第16話 セトンヌ

「マリア。どこへ行っておったのだ」


 宮殿へ戻ってきたマリアを、母エレニアは目を細め咎めるかのような眼差しで見つめた。

 マリアは手にしていた皿を後ろ手に隠しながら、ぎこちなく嘘の言い訳をする。


「きょ、今日は月がとても綺麗ですし、お夕食が少し足らなくて泉の傍で軽食を頂いていました」

「……ほう。珍しい。小食のお前が夕食が足らなかったと?」


 何もかもを見透かしているかのような目をキュッと細めて見つめてくるエレニアに、マリアは緊張しながら頷き返した。


「え、えぇ……」


 苦し紛れの言い訳と知りながらマリアがそう言うと、エレニアは何かを探るように見つめてきたがそれ以上の追求をする事はなかった。


「まぁ良い。しかしこう夜遅い時間に出歩くのはいくら宮殿内の敷地とはいえ危ない。軽食ならば部屋で摂ればいいのだから、あまり外を出歩くでないぞ」

「……は、はい。ごめんなさい」


 申し訳なさそうにそう呟いたマリアを、エレニアはふっと目尻を緩め優しく微笑みマリアの頭を撫でる。


「もう今日はゆっくり休め。明日は皆に報告する事がある。お前も同席するようにな」

「はい。お休みなさい。お母様」


 マリアはその後自室へ戻るとベッドに潜り込み、外に一人、暖かな布団も無い中で寒い夜を過ごすリガルナの事を気にしながら一夜を過ごした……。





 翌朝。エレニアと共に謁見の間で同席していたマリアは、目の前に跪く男を見つめていた。

 薄い紫色の綺麗な短い髪を垂らし、頭を垂れている男を見やりながらエレニアは後方の椅子に座っているマリアに声をかけた。


「マリア。この者は先日何者かによって家を焼かれ、家族を失った者だ」

「……」


 マリアはその言葉を耳に受けながら、視線はじっと男を見つめていた。

 家を焼かれた……。その報告はマリアも聞いて知っている。2日前の真夜中に南地区の家の一軒が放火に遭ったと。火事は隣人の家の壁をも焼き、被害の規模は大きかったと聞く。更に鎮火した後、その家からは一人の人間が焼死体としてあがったと言う。火事に居合わせた人間のその後の証言で、消火にあたろうとした家の持ち主である夫婦と、消火を手伝おうと駆けつけた人間達が口を揃え、放火は赤い髪と目、そして細い耳をした魔物の仕業であると言っている事が分かった。


(……リガルナ)


 そのどれもがリガルナの特徴そのまま。皆が口をそろえる魔物は、間違いなくリガルナの事だ。

 マリアはそっと目を閉じて小さく息を吸い込む。

 本当に彼が、今目の前にいる男の家を放火したのだろうか? 疑問を抱かずにはいられない。


「――……」


 その時ふと、頭の中に声が過ぎる。それにピクリと反応を示してマリアは顔を上げた。


「面を上げよ」


 エレニアがそう声をかけると、頭を垂れていた目の前の男がゆっくりとその顔を上げた。

 その表情に、マリアは思わず息を呑む。憎悪に満ちた何者も突き刺しそうな鋭い眼光……。握り締められた拳はワナワナと振るえ、彼はあからさまな怒りを胸に秘めていた。


「名を申せ」

「……セトンヌと申します」

「ほう、セトンヌ。して今日はどんな用件で来たのだ?」

「私の家族を殺した者の仇を討つためです」


 間髪を入れずそう切り出したセトンヌの言葉に、エレニアは眉の片方を引き上げ興味深そうにセトンヌを見た。


「ほう……仇とな。それは魔物の事か?」

「はい。先日、父も母もショックのあまり寝込んでしまいました。それもこれも、火事を引き起こした魔物の仕業だと思っています」


 エレニアはくっと笑い、口の端を引上げる。そしてしばし沈黙を守り、ふと何かを思いついたように傍に立っているグルータスに目を向けた。


「グルータス。どうだ? 私としてはこの者を軍に招いてみようと思うのだが……」


 その突然の言葉に、グルータスは面食らったような顔を浮かべエレニアを見る。


「何と、エレニア様。何の基礎も身についていない一般市民のこの者を軍に招くなど、正気でございますか?」

「無論正気だ。見よ、この者の目を。闘志が剥き出しで、何とも荒削りなまでの感情。しかしこの者はおそらく、我が国の軍にはなくてはならない男になる」

「し、しかし、エレニア様……」

「跡目が欲しいと嘆いておったのは、そなたであろう?」


 大臣でありながら軍を総指揮しているグルータスは、自分の年を考えそろそろ跡継ぎになる人間を探していた。その跡継ぎに、目の前のド素人である一般人を宛がうなどと、グルータスは気が気ではなかった。


「そ、それはそうでございますが……」

「良いではないか。この者はきっと良い働きをするはずだ。のう? マリアよ」

「……」


 話を振られたマリアは一瞬顔を強張らせた。が、すぐにセトンヌを見つめると瞼を静かに閉じてしばし押し黙った。そして少しすると再び目を開き、その視線はエレニアに向けられた。


「……はい。お母様。この方はこの国の軍事の最高クラスまで上り詰めることでしょう」


 マリアはしっかりとした口調で、しかし心の中では落ち着かない様子でそう答えると、エレニアは満足そうにほくそえみ「そら、言ったであろう?」とでも良いたそうにグルータスを見つめた。当然、女王や巫女姫にそう言われてはこれ以上何も言う事はできない。


「マリア様がそう仰るのでしたら、誠そうなのでしょうな……」


 今のグルータスにはそう答えるのが精一杯だった。

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