

「ううん。ゆっくりでいいよ」


 スーツ姿の陸先輩が急ごうとするので、あたしは制した。陸先輩は着替えのため寝室に消えたが、あたしはもう外行きの服に着替えている。紗奈はスーツ姿のまま書斎に入ったのでこのまま仕事を続けるようだ。スーツ姿の紗奈って素敵だ。


「先輩ちょっと借りるね」


 紗奈を追って書斎に入るなりあたしは紗奈に言った。それに対して、全く嫉妬の目を向けずに笑顔で受け入れる紗奈。


「うん。聞いてるし、大丈夫だよ」


 先日の夏休みの帰省中にそらに言われた。紗奈が初体験を済ませた夜だ。そらはあたしの実家で、あたしと二人でいた。


「これは私の確信に近い予想なんだけど、お兄ちゃんは中学の時、梨花のことが好きだった」


 それを聞いてあたしは驚いた。全く気が付かなかった。そらの予想が正しいと仮定して、あたしは鈍感だったということになる。陸先輩のことを鈍感だなんて罵れないな。


 今までどの男子に告白をされても揺れることはなかった。舐めまわすように見られると気持ち悪かった。けど、陸先輩があたしのことを好きだったのかもしれないと思うと、それに喜びを感じる自分がいた。それに思い返してみると、陸先輩の性的な視線に嫌悪感を抱いたことはない。

 この仮定は、共同生活をしているあたし達三人の恋愛感情は絡み合っていたということを意味する。けど三人の間では嫉妬をしない。陸先輩もあたしのカミングアウトを受け入れてくれたし、紗奈と一緒に出掛けようが、一緒にお風呂に入ろうが何も言わない。

 これも信頼と慣れなのかな? もちろん他の人が関与してきたら話は変わると思うが。


「お待たせ」


 着替えが終わった陸先輩が、寝室から直接書斎に入ってきた。


「ううん。行こっか?」

「うん」


 あたしと陸先輩は紗奈に見送られて家を出た。

 今回のお出掛けの目的は今月28日の紗奈の誕生日プレゼント選びである。紗奈は何をあげたら喜ぶだろうか? って、彼女は花より団子だから食べ物を与えておけば間違いないのだけど。とは言え、やっぱり残るものを受け取ってほしい。


「先輩は何か候補あるの?」


 あたしはデパートに到着するなり陸先輩に聞いた。夏休みの昼下がり。人はそれなりにいて賑わっている。


「うん、一応」

「え? そうなの? 何? 何?」


 陸先輩は用意するものの目星はもう付いていたのか。何を頭に描いているのだろう?


「写真立て。できれば3枚飾れるやつがいい」

「なんで3枚?」

「紗奈がさ、俺の誕生日の時に三人で撮った写真を大事にしてるんだよ。スマホの待ち受けにして」

「そうだったの?」


 実はあの時の画像はあたしも大事にしている。そしてあたしも待ち受けにしている。まさか紗奈も同じことをしていたとは、頬が緩んでしまう。


「うん。だから今回紗奈の誕生日にも三人で撮って、梨花の誕生日にも三人で撮ったら3枚じゃん?」

「へぇ、なるほどね。なんかそれはあたしにも嬉しい話だな」

「梨花は候補あんの?」


 陸先輩は質問を返してきた。あたしの候補か……。はっきりと決まっているわけではないが、一応の物は頭にある。


「うーん……。ちなみに紗奈ってスーツに刺してるボールペンとかってあるの?」

「ボールペン?」

「うん。陸先輩はスーツの内ポケットに上等なボールペン刺してるでしょ?」


 陸先輩の誕生日プレゼントを選んだ時に気になっていたのだ。一緒に仕事をするようになった紗奈にも贈り物として適しているなと。


「あぁ、なるほど。紗奈は100円そこそこで売ってるやつ刺してるな」

「じゃぁ、それにしよう」

「ピンキリだけど高いのは高いぞ?」

「あたしの好きな人へのプレゼントだよ? 張り切るに決まってんじゃん」

「そっか、そっか」


 ほら。陸先輩は一切嫌悪感を出さず、笑顔で会話をしてくれる。嬉しいな。あたしの好きな人は陸先輩の彼女だけど、本当に言って良かった。受け入れてくれてありがとうね、陸先輩。


 この後あたしと陸先輩は、雑貨屋や家具屋の小物売り場、それに文房具屋を回って、お互いに納得のいく物を見つけることができた。紗奈に渡すのが楽しみだ。


 夕方遅く、家に帰ると紗奈は既にご飯を作り終えていて、あたし達の帰りを待ってくれていた。いい奥さんだな、紗奈。あたしは陸先輩が買った紗奈へのプレゼントも預かって、自室に隠した。陸先輩の寝室や書斎だと紗奈に見られる可能性があるからね。


 食事とお風呂を終えるとあたしは洗濯物を畳み始めた。それが終わると最後に陸先輩のベッドのシーツを戻す。今日の最後の家事だ。しかし、セミダブルのベッドなのでこれがなかなか大変なのだ。

 けど、陸先輩に気持ちよく眠ってほしいから手は抜かない。それに今日はあたしが昼間にお世話になったし。だめだ、思い出したら恥ずかしくなってきた。二人が今家にいるのかと思うと、余計に恥ずかしい。


「はぁ、なんてことしたんだろ……。けど、すごく良かったな……」


 そんな言葉が漏れる。あぁ、あたしって……。


 シーツを敷き終わり、枕カバーもセットすると陸先輩が寝室に入ってきた。ちょっと回想に耽っていたから、まだ恥ずかしさが拭えない。それを誤魔化すように先に口を開いた。


「紗奈は?」

「あぁ、もう仕事上がって風呂に入ってる」

「そっか」


 ちょっと安心した。今二人してあたしの前に現れたら、あたしは茹蛸になってしまう。


「今度のミーティングのことなんだけどさ」

「あ、うん」


 陸先輩が部活の話題を切り出した。気持ちを切り替えてしっかり聞かなくては。


「キャプテンは呼ばないのか?」

「うん、木田先輩と相談して呼ばないことにした。たぶん先輩のお仕事の話、避けて通れないよね?」

「うん。助かるよ」


 二年生の新キャプテンは海王高校の現役の生徒だ。恐らく陸先輩は、生徒には仕事のことを知られたくないと思っている。

 陸先輩は中学時代に株で当たり、高校入学と同時に今の仕事を始めた。しかし、株を当てた頃から周囲の友達との距離感が微妙になってしまった。恐らくそれが原因で高校の友達には仕事のことを隠したいのだとあたしは思っている。そのことには紗奈も気付いている。


 株で当てた時、陸先輩は中学二年だった。もう年度の中頃で、あたしと紗奈との親しい関係はできていた。ここからは後にそらから聞いた話だが、周囲の友達どころか、近所や町内からも好奇の目に晒され、更には邪な考えを持った人がたくさん寄ってきた。

 本人は言わないが、それでもしかしたら人間不信になりかけたのかもしれない。そらもその頃の陸先輩は鬱になりかけていたと心配したそうだ。あたしは当時それに気づいてあげられなくて、自分を恥じた。紗奈もその思いはあったのかもしれない。


「仕事のこと、監督には事前に話しといてくれよ。その方が、話が早いから。もちろんこれは決まり事免責で」

「うん。わかった」


 陸先輩は恐らくもう入部をするかしないかの決心はできている。だからこう言っているのだろう。と言うことは、ミーティングの前に紗奈と二人で話したいと言っていたことも、もう既に済んでいる。何となくそんな気がする。

 ただ、今の時点であたしには陸先輩の決断は読めない。あたしとしてはサッカーに復帰してほしい。しかしどちらにしろ、紗奈が言うようにあたしも陸先輩が出した答えを尊重しようと思う。

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