ひび、たび、へび

さんじか

プロローグ へび 

 目の前に大河。掛かる橋は石造り。対岸、街の外を繋いでいる。

 渡るのは初めてでは無かった。渡り切るのは初めてだけれど。

「だって渡り切ったら、そこは街ではないのだもの。私が行ける場所ではないわ」

 いいえ、なかったわ。

 橋へ、一歩、踏み入れる。別に大したことは無かった。当たり前だけれど、地面と変わらない。そのまま、二歩、三歩進んで、あとはもう数えるのを辞めた。

 丁度橋のおわり――向かいから見れば、橋のはじまりなのだろうけど、そこで私は立ち止まった。足の下ではごうごうと濁流がうなりをあげ、それに負けじと人の言葉や、歩く音が、橋の上でも、橋に繋がれた両岸でも溢れている。ほんの数日前に来たときよりも流れが激しくなっているような気がした。

「落ちないでくださいね――いえ、落ちてもいいですけれど。また私に引っ張り上げられるのは嫌でしょう?」

 私は顔だけ振り返って、自分の頭三つ分は上を睨んだ。彼は涼しい顔で私を見下ろしている。濁流の音も人の活気も、彼の温度を変えないらしかった。どうせ何を言っても無駄だ。私はもう一度、橋と地面の境目を見る。ここから先は、外である。

 意を決して、一歩。

 そして完全に岸に上がった私は、今度こそ彼を正視した。相変わらずにこにこと毒気を抜かれたような笑顔を張り付けている。本当は、有毒のくせに。

「行くわよ、タツミ。これからは、二人なのだから。約束忘れないで」

「ええ、お嬢様」

「そのお嬢様ってのもやめて頂戴」

「ではリサ」

 呼び捨てか。

 反論するのも面倒くさくなってしまって、私はこれ以上問答を続けるのを諦めた。長引けば長引くほど負け戦なのは分かっている。私が何も言わないのを承認と取ったのか、タツミも橋を渡り切って私の隣に立った。

「まずはどこへ?」

「取り敢えず隣町に行ってみたいわ。あとはそれから考える」

「……本当にいいのですね?もう貴女のお父様の力は、あなたを守れませんけれど」

 何を今更。

 昼間の太陽が彼の後ろにあるせいで、表情は窺いづらい。でも私に、彼の心情なんて察してやる義務はない。そもそも認めてないし、好きじゃない。

「そのために貴方と一緒にいるんじゃない。そうでなければ、誰が好き好んで毒蛇なんかと旅なんてするものよ」

 これの正体。本当は「男」ですらない。化ける、毒蛇である。メスだとかいう話では無く、単純に自分の雌雄と人間の価値観を合わせるつもりが無いのだ。実のところは知らないし興味も無いけれど。

「前の主人は好んで私を連れだしてくれましたが」

「ごちゃごちゃうるさい!もう行くわよ!」

 屁理屈の応酬なんて、時間の無駄でしかないだろう。私は彼に背を向けてさっさと歩き出した。行く道の両脇には段々木が増えてゆき、先は完全に林である。そこを抜ければ隣町の商店街だと、人づてに聞いている。木が多いところには人も獣も問わず、何がいるか分からない、ということも。だからこそ、私はこの身をあのいけ好かない彼に預けている。ぱたぱたと、私よりも身の軽い足音が私を追いかけてきた。

「……なんでそうなるのよ」

 足を止めずに振り返れば、そこには十歳ほどの少女がいた。私とお揃いの簡素なワンピースを着て、その短い脚を懸命に動かして私に追いすがろうとしている。

「リラックスしていただこうかと」

「むしろ襲われそうなんだけど」

「すみません?」

 悪びれもせずに彼――彼女は言う。化けられる蛇とは、なんとも便利なものらしい。もっとも感性が人間と全く違うので、まるで的外れな方向へ走っていることもあるけれど。

「……まあいいわ」

 どんな姿であろうと、毒があって、私を守れることには変わりない。それはもう知っている。私は、私の旅をすればいい。

 木洩れ日が小道を照らす。最初の目的地へ、私達はひたすらに足を動かす。

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