32.夏休みの甘い思い出~陸~

 梅雨が明け、7月に入ると夏の暑さが本格化する。

 期末テストが無事に終わった。答案はまだ返ってきていないが、サナリーの勉強に関してはそれほど心配していない。中間テストの結果がそれなりに良かったから。一方俺も恥ずかしくはない結果だろう。ここまでくると夏休みまでの日数を数えるだけだ。


「夏休みか……」

「夏休みがどうしたの?」


 俺の呟きに反応するのは紗奈で、書斎の俺の正面左の席に座っている。紗奈の更に奥には寝室に繋がる二枚の引き違い戸。その先の寝室で去年俺は女を知った。正確には女の体を知ったのだが。お互い完全に割り切った関係だった。

 木田に迫られた時は木田が俺に好意を寄せていることがわかったのでできなかった。けど去年の夏は体だけの関係だと割り切っていたのでできた。俺に好きな人がいようとも、交際しているわけではなかったから。と言うか、初めて女の体を知った興奮から止まらなかった。




 去年の夏休み。

 取引のあるほとんどの会社は週末休みでゴールデンウィークも休み。他社が普段稼働している期間で俺にとっては初めての大型連休。商談や契約調印などの予定が組みやすく、俺は週末とお盆以外、仕事に精を出していた。

 そんな夏休みがまだ始まってすぐの頃、昼下がりだった。書斎で仕事をしていた俺は喉が渇いたのでキッチンに行き、麦茶を汲んだのだ。


「あら、そんなこと言ってもらえれば私がやりますのに」


 背後から聞こえた声の主は家政婦の不知火美鈴しらぬい・みすずさん。普段は俺が学校のためこの時間帯に会うことは珍しい。学校が休みの日は息子誠也せいやの幼稚園も休みなので、出勤しない。しかし夏休み中は誠也も連れて出勤してくれていた。


「いえ、これくらい。気にしないで下さい」


 と言って美鈴さんを振り向いた時だった。


「うおっ!」


 美鈴さんはなんと、娘亜美あみの授乳中だった。誠也はリビングのソファーで昼寝をしている。リビングに入った時は美鈴さんの背中と、横たわった誠也が確認できたので、誠也を寝かしつけているのだと思っていた。しかし違った。

 俺が振り向いたたこの時、美鈴さんは亜美を抱きながら俺を向いていた。しかも亜美に与える乳首を左右交換しようとしているところだった。おかげで両方の乳房をはっきりと見てしまったのだ。


「ごめんなさい、お見苦しいものを。両方のおっぱいを均等にあげないと張りが変わっちゃうものですから」


 美鈴さんは唖然としている俺に申し訳なさそうに、苦笑いを浮かべて言った。俺は所詮16歳の高校生。申し訳ないわけがない。むしろ見てしまってごめんなさいだ。いや、むしろ見せてくれてありがとうございます、か。


 美鈴さんは俺と一回り違いの当時28歳になる年齢だ。大学卒業と同時に結婚をしたが、第二子の亜美が生まれてすぐに離婚をしている。美鈴さんはとても清楚な感じのする美人だ。


 俺は激しく高鳴る心臓を落ち着かせることもできず、麦茶を煽った。そして書斎に入った。その後すぐに引き違い戸を開け、寝室に入った。元気になってしまった下半身を落ち着かせなくてはならなかった。

 しかし、書斎を経由したこの道程がいけなかった。いや、後々の結果を考えると良かったと言うべきか。


 俺は興奮を抑えるべく、ベッドで自慰行為を始めた。その最中に突然廊下側の寝室のドアが開いた。


 ガチャ。


「きゃ! ごめんなさい!」


 一瞬ドアから体を滑り込ませたのは掃除機を持った美鈴さんだった。美鈴さんはすぐに廊下に戻ってしまい、俺は目が点。手は止まった。完全に唖然としたのだ。


「やばい、見られた……」


 美鈴さんは俺の仕事中はお茶出しくらいしか書斎に入って来ない。恐らく俺が書斎にいると思って寝室の掃除に入ってきたのだろう。俺は下半身丸出しで、ベッドで横になっていたのだ。すると……。


 コンコン。


 寝室のドアがノックされた。俺は慌ててズボンを上げた。


「はい。どうぞ」


 そう答えるとドアがゆっくりと開いた。顔を覗かせたのは美鈴さんだ。掃除機は廊下に置いているのだろうか、手には何も持っていない。


「あの……、さっきはノックもせずにすいません」

「あ、いや。これは事故ですから。気にしないで下さい」


 美鈴さんに余計な気を使ってほしくなく俺はそう答えた。頭の中はパニックだったが、なんとか合格点の回答だったと思う。


「そう言ってくれて、ありがとうございます」


 美鈴さんが一歩だけ寝室に入ってきた。かなり遠慮気味だ。俺はベッドの淵に腰掛けた状態である。


「あの……、もし宜しければなんですが……」

「はい……」

「私がお手伝いしましょうか? 今ちょうど子供二人とも寝たので」

「え?」


 俺は美鈴さんが何を言っているのかわからなかった。とにかくこの気まずい雰囲気を解消したいとしか考えていなかった。


「その……、性処理のお相手を……」

「……」


 再び激しく脈打つ心臓。鼓動の音まで聞こえてきそうだ。頭が真っ白である。今にして思えば、美鈴さんも気まずさ解消の思いから言ったのかもしれない。真意は定かではないが。すると何も答えられない俺に美鈴さんが言葉を重ねる。


「授乳中なので、胸の形はちょっと自信ないですけど……」

「いや、そんなこと全然。凄く綺麗でした。それで興奮しちゃって」


 何を言っているのだ、俺は。美鈴さんを庇いたくて言ったことだが、焦っていたので余計に口が回ってしまった。興奮しただなんて、反って失礼ではないか。


「良かった。では、よろしくお願いします」


 ん? お願いします? 俺の頭に疑問符が飛び交っている。すると美鈴さんが寄ってきた。どういうことだ?


「失礼します」


 そう言うと俺の両足の間に美鈴さんが片膝を差し込んだ。そして俺をベッドに優しく押し倒した。


 まさか、俺が求めたと捉えた?


 そのまさかは正解だった。俺は美鈴さんに優しく唇を重ねられ、初めてのキスを経験した。そして流れるように美鈴さんの舌が挿し込まれた。一気に興奮の波が押し寄せる。

 そしてゆっくりと服を脱がされていく。美鈴さんもそれに合わせて服を脱ぐ。俺は完全に身を委ねていた。自信がないと言っていた美鈴さんの体、俺にとってはとんでもない。興奮を煽る以外の何物でもなかった。


 そして幾通りかの過程を経て、俺はとうとう美鈴さんの中に導かれた。瞬間、俺は達した。この時はあまり知識もなく、後になって避妊をしていないということを知った。今にして思えば、妊娠させていなくて本当に良かったと思う。


 ほんの少しの休憩を挟んで今度は俺から積極的に美鈴さんを求めた。初めて触れる女の肌。美鈴さんから漏れる色っぽい声。俺は夢中だった。


「うふふ。お元気ですね。さすがお若いです」


 途中、上品に笑いながら、俺を全て受け入れる美鈴さん。凄くエロかった。俺を興奮と快感が支配する。


 翌日、美鈴さんは大量に避妊具を買ってきてくれた。俺は夏休み中、美鈴さんの生理中以外、美鈴さんの出勤日は毎日美鈴さんを求めた。美鈴さんは一度も拒否することなく全て受け入れてくれた。俺は誠也と亜美が昼寝をするのを心待ちにしていたほどだ。


 夏休みが明けるとまたいつもの生活に戻った。美鈴さんは朝、朝食と弁当を作るために出勤し、俺を見送り、夕方俺が帰って来ると誠也と亜美と過ごしている。そして一緒に夕飯を食べ、誠也と亜美を連れて自宅に帰るのだ。

 俺と顔を合わせる時間は誠也が起きているので、一切体の関係はなかった。冬休みは期待もしたが、俺の仕事が波に乗ってきていて、商談や来客、それから年末年始の休暇などで一度もチャンスはなかった。

 今にして思えばこの時は既に美鈴さんには交際相手がいたのだから、手を出していなくて良かったと思う。雇われる側の美鈴さんからしたら恐らく断りにくいだろう。ただこの夏休みの思い出があって、俺と美鈴さんとの間に、お互いの異性関係を詮索しないという暗黙の了解ができた。


 春休みは入ってすぐにサナリーとの生活が始まり、それに婚約をしたことを知っていた。それなので夏休みだけの関係だった。

 そして数箱開けた避妊具の残り1箱。1箱12個入りの中身は残り2つ。これを梨花に見つかってしまったのだ。梨花には真相を話したが、梨花が暴露した相手の俺の妹のそらは10個だけ使ったと思っているようだ。


 よく男子高生の下品な話題の中で、家政婦との男女関係を聞かれる。サナリーとの同居が始まった頃、梨花に聞かれたこともある。しかし俺は、夏休みの関係は伏せて、日常のことだけを話す。だから関係を持つことはない、と。そう説明すると意外と誰もが納得してくれる。

 しかし事実は違うのだ。夏休みという時間が俺に女を教えてくれた。性を経験させてくれた。美鈴さんのことがあるので、絶対に事実は誰にも言わない。梨花とそらにはバレてしまったが……。


 そして今年も夏休みまでもうすぐ。書斎と寝室を仕切る二枚の引き違い戸を見ていると去年の甘い時間を思い出す。




 回想に耽ってふと顔を上げると、書斎には既に紗奈の姿がなかった。夕飯を作りにキッチンへ行ったのだろう。代わりに正面右の自席に梨花がいる。梨花はにやっと笑って俺に言う。


「去年のことでも思い出してたの?」


 また核心を突く。梨花のアンテナはどれほど高性能なんだ。まぁ、彼女には全てを知られているし、何も隠すことはない。


「うん、まぁ」

「うお、素直じゃん。て言うか、厭らしい」

「しょうがねぇじゃん。俺の初体験なんだもん。忘れられないよ」

「ふーん。初体験ってそんなものか」

「そうだよ。梨花は処女なのか?」

「そうだよ」

「……」


 聞いた俺も俺だが、抵抗なく答える梨花も梨花である。


「あぁ、誤解されてたら嫌だから一つ言っとく。あたしこういうネタにオープンな男子は先輩だけだからね」

「そうなの?」

「そうだよ!」


 不服そうに言葉を返す梨花。心なしか力が籠っていた。ただ、そうだったのか安心した、と思う自分がいる。誰にでもこの調子だとなんだか寂しくなるから。


「女子だとそらもいるけど」

「……」


 君にとって俺達兄妹の立ち位置とは何なんだ。


「直接の相手はしてあげられないけど、まぁ、できることは協力するから」

「あ、ありがとう」


 それはつまりおかずの黙認か。一度珠玉の品の提供もあったな。進展が望めない共同生活とは言え、もしかすると俺は、すごく役得なのではないだろうか。

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