第22話 出会い

 気の迷いか、否か……。


 リガルナは住処である洞窟の外に座り、満点の星空が広がる天然プラネタリウムと言ってもいいほどの夜空を、先ほど自分の起こした不可解な行動に疑問を抱きつつ見上げていた。


 その事を後悔しているかしていないか。今、もしもそう訊ねられたなら、間違いなく「後悔している」と答えただろう。だが、それを訊ねる者は当然いるはずもなく、今更元には戻れない。


「……」


 自分から面倒な事を引き寄せておいて、随分と自分勝手なものだ。

 内心そう呟きながら、空を見つめていたリガルナは嘆息を漏らし何気なく洞窟へと視線を巡らせた。





 昼過ぎ。食料の調達に長い時間山中を歩き回っていたリガルナは、川で獲った魚や木の実など、二日分ほどの食料を手に洞窟へ戻ろうとしていた。

 リガルナの暮らす死山には、人の手が入るような山ではない為に道なき道を進む事になる。今でこそどこを通れば洞くつへと戻れるのか熟知しているリガルナにとって、もはや庭と言ってもおかしくはない。


 死山はその名の通り、不思議と草木が育たない事もあり棲み付く動物もあまりいない。かつては流れていたであろう川の痕跡は見受けられるものの、今では水が湧き出る源も枯れ果ててしまっていた。だからこそ、食料や水の調達には少々難儀な思いをしなければならない。


 死山の裏手の森には泉や小さな小川がある。植物も多少なりとも生え、特別選り好みさえしなければ木の実などを手に入れられる。運がよければ、果実を採る事も不可能ではない。


 山の中腹にある洞窟から、その森までの道は決して近いものではなく、歩いて3時間はくだらない距離だろう。しかし、そうしなければ彼は食べていく事が出来ない。生きるために必要な手間であれば惜しむ事は出来なかった。


 その帰り道、いつもとは違う道を歩いていたリガルナは一人の少女と出くわした。

 朽ちて根元から折れ曲がり、根元の部分しか残っていない巨木の影に倒れていた少女は、とても浅い呼吸を吐きながら気を失っていた。


 体中を痣だらけにして腕からは血を流し、青ざめた顔で倒れるその姿。その姿を見た瞬間、思いがけずリガルナはその場に凍りついてしまった。思い出したくもない昔の自分の姿がそのままそこに反映されているかのようで、ゾッとした物を感じたのは言うまでもない。まるで走馬灯のように、記憶の彼方に追いやっていた過去の記憶が鮮明に蘇り、ズキリと頭に痛みを感じ眉根を寄せた。


「……っ」


 凍てついた父の気味の悪い笑み。全てを拒絶した母の顔。自分を恨んでいる者の憎悪に満ちた目。蔑み、恐怖し、拒絶をする人々の顔、顔、顔……。


 リガルナは冷や汗を流しながら手にしていた食べ物を地面に落とし、ズキズキと痛む頭を押さえて思わずその場に片膝を着いた。


 なぜ今頃になってあの時の事を思い出さなければならない? この少女はどこから来た? なぜここにいる?


 ズキズキと脈打つほどに痛む頭を抱えている内に、リガルナは徐々に苛立ちを覚え始める。


 なぜ今になってこんな思いをしなければならない?


 リガルナはその場に留まる事に抵抗を覚え、無理やりフラつく体を起こして荷物を拾い、少女に背を向け通り過ぎ去ろうと歩を進めた。


 死に間際の人間だ。このまま放置しておいても、今の自分には関係もない。後々に麓の人間が運良く見つけたとしても、遭難に合ってそのまま死に絶えたと思うのが自然だろう。それならばそのままくたばっても問題はない……。


 ザクザクと地面を踏みしめて少女から離れるリガルナだったが、ある一定のところまで来ると突然足に鉛がついたように動かなくなってしまった。


 自分には関係がない。あんな少女の一人や二人、今までも数え切れないほど手に掛けてきた。今更どうした? 少女を捨て置く事は容易なはずだ。


 自問自答を繰り返し、リガルナは止まってしまった足を動かした。いや、実際には動かそうとした。だが、どうしてもその一歩を踏み出す事が出来ない……。


「……」


 リガルナは困惑と、自分の体でありながら思うように動かない初めての感覚に焦りを抱きながら、緩慢な動きで背後を振り返る。

 着崩された衣服の隙間からは夥しい切り傷と蒼痣が見える。見る限り、まだそれらは真新しい。腕に負った傷には、木の枝のような物の一部が深々と刺さったまま、今も尚赤い血を流している。顔が蒼ざめているのはその出血のせいなのか、それとも別の意味でなのかは分からない。このまま放っておけば間違いなく息絶えるだろうと感じさせていた。


 そのまま捨て置け。人間と関わるな。


 リガルナの中で警鐘が鳴り響いているのに、足が一向に前に進もうとしない。

 ぐったりとしたまま、軟弱な様子のそんな彼女を呆然と見つめていたリガルナは、ピクリと眉を動かした。


 何故だろう。なぜ、このまま立ち去れない? 


 背後の人間を見捨てられずに動けない自分がいる。ドクドクと鳴る胸の音が耳について仕方がない。


 どうしたい? まさか、自分はあの人間を助けたいと思っているのか? ……偽善だ。そんなものは偽善でしかない。何を今更迷う事がある?


 そう分かっていながら、リガルナの体は再びゆっくりと少女の方へ向き直った。

 一歩、彼女に向かって足が進む。後ろへは退けないのに、吸い寄せられるかのように少女に向かって足は進もうとする。


 動かない少女に、昔の自分の姿がダブって見えた。


 そこにいるのは、昔の自分。助けを求めて拒絶された哀れな自分。あの時、どうして欲しかった? 父や母に、幼い頃のように手を差し伸べてもらいたくて……?


 ザクリ、と少女の傍の地面を踏み、リガルナは目を皿のようにして食い入るように少女を見下ろした。ドクドクと早鐘のように打つ胸の原因は、不安なのか、恐怖なのか、それとも……。


 このまま手を出せば、また昔のような自分に戻ってしまうかもしれない。彼女が目覚めれば、あんなにも嫌で仕方が無かった拒絶や、恐怖に歪んだ眼差しを向けられてしまう。だから、人との関わりを断ち一人で生きて行こうと決めていた。自分を見た者は確実に息の根を断つ。自分を見放した、全ての人間達に復讐すると決めたはずだ……。


 「やめろ」と言う、自分の中から発せられる警告とは裏腹に、リガルナは震える手を少女に向かって伸ばしていた。


 うつ伏せになって倒れている少女の体に指先が触れる。

 12年ぶりに触れた、自分以外の人間の暖かさ。その暖かさはあまりに頼りなくて、ゆっくりと抱き上げた時の驚くほどの軽さと細さに、リガルナは意図せず動揺してしまった。


「……」


 人とは、こんなにも軽く細いものだっただろうか? 今まで殺してきた人間達はこんなに頼りない相手ではなかったように思ったが……。


 ぼんやりとそんな事を考えながら、リガルナは少女をそのまま洞窟へ連れ帰ってきたのだった。



「……馬鹿馬鹿しい」


 思い返しながら、リガルナは自嘲するように吐き捨て洞窟から視線をそらす。

 昔の自分と重なって見えたからと言うそれだけの理由で、見ず知らずの人間一人を連れてきたなど「赤き魔物」と謳われ続けて来た自分には実に滑稽だとしか言えなかった。

 自分自身に対する苛立ちに舌打ちをしながら、リガルナは真っ暗な闇に視線を向ける。


 彼女が目覚めたら、早々にここから出て行ってもらえば良い。下手に騒ぎたて、泣き叫ぶようであれば、他の人間達と同じようにこの手にかければそれで済む。それだけの事だ。


 リガルナは自分にそう言い聞かせた。

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