第74話 マーナリアの真意

 真夜中。

 隣で眠るマーナリアを見つめ、ベッドサイドに腰を下ろしていたセトンヌは眠れずにいた。

 

「……マリア」 


 昼間に、彼女が言っていた言葉。

 リガルナを許すことが出来た時初めて自分は今の怨念の呪縛から解かれ、真の開放を得られる……。


「あなたの言う言葉は、私にはとても難しい……」


 落ち込んだ眼差しでマーナリアの髪にそっと触れ、ゆっくりとベッドから腰を上げてバルコニーへと向かい白々とした月光を降り注ぐ月を見上げる。


「許す……か……」


 許すとは、どういう事なのだろう……。これまでの残忍な行動を取ってきたリガルナを、どう許せば良いのだろうか。そもそも、許しても良いのだろうか? 罪人は罪人。許す許さないの話ではないのではないか……。


 マーナリアのアドバイスに、セトンヌは思い悩んでいた。そして自分が明日、リガルナを処刑する執行人である事で、真実を聞かされ戸惑いを隠しきれ無い内にどんな顔で会えば良いのか分からない。


 お門違いで責め続けてきたリガルナへの罪悪感。どれだけ長い間彼を追い詰めてきただろう。それは途方もなく長くて、根深い。


「……」


 セトンヌは溜息を一つ吐くと、月から視線を手元へと落とした。

 例え、自分がリガルナを許せる時が来たとしても、彼は周りを許しはしないだろう。それだけの仕打ちを受け続けてきたのだから……。


「このままあいつをこの手で処刑したとしたら、私は、後悔するかもしれない……」


 そう呟いて、一度かぶりを振った。後悔なら、もうとっくにしている。

 今更そんなことを言ったところで取り返しの付く問題ではない事は十分に分かっている。過ちを正すには遅すぎた。そして何より無知過ぎた……。


「くそ……っ!」


 恨んだままでいられれば良かった。あんな場所で、思いがけずに真実など聞かされていなければ良かったのに。


 セトンヌはその場から背後を振り返り、暗い部屋で先に休んでいるマーナリアに視線を向ける。

 微かにそよぐ風に、薄絹のカーテンがゆらめきその視線を遮っているが、その向こうには静かに眠るマーナリアの後ろ姿が見えた。


 罪人を裁く事など今まで何度もやってきた。しかし、こんなにも心惑わされ動揺し、夜も眠れなくなることなどたったの一度もなかった。


「こんな気持ちになるなら、何も知りたくなかった」


 苦々しくつぶやいた言葉は、夜風にさらわれていく。

 結局セトンヌはこの日、最後まで眠りにつくことが出来ず一夜を過ごしていた。



              ******


 雨が降っていた。


 窓辺に置かれていた椅子に腰を下ろしたまま外を眺めていたマーナリアは、無心に空を眺めていた。

 宮殿内も、そして城下も、皆俄な安堵の色を見せひた隠しに隠そうとしていても隠しきれ無い喜びの色を滲ませている。


 そんな彼らとは裏腹に、この雨のようにマーナリアの心は沈んでいる。そしてそれはセトンヌも同じだった。

 きちんとした軍服を着こみ、やはりどこか浮かない表情をしているセトンヌを背にしたまま、マーナリアはおもむろに口を開く。


「……いよいよですね」


 いよいよ。そう、確かにそうだ。そしてセトンヌが長い間心待ちにしていた瞬間でもあった。……少し前までは。


「セトンヌ。あなたに見てもらいたい物があるの」


 しばらくしてから、マーナリアは静かにそう答えると椅子から立ち上がった。そして部屋のドアの側に置かれていたランプを手に取り、セトンヌを振り返る。


「……?」


 セトンヌは困惑した顔を浮かべるも、言われるままにマーナリアの後をついて歩いた。


 地下へと続く階段を降りていくマーナリアは、ある地下室の前まで来た時セトンヌを振り返った。


「まだ、この事は誰にも口外しないで下さい」


 マーナリアにそう口止めをされ、セトンヌが頷くとマーナリアはゆっくりとノブを捻ってドアを開いた。


 中に入ると、マーナリアの手にしたランプの明かりに浮かび上がる、細やかな装飾の施されたガラス製の棺に大切に入れられているアレアの姿があった。その姿に、セトンヌは思わず目を見張る。


「……彼女は」


 愕然としたまま入り口に立ち尽くしているセトンヌに対し、マーナリアは静かに口を開いた。


「あなたはもう知っているでしょう? 彼女の事を」

「……彼女は、私の夢に出てきた……」


 驚きを隠し切れず、セトンヌは2、3歩ゆっくりと足を踏み出し、眠るアレアの側に近づく。


 固く閉ざされた瞼。まるで眠っているかのように綺麗な姿のままで眠りについているアレアの姿に、セトンヌは言葉を失う。


「彼女が、リガルナと心を通わせた少女です。名前を、アレアと言うの。彼女の願いを叶えるために、極秘でここに運んで来てもらったのよ」


 セトンヌの後ろから歩み寄ってきたマーナリアはわずかに表情を曇らせて、アレアを見下ろした。


「彼女からのメッセージを受け取って、すぐに彼女は元の場所へ帰すよう兵士に指示を出しましたが、リガルナの一件で港は閉ざされてしまって、帰す事が出来ず今もここに安置しているのです」

「……」


 黙り込んだセトンヌに、マーナリアは部屋の隅に立てかけてあった剣の鞘を取りそれを差し出した。

 セトンヌは血で黒ずんだその鞘を見下ろし、もう一度マーナリアを見つめる。


「これは……」

「これは、かつてレグリアナ軍にいたサルダン・ボッシュメントの鞘です。サルダンは、彼女と接触していました。そして彼はリガルナの目の前で彼女を殺してしまった……」

「……っ」


 その言葉に、セトンヌは目を見開き顔をこわばらせた。


「彼の常日頃からの横行は、グルータスもお母様も目に余っていた。彼の罪なき人間に対しての暴行、殺人……。軍人とは常に弱者に寄り添い、守る立場になければならないはずです。でも、彼は彼女を手にかけた」

「なぜ……」


 眉間に深い皺を刻んだまま、ようやく口からついて出た言葉は疑問でしかなかった。しかし、マーナリアは首をゆるゆると横に振る。


「戻ってきた兵士の話では、大雨の降る中で死山に放置してきたと言います。暗殺ではなく、手緩い方法で彼を捨て置いた事が、彼女にも我々にも、そしてリガルナにとっても運の尽きだったと言えます」


 セトンヌは握りしめていた拳を更にきつく握りこむ。

 マーナリアはそんなセトンヌの手にそっと触れ、泣き出しそうな目で彼を見上げた。


「でもね、彼女は自分を死に追いやったサルダンの事を、恨んでいないと言うの」

「え……」

「本当の意味で、彼女は慈愛に満ち溢れた人だったと言えます。相手の犯した罪を赦し、受け入れる。そんな大きな心を持った人、そういないわ」


 マーナリアはセトンヌから視線を外し、眠るアレアへと向けた。

 触れれば冷たい氷の棺。その棺に手を添えて、マーナリアは物憂げに口を開く。


「リガルナがしてきた事とサルダンのした事に大差はないでしょう。サルダンの犯した罪は我々レグリアナが背負うべき罪でもあります」


 マーナリアはやや寂しげにそう呟くと、セトンヌはもう一度アレアを見つめる。

 リガルナが彼女をどれだけ大切にしていたか、自分たちが彼に対して更に負わせた傷が事の発端を生んだのだと言う事を理解したセトンヌは、わずかに視線を下げた。


「あなたの言う賭けとは、彼女ですか……?」


 マーナリアはその呟きに、深く頷き返した。

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