第80話 再会と別れ
人々の悲鳴が上がる。
塔の上から身を投げたような形をとったマーナリアに、その場にいた誰もが青ざめ、怯え、恐怖を感じ騒然となった。
駆け出したセトンヌは、先ほどの痛みとまだ完全に癒え切っていない傷で早く走れない。
「くそっ! 間に合わない……っ」
ここでマーナリアまでも失ったら、今度こそ本当に彼を恨むだろう。
セトンヌはギリッと歯を噛み鳴らし、今自分の持てる全力で落下するマーナリアを救うために走った。だが次の瞬間、後ろから豪風が吹き思わず立ち止まると、体力も魔力もないはずのリガルナが魔法を使い、彼女の体をギリギリ空中で抱き留めた姿が見えた。
「……マリア」
リガルナが抱えた事で命が助かったことに、セトンヌは深く安堵した。
地面の上にふわりと降り立ったリガルナは、そっとマーナリアの体を抱えたままその場に膝をつくと同時に、ガクリと体をよろめかせる。
封じられている魔力を無理に一時的に取り払った事と、体力の限界だった。
「アレア……」
肩で荒い呼吸を繰り返しているリガルナは意識を失ったマーナリアの顔を覗き込む。するとぼうっと再びマーナリアの体が光を帯び、その光が人の姿を模りはじめた。
その姿に、リガルナは言葉もなく驚愕した表情で見つめていた。
人の形を模り、そしてそれは見覚えのある形に変わっていく……。
瞳を閉じていた瞼がゆっくりと押し開けられると、アレアの暖かなオレンジ色の瞳が真っ直ぐにリガルナを見つめ返してくる。
『……リガルナさん…』
「……アレア」
マーナリアの体を通さずに、アレアは彼女自身の口からリガルナの名を呼んだ。
見つめてくるアレアの瞳はどこか寂しく、そして再びこうして会えたことへの喜びに染まっていた。
アレアはふっと瞳を緩め、優しげに微笑むとすぅっと音もなくリガルナと視線を合わせるように彼の前に両膝を着き跪いた。
『……逢いたかった』
愛しい人間を前にアレアは喜びにその表情をほころばせながら、そっと両腕を伸ばしリガルナの頬を包むように触れてくる。
どんなにハッキリとその姿を象っていたとしても、やはり残留思念であることに変わりないのだと分かったのは、触れているはずの手の感触が伝わってこないからだ。
「お前なぜ……?」
『マーナリア様が意識を失う瞬間に、彼女の巫女としての力のすべてを私に授けて下さいました。だから、巫女様の体を介さなくても、あなたと話が出来るようになったんです』
アレアの意思で体が勝手に動き出した時、マーナリアはこのまま下へ飛び降りる事を覚悟していた。でも、自分は助かると信じていたのだろう。落下の直後に自分の中に眠っているアレアに語り掛け、神の能力の全てをアレアに授けたのだ。
生き返ることは出来ない。それでも、思念体だとしても自分の口と言葉でリガルナと話せる力を持つことができた。
「……」
リガルナは、意識を失ったままのマーナリアを見下ろした。
彼女は、この為に自分が犠牲になっても良いと思っていた。それが、信じられなかった。
アレアが死んだのも、自分が国を追い出されたのも、全てマーナリアのせいだと思っていたのに……。
『リガルナさん……』
「アレア……」
『リガルナさん……。私、あなたにずっと謝りたかった事があるんです。あなたと一緒にいられる時間が短かった事』
「……そんな事、どうだっていい」
そう答えるリガルナにアレアはゆっくりと首を横に振った。
『こんな結果にならなくても、あなたと一緒の時間には限りがあった。だから、私、あなたともっと早く知りあえていれば良かったのにって、ずっと想ってたんです』
「……アレア」
『リガルナさん……。もう、全てを許してあげて下さい』
その言葉に、リガルナは更に驚いたように目を見開いた。
アレアはそんなリガルナの視線から目をそらすことなく、優しげな微笑を浮かべたまま静かに言葉を続けた。
『私、あの日からあなたが私の為にしてくれたこと、全部分かってた。全部、嬉しかったの……』
「………」
『私、そんなあなたも、今までのあなたも、そして今も、全部、全部大好き。全部、愛してる……』
「……アレア…」
『もうこれ以上ないほどに沢山の愛情をあなたから貰って、私、凄く幸せでした』
にっこりと、満面の笑みを浮かべるアレアの目に涙が光っているのが見えた。
その言葉に眉間に深い皺を刻んだリガルナはゆっくりと、しかし力強く首を横に振った。
「違う。貰ってばかりなのは俺の方だった。俺は、俺はまだ、お前に何もしてやれていない……」
リガルナの言葉に、今度はアレアが首を横に振る番だった。
『いいえ。そんなことないです。あなたは傍にいてくれた。捨てようとした命を救ってくれた。そして何より、私が抱いた想いと同じ想いを抱いていてくれた……。私を、好きでいてくれた……。これ以上ないほど、十分過ぎるほど私は沢山、本当に沢山貰いました』
アレアの目には涙が浮かんでいる。今にもこぼれ落ちそうなその涙に目を潤ませながらも、アレアは笑みを崩さない。
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