第57話 忌まわしき故郷
とても、静かな夜だった。
遠くに聞こえる
トルタン大陸を離れて三ヶ月あまり。長い長い航路がようやく旅の終わりを告げようとしていた。
「見て。レグリアナ大陸よ!」
「あぁ、これでもう安心だ……。良かった。俺達は助かったんだ!」
遠くに見える港町の明かりを見つけ、薄ぼんやりと浮かび上がる大陸を指差した船上の人々は、それまでの重々しい空気が一変し、歓喜に沸いた。
船室にいた人々が喜びの色を露にして甲板に飛び出し、少しずつ近づいてくるレグリアナ大陸の姿を見ようとひしめき合う。
隣同士で、良かった良かったと肩を叩きあい涙する人間も少なくない。
そんな喜びと安堵感にひとしおな人々を横目に、甲板の隅で腰を下ろしていたリガルナは非常に冷徹な眼差しでレグリアナ大陸を見詰める。
再び戻ってきた。忌まわしき故郷……。
もう二度と踏むことは無いと思っていた土地に再び舞い降りる事になるとは。
傷はほぼ癒えた。体力も元に戻った。もはや遠慮する必要はない。
歓喜に沸く人々の隅で、リガルナはすっと立ち上がると目深に被っていたフードを落とし、これまで隠していた姿を露にした。
「あ、あ、ああああ、赤き魔物……っ!?」
そんなリガルナの姿をいち早く見つけた水兵がそう声を上げると、その場にいた全員の表情が一気に恐怖の色に染め上がる。そして次の瞬間にはパニック状態になり船上は騒然とした。
蜘蛛の子を散らすかのように青ざめた人々が甲板から駆け出すも、逃げる場所に限度があった。逃げ場を失った数十人が船の片側に寄せ集まり恐怖に打ち震えている。
リガルナはそんな彼らを見据え、ふと上を向くと、マストの上で回光通信機を用いて緊急事態を港町に知らせている船乗りの姿を捉えた。
「……」
別段、救援要請を出したところで無意味というもの。誰かが駆けつけたとしても、リガルナにとってみれば他愛も無い。
リガルナは口の端を引き上げて不適にほくそえむと、指をパチンと打ち鳴らした。すると静まり返っている船の底から、ズズズズ……と言う重たい音を立てて何かがせり上がって来る。船はギシギシと音を立てて傾き始め、船上の人間達はまるで船に弄ばれるかのように振り回されて悲鳴を上げた。
「きゃあぁぁあぁ―――っ!!」
「うわぁああぁぁぁぁ―――っ!!」
まさに阿鼻叫喚だった。
海の底から持ち上がった大きな水の塊が船を大きく傾かせると、突然爆発したように弾ける。
大きな水柱が夜の闇に持ち上がり、その衝撃で船は粉々に打ち砕かれた。
船の破片と共にドボドボと音を立てて、水面に叩きつけられる何百人もの人々が海の底に沈んでいく。
逃げ場の無い人間達など、もはやリガルナの手中に収まっていたようなものだ。
吹き上げた水柱の雫が激しく海を叩きつけ、消えた頃には辺りは再び漣の音だけが響く静かな夜が訪れる。
一瞬にして海の藻屑と化した人々と船に背を向けて、リガルナは遠くに見えるレグリアナ大陸を見据えた。
――――いよいよ、復讐の時が来た。
喜びと憎しみを胸に、リガルナは大陸目指して飛んだのだった。
レグリアナが防御体制に入ったことも自分が向かっている事を相手が察知している事など、露程も気づかないリガルナがレグリアナ大陸に辿り着いたのは、それから数時間後だった。
今宵は白い満月の夜。
港町を離れ、リガルナはゆっくりとした歩調でレグリアナへの道を歩いていた。
久し振りに踏む大地。もう20年以上もこの土を踏んでいない。だが、リガルナには懐かしさよりもただ苦い過去の想い出を思い出させる他何も無い。
暗い森を歩き、広大に広がる草原を突き進んでいる内に、夜は更に更け月は空の頂上へと昇りつめる。
リガルナは足を止め、何気なくその夜空を見上げると同時に、ふいにフワーッと下から明るい光が照らし始めた。それに気付き視線を下げると、満月が夜空の頂上へと昇りつめてから数時間しか咲かない、その名も“フルムーン”と呼ばれる花が大量に開花していた。
いつもは固く花弁を閉ざし、満月の光を受けて花開くフルムーン。中央が丸く黄色い光を放ち花弁は柔らかな薄いピンク色をしている。
一度咲いたフルムーンは徐々に光を失い、花弁を落とし萎れて終わる儚い花としても知れていた。その種子は、枯れると共に地面に落ち新たに次の満月までの間そこで育つ。
その花を見つめ、リガルナの目がキュッと細くなる。
「……」
リガルナはしばしその場に佇んでいたが、再びゆっくりと足を持ち上げ一路、レグリアナに向かって歩き始めた。
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