第5話

 世界の果ては、墓地だった。誰の墓なのかもわからない。世界の果てへ旅してきて死んだ人たちの墓なのだろうか。

 墓碑銘を見ると、ぼくの知らない名前が書いてある。そんな墓が地平線の彼方までつづいていた。

 ここが世界の果てか。地平線の彼方までつづく墓地だ。

 ぼくが世界の果てを歩いていると、一人の墓守にあった。

 墓守はいう。

「今ならまだ間に合う。引き返すんだ。ここは世界の果て。あらゆる存在が終わる場所。奥へ歩いて行っても何もない」

 ぼくは答えていった。

「ここにあるのは誰の墓なの? 誰が埋葬したの?」

 墓守は答える。

「わたしが生まれる前からここの墓はあり、ずっと同じように墓がある。世界の果てにはただ墓があるだけだ。見ていて楽しいものではない。早く帰るんだ」

 ぼくは時々、墓にお祈りを捧げながら、世界の果てを奥へと向かって歩いて行った。ただ、ただ墓があった。ここでは何もかもが死ぬのだろう。生きていられるものなど何もないのだろう。それほど、不吉で忌まわしい場所なのだ。

 墓。墓。墓。ただ、墓がある。ここが世界の果てか。

 誰が埋葬したのかもわからない古代人の墓。


 ふと、見上げると、神の墓があった。

 小さな他の墓と変わらない凡庸な墓であった。

 神は世界の果てで死んで埋葬されていたのだ。

 神はここで死んだのか。

 神の墓の隣には、老人がいて、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を読んでいた。

「いつ神は死んだんだ」

 ぼくが聞くと、老人は答えた。

「近代さ。中世が終わるとともに、神は死んだ」

 と老人は答えた。

「神が死んでも、世界は大丈夫なのか」

 ぼくが聞くと、

「知らん。なんとかなるだろう」

 と老人は答えた。

 神が死んで、ぼくらは生きていけるのか。神は人類を愛していたはずだ。神は動物を愛していたはずだ。神は植物を愛していたはずだ。神は無生物も愛していたはずだ。神は宇宙人を愛していたはずだ。

 なのに、神は死んだのか。

 神の埋葬された土地。世界の果て。

 ここは本当に世界の果てだ。ここで世界が終わっている。

 神を殺されて、神を奪われて、なお、ぼくらは生きていかなければならないのか。

 ぼくがキリスト教徒に「神は世界そのものだ」といったら、「それはちがう。それは汎神論だから、ダメ」だといわれた。神と被造物を同一視することはまちがった信仰なのだそうだ。神は、被造物よりさらに偉大な至高の存在で、それでいて、被造物とは異なって世界に遍在しているらしい。なんだか、難しくて、論理が破綻しているような気がしたのだが、キリスト教徒にとってはそうなのだそうだ。

 だから、狂信者は嫌いだ。

 キリスト教徒はみんな狂信者だ。

 まあ、そんなぼくの感想はどうでもよく、ここには神の墓があった。神は死んだら、どうなるのだろうか不思議に思ったが、墓守がいった。

「神が死のうがどうでもよいことだ。狂信者にとって、神は死後も奇跡を起こすことができるし、神はいつ復活してもおかしくない」

 神の墓はただ凡庸に建てられていた。

「神の遺体があったら、また大騒ぎだろう。この墓を暴こうとしたものは数知れない。神の遺体を手にして、奇跡をあずかりたいのだ。だが、そうして、神の墓を暴いて、何か得したものはいない。神の墓はただの神の墓だ。神が死んだことだけわかればいいのだ」

 ぼくは神の墓に祈りを捧げた。神が安らかに眠りますようにと。

 すると、墓守がいった。

「狂信者にいわせると、神の墓に参拝することは、背徳なのだという。神の墓など嘘っぱちで、神は今もどこかに生きていると信じている。だが、そんなやつらはどうでもいい。ここは確かに神の墓なのだ」

 世界の果てには、神の墓があった。

 ここでは何もかもが死んでいく。

 世界の果てでは、何もかもが終わっていく。

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