37.あたしの義務~梨花~

 あたしの想い人紗奈と陸先輩が結ばれた。二人はお付き合いをすることになった。それを知った瞬間、あたしは意外と落ち着いていて、とうとうこの時が来たかと現実を受け入れたのだ。

 それはいつものように三人での夕食を食べ終わった後だった。洗い物は普段紗奈がやってくれるが、シンクまで食器を運ぶのはあたしも陸先輩も自分でやっている。


「梨花、ちょっといい?」


 食卓の上に物がなくなると陸先輩に呼ばれた。あたしは何だろうと思った。畏まった様子の陸先輩。紗奈と陸先輩が仲直りをしたことは聞いている。食事中もいつも通りに戻っていた。それなのにまだ何かあるのだろうか?


「うん」


 あたしは返事をして食卓のいつもの席に座った。すると紗奈もキッチンから食卓に戻ってきた。しかし紗奈はいつものあたしの隣に座らない。いつもは空いている陸先輩の隣の席に座ったのだ。あたしの正面に紗奈、その横に陸先輩。紗奈も畏まった態度だ。


 そして紗奈が切り出した。


「陸先輩と両想いになった」

「え……」


 紗奈のその言葉に、一瞬理解が遅れた。しかしすぐに切り替えた。

 そうか、二人は結ばれたのか。それをあたしに報告しているからこんな態度なのか。そして二人はこれからお付き合いをするんだな。あたし、意外と落ち着いているな。


 5月に手繋ぎデートが判明した時は焦った。けどもしかしたらその時から覚悟ができていたのかもしれない。いつかはこういう日が来るのだと。一歩踏み出そうと決心した矢先だったが、すんなり受け入れられたのは覚悟があったからなのかもしれない。

 けど続けて話を聞いていると二人の思いは何やら違った。


「けど、俺も紗奈も自分たちの恋愛感情よりも三人で一緒に生活してる今が大切なんだ」

「う、うん……」


 三人の生活が大切なのはあたしも一緒だ。昨日のお風呂の時、紗奈の口からそれは聞いた。木田先輩と話した時に陸先輩もそうだろうという予想はできていた。けど、恋愛感情よりとはどういうことだろう?


「だから、今のままの生活を続けたいと思ってる。梨花のことも俺達は大事だと思ってる」


 嬉しいことを言ってくれる。あたしにとっても紗奈と陸先輩はとっても大事な存在だ。今の生活が大好きだ。


「だから俺と紗奈は付き合わない」

「は? どういうこと?」


 なんだ、それ。両想いがわかったのなら付き合うのが当たり前ではないのか? せっかくすんなり受け入れられたのに、若干イラっとしてきたぞ。


「梨花も今まで通りここで暮らしてほしいっていうのが俺たちの希望。だから梨花が気を使わなくていいように俺たちは付き合わないことにした。梨花に悪いから」


 カチン。あたしが気を使わなくていいようにするため? 気を使っているのは二人の方ではないか。そんなことをあたしは望んでいない。心が通じたのならば、本来あるべき付き合いをすべきだ。


 あたしは自分の気持ちに正直に生きてきた。けど、紗奈の心を奪うという土俵には上がらなかった。それは今更悔いてもしょうがない。自分の行いがそうだったからこそ、この現実を受け入れなくてはならない義務がある。

 あたしは家主の陸先輩から追い出されない限り自分から出ていくつもりはない。高校生活もまだ二年半以上残っている。この家が好きだ。たとえあたしの想い人紗奈が陸先輩と結ばれようが、それよりも三人での時間を大切にしている。


「梨花?」


 何も答えないあたしを陸先輩が呼ぶ。あたしは陸先輩を一睨みした。


「いいわけないでしょ! そんなの!」


 あたしの声にビクッと肩を震わせる陸先輩と紗奈。思わず感情のままに声を出してしまった。けど収まらない。


「なんで両想いになったのに付き合わないのよ?」

「「へ?」」


 今度は二人して間抜けな声を出すし。けどまだ肩に力が入ったままだ。あたしってそんなに怖いか?


「あたしに悪いから付き合わない? その方が余計に気を使うよ」

「でも……、それじゃ梨花がやりにくくない?」


 あたしの勢いに今度は紗奈が反応した。それならばまずは重要なことを一つ確認しておこう。


「あたしはここにいていいんだよね?」

「「それはもちろん!」」


 二人は声を揃えて言う。良かった、二人が力をこめて言うものだからあたしはあたしで思いっきり安堵したじゃないか。疑ってはいなかったけど、改めて聞くとホッとする。


「そりゃ見せつけるようにイチャイチャされたらムカつくけど。それでも紗奈の今までのスキンシップを見てきたから大分免疫は付いてるよ」

「う……」

「それじゃぁ、紗奈と付き合ってもいいの?」


 言葉を失う紗奈をよそに陸先輩からのお伺い。それはあたしが許可することではない。けどそれを問うのであれば、敢えて答えようじゃないか。


「当たり前でしょ」


 そして紗奈の親友として、紗奈のことが大好きなあたしから陸先輩に忠告を一つ。


「ただ先輩、一つ言っとく」

「何?」


 緊張した面持ちで先を促す陸先輩。


「今後紗奈を泣かせたらその時は絶対許さないから」

「それはもちろん!」


 これは今日一番真剣な顔で答えてくれた。良かった、安心して紗奈を任せられそうだ。それでも紗奈を奪われて悔しいから釘は刺しておく。


「約束だよ? 破ったらその時はあたしが紗奈をもらうから」

「う……、約束します」


 怯むなよ、陸先輩。あたしに突っかかって来るつもりで答えてよ。まぁ、いいや。そうだ、これからはおかずの協力はできないな。これも言っておかなくては。


「その約束の中には黙認してたことも入ってるから」

「……」


 黙るなよ。本当に大丈夫か? 不安になるじゃないか。


「返事は?」

「はい」


 軍隊の返事の如く、ビクッとして声を出す陸先輩。信じているからね。約束したからね。


 こうして二人は正式にお付き合いをすることになったのだ。とは言え、あたしはそれでも紗奈のことが好きだ。けど自分の気持ちは押し殺して、これからは二人の幸せを応援する。三人での生活に大きな変化がないのであれば、このまま続けていきたい。二人もあたしを拒否することはなかったのだし。




 コンコン。


 夜遅く、そろそろ寝ようかと迷っていると自室のドアがノックされた。あたしは「どうぞ」とドアに向かって答える。すると顔を出したのは紗奈だった。


「今いい? もしかして寝ようとしてた?」

「大丈夫。どうしたの?」


 紗奈は遠慮気味に部屋に入ってきた。あたしはベッドに腰掛けていたので、紗奈にも隣に座るように促した。紗奈はちょこんと座ると、小さく口を開いた。


「梨花、私達のお付き合いを許してくれてありがとうね」

「ううん。これからはしっかり幸せにしてもらいな?」

「うん」


 紗奈は嬉しそうに、そして恥ずかしそうに言う。やっぱり可愛いな。


「梨花は陸先輩との接し方変えなくていいからね。梨花なら陸先輩と二人で出掛けても、私は文句言わないから」

「ありがと。じゃぁたまにはそうさせてもらおうかな」


 紗奈は優しくそう言ってくれた。とりあえずこれから陸先輩に対して、手を繋ぐとかの体の接触や、性的なサポートだけはしないように気を付けよう。


「あのね、気になってたことがあるんだけど」


 紗奈は徐に切り出した。何だろう?


「梨花の好きな人って陸先輩じゃなかったの?」

「え……」


 紗奈にはそう映っていたのか。まぁ、確かにあたしが親しい男子って陸先輩くらいだからな。サッカー部の部員とはそれなりに話すけど。

 あたしは同性愛者だから、ここで紗奈を鈍感だと罵るのは筋違いだろう。そう考えると、そらの気持ちに対する陸先輩も同じか。まさか妹からとは思わないだろう。とにかく紗奈はそれを心配していたのか。


「それは違うよ。安心して」

「そっか、良かった。じゃぁこれからも仲良くしてくれる?」

「もちろん。あたしは紗奈を離すつもりはないから」

「へへ」


 あぁ、もうなんて可愛い笑顔なんだ。これから紗奈は陸先輩のものか。本当に羨ましいな。そしてあたしにも気になっていたことが一つ。


「紗奈ってもうキスはしたの?」

「……」


 紗奈はその問いに少し時間を掛けて首を縦に振った。やっぱりそうか、早いな。けど当初付き合わないと言っていたし、けど気持ちは確認し合ったのだから、何となくそうではないかと思っていたのだ。


「昨日話したこと覚えてる?」

「あ、えっと……のこと?」

「うん。しよ?」


 あたしはもう開き直っていて、ストレートに言えた。昨日までのあたしでは考えられない。


「今ここで?」

「ダメ?」


 したいよ、紗奈とキス。


「梨花って初めてじゃないの?」

「そうだよ。けどそれは気にしなくていいよ」


 うん、むしろあなたに捧げたいのだよ。あたしのファーストキスは。


「これって浮気にならないかな? 付き合ったその日にいきないりだよ?」

だから浮気じゃないよ? 心配なら人には言わないし、もちろん陸先輩にも。これからもあたしと仲良くしてくれるんでしょ? それならあたしは紗奈とちゅうしたいな」


 いつになく積極的だ、あたし。そして全くもって自分に都合のいい解釈だ。それにあたしは友達のつもりでするわけではない。


「それなら……、梨花とだったらいいかな」


 え? いいの? 紗奈が受け入れてくれた。やばい、ドキドキしてきた。しかも梨花とだったらって言ったよ? 他の人はダメで、あたしはいいってこと? どうしよう、嬉しい。軽くパニックだ。いや、落ち着け。これはせっかくのチャンスなんだから。


 あたしは無理やり心を落ち着かせると、紗奈に肩を寄せた。間近で見る紗奈の顔。どうしよう、可愛すぎる。ドキドキが止まらない。ごめんね、陸先輩。少しだけ紗奈を貸してね。今までおかずを提供したんだから、これで返してね。


 あたしは紗奈に顔を寄せ始めた。紗奈も顔を寄せてくれる。少しずつ閉じる二人の瞳。なんて魅かれるのだろう。紗奈ってこんな顔してキスをするのか。完全にあたしの心が紗奈に鷲掴みにされているよ。紗奈が愛おしい。

 そのままゆっくりと近づき、とうとうあたしの唇は紗奈の唇に触れた。触れると同時に得た幸福感。なんて柔らかい唇なのだ。あぁ、想像していたよりも遥かにいい。この日をずっと待ち望んでいた。幸せすぎる。


 あたしが紗奈とのキスを味わっていると、紗奈が下を向き、唇を離した。あぁ……もうダメなのか。もうちょっとしていたかった。


「梨花、長いよ」

「へへ、ごめん」

「恥ずかしいよ」


 あたしも恥ずかしい。けど、ずっと望んでいた紗奈とのキス。あたしの大事なファーストキス。絶対に忘れない。この幸せな気持ちは。

 よし、これで心置きなく紗奈と陸先輩の幸せを願えそうだ。あたしは二人を見守る。

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