麗しのゲッケイジュ

区院ろずれ

恋人以上、恋人未満

 「恋人」と言ってしまえばそれはそれで完結してしまいそうなのだが、生憎そう言えるほど単純でもなかった。

 じゃあ、自分たちの関係は一体なんなのだろう。そんな疑問を抱えながらベットの上で寝返りを打った。この感覚を味わうのは、今週に入ってから何回目だろうか。

 隣で同じく携帯電話を操作する彼と目が合う。彼は、明信はにこりと微笑み、由香の髪を宝石を扱うかのような手つきで撫でた。

「由香、どうした?」

「いえ、あの、服着ないんですか?」

「着ないよ。まだ夜も始まったばかりだからね」

 明信は優し気に微笑み、ぐっと由香に顔を近づけた。

「ごめんね、ちょっと失礼するよ」

 少し眉を下げた後、明信は由香の鎖骨辺りに舌を這わせた。

 この人はあと数か月で35歳になるが、それに似合わないほど若々しさに溢れた顔をしている。童顔というわけでもないが、老けているわけでもない。目元にある大きな切傷が痛ましいが、特に由香は気にしていなかった。

 自分はこの人に愛されている。天涯孤独となった自分を引き取り、育ててくれるこの人に。その事実に嬉しさが無いわけではない。けれど、自分からこの人を愛そうという気にはなれない。

 この人は数か月前の亜未山の遭難事故で、父を見捨てた男だった。

 大好きだった父の葬儀。一人呆然としていた由香に声をかけたのは明信だった。

「君を引き取る。そのかわり、私と結婚してくれないか」

 そんな突飛な話を初対面で持ちかけてきた男と、由香は今同居し、身体を重ねている。

 この話を引き受けたことへの後悔は皆無だ。拒めば施設か何処かに入れられる。人と関わることが苦手な彼女にとってそれは、安楽の場所を失うことと等しく、何より恐ろしかった。

 勿論警戒心が無いわけじゃない。知らない男と2人暮らしはさすがに最初は抵抗があった。それでも、明信は由香のそんな性格を知っていてか、3つの条件を申し出た。

 一つは由香が嫌だと思うことは絶対にしないこと。二つ目は家事全般は明信がやること。最後の三つ目は、明信を好きなだけ恨んでいいこと。

「あ、明信さん」

「何?」

 由香の首筋を舐めながら明信は返事をする。一つ唾を飲み込んで、目を逸らしながら由香は口を開いた。

「どうして、私を引き取ったんですか?私、家事も何もできないしその上明信さんに迷惑ばかりかけて。そんな私の何処がいいんですか?」

 明信が少し驚いたように目を見開く。が、その後すぐにいつもの妖艶な笑顔に戻った。

「由香」

「はい」

「俺はね、君に一目惚れしたんだ。それ以外に何の理由がある」

 そう言った明信は由香の体に触れるのをやめ、寝転ぶ由香に目線を合わせるように体を倒した。切れ長の瞳が由香をとらえて離さない。少し哀しそうに、端の下がった瞳が。

 恐らく彼は、あの事故のことを気にしているのだろう。由香の凡庸な頭でもそれくらいは察した。

 彼は罪滅ぼしでも何でもなく、自分の事を愛している。狂ったように、溺れるように。それでも自分は、彼の愛に応えることはできない。できるのは、彼が我慢できなくなって無理やり吐き出す性を受け止めることだけだった。

 最初に迫られたときは恐怖と驚きで頭が働かなかった。あっという間に彼の好きなようにされてしまって、我ながらムードも減ったくれもない初めてだったと思う。勿論反撃の余地はあったのだが、どうしてもできなかった。

 彼は「ごめんね」の言葉を繰り返し、由香を抱いた。その顔が、哀しみに歪んだその顔が美しくて、言葉も手も出なかったのだ。

「由香」

 また彼が由香の名を呼ぶ。腰辺りに腕が回された。

「俺はね、由香がいないと罪悪感で死んでしまうんだ。君のお父さんの死を悔やんで。悲しくも生き残ってしまった自分を恨んで。だから俺は君にこの身をささげるよ。君が望むことは何でもやるし、君が死んでも君の分まで家事をするよ。だから」

 明信は由香の耳元で、甘い声を吐く。

「ごめんね」

 そう言って二人は夜の吐息に身を任せた。

 その「ごめんね」の言葉は、まだ若い彼女を抱くことへの謝罪か、自らの罪への謝罪か。そんなもの由香には分からない。ただ一つ言えるのは、自分がこの男に溺れるのも時間の問題だということだけである。


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