第5話 実子への疑念

「ねぇ、トーマス」


 しきりに首を捻りながら、隣に座っていたトーマスにフローラが声をかけると彼は不思議そうに振り返った。


「どうしたんだい?」

「リガルナの髪と目の色、何だか少し変じゃない? 何だか赤っぽく見えるのだけど……」

「ん?」


 フローラの言葉に、トーマスもまた目の前を駆け回るリガルナに視線を送ってじっと見つめる。

 走り回っていたリガルナは、2人の視線に気付いて足を止めると、ニコニコと笑いながら手を振ってみせた。トーマスもそれに答えるようににこやかに片手を上げて応えると、フローラを振り返る。


「そうかな。陽の光のせいじゃないのか? あの子の髪は生まれた時から明るい茶色をしていたし、僕には別におかしくは見えないけどな」


 にこやかに微笑みながらそう答えたトーマスを見上げ、フローラは不安そうに顰めていた顔を崩す事は出来なかったものの、彼の言う言葉にも一理あると考えられた。


 フローラはもう一度リガルナに視線を戻し、陽の光に照らされて赤らんで見える髪を見つめながら、あれは単なる明るい茶色が偶然赤っぽく見えたのだと自分に言い聞かせた。


「……そう、ね。そうよね」


 フローラは自分の目で見て感じた事よりもトーマスの言葉を信用することにした。しかし……それは日を追うごとに気のせいでも何でもないと言う事をまざまざと見せ付けられる事になる。


 リガルナは日に日に変化を表し、ついこの間まで何事も無かった丸みのある耳までもが微かに鋭さを帯びてきた。だがフローラはその微妙に変わりつつリガルナの姿に不安を感じながらも、やはり“気のせいだ”と自分に言い聞かせ続け、何度も見過ごしてきた。


 ところがリガルナが12歳の誕生日を迎える頃になると、彼の姿は誰の目から見ても明らかに異質な物だと分かるほどの変貌を遂げていた。


 髪色と瞳と耳の形。かつては茶色だったはずの髪と目の色は赤みが強く、今度は“見ようによっては茶色に見えないことも無い”と言うほどにまで変わっていた。丸かった耳は以前よりも先端が尖って横へ延び、並みの人間には見られないような形に変わっている。

 このリガルナの変貌振りには、さすがにトーマスも不安を感じずにはいられなかった。


「ねぇ……。あの子……」

「……あぁ」


 2人はリガルナが寝静まった夜。ベッドで安らかに眠っている彼を起こさないようそっと扉を閉めてキッチンへ向かうと、2人は淹れたての暖かなハーブティーを飲みながら向かい合って座り、深刻な表情で顔を突き合わせていた。


 もう明らかに人のそれとは違う。あの姿で表を出歩く事ははばかられる為、最近のリガルナは外出を極力控え、自宅で過ごす事が増えていた。


 年齢的にも多感な年頃。外へ出るなと言われれば、なぜ日中外へ出てはいけないのかと喧嘩沙汰になる事も多い。だが、2人は疑わしく思っていても確証を得られないが故に本当の事を言うのを恐れて、頑なに口を閉ざし続けていた。それもこれも、ここまで彼に注いできた愛情が本物だったからだ。


「あの子の姿ってやっぱり……」

「……やめろ。やめてくれ。そんな事、今は考えたくない」


 顔を俯かせながら不安にこぼしたフローラの言葉に、トーマスは信じたくないときつく目を閉じて首を横に振った。


「私だって、考えたくないわ。でも、あれじゃまるで……」

「だから、やめろって! あいつはそんなんじゃないっ!」


 テーブルの上で握っていたマグカップをぎゅっと握りながら、トーマスは僅かに声を荒らげた。これまでの人生で、トーマスが声を荒らげた事など一度もなかっただけに、フローラは思わず言葉を飲み込んだ。


 突如として変貌し始めたリガルナ。彼の変わり方は、この地に古くから伝わっている魔物のみが持つと言う赤と尖った耳そのものだった。


 あれだけ愛おしく大切に育てて来た我が子が、まさか魔物に変貌するなどとは考えたくも無い。それは誰しも思うことだった。そもそも、魔物自体の存在がなくなったこの時代では有り得ないと思っていた。だが、2人には不安が積もる。


「……何か、病気なのかもしれない」


 フローラは有り得ないと分かっていながらも、病気か何かではないかと呟く。しかしその言葉に、トーマスは微かに嘲笑した。


「容姿が変化する病気だって? そんなもの、聞いた事がない」

「でも、私達が知らないだけで、実はそう言う病気もあるかもしれないじゃない」

「そんなわけないだろ。大体、病気だったとして、誰が今のあの子を診てくれると思うんだ?」


 フローラのこぼした希望を真っ向から切り捨てるのはトーマスとしてもいささか気が引ける。しかし、容姿がそっくり変化を遂げるようなそんな病気など聞いた事がない。


「……」


 フローラは肩を落とし、両手で握っていたカップの中のハーブティーに視線を落とした。


「……別に、僕だって、もしもその可能性があるならそう信じたいと思う気持ちはあるさ。でも、実際問題そうじゃないだろ?」


 慰めるような精一杯の言葉をかけるが、フローラはそれ以上何も語らなくなっていた。

 この日を境に、トーマスとフローラの会話が徐々に減っていき、家の中が次第に暗く沈んだ空気に包まれて行くのをリガルナは肌に感じ、不安に顔を顰めていた。



 ある日、フローラは城下町の外れにいると言う良く当たると定評の付いた有名な占い師の話を聞きつけ、急ぎ足で家へと帰って来た。

 工房で注文の入っていたオルゴールの制作をしていたトーマスに駆け寄ると、フローラは取り急ぎその話を持ちかけた。


「トーマス。さっきご近所の方から聞いたのだけど東地区に良く当たる占い師の方がいらっしゃるんですって」


 フローラのその話に、トーマスは手を止め彼女を振り返る。


「占い師? 何でまた占い師なんて……」

「リガルナの事を占って貰ったらどうかしらって、そう思ったの」

「……」


 暗い表情を浮かべ、フローラがそう呟く。

 あれから更に赤みを帯び始めたリガルナの髪と瞳。日を追うごとにそれはハッキリと変わっていき、今ではとても茶色には見えないほどにまでなっている。


 世間の目がリガルナを傷つけ、果ては自分たちにもその危害が及ぶ事になるかもしれない……。その思いからリガルナの外出を控えさせていたが、常日頃から、このままずっと部屋に押し込んでおくのも可哀想だと、フローラは考えていた。もし、占い師に判断してもらい何事もなく何かクスリで治るのであればそうしてあげたい。そう思うのは親として当然の事だと思っていた。


「あの子の身に一体何が起きているのか私達には分からない。お医者様に相談も出来ないし、ご近所の人や両親にも相談できない現状のままでは、何の解決も出来ないと思うの。あの子がこのままこの先もずっと、家の中だけで過ごしていく事になったら、可哀想だと思わない? だから、私達の事を何も知らない占い師の方に見てもらったらいいんじゃないかと思って……」

「……」


 この言葉に、トーマスは何も言い返す事が出来なかった。


 確かに、ずっとこの家の中だけがリガルナの世界で終わってしまうのはあまりに可哀想過ぎる。自分たちもいつまでも生きているわけではないし、もしそれで何か解決策が見つかるのだとしたら……。


 トーマスは真剣な眼差しのフローラを見つめてゆっくりと頷き返した。


「分かった。確かに、君の言う通りかもしれない。明日僕がその占い師の所へ行ってくるよ」


 快諾したトーマスに、フローラは嬉しそうに微笑んで頷き返した。

 しかし、フローラのこの提案が原因で家庭が崩壊する事になるとは、この時誰も予想する事が出来なかった。

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