第12話つま先の尖った赤いハイヒールを履いたドクターと僕の物語

 二十年を経過していた。

 ふたたび柵の中に帰って来た。

 四十九歳になっていた。

 四十歳で再婚し、四十四歳で子供に恵まれていた。

 まだ生まれた子供は五歳と幼い。

 真夏日の転居は大変なことでもある。

 それも二度目である。

 福岡で一年、Nで一年と短い勤務を繰り返した。このような異動を強いられるのは、特殊なことである。

 異動をするたびに悪い噂が広がることも、好奇の視線が集まることも感じた。


 「福岡市での一家四人惨殺事件も自分の周囲の者と関連づけた」

 心療内科の医師は、一呼吸間をおいて後、尋ねてきた。

 「電波が話しかけてきたのか」

 もちろん僕は否定をしたが、彼の言う電波が話し掛けてきたという言葉は的中していたかも知れない。

 なんしろ、今回の自分の混濁の原因は、連日のマスコミの報道に一因があるのである。ある意味では電波が運んできた妄想とも言えなくもない。

 福岡市で起きた一家惨殺事件だけではない。マスコミを騒がせるすべての大事件に柵の中の元気一杯の大馬鹿者たちが関係しているように感じてしまうのである。

 福岡市で一緒に勤務した男の中に一人、強い虚栄心の持ち主がいた。彼は、最初から自分を目の敵にしていた。虚栄心を満足させるためには手段を選ばない男であった。

 彼は縁者に社会的地位の高い有力者がいると吹聴していた。

 これだけの理由で彼と、一家四人殺害事件を結びつけることは突飛なことだと自覚はしている。だが頭にこびり付いた妄想を振り払うことが出来ないのである。

 「考え過ぎて頭が痛いのか。頭の働きを緩和する薬もある。ここに来なければならなかった理由を理解していますか」

 彼は答えを待たずに話し続けた。ここ数年はトラブル続きである。針のムシロの上に座るような苦痛の日々であった。袋叩きにされ、出来損ないで組織の落ちこぼれであると再認識を強いられるような日々であった。

 「勲章がない。真剣に仕事に取り組んでこなかったせいだ。それに不勉強だった」

 医師は追い打ちを掛けてきた。

 「職務上、重要な出来事は確実に処理してきたつもりである」

 この自信も勲章がないことで周囲には認められない、単なる自己満足だったとと気付かされた。

 「電光掲示板と受水槽とは何ですか」

 彼は、無意識に僕が口に出した言葉も聞き漏らさなかった。

 福岡市での話である。ことの始まりは一通のFAX文書で始まった。新庁舎の建設位置が路地裏の目立たない場所で、それに対する処置として、屋上に電光掲示板を設置しようとしていたが、調査の結果で効果がないと判明した。現地で説明が出来るように理屈付けをしろと言う内容であった。このファクスの内容を素直に解釈すれば、効果のない電光掲示板など設置しても役に立たない。

 路地入口に接する表通りのビル屋上の空き看板を活用する案を提案した。

 ところが駄目だという回答が返ってきた。

 可能か不可能か検討をした形跡もない。

 庁舎の美観を整えるために電光掲示板を使うと結論に達したと言う。

 「現場が、こんなに騒ぐのはおかしいぞ。大丈夫か」と注意喚起の声に、「施設のベテランだから大丈夫だ」とTは自信満々に検討の目を潰した。

 この様子を聞いて苦笑した。

 組織の任務区分の上では、こちらに責任はない。勝手にしろと匙を投げた。

 ところが三ヶ月も過ぎた頃、庁舎正面の図面には、受水槽が電光掲示板を隠すように姿を現わしていた。この失態に、思わず失笑した。この受水槽の件も、すでに受水槽の設置基準について条例変更の見直しを検討中であると福岡市の担当者に確認をしていた。こちらとしては駐車場用地は、いくらあっても不足はしない。受水槽がなくなれば助かる話である。このような複雑な調整の過程で福岡市の例の男は、勝手に調整の幕を下ろしてしまったのである。自分の身内の縁者を頼り、調整すれば、市に無料で標識の設置をお願い出来ると言い始めたのである。行政が了解しても、議会があるから簡単にはいかないと断ると、彼は、その時、ある市会議員の名前を口にし、彼に頼めば良いと言ったのである。それは一年ほどして新聞で問題になり始めた市会議員の名前である。その時、闇の世界と福岡市とのつながりを想像せざる得なくなった。

 「そればかりではない。奇妙な電子メールを代議士や総理大臣に送ったはずだ」

 そのことが心療内科の医師の耳を届いていることは驚きであったが、返事をせず黙っていた。

 決して奇妙な内容ではなかったはずである。

 自分が思い続けていたことを熟慮の末に書いた。

 地球温暖化と自然破壊が、今後の安全保障に大きな影響を及ぼすと考え、柵の中の者たちに、それを防止する役割を与えることを検討すべきだと訴えた。その歳にはアメリカの同意が必要になると言いたかった。

 彼は、私の内心の動揺を見抜いた。

 「まさか、それが最近のアメリカの国防省が発した地球温暖化が環境破壊を招きテロを増加させる危機を招くと言う発表に繋がったなどと思っている訳ではないでしょうね。

 身の程知らずと言う誹りを招く行為です」

 医師は自分の心を蹂躙をし、反応を観察していたようである。彼は大学病院から派遣されて来たドクターである。まだ三十歳半ばであろう。五十歳の僕に比べ十五歳も若い。頬の濃い髭が目立つ背の低い青年であった。

 自発的に心療内科の受診を希望した理由は他にあった。

 

Kに着任したNの勤務地で小さな火災が発生したと新聞で知った。八月の末のことである。建設工事現場での溶接中の事故である。胸騒ぎを感じ続けた。その直後、福岡での勤務の際に一緒になった男が尋ねてきた。

 「福岡の者が今回の自分の異動を働きかけたな、とんでもないことをしてくれたかも知れない」

 柵の中の悪質な行為や悪意が、柵の外に影響を及ぼしているような感覚を感じ続けた矢先の出来事である。

 一週間ほどした九月始めにNの造船所で建造中の大型客船が火災で焼失する事件が発生した。前年の九月十一日、ニューヨークを襲った九・一一テローが発生する直前であった。それも溶接作業が原因であった。

 関連性があるように思えて仕様がない。この考えは頭にこびり付き離れなかった。


 心療内科へ通院することになった直接の引き金はある男が発した一言である。

 彼は「監視をしている」と私に面と向かって言った。二度目の手術を控え神経質になって時期だった。

 「四月に手術入院していた時にも監視をしていたのか」と問い詰めたが、彼は答えなかった。

 「監視をしている」と言う彼の言葉は医者医療行為への干渉に繋がり、医師の判断を狂わせたのではないかと疑ったのである。

 自分のことだけでは終わらない。

 五月に同僚がガンで死亡した。彼が下腹部の異常に気付いたのは、その一年前である。ところがガンであると判明したのは半年も過ぎた十一月になってからである。すでに手遅れの状態であった。この半年が不治の病の治療に意味があったか解らない。神経性胃炎だと周囲は冷ややかしの対象になっていた。周囲の素人判断と無責任な言動が彼や医師の判断を誤らせたのではなかったか。彼が通院するたびに監視の目を光らせていたのではないのか。葬儀の日、生前、付き合いの少なかった僕たちは霊柩車が通る途中の柵の外に通ずる裏門で故人を送ることになっていた。

 定刻通り霊柩車は裏門に到着した。

 助手席に座る故人の妻は顔面蒼白になり呆然としていた。車が止まったことにも気付かないようだった。姿勢を正したまま車が立ち去るのを待った。異常に長い時間だった。運転手に促されて我に返り、車を発進させた。霊柩車は長いクラクションの音を残し、走り去った。

 「前の職場から電話があったのか」と問い詰めた。一年の間、心にわだかまっていたことである。彼は不適な笑いを浮かべたまま答えなかった。個人的な恣意と都合で水面下で調整が行われたことは疑う余地はないと思った。理由も不明なままに発令された一年前の転属は重く心にのし掛かっていた。時期時期に気の知れた同僚達の苦境も目に浮かぶ。様々な噂が流れた。町長になったOBに嫌われたせいだとか、ブヨと呼ばれる男が自分が希望する確保するために仕組んだなどと言う噂であるが、町長に当選したとは言え、大きな公約を掲げて彼に無用なことに口を挟む余裕があるとは思えない。実害のない者のせいにし、騒動を治めようとする心理が働いてるようにも思えた。重大事件が発生した時、まず言葉を発せない死者に責任をなすりつけよとする。次に転属をした者になすりつけようとする。絶対に隣近所に存在する者のせいにしない。逆恨みで自己の生活さえ破壊することになりかねない。あやふやにすることは組織を保つための方便でもある。真実を知る必要などない。ブヨと呼ばれる男は渾名から想像できるように無闇やたらに他人を刺すと煙たがられている存在である。墓穴を掘ったと後悔しているか、あるいは自分の非も認めず、周囲の攻撃から逃避するために僕を悪者にする工作をすることかのどちらかである。一年で転属をしたと言う理由で新しい職場でも異常な立場が続いていた。「監視をしている」と告げた男の言葉はブヨの指示を受けた言葉とも思えるのである。あの男が来て虐めるとでも思ったのか、補職を希望しろと、翌日、追い打ちを掛けきた。彼の告げる男とは二十数年も前に苦湯を飲まされた男である。

 「上司の判断に任せておけ」と言い捨てた。

 手術を控え、言い争う気力もなかった。

 彼が補職を強要しようとした部署で事件が起きた。闇金融がらみの事件である。後始末に頭を痛めていた。嫉妬が彼らの心に交差しているように見えた。彼らは集団を作り、僕を袋叩きにして僕を葬ろうとしていた。信頼していた男まで取り込まれていた。所詮、それだけの人間であったと露見した。所詮、常識のない元気一杯のだけの大馬鹿だったと知らされる結果になった。それまでは、あの頃の苦労が報われたと信じていたが、絶望を深める結果にもなった。彼と彼の家族に対する祝福をすることを、一切、やめようと思った。

 

 退院して一月後のことである。部屋の改修も終わり、一段落を吐いた時に、ねぎらいの言葉を掛けて頂いていた。その時、上司の背後から、「ビシバシと自衛官らしく仕事をしろ」と、突然、背後から言葉を挟んできた。これは上司にとって無礼な行為にほかならない。

 突然の言葉に、余計な言うなと制止をした。その時は彼を庇う気持もあった。だが、このようなことが数度、続いた。五十才になろうとしているが、彼は自衛官という職業を、どのように理解しているのだろうか。頭はスキンヘットのように刈り上げ、周囲を威圧するような暴言を吐くのを自衛官の本当の姿を認識しているのだろうか。

 また気が触れるのではないかと言う恐れから、これまで二十年間、周囲は触れずにいたのだろうか。

 自分が入院し、退院してから、ここ二ヶ月間で彼は唾棄すべき性根の卑しい、元気一杯の大馬鹿者になっていた。二十数年前の事件も彼本人の性格に起因していたものでなかったかと思うようになっていた。彼自身の配置の異動にも不満もあるのであろうが、彼の配置変更など一切、関知しない。八つ当たりだと言い訳をされても、ますます彼の無責任さを許すことは出来なくなった。

 露骨な反感を露わにした。

 すべてを暴露するしかない。それだけではない。彼らが僕を評価した以上、僕も彼らを評価する立場を取る。


 嫌なことが続いた。周囲には悪意が満ちていた。揺らいでいるように見えた。

 すれ違い際にさぼるなよと彼の囁き声を聞いたような気がした。幻聴を聴いたと思った。この時に心療内科への通うことを決意したのである。医師は肘掛けもない事務用の回転椅子を回し、机の上のカルテに視線を移した。

 「生活のためとは言え、身の入らない職業に従事するのは苦痛だったでしょう。この職業を選んだ理由は何ですか」

 「思春期に感じた問題を解決するためにふさわしい職業だと思った」

 自分が異常を来しているのか正確に知るためにはりたかった。彼は視線を上げて僕の顔を注視した。

 「どのような不安ですか」

 説明するのは難しい。存在するあらゆる物の限界と閉塞感。人の寿命、人生の空しさと生と死。虚無感と虚脱感にさいなまれ続けた。人生の意味を見出せずにいた。やがて人口問題や環境問題、エネルギー問題、食糧問題に結びついた。そして戦争と言う大きな悲劇を結び付くと考えるようになった。この職業を選択すれば、道が開けると予感した。絶海の孤島で産まれ、そこで生活できなくなり、島を離れるしかなかった。この単純な体験が理由だったやも知れない。単純に救いを求めると言う言葉に惹き付けられて宗教に身を任せようとも思ったが、身を預けることも出来なかった。これらの体験を若い医師は理解できるだろうか。

 「変わっている」と医師は周囲の意見に同調した。

 「二十代、三十代、四十代、そして最近の出来事が、ここ一年間に押し寄せてきた」

 思わず口を吐いて出た言葉は素直な実感だった。彼はカルテに横文字を書き連ねている。ドイツ語とも英語とも判然とせず読み取ることは出来ない。


 八月も終わろうとする日。

 クーラーも効かない薄い蒸し暑い日である。「なめているのか」とシステムの担当者の声が部屋中に響き渡った。

 彼の背後に立っていたのは、例の「監視している」と告げた男である。

 「無駄な仕事だ。役に立たないことをやめろ」と仕事をしている男を彼が誹謗したのである。

「上級司令部からの命令だ」と弱々し反論していたのであるが、とうとう爆発したのである。普段は大人しい男の激しい剣幕に驚いて、彼は逃げるように退散した。

 彼は、自己の失敗の責めを逃れるために、他人のミスを露呈しようとする癖があるのなかろうか。八月の配置換えを強引に進めた結果が、すでに問題になっているやも知れない。そのミスを隠すために、組織内で他の問題を起こそうと企んでいるように見える。彼の目には、他の者、すべてが何も気付かない木偶の坊に映っているようである

 犯罪者まがいの癖のある者を抱え込んだ時期の苦しい時期を思い出した。自己で癖がある前置きをしながら言いたい放題である。自分は人格的な欠陥を有するから断りながらである。このような場合でも打つ手はない。彼らは自分が何をしても許されることを見抜いているのである。

 「机に座り、責任がないと言いたい放題である。車を運転する者は状況判断を誤り人身事故を起こせば業務上過失致死や業務上過失致傷で訴えられるのに、いい気なものである。冷静に起きている事象を分析も出来ない。道具を使おうともしない。日本人は戦争をしてはいけない民族だ」と彼は小言を呟いた。

 東ティモールへ派遣される者達の選抜の様子が噂で耳に入って来た。一週間、自由に酒を飲ませ、後、一週間は禁酒をさせると言う。その間に一度でも周囲に迷惑を掛けた者は選抜を外したと言う。乱暴な話であるが、これまでの評価など当てにならないと言うことだろう。幾度となく多額の借金で迷惑を掛けてきた者が本人の希望で退職することになった。引き留めず、本人の希望とおり退職を承認することになったらしい。書類上の手続きで二十年前の入社時の試験成績が良かったので、悪い評価を提出することは控えたいと顰蹙を買うようなことを主張し続けた。このような評価に振り回された者達も哀れである。自分も、その一人に違いない。

 評価をした者たちは、自己の評価が誤っていたことなど簡単に認めない。そればかりではない。閉ざされた世界の中では自己増殖を繰り返し、周囲に仲間を作っていく。

 元気一杯の大馬鹿が、「イラクに行く」と叫んでいる。

 「イラクで何をするの」と周囲で冷やかす声がすると、「銃剣道でイラク人をうち負かしてやる」と反論している。

 午後に通院をした。

 待合室のテレビで一年前にNで建造中の大型豪華客船が火災で焼失した事件を報道していた。その一ヶ月前に柵の中で小さなボヤ騒ぎがあったことを思い出しながら眺めていた。やはり溶接中の事故であった。

 十年前に友人の家が火災で消失したと出来事を思い出した。

 早朝の火災で、しかも火の気のない場所から出火だったと聞いた。

 家族は危うく難を逃れることが出来たと言う。音信を絶ち十年ほど経っていたが、彼は最大の味方であった。火災発生の時期も「柵の中にて」と言う小説を自費出版した時期に重なっている。自分自身のことで精一杯な時期で周囲に関心を払う余裕もなかった。放火など犯罪の疑いはなかったのだろうか。

 彼は私との関係で逆恨みを買ったのではなかろうか。このような思いに駆られるのは不吉な出来事が続くせいの、単なる思い過ごしだろうか。

 次に子供たちを小学校で惨殺した男は、元自衛官だった。彼は裁判所の傍聴席に座る幼い被害者の親たちに対し言い放った捨て台詞は、「小学校ではなく幼稚園を襲うべきだった。幼稚園なら、まだ多くの子供を殺すことが出来たはずだ。自分は死ぬことなど怖くない」と言っていた。自分が死ぬのは怖くないと言っているようであるが、彼は他人を死に至らしめることも他人を殺すことが怖くないと言うべきである。

 「死ぬことなど怖くない」と平気で彼と同じ豪言を吐く忌み嫌うべき存在が現に僕の周囲に存在する。

 一年前のことである。

 「若い頃、死ぬことが怖いと言ったらしいな」と詰問されていた。

 詰問する相手も問題の根深かさと影響の大きさに気付き、執拗に問い詰めることはしなかった。結局、彼は僕の弁明を聞くことなく、質問を打ち切った。人の命の尊厳の認識を誤れば、冷酷で卑劣なテロリストの集団になりかねない。

 医師との問答に追い詰められた僕は封印された段ボール箱を解き、「柵の中にて」と言う小説を取り出し、彼に手渡した。


 九月のある日。午後に通院した。

 待合室のテレビのワイドショウで沖縄で自衛官が爆死した事件を眺めている。マニアに売却するために不発弾を手入れしていたのである。

 医師は休暇後の僕の様子を把握したいようだった。物事を関連づけて考えることはよくないと医師は繰り返した。

 「病気ではないようである。言葉は忘れますが、悪い感情や不快感は心に残って、あなたを苦しめます。たとえ正常でも精神異常者に扱われ兼ねません。追い込まれないためにも書き留めておくことです」


 十月○日

 十月の最初の週。暑い日であるが、病院の広場の銀杏の葉が色づき始めた。再診の連絡が来たのである。指定された日に病院に行くと、顔立ちの整った若い女性のドクターだった。

 「あなたが話したことを念のために確認しました。福岡市で起きた事件もN市で起きた事件も、すべてあなたの思い過ごしです。柵の中の関係者とは無関係です。ある男が命を絶った原因に貴方が若い頃に煮え湯を飲まされた男が関係していたと貴方の机の前を通り過ぎた時に囁いたと主張した人物にも確認しました。廊下ですれ違い様に「さぼるなよ」と囁いたと主張した男にも確認しました。彼らは貴方の家族に同情しながら、それこそ分裂病患者特有の幻聴だと口を揃えて主張しました」

 彼女の甲高い声に圧倒されたが、嘘だと僕は叫び抵抗した。彼は自分の後任が勤まるのは例の男しかいないと言っていた。理由は解らなかったが、僕は彼の無分別を軽蔑した。ハイヒールを履いたドクターは僕の言葉に耳を貸さなかった。

 「しばらくの間、入院をして様子をみましょうね」

 彼女が下した結論である。

 その日から彼女は僕の担当医となり、僕は自宅に戻ることが出来なくなった。


 「カルテより」

 この患者には驚かされる。

 日常の会話を試みているうちに、突然、嘘だと叫び始めた。福岡市の家族一家四人殺害事件には彼が関わっているに違いない。だが、それが公になれば日本と中国の友好関係にひびが入るから公にされないのだと恐ろしいことを叫んだ。

 この種の病には個人差があるが、特異な点が目立ちすぎる。いつものことだが、正常に話しているかと思っていると、一連の会話から逸脱した脈路のない突飛なことを口にする。はっきりとした病名を付す段階ではないが、分裂病の一歩、手前と位置づけるべきであろうか。


 十月○日

「味噌汁のにおひ おだやかに覚めて子とふたり」

         「種田三頭火」



 朝夕はもちろん昼も涼しくなった。今日は冷える。今にも雨が降りそうな気配の日であった。寒冷前線のせいだろう。「妻と息子が面会に来る」と担当の看護士が教えてくれた。始めての面会である。一緒に外出することまで許可してくれた。

 理髪店に立ち寄った。二人は僕を残し買い物に出掛けたが、約束の時間になっても迎えに来なかった。小雨が降りしきる中の道路端で三十分ほど待った。

 「買い物を邪魔したのだろう」と息子の柔らかい頬をつねった。いつもなら刃向かって来るはずなのに今日は違った。しばらく我慢していたが、突然、声を殺してむせび泣きを始めた。


 「カルテより」

 今回の面会と外出は家族との交流が彼の症状の回復を促すのではないかと期待し、嫌がる妻を説得して実現したものであるが、しぐれの中をとぼとぼと歩いて帰る妻と息子を病室の窓から見送った後に、突然、意味不明なことを脈路もなく喚き始め騒ぎ出した。 

 「電話で僕の入院の通知は、一月前にあったが、大本営による情報操作が行われているのではないかと疑い、来なかった。でも昨日に病院に収容される僕の姿をテレビで見て、国民が目にするマスコミでの情報操作は行われまいと信じ、思い切って見舞いに来た」と妻が打ち明けたと言うのである。この言葉が真実なら妻も彼と同じ病に冒されているやも知れない。興奮は収まらず、鎮静剤を使い落ち着かせた。



 十月○日

 ハイヒールを履いたドクターに回診時に質問した。

 「今日も自ら命を絶った者の記事が出ていましたよ。原因不明のままうやむやのうちに片付けらてしまうのでしょうか。残された家族にも真実は知らされることはないのでしょう。異性関係や金銭問題が原因などと不名誉な憶測が勝手に飛び交うことでしょう。原因を追求しようにも正確な記録など存在しないのです。明確にすることも望まないのです。彼を死に追い詰めた者たちも多額の保険金が入ると家族も喜んでいる自己弁護しているやも知れません。無責任な輩は他人の死など関係のない出来事なのです。彼の死に例の男は関係していませんか。彼は、そばにいませんでしたか」と僕はドクターに訴えた。

 夕方に妻が一人で面会に来た。息子に会いたいと訴えたが、返事をしなかった。

 暴力団風の男から薄気味の悪い電話が続くので電話番号の変更手続きをすると言う。

 あの時と同じである。正体不明の電話が名誉や幸せを全て僕から奪った。

 二十年前の話である。

 結婚したばかりの相手は、「部下からも馬鹿にされて、あなたの人生を台無してやる」と言い残して去った。

 恐れていたことであるが、追求をしても彼女は応えなかった。なす術はなく彼女が去るのを見送るしかなかった。

 数年後に様々な男から電話があったと告白された。個人の意志に基づいた自然発生的なものだと思っていたが、明瞭な暗示か扇動に似た指示が行わていたのではないかと思うようになった。

 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

 元気一杯の大馬鹿者達たちの合い言葉である。みんなと言う言葉に代わり、組織と言う言葉に美化されるまでには長い時間は必要ではない。

 商品相場に手を出した友人の相場が上がるまでの時間稼ぎに他人の名前をデッチ上げたにちがいない時と同様の邪心から生れたものに違いない。周囲の者達の正常な耳や口を塞ぐためにである。真実が発覚するまでに多くの者が彼の友人へ金銭を都合し、迷惑を被った。処理が終わったと安堵した時に、彼自身が泣きついてきて周囲の失笑を買った。

 仲間や自らの経歴に傷が付かないように僕に同じ行為をさせるしかないと考えたのである。燃料や油脂消費見積に実績を合わせるために燃料の空ぶかしや油脂の大量破棄を行う行為である。彼らはそれらを実施するように指示をしろと詰め寄った。だが実際に行われていた行為かどうかも正確なところ解らない。僕を陥れようとして企んだことかも知れない。望みとおりに指示をしない指示が悪いと非難した。

 空ぶかしを続けることは組織を守るため必要だと詰め寄った。だが本当の大義名分は成績も悪く将来性のない僕などより、成績も良い前任の作業隊長の経歴に傷が付かないようにすることが大事だと言っているようである。僕の離婚の際しても干渉をしてきたのではないのか。

 同じ下士官の娘が僕と結婚する。不幸になるから二人が離婚をするように仕向けたと美しい言い訳をする者もいたに違いない。それなら彼らは彼女の人生に責任を持つべきである。彼女が幸せになれるように責任を取るべきであろう。

 下士官の娘と士官の僕が結婚することが不適切であると言い訳をする輩もいたのか。これは憲法が保証する人間は平等であるという基本的な権利を踏みにじったことになり、これも大きな問題である。憲法を遵守できない者は日本人ではないと断罪し、国籍を剥奪し、国外追放にすべきである。

 あの工事の時の村の女性を絡めた人間関係の記憶を引きづる者たちもいたのではないか。あわよくば相手の女性を玩具にして弄ぼうと企てたのではないのか。文字とおりスケベ心から発生した事件ではなかったのか。この種の妬みから生じた出来事なら、人間として悪質すぎる。人間ではない獣だとして永久に鎖につなぎオリの中に閉じこめておくべきでないか。せめて味わったのと同じ時間だけ。

 結果は他人の人生を踏みにじることになった。最大限の損害賠償で報いるしかあるまい。それが責任ある職業に従事する者の宿命だ。

 想像はしても私は真実はらない。噂を聞いても、それは真実ではない。彼らが法廷で正直に証言してこそ真実になる。

 離婚した彼女を慰めるために、どのように言い続けたのでろうか。これも想像するしかない。それは、すべて僕の評価に結びつき、一つの集落をも毒していたのではないのか。

 彼らは定年を迎えて、悠々自適の年金生活に入ろうとしている。

 最近に見知らぬ者から声を掛けられることがある。

 「若い頃は、すみません」と謝罪を受けるのである。僕は聞こえぬふりをし、答えないようにしている。このように近づき、謝罪をする者は、深い関わりを持っていなかったに違いないと思うからである。すでに離れていたが、その時期の職場の状況を想像する参考にはなる。謝罪の相手も違うと思う。自分が結婚した女性は半狂乱になり、手首にカミソリを立て、離婚を迫った。「貧乏人。部下からも馬鹿にされて。あなたの人生を滅茶苦茶にしてやる」と叫んだ。その彼女も苦海に身を沈めているに違いないと想像するが、事実は解らない。彼女の人生を左右した輩は罪を認めることさえしない。みんながみんながと互いに言い訳をしあい、やがて責任をなすり合っているに違いない。

 彼らも謝罪と同時に冷酷な責任を負うことになることぐらいは知っているはずである。 もちろん謝罪の対象は僕ではない。彼女に謝罪し、彼女の全人生に責任を負うべきである。

 集団暴行と言う犯罪がある。彼女は肉体的に被害を被った訳ではない。だが不特定多数からの不審な脅迫電話で精神的な打撃を受けた。人生を台無しにした。そのあがないは肉体的な打撃を受けた時と同じくされるべきだ。

 「柵の中での出来事を警察に通報することも裁判所に訴えることも恥だ。自己完結型の柵の中では、すべて自己の機能で解決できる。心療内科の受診などもとんでもない。柵の中で給料を得ていて、柵の中のことを悪く言うことも許せない。外に出せるなら出して見ろ。上層部が責任を追求されるだけだ。こちらは痛くも痒くもない。どこの出身だ」

 僕がつんぼで他人の声が聞こえず、人の悪意を見抜けないとでも思っているのだろうか。

 「N市を離れざる得なかったのも君自身が悪かった。机の上は書類が山積みで仕事も裁けない状況になっていたと言う話ではないか」

 「机の上に山積みの書類と仕事が進んでいないことと結びつけるなど。関連づけるにも限度がある。翌日に仕事を結びつけるためには、それが都合がいいのだ」


 危機的な現状を正しく認識していたのかと見識を疑わざる得ない。柵の中で閉じこめておければ、柵の外の世界に害毒を及ぼすこともない。ところが今、柵の中に住む偏屈者たちが閉鎖的な社会で構築した秩序を一般社会にまで普及しようとしている。彼らは自らの価値観が世界を支配することを望んでいる。



 「だんだん似てくる癖の、父はもういない」

 

          「山頭火の句から」


 夜中に自分を呼びかける声に目を覚ました。三十年間も病院に引き籠もり、二年前に骨と皮だけのミイラのようにやせ細り、死んでくれた父である。

 彼の情けない人生は僕から勇気を奪った。僕は彼を憎んだ。彼も僕を憎んだに違いない。僕を巡る様々な出来事で彼自身も自信を失い、病院に引き籠もった。彼の長生きを一度たりとも望んだことはない。彼の遺伝子を受け継いだことを呪い、僕は、それを途絶させようと抵抗しただけだった。

 最後に彼に会った時には意識も混濁し、息子の僕も見分けることが出来たか疑いを抱いたほどである。

 父は若く、僕も子供の時代に戻っていた。田舎で暮らしていた頃の夢である。

 彼は薪集めに僕を山に連れて行ってくれた。ところが彼が以前に辿って山に入った道は草藪になっていて、先に進めなかった。仕様がないので引き返した。夢の中で四十年も前の出来事が再現された。僕は彼と同じ軽蔑と泥沼に入り込んでしまった。

 父が去ると嬉しい人が訪ねてきてくれた。

 勝手に自分の父親にしようと思った人である。彼もこの世を去っている。彼は微笑みながら僕の話に耳を貸してくれた。



 「カルテより」

 大声で喚き散らし暴れた。鎮静剤で処置をする。現実の出来事と空想上の出来事が区別が付かない状況になっている。混濁の度合が深まっていく。



 



「街はおまつりお骨となつて帰られたか」


            「山頭火の句から」

              


 暖かい秋びより。晴天。

 病院の敷地外が騒がしいので、病室の窓から外を覗き見る。人が集まっている。まるで御祭り騒ぎである。戦車が道路を走り、戦闘機が青い空を轟音とともに飛び去った。

やはりイラクに行くことになっただろうか。

「はやく退院をさせろ。僕こそがイラク通だ。僕の存在抜きでイラク戦争を語ることなど出来ないはずだ。ほかの者たちが些細でつまらない業務に拘束され続けた時に僕は病院のベットでアメリカがイラクの砂漠を前進する姿やバクダットで市街戦を繰り広げている姿もテレビで見ていた」

 僕は叫んだ。その後に気付いた。

 仕事が順調に進んだ試しはない。僕の存在や考えは周囲に理解されていないせいだ。難しい仕事に取り組み、潰されるのなら避けるべきだ。僕は自分のやり方を変える気はない。変えたら僕の存在価値も失われてしまうからだ。は周囲が変わるしかない。変わるだけでは駄目だ。これまでの出来事を追求し、責任を明確にしなければ無意味だ。



 看護士も僕の言葉をメモに書き込んでいたが、僕が書き殴った紙を無理に奪った。ハイヒールを履いたドクターが指示した行為にちがいない。ところがこの出来事の後で彼女は始めて優しい言葉を掛けてくれたのである。

 「もっと早く出会えていれば、あなたの人生を変えることができたかもしれない」と。


 「カルテより」

 この患者の大きな特徴は赤色に異常な関心を持つことである。今日も私が履く靴をつま先の尖った真っ赤なハイヒールは悪趣味であると非難をした。私は今まで病院の外でも中でも先端の尖った真っ赤なハイヒールなど履いたことはない。、赤色が嫌いかと言うとそうでもない。赤紙は好きだと赤色を褒め称えていた。赤紙とは先の戦争中に兵士たちの徴兵に使われた招集令状のことを意味するものであろう。機嫌が良く気分も高揚した時である。

 赤紙が好きだという感覚は正常人である自分たちにも理解できる。その点だけは異常ではないと認めてやりたい。



○月○日

 うるさいことばかりだった。

 「服装が悪いから、・・・・。基本教練動作が悪いから、・・・・」

 暇な元気一杯の大馬鹿達は、このようなことに価値を見出し、権力闘争に利用する。それは重要な意志決定にも影響する。

 それにしても、元気一杯の大馬鹿だけではなかった。

 平気で自分勝手な掟や法律を作り周囲に迷惑をかけ続ける大馬鹿。

 権限もなく仕事でもないのに、ご苦労にも他人を評価する大馬鹿。ことの軽重を判ぜず大騒ぎする大馬鹿。

 思い付かないが、ほかの種類の大馬鹿も存在するちがいない。

 このような大馬鹿も戦争と言う非常時には役に立つから養わざる得ないのであろう。本人の死ですべての罪が許される。彼らも軍隊の記憶を引きずっているにちがいない。

 歴史の本を読みたい。それも明治維新以降から太平洋戦争終了までの近世歴史の本である。

 国内で戦争をするつもりだったのであろうか。

 自由に思想統制や情報統制も行えた太平洋戦争の時でさえ本土での戦いは遂行出来なかった。

 目の前の地図に赤色や青色の戦車や大砲の符号を見た途端に、その符号の下で起きる出来事を想像し、思考が停止した。戦争時の風景がトラウマのように蘇えった。もちろん戦争など体験をしたこともないが、それ以上に周囲の者は戦争を身近に感じていない。

 国家総動員法の新しい法を整備し、大政翼賛会を造り戦争準備を始めた日華事変の昭和十二年代に戻そうとしているかのようだ。

 だが柵の中は平和である。


 「カルテより」

 今日は、比較的に言動がはっきりしていたが、奇妙な文字とも絵柄とも区別が付かない線を描いた紙を手渡した。意味を聞くと、「敵性分子に知られて大変だ。重要事項であるから暗号で書いた」と答えが返ってきた。それでは「解読の方法は」と聞き返すと、「今は教えることはできぬ。近い将来、解読される」と言い黙りこんでしまった。

 夜、興奮し騒ぎ出す。医師が駆けつけると、正面の壁時計を注視し、時計の針が反時計回りに回っている喚いている。やはり鎮静剤で処置せざる得ない。

 彼の住む世界は意味不明な言葉の端々から想像するだけだが、危険な思想に染まっている。彼が前任の医師に提出した「柵の中にて」と言う作品は危険思想の現れである。




 晴れ。曇り。・・・・・・

 晴れ。雨。晴れ。

 木枯らしがやってきた。

 夜中に雨だれの音がする。



 「雨だれの音も年をとつた」

        山頭火である


 しんしんと寒い。心まで寒さが凍みる。

 階段の広場に設置された公衆電話に、使用度数が残るテレホンカードが忘れ去られいるのに気付き、周囲の目を盗み妻に電話をした。

 つながらなかった。

 電話番号を変更すると言う妻の言葉を思い出した。新しい電話番号は教えられていなかった。二人との連絡手段が絶たれてしまった。

 「今度は、絶対に息子を連れて来い」と言葉を投げ掛けたが、妻は「さようなら」と言葉を残し、振り返らずに面会所を出て行った。それ以降は彼女は面会にも来なくなった。

 夜中に目が覚めた。白い天井に映る自分の姿を見て、むせび泣いしまった。人生とはこんなものであろうか。

 雨だれに病室から見える庭の銀杏の葉が黄金色に染まりながら風に落ちていくのを眺めてから幾日が過ぎただろうか。その銀杏の木の青い葉も、すべて落ちて枯れ枝だけになっている。昼前、つま先の尖った赤いハイヒールを履いたドクターが回診に来たので尋ねた。

 「先生、最近、この種の病気で入院する患者が多いらしいですね」と

 彼女は苦笑した。

 「入院する患者や自ら命を絶った者たちこそ変革に強い意欲を有する存在だった。彼らは真剣に哲学し、現状に苦しみ頭のボルトがねじ切れてしまい、ある者は自らの手で命を絶ち、ある者は僕と同じく発狂したと診断された。

 明日の幸せを願うなら、彼らの言葉に耳を貸すのが早道と言うものだ。

だから彼らの言葉を聞き取る方法があったら良いと思いませんか。僕が退院をしたら発明しましょう。今の時代、猫や犬の言葉を翻訳する機械もあるのですよ。

 発明したら墓を掘り起こし、死者たちの声を聞いてやりましょう。彼らが命を絶った理由も聞けるはずです」

 夜中に秘密結社の年寄りたちが枕元に押し掛けて来て僕を励ました。

 つぎに、「サンチョ・パンサー」と蚊取り和尚まで姿を現し、脅迫的な助言を行う。

 「君の手がけた駄作の数々は年寄りたちが責任を持って処理をする。地中に一緒に持って行こうと言う。だが、これを出せば柵の中の者が、すべてが敵に回る恐れもある。覚悟はできているのか」

 「仕様がない。このまま真綿で首をしめられ窒息死を待つより、この道を選ぶ」

 引き下がるつもりはない。僕が行おうとすることは法治国家を守るためだ。彼の言葉ほど、今の社会に生きる者は絶望的な状態ではないと信じることができる。彼らの申し出は丁寧に拒否した。

 「年寄りたちは君に危険が及ぶのを防ぐために申し出てくれたのだ。隠れキリシタンたちが信ずる宗教を子孫に残すために、年寄りたちが進んで犠牲になったように、彼らは自ら責め苦を受けようとしているのだ。多くの者たちは君に黙っていてもらいたい。本心で穏やかに処置を望んでいる。問題が大きくすることは彼ら自身に類が及ぶことだ」

 いつもの蚊取り和尚であると思った。

 ところが次の瞬間に様相が一変した。

 「サンチョ・パンサー、息子の将来に奇禍を招くようなことを書くな。全自衛隊が君を知っている。そして敵に回るかも知れないぞ」

 彼の言葉は脅迫的である。

 「それならなおさらだ。黙っている訳にはいかない」と僕は息子を人質にしたような彼の言葉に激怒した。

 僕が、ずうと気にしていたことである。そのようなことを考えていたせいで、周囲からの圧力に対し、最低限の防御策を講じてきた。ところが、このような曖昧な対策では駄目だと気付かされる事態が発生した。

 二十歳代の者から、「どのようにあなたのことを陰で噂しあっているか気付いていますか。みんな知っているのですよ」と詰問された。

 私は自分の名誉のために決心せざる得なかった。すべて覚悟の上である。

 あるいは、自分は医者の言う幻聴、幻覚の世界に迷い込んでいるのでなかろうかと言う分析もするが、どちらだろうか。。

 「過去に触れることはタブだ」と隣人が言った。

 だが全然、タブーにはなっていない。

 公然の秘密にもなってはいる。

 自分が遠慮してきた分だけ事実は歪曲され広がっている。

 我慢していたが細い糸が切れた。

 私は自分の名誉のために決心せざる得なかった。すべて覚悟の上である。

 あるいは、自分は医者の言う幻聴、幻覚の世界に迷い込んでいるのでなかろうかと言う分析もするが、どちらだろうか。。

 裁判沙汰になろうと構わない。

 この話のために、自分がどれだけの被害を被ってきたか想像も出来ない。

 「すべてが君の敵になるぞ」と警告を受けた。

 だが僕は戦うしかない。

 それ以外に道はないのである。窮鼠は猫を咬むしかないのである。

 「定年後を楽しみにしろ。今は我慢をしろ」と彼は励ました。

 「職務放棄だ」と私は心の底で叫んだ。

 このような弱さや、なれ合いが混乱を招く原因になっている。

 僕も逆恨みは怖い。これまでどれだけひどい目にあってきたか。

 最近では蚊取り和尚が時間も場所も問わず姿を現す。たぶん薬のせいだろう。医者もそのように言っていた。昨夜も姿を現し、いきなり耳元で叫び声を上げた。

 「戦え、戦え。人間の良心を食い物にするドラキュラー型妖怪を一網打尽に殲滅しろ」と叫び続けていた。

 彼が頭の中に現れる理由については思い当たることもある。

 実は、音楽祭りに参加するために、はるばる海を渡り沖縄から来た連中のことである。

 自分の周囲にいる数名の者が無帽で練習場の前である体育館の前の玄関口の広場でだらしない格好でたむろしていたと騒ぎ始めた。

 「沖縄から来た連中に違いない」と周囲の者も加わり、勝手な解釈が付け加わえた。

 次に、食事のマナーが悪い女性自衛官のことが話題になった。

 食事をしながら、ペチャクチャと喋る女子隊員がいた。あれもオキナワ出身の隊員に違いないと騒ぎは大きくなった。

 「本当に彼らか」

 大人げないような気がしたが、僕は黙っておれなくなった。

 最初に沖縄の隊員だと決めつける言葉を発した男に確認をした。

 「オキナワ出身の奴らに決まっている。彼らは自衛官ではない。オキナワの部隊は部隊ではない。彼らは日本人ではない」

 例の元気一杯の大馬鹿が言っていた。

 「朝鮮人と琉球人は村に近づけるな」と。

 「そんなことを言っていいのか」と周囲が諫めると彼は言った。

 「大丈夫さ。秘密保全がある。外に出せるものなら出してみろ。守秘義務がある。朝鮮人と琉球人を近づけていけないと言うことは自分の村では常識だ」

 このような騒ぎが起きた後である。

 次は、どのような偏見の種を心に撒くつもりだろうかと冷ややかに眺めていた。

 オキナワに存在する柵の中の組織の評価にまで発展した。しつけが悪いのだと言う。

 わざと騒ぎを起こし、喜んでいる輩がいるようで薄気味が悪い。偏見を作為しようとす

 日本が民主主義を手に入れたのは、僅か六十年前のことである。それ以前は軍国主義が幅を効かせていたのである。民主主義の日本にもたらしたアメリカでさえ、黒人を奴隷から解放したのは僅か百五十年も前のことである。黒人と白人が同じバスに乗り、同じレストランで食事をすることが出来るようになったのは四十年ほど前からである。まだ世界には理不尽な迫害や差別が多く行われているのである。と思い自分を慰めるしかないのであろうか。

 単なる自分への当てつけのようにも思えた。

 騒いでいるのは一部の者である。大部分は黙っている。自分も騒ぎを黙視しようと思ったが、放置できないと思い、本人たちに確認をした。

 体育館の前で無帽でジャージ姿の者たちが数十名いた。外でリズムの練習をしていた。体育館の中では演奏を行っている。彼らが服装が悪いと騒ぎの元になったとは思えなかった。オキナワから来た隊員かどうかも確認出来なかった。騒ぎを起こすほどでもないと思った。食事マナーの悪い婦人自衛官はオキナワから来た隊員かも確認した。だがオキナワからは音楽祭に女性隊員は参加していないと彼は答えた。

 呆れるだけである。デマの怖さを知らないのか。武器を預かる者の発言である。

 ことの成り行きに不愉快になり、楽しみにしていた音楽祭のチケットを他人に譲った。


  「カルテより」

 昼間は落ち着いていた。

 ところが看護士の話によると夜になると、隠れキリシタンがどうのこうのとか、秘密結社がどうのこうのか奇妙な独り言を喚き始めたらしい。気味が悪いがベットをのぞき込むと、彼はベットの上であぐらを組み座り独り言を言っていた。ドン・キホーテの話や天草の隠れキリシタンのことを眠りに付くまで喋り続けていた。このままでは、例の処置を行うしかないようである。夜中には自分は国旗を見ても涙は出ない、国家を聞いても心は躍らない。だから日本国民ではないと喚き始めた。

 「服装が悪かったり、アクセントが異なると、日本兵に殺されるぞ。そして、すべてを藪の中に放り込まれるぞ」と叫んだ。

 次の瞬間に彼の表情は豹変し、「とうとう尻尾を現したか」と不敵な笑みを浮かべながら次のようなことを言った。

 「これは考えようによっては、待ちに焦がれていた千載一遇のチャンスだ。ドラキュラーのように人の血をすする妖怪が、昔のように人の心に偏見や差別を撒き散らし、争いを巻き起こそうとしている。今度こそ白日の下にさらし、光と法の力で一挙に殲滅してやる。人間の血をすするドラキュラーめ。ドラキュラーめ」と繰り返し叫び続けた。


 ○月○日

 昨夜は病院の庭の、すっかり葉を落とした銀杏の木の枝でカラスたちが、僕の過去で井戸端会議を開いていた。個人的な誹謗中傷に対応するには書くしかない。

 「やりすぎるな。カッコの巣に放り込まれるぞ」とカラスたちが僕に忠告もしてくれた。

 入院した当座に隣のベットの患者から、「この病院にはカッコの巣という謎の病室がある。有名な噂だが、患者は誰も真実を知らない。そこに入った者は、つま先の尖った赤いハイヒールを履いたドクターなどと同様の正常人に戻るか、完全な廃人になってしまう」と言っていた。外科手術によるものか薬物治療によるか解らない。その噂を聞いて以来、密かに部屋を探し続けているが、発見出来ない。


 「カルテより」

 昨夜は裁判のことや警察のことを口にして騒いだかと思うと、突然、カッコの巣の中に入るのは嫌だと騒ぎ出した。もちろん裁判にも警察にも縁はない。

 カッコの巣の中と言うのはジャックニコルソンが主演で出演した映画のことと関係するのであろうか。

 手に負えないので、鎮静剤で処置。

 次第に強い薬に変えざる得ない。


 一月○日

 晴れ。曇り。・・・・・・

 晴れ。雨。晴れ。

 寒い。白い雪が舞っていた。一日中、厚い雲が空を覆い尽くしていた。

 夜になると闇を裂き激しい稲妻が厚い雲の中を走り、雷鳴が鳴り響いた後、大粒の雨が降り始めた。

 恐ろしくて布団にくるまり、時が過ぎるの待った。

 雨は屋根や三階の部屋の床に染み込み、僕が横たわる部屋の天井にプクプクとつま先の尖った赤い血の滴になって、したたり落ちてきた。雨粒が血に変わるのか理由は明確である。上の部屋は手術室になっているのだろうか。そして床に染みついた血が溶けて滴り落ちて来るのであろうか。

 雨が止み、雷鳴も収まっても、鋭い稲妻だけが残り、闇を切り裂いた。僕は自分の人生を振り返り、むせび泣いた。つま先の尖った赤いハイヒールの靴音がコツコツと廊下に響いている。もちろん僕が逃げ出さないように監視をする看護士の靴音に違いない。


 「カルテより」

 柵の中での観察に続き、危険思想の翻意を促しつつ、心療内科の専門医として彼を見続けてきたが回復の見込みは期待出来ない。カッコの巣の上で、最終的な処置をするしかないようである。


 ○月○日

 カーテンから差し込む朝日は昨日までと違い、まぶしく力強い。それに暖かい。昨日までは固く閉ざされていた病室の窓ガラスも開け放たれている。

 ずいぶん長い間、寝ていたような気がする。まるで一冬を寝て過ごしたような感覚である。

 回診のドクターは看護婦に夜間の様態聞いていたが、退院は間近だと診断した。

 彼女は優しかった。

 これなら法廷でも証言をさせても差し支えないなと語り合っていた。

 そして事件のバケツで同僚を殴り大怪我をさせると言う世間で話題になっている事件の検察側証人として法廷に立つことになった。もちろん裁判である以上、被告は罪状を認めていない。

 


 ○月○日(法廷にて)

 今日は、いよいよ法廷に立つ日である。

 待ちに待った日である。

 きっと、むかついた日々とも決別できるにちがいない。

 私は証人として法廷に立っている。

 二十年前の隊員たち集団による、ある一人の女性に対する脅迫事件である。検察側は私に裁判長の前で次のようなことを証言するように求めた。

 「証言者は粗暴きわまりない本事件の目撃者ですが、まず本事件が大勢の前で実際に起きた事件であったにも関わらず、彼以外の目撃者の多くが堅くを口を閉ざし、証言を拒んでいます。その原因だと思われる柵の中の文化から証言をして下さい」

 その言葉に従い証言を始めた。

 「正体不明の脅迫者がいたはずである。それも複数である。それは確信している。武器と言う力を背景に脅迫を働いたものがいたはずです。卑怯としか言いようがない。彼らの姿を見たいと思いましたが、彼らは暗闇に潜み姿を現わそうとしなかった。彼らは言葉では誇り高き男たちとか言いながら、行っていることは卑怯きわまりない卑劣な行為である」

 法廷にざわめきが起きた。

 それは予想に反する証言に対する戸惑いのざわめきにほかならなかった。

 「柵の中の者が働いた行為とは言え、すでに柵の外での出来事です。すでに多くの人が承知している出来事です。あやふやな形で残したことが、多くの人の心に悪い影響を残したと思います」

 自分が原告となることはできなかった。慰謝料を手にした以上、すでに口に出せないことも分かっていた。だが内心、法廷の場に被告あるいは証言者として曳きづり出されることをも願っていた。あるいはその場で彼らと対面できるかも知れない。この願いを抱きながら十年の月日が無為に過ぎた。そして四十歳で新たな人生を踏み出す機会を得た後も、心の片隅には二十年前の出来事が消えたことはなかった。そして、ここ四、五年、私に対する仕打ちは峻厳を極めた。彼らは伝えている。それも広い地域に及び、世代を超えて言い伝えられている。覚悟を新たにするしかないと悟った。社会的にも意義のあることだと信じている。

 十数年前に柵の中で起きたスコップで同僚を殴り殺すと言う殺人事件にも関係しているように思えてしようがない。

 医師は関連づけて考えるのは良くないと言いますが、あの工事の騒動に関するあやふやな風評が周辺に広がり、影響を与えたのではせいではないかと思うのであります私たちの起こしたあのお粗末な騒動が社会に悪い影響を与えたのではないか。時代に影響を与えたのではないかと自分を責めるのです。また私たち自身、忌まわしい過去の亡霊の影響を受けていたのかも知れません」

 「それは何ですか。詳しく」

 「検察は証言を続けることを求めた」

 「当時、柵の中には、まだ多くの戦争体験者がいました」

 「止めさせろ。関係ない。これ以上、勝手なことを喋らせるな」

 傍聴人の一人がヤジを飛ばした。それに対し、「面白い、言わしておけ」とヤジが飛び、法廷は一時、騒然となった。

 この野次を発した男を見た時、彼の表情が冷静で、彼が考えていることを知ることができた。

 彼は、あらゆる発言を一般国民に公開した方が良いと考えているのである。もちろん私に反対する意見もである。

 その上で是非は国民に問うべきだと彼は考えているのである。これが国民主権と言う憲法の精神を遵守することになると考えているのである。

 彼の鋭い視線は、もちろん私にも向けられている。

 彼は、これまで私の発言を守秘義務に反すると封じ続けていた私の敵方(あいて)にも意見を聞きに行くに違いない。だが私は止める訳にはいかない。

 私の意見あるいは感覚が国民に受け入れない時には、私が切り捨てられるのである。

 検察側は次のように言い、私に証言を続けさせるように裁判長に要求した。

 「柵の中の雰囲気が本件のような犯罪を誘発する恐れもある、今回の犯罪と決して無関係ではない」と証言を続けさせるように裁判長に申請をした。

 

 裁判官は机を木槌で叩いて、傍聴席に向かい静粛にするようにと叫んだ。そして私には証言を続けるように促した。

 「丁度、二十五年前にある男が過去の女性関係を吹聴し若い青年たちの心は波立ち始めた。風評は広まり、誰にも制御が出来なくなり、大きな犯罪を犯す隊員も現れた。それも中途半端な距離に位置する者ほど、情報も少なく、かえって妄想と想像をかき立てられた。同じように風評が中途半端な位置にある隣村に住む者に、大きな影響を与えたのではないかと危惧するものであります。

 今、思い出しても本当に腹立たしい。あの時は最初は不愉快に思いましたが、単なるはったりだと思いました。この種のの、はったりyはよく耳にしたものです。命など惜しくないなどと」。はったりが言えることが、柵の中では強さの証だと信じられていたように思います。あるいは組織自体が、やせ我慢やはったりで出来ているのでは感じることもありました。

 それでも私が担当した工事現場での騒動や、ある男が隣町で起こした腹切り騒動にも一連の騒動を彼の存在に結びつけて考えることはなかった。

 彼の言葉の影響を危惧し始めたのは、ある若い隊員が彼に就寝前の隊員たちの会話が、この種の話題で持ちきりになっていると口答えする言葉を耳にした時です。それでもまだ彼のはったりだと信じていたのです。

 このようなはったりで右往左往するなと若い隊員をたしなめる立場を取りました。彼は拒絶したが、彼には、彼の言葉をはったりだと彼自身で修正する機会もありました。いずれにしろ下手に騒ぎを大きくしない方が良いと思っていました。彼の話の内容が、どうやら真実であるらしいと知った時、私の気持ちは別の段階に移行していた。それでも他人の個人的な問題で干渉すべきではないと思った」

 感情を抑えて棒読みのように告白した。

 傍聴者が動揺した。

 「そのような時に私のサラ金借金の嫌疑が浮上したのです。あまりに具体的な指摘に不安になりました。最初に出た名前が彼の名前でしたから、自分を呼びつけ詰問した上司に真実を教えてくれと厳しく食い下がったのです。これは他人の問題ではありません。まぎれもなく私自身の問題です。譲れない問題です。ところが上司は言葉をひるがえし、見た者がいると言う言葉で片付けたのです。この頃から私の心はズタズタに切り裂かれる出来事が続きました。そして周囲で社会的な問題になる様々な事件が起きることになるのです。一連の出来事をどのように解釈し理解すべきか判断できなくなっていました。御調子者の言葉に振り回された。それも私だけでなく周囲の者がみんなです。しかも、すこし離れた場所にいた者ほどです。もちろん遠い近いの距離もありますが、世代も少し離れた者に影響を及ぼした。もちろん若い世代です」

 ざわつきが怒号に変わった。

 「落ち着いた人間らしい生活を取り戻したのは四十歳になって、家庭を持った後だった。その後、四十五歳で柵の中の近くに帰って来た。ところが二十年を経過した後にも、これらの記憶が多く残っていることに気付かされる出来事に多くであった。腹を切った隊員にも会った。実はあの事件の時も決して親しくなかったのです。だが、あの時の家庭の混乱や不安を沈めるためには、あのように言うしかなかったのです。二十年前の出来事で傷ついた他の一人一人の隊員の人生が、どのようなものか分からない。ただ二十年前に若い隊員がドーザーの排土板の下敷きなり死亡すると言う事件に際して現場で指揮をしていた隊員は、今でも、あの瞬間に若い隊員が上げた鋭い悲鳴を忘れることが出来ないと言う」

「言い訳だ。他人を責める前に君自身の人生はどうだった」

 と言うひときわ大きな声に思わず答えた。

 「滅茶苦茶です」

「なぜ、君は君自身が去った後に柵の中で起きた出来事を知っている」

 「すべてのことを知っているわけではない。ある人から聞いた。彼は君はこれから生きていかねばならないと断った上で教えてくれた。彼は彼で私の人生に関係しそうなことを話してくれたにちがいない。私自身が様々な言いがかりや難癖を背負わされたまま柵の中から去ることになった。彼らは自らで正しいことを棄てて、自らを毒した。大きな事件が起きるにちがいないと不安を強く感じたままだった。とんでもない濡れ衣を被せられるのではないかと不安だった」

 東北に勤務していた時、彼が昇任し、私が昇任しなかったことで柵の中ではすでに白黒がついたことである。私は知らなかったし、知りたいことでもなかった。だが周囲は、このことを知り、喧嘩を売っても大丈夫だと見切ったのであろう。

 「相手の女性は脅迫をされて、君から去ったと言うのが真実か。彼女は不幸な人生を歩んでいると言うが、それは真実か」

 鋭い質問であった。

 「実のところ、その後の彼女の人生は知らない。自分でそうに違いない思い続けていた」

 「それこそ滅茶苦茶だ。根拠もないことに、この場で持ち出すなんて。単なる横恋慕で、君のもとを去った女は、その彼氏とワンワン、ニャンニャンとうまくやっているかも知れない。横恋慕してはいけないと言う法律はないはずだ。それにすでに彼女は君に対する贖いを終えている」

 傍聴席の方を見ると下卑た笑いを漏らす顔が目に付く。この種の興味本位の傍聴者が席を占めると言うこともあると聞いたことがある。

 法廷内に巻き起こったあざけ笑いに慌てて反論を試みた。

 「少なくとも脅迫電話や無言電話が掛かってくるたびに、彼女は不幸な人生を送っているに違いないと私は思った」

 「二十年も前の話だ。今回の事件には関係ない」と被告の弁護士が叫び、裁判長に中断を要請をした。

 「二十年前と憲法は変わらない。そして、憲法の基本的概念を細分化した法律も変わらないはずだ」

 傍聴席からのヤジは時効を意味していた。

 「過去にさかのぼる時間は二十年前だけでよいのか。この話は六十年前の太平洋戦争、七十年前から起きた中国との戦い、百年前の朝鮮併合まで遡る必要があるのではないか。いや君の場合は、まだ過去にさかのぼる必要があるのではないか。琉球処分と言われる琉球王国が清国の冊封体制から独立し日本の領土となった百五十年前までに遡る必要はないか。黒糖地獄と呼ばれ、鎖に縛られ島から抜け出すことも禁じられ、奴隷のような扱い受けていた二百年前の時代まで遡る必要はないのか」

 「差別など存在しない。思い込みだ。被害妄想だ。差別があると感じることから差別は生まれる。そのような思いこみこそが古い差別観念を蘇らせたのだ」

 (それだけが原因で古い差別が蘇るはずはない。諍いや争いが起きるたびに過去の差別を引き吊り出し、蘇生し、利用しようと言う勢力も存在するのは事実だ)

 傍聴席は騒然となった。

 だが、すぐ他のヤジに掻き消された。傍聴席の関心は変わった。 

 「内部調査もあるはずだ」

 「法に違反する行為だ。法を無視し、シビリアンコントロールがなりたつのか」

 「ある。だが小さなことが対象である。ワッシャーなどです。コピーした枚数などである。あえて大きな問題には目を向けようとしないような力学が働いているとしか思えない。後で逆恨みを買うような難しい問題を指摘することは避けてとおる。たとえば闇で購入した百五十万円の机など気付こうともしない。数万円のコピー代金を把握していないと責めて、拳で机を叩いた馬鹿もいた」

 「余計なことを言わせるな」

 怒鳴り声だった。

 カンカンと鋭い音が法定内に響いた。傍聴席のざわめきにたまりかねて裁判長が木槌で机を叩いているのである。

 柵の中の雰囲気を話すことは余計なことではないはずだ。

 「静粛に。証言者は余計な発言は慎むように」と裁判長は警告した。

 「腹立たしいことを思い出した。その机を、数日後、ある男が木槌で軽く叩いたところ大きな穴が空き、大問題となった」

 「すべて指揮官の責任だと聞いている。隊員には責任はないはずだ」

 一瞬、法廷が怒号で揺らめいた。

 傍聴席の発言者は、あわてて前言を翻した。

 「そんなことは迷信だ。だがこの迷信を信じなければ組織は成り立たない。指揮官は好かれなければいけない。彼を担ぐ部下たちから支持されることも大事だ。ことごとく彼らの意向を無視できない。担がれる者がとんでもない馬鹿であることもあるが、担ぐ者がとんでもない馬鹿の集団であるか、少数の者たちの扇動を受け奇形化することもある」

 「難しい問題は柵の中に封じこめおけ。そんなことは柵の中の文化だ。上級者下級者のせめぎ合い、女性に対するの行為、エンジンの空ぶかし、狭い柵の中で親戚縁者が派閥を造り庇い合う行為。すべて柵の中の文化だ」

 「彼らを柵の外に放とう言うのが、今の時代ではないか。彼らと社会を隔絶できるのか。彼らと彼らの文化も柵の中に閉じ込めて社会に出すなと言うのか。それとも柵の中の文化に法は干渉すべきではないと言うのか」


 「彼は勲章も少ない出来損ないだ。話を真剣に聞く必要などない」

 「勲章などというもの、元気一杯の馬鹿者たちが死んで幽霊になり、現世の平和を荒らさないように彼らの魂を鎮めためのものだ」

 天邪鬼の野次である。

 (そうだ日本人は昔からそうだった。これは日本人の心に染み付いた伝統的な思考法だ。

聖徳太子しかり、菅原道真しかり。彼らの魂を鎮めるために神に祭り上げられた)と心の中で思った。

 「組織を維持するために必要な権威を否定しようというのか」

 「気違いだ」

 「いや嘘つきだ。それも大嘘つきだ」

 「そうだ。僕は嘘つきだ。嘘つきでなければ小説家にはなれない」

 と思わず叫んだ。

 もちろん、この叫び声に嘲け笑いが巻き起きた。

 「法治国家では法廷にしか真実はないはずだ」と叫んだ。


 「これまでのように無関心ではすまなくなる。過去に体験したことがない世界だ」と傍聴人が騒ぎ始めた。

 傍聴席で密かな囁き合いが始まった。それが集まり、ざわめきとなった。

 「いや過去に何度ともなく体験したはずだ。平安時代後期から武家と公家の争いが始まり、明治維新は公家を中心とする天皇家と江戸幕府を中心とする武家勢力の争いだった。そして大正末期からは軍部と政党政治の争いに形を変えた」

 一九二六年に中国で、蒋介石による北伐が開始される。中国は大きな混乱期を迎えた。中国に進出していた日本企業や小さな商店主たちが犠牲になると言う事件が相次いだ。

 一九二八年に蒋介石の北伐に破れて、北京から満州へと逃れる張作霖を旅順の近くで軍部が爆殺すると言う事件が起きている。日本は彼を支持し、中国国内の治安を維持させ、中国に在住する日本人や日本人の財産や、中国に進出した日本企業の財産を守ろうとした。日本企業の財産とは工場であり、鉱山である。言葉を代えれば、日本企業の権益である。昭和三年のことである。

 一九三一年には柳条湖事件が起こし、満州事変に結びつけた。翌年の一九三二年には五・一五事件を起こし一国の総理大臣が暗殺した。だが国民の中には青年将校の行動に国を憂えた愛国的な行動だと熱狂した。一国の総理を殺した青年将校の助命を法定内で声高に叫ぶ者も現れた。愚かなことに、国民が軍部を煽りたてた。そしてその数ヶ月後には満州国の建国へと繋がっていく。その翌年の一九三三年には、おかしな事件も起きた。ゴーストップ事件と呼ばれる事件である。ある兵士が信号無視をし、警察に留置されると言うトラブルを起こした。それを兵士の上司の師団長が、「陛下の赤子だ」と形容し、強引に警察から信号無視をした兵士を連れ戻すと言う事件が発生している。いざとなったら命をお国に捧げる兵隊を特別扱いしろと主張したかったのだろう。些細な事件であるが日本人の精神構造が奇形しつつあることを示す事件だった。

 一九三六年には青年将校が兵を率いて首都を占領する二・二六事件を起こした。この時にも反乱軍を英雄視し、鎮圧を戸惑っている。

 次第に政治の力は削り取られていくのである。それは郡部だけのせいではなかったはずである。国民は慣らされていったのである。危機感を失った国民も悪いのである。

 そして翌年には一九三七年に廬溝橋事件が起き、長い日中戦争、そして太平洋戦争へと日本は破滅の道を突き進んだ。太平洋戦争の二年前の一九三八年には衆議院の委員会で国家総動員法が審議されている最中に議員からの執拗な質問と野次に対し、答弁に立った一中佐が、「黙れ」と怒鳴る事件が起きている。軍隊の一中堅幹部が国民から選ばれた代議士を黙れと恫喝する事件である。すでに政治の力は消滅したことを示す事件であろう。

 国内の大騒動と中国などとの国際的騒動が交互に起きているようである。


 数分の沈黙が続いた。法廷には静寂が漂った。すぐに沈黙を破り、ヤジが飛んだ。

 「柵の中は法の力も行き届かない無秩序な世界か。取り締まる者は存在しないのか」

 「取り締まる者は存在する。だが力不足だと思う。あるいは彼らも過去の呪縛に縛られ、行き過ぎを恐れているかも知れない」

 この時である。関係ないことを喋らせるな。つまみ出せと傍聴席からの怒鳴り声が法定内にこだました。

 制御不能な状況に陥った。

 

 「裁判長」

 弁護士の叫び声である。忍耐強く耐えてきたが、とうとう我慢の限界に達した。

 「ここは神聖な裁きの場であるはずだ。記者会見の場などではない。至急、緊急の処置を」

 落ち着かず検事の方に視線を移し呟いている。

 「こんなことは前代未聞だ。・・・・・」と。

 最後の言葉は小声で、法廷内のざわめきのせいで耳では聞こえなかったが、僕の頭脳は把握した。

 「気違いを法廷に立たせるから、このようなことになるのだ」

 私は気違いではない。聞こえない言葉に反論した。木槌が机を叩く鋭い音が激しく法定内に木霊した。法定内が少し静まり返ると裁判長は物々しい口調で言い付けた。

 「証言者は事件に関係することのみ証言するように厳しく申しつける。これ以上、関係のないことを発言をした場合、法廷侮辱罪で拘束する」

 この時、私は自分の立場を再認識した。

 バケツで同僚を殴り、大けがをさせると言う粗暴すぎるが故に、社会的にセンショショナルな話題を巻き起こした傷害事件の目撃者として出廷している。

 だがこの時に裁判長の言葉に素直に従う気にはなれなくなっていた。

 私が気違いではないことを、この場で証明して見せる。

 警告を無視し、最後の締めくくりをする道を選んだ。私を診断した出廷を許した医師は予想外の展開に狼狽している。

 検察側も同じである。私の証言が被告の弁護に使われてしまいかねないことに気付いたのである。本事件が一被告の衝動から発生したものではないと弁護士が気付いた時、裁判は別の方向に進む可能性があることに気付いたのである。

 「彼らを本格的に柵の中から外に放とうとしている。これまで築いてきたはずの民主主義と法治国家の力が試される時です。不正義を行った者に民主主義や法治国家の恐ろしさを思い知らせる必要があります。それは戦前の社会との決別をも意味することなのです。

 執拗な脅迫で人生を狂わされ、人生を台無しにした女性がいる。それを強いた者の雇い主は国家です。しかも国家はその脅迫者たちにのみ武器を与えている。彼らが脅迫と言う行為に国は責任はないのか。長い間、そのことを放置をしてきたことに責任はないのか。国家はその脅迫者に代わり賠償を支払うべきでないのか。そして彼らに後日、賠償を命ずるべきでないのですか」

 机を叩く木槌の音が法定内にこだました。

 裁判長が激怒し、絶叫しながら机に穴をうがかんばかりに木槌で机を叩いている。まるで金槌で叩いているような甲高い音が法定内に響いている。表情から彼は絶叫にちかい叫び声を上げているに違いないと想像できるが。その声は現実には耳では聞き取れない。

 法廷の入り口に立っていた紺色の警護服を着た二人の警護員が裁判長の所まで走り寄り指示を受けていた。

 「・・・・・」と言っている。

 傍聴者のざわめきに聞こえないが、私には分かった。

 彼は、狂人をつまみ出せと警護係に指示しているのである。

 その二人に加えて四人の男たちが私に駆け寄り、両脇から私を挟み込み、両腕を万力のような力で掴み、興奮した群衆を押し分けて、法廷の外に連れ出した。

 両脇には傍聴者が押し寄せ、私をひどく殴ったり、蹴ったりした。薄れゆく意識の中でやはり人は戦争をするのか思った。


     困った患者



 「困った患者だ」と、医師や看護師は口々にささやき合っている。

 病院にふたたび拘束されたのである。

 法廷を引き吊り出されて以来、モヤモヤと沸き起こる不安に悩む日が続いた。自分を追いつめ苦しめている正体が掴めないのである。

 「精神病ではない。異常性格」という分類には該当するのでなかろうか。

 ドクター室から漏れ聞こえる声である。効果的な薬物療法は、未だ開発されていないらしい。

 「階級も勲章も否定するなど、アナキーストかしら」

アナキーストとは国家などの権威を否定する者たちに対する言葉である。最近では流行らなくなったが、敗戦直後やマルキシズムなどという言葉と同様に学生運動が盛んなころに世間に流行した言葉である。

 命令されるには諦めの境地を植えつけておく必要がある。命令する方には権威あるいはカリスマ性が必要なのである。戦前は天皇を中心とした絶対的な秩序があった。天皇のためなら命を捨てることもやむなしと社会全体で「諦め」を常日頃から植えつけていた。明治維新前後の尊王攘夷運動、そして倒幕という歴史の大きなうねりの中で培われた意識でもあった。それまでは藩主に対する忠誠心であったが、維新の元勲たちは心情的にも天皇の威光と権威にすがり、革命を実行し、新しい体制を構築した。この天皇の威光や権威に頼る支配体制は敗戦まで続いた。日本人が必死に人為的作り上げた社会だった。

 命令する者と服従する者。服従する者は命を捨てるように命ぜられることもあった。


 「自分はアナキーストなどではない」と心中で叫ぶ。

 「それにしても個人的な都合を絡めて秩序正しい法廷で法治国家や民主主義を叫ぶなどとは論外よ」

  

 ふたたび闇の中から声が聞こえてきた。

 あの法廷で、「ワンワンニャンニャンと仲良く楽しくやっているのではないの」と言う滑稽な言葉の後に笑い渦が法定内に起きたが、その笑いにかき消されるように聞こえなくなった言葉である。

 「将校殿の女の心に隙を造り、みんなで乗っかかり、みんなでワンワンニャンニャンしようとしたのかな」

 「先を争って乗っかかろうした。まるで発情期を迎えたカエルのようだ」

 「正確には将校殿の奥様が相手だろう」と追いうちをかけてくる。

 ざわめきにかき消されて、この恐ろしい言葉が現実に発せられたものであるのか、それとも自分の心に潜んでいた思いが闇の声として聞こえたのか判然としなかった。


 二十年前の騒動以来、十年間は狂ったような時期であった。人も避け、逃れて生活した。その後の十年間は、かりそめの幸せを得た。だが記憶が消えた訳ではない。しかし、ここ数年、F市やN市での勤務を通じて私は過去に向かい合わざる得ない立場に追い込まれた。不眠と深いな軽い頭痛に苦しむ日々でもある。

 「幻聴を聞いているのでは」

 「分裂病と言う診断結果を得るために装っているだけかも知れない」

 「疑い深い一面がある」

 「異常性格者であることにもまちがいあるまい」

 「かえって治療に困る」

 「精神病なら薬物療法で対応できるのだが」

 こんな内容の話し看護士や医者の間で囁かれている。

 「本当にあった出来事かしら」

 この疑問に応える外部から確認できる証拠は少ない。

 かろうじて外界から確認できることはF市での勤務の時の電光掲示板の話であろう。JR線のF南駅の2Fにある切符売り場の北側ガラス窓から見ることが出来る。北に伸びる道沿いに三百メートルほど行った二階建てのビルの屋上に薄青色の空看板が空に溶けるように見える。その看板を巡る騒動であった。その後に続くシステム導入を巡る騒動も自分の立場を弁解してくれるか否か明確ではない。自分の立場を危うくすることになりかねないかも知れない。

 それにしてもあのような条件の悪い場所に土地を確保するなど不思議である。

 近所の不動産屋は、人通りの多い表通りに面する空きビルに目を移しながら、なぜあのビルに入居しなかったのだろうかと頭を傾げた。

 条件が一致しないと言う事情が存在したのでなかろうか。

 それに路地裏に面したビルの上に空き看板が残されていることも単なる偶然には思えなかった。

 その時の担当者は誰だったであろうか。そして彼がどのような事情を抱えていたのであろうか。疑惑は募る。自分は気付かないうちに複雑怪奇な世界に引き込まれたのではないだろうか。


 危うさは去らない。

 中国で反日デモが起きていた。大使館の襲撃や日本人商店に対する暴力行為である。

 一九二六年、孫文が死去し、蒋介石が中国全土の統一のために北伐を開始し、中国全土の秩序が大きく崩壊した時に起きた事件の様子を思い出していた。

 第一次南京事件などが発生し、日本人の犠牲者も出ている。

 「戦争に負けたくせに、今頃になって騒ぐな」と彼は洩らした。

 翌日には、「僕たちの集団を敵にするつもりか」と洩らした。小さな利害集団の代表者のなったような発言である。

 へこましてやると捨て台詞を残して彼は去った。

 彼は何を目指しているのであろうか。

 「鉄棒で大車輪が出来る」と盛んに自慢している。周囲の者に自己の優越性を認めさせようという働きかけであろう。

 断片的に囁かれる会話に本音が混じっている。ささいな会話が人間の感情を作り、人や組織を動かすこともあるのである。

 不思議な場所である。

 出身地で団結しキャンペンを張ろうとする者もいた。筋が通らないことを大声で喚き威圧する者もいた。苦境に追い込まれると対峙する勇気がないので八つ当たりをする馬鹿もいた。関係した女性の人数で周囲を威圧しようとする者、走るのが速いか遅いかで順番を決めようとする者、悪いことをしても自分は許されるのだと特権的な立場を見せつけようとする者もいた。

 どのようなことを言おうが責任はない。過去の言葉は価値はない。

「言った、言わなかった」と泥仕合になるだけである。第三者が見聞していても証言者になるとはは限らない。縁戚関係や地位などに対する恣意で火の中の栗を拾おうとする者は進み出す者はおるまい。騒動には巻き込まれないようにするのが妥当であろう。薄暗い廊下で通り違いざまに病み上がりの私に、「サボるなよ」と声を掛けた彼の働き掛けで異動した隊員が躁鬱病になった。周囲では本人の家庭の事情を無視した人事の責任だと非難の声も上がったが、長期勤務であったことを主張している。彼自身が同じ場所で長期勤務をしている。彼は自己の非を認めない。彼自身が認めない以上、評価できない。そのような時に、ある部隊でポケットに差し込まれたメモのせいで自殺したと隊員の肉親が裁判沙汰を起こしていることを知った。彼通り違いざまに、「サボるなよ」と言葉を投げ掛けた彼は、同じように効果を私に狙ったにちがいないとしか思えない。

 

 危うさは去らない。

 例の天の邪鬼は盛んにシステム導入後の失敗の責任を私に押しつけようとしている。

 「マニュアルが必要だ」

 「教育で使ったCDが一枚あれば大丈夫。何の準備も必要ない」と、周囲を扇動してから半年も経っていない。彼自身が吐いた言葉を忘れたように騒ぎ出し、責任転嫁を図ろうとしている。彼は自分の女房の例の沖縄と朝鮮人はそばに近づけるなキャンペンを始めた隊員の出身地と一緒だからと言い訳をしながら、周囲の付和雷同を集め、同時に許しを請おうとしていた。ある時は、「微妙、微妙」と周囲に当てつけるように聞こえがしに叫んでいた。

 二十年前の事件が起きた時、彼はどのような立場で言動を吐いたのであろうか。

 私の態度が微妙だったと言うのだろうか。すべて離婚手続きと言う法的な処置が終わってから新しい恋に巡り会えた。彼女とうまくいけば世間的に申し訳が立つのではないかと言う都合の良い打算もした。前後の見境もつかなくなっていた。だが、彼女ともうまくいかなかった。微妙と言う言葉が、二股を掛けたなどという疑いを感じての言葉なら、そのように応えるしかない。


 非常に不愉快な出来事に直面した。 

 花火が打ち上がる夜の出来事であった。

 彼は、「あんたなんか、全然、怖くない」と言い、言いがかり付けてきた。すでに四度目のことである。最初は、やはり宴席の場のことであった。

 彼は仕事のことで難癖を付けてきた。

 次ぎに、バスに案内を兼務する立場として同乗を頼んだ時である。

 バスが止まると同時に、彼は、「はっきりと指示をしろ」と青筋を立てて近付いて来た。

 普通なら自分で考えて準備をすべきではないのか。時間は十分にあったはずである。五十を過ぎた男である。子供に対するような指示をしなければ何もできないのか。この種のトラブルは彼の周囲に、よく起きているようだった。気が利かないとしか表現ができない。

 控えていた者が、代わりに乗り込みバスを誘導した。彼は置いてけぼりを喰った。

 「もう、いいから」と制止したが、彼はバスを追いかけた。惨めな姿を呆れて見送った。同時に彼がバスの中で必要以上に大騒ぎをし、立場を失うのを恐れているように思えた。

平気で周囲や指示した者を困らせても、まったく自己の責任に結びつけることがない。そのような感覚が欠落しているとしか言いようがない。また自分で考えて準備をしたり、判断をする能力に欠けているとしか思えない。

 一度は、彼は謝罪してきた。ところが、その夜、ふたたび喧嘩を売ってきたのである。

 彼は、さほど酔っているようには見えなかった。

 職務上、関係のない男である。彼に口を挟まれるのが嫌だった。しかし彼は遠慮会釈なく余計な口を挟んでくる。これを無視すると彼は怒った。

 私も激怒した。

 「余計な口を挟むな」と言い返すと、姿が見えなくなった。

 しばらくして背後から、彼が私の名前を呼び捨てにして叫んでいる。

 「こっちに来い。何も出来ないくせに。もっと気の利いた仕事をしろ」と

 何度も彼は大勢の前で大声で執拗に叫び続けた。五十歳を超した男である。二十年前、私の周囲で起きた出来事であったにちがいない。

 彼が私に投げ掛けた言葉には、彼自身が周囲から受けている評価である。だが彼の心情に一切の同情も抱く気はない。彼の深層心理に周囲を巻き込もうとしている様子が伺えた。

 これが原因で不眠症が高じての心療内科通いである。相手を傷害罪で告訴してやりたいぐらいである、。

 それにしても人間社会で生きていく上で最低限のルールも自らの立場もわきまえず、無礼すぎる者たちとのやり取りに、人生の大半をすり減らし続けたように思える。

 とりあえず心療内科への通院を続けながら、仕事を続けている。

二十年前の事件を振り返り、そして現在の自分に与えた影響を考えている最中であった。

 だが二十年前に起きた出来事を知る術はないし、すでに柵の中を去った後であり、当時の様子を想像で補うしかないのである。二十年前にも起き得た出来事の再現を見る思いである。だが実際に起きた出来事かどうかは別問題である。

 二十年前の離婚劇が起きた時、柵の中は多くの者を巻き込み、パニック状態、ヒステリ状態に追い込まれていた。加担せず傍観する者もいたにちがいない。このような動きを止めようとする、ごく少数の者は存在したしたにちがいない。

 煮沸する鍋を渦巻き出る熱い湯気のような興奮な中では、すべてが不明瞭であり、すべての悪を、すでに身近には存在しない私のせいにした。職務上の無能者であると触れ込みをし、他人の素顔さえ私に重ねたのではなかったのでないか。

 目的を達成するために計画的に引き起こされたパニックであり、ヒステリ状態があった。目的を持った数名の者が故意に仕組んだのではなかったか。

 工事に関わった者や自己の過去の女性遍歴を吹聴していた男などである。

 彼らが核になり、彼らの親族や出身派閥、他の周囲の者も巻き込み、大騒ぎとなった。

 そして電話が鳴り響き、彼女も恐れをなした。彼女が私の背には身を隠せない危機を感じた。

 「若い隊員からも馬鹿にされて」と言う捨て台詞以外に、「暴力団みたい」と言う捨て台詞を残した。絶対的な親分、子分の主従の関係。ファミリ的な血の結束。そして彼らが標榜する「桜」の花などがイメージなどが、漠然とした言葉に集約したのではないか。意図的に、そのようなことを伝えた。彼女の心に隙を作ることを目指してである。

 彼らは私を同等の人間として扱っていなかった。もちろん上司などという立場でもみていなかった。仕返しもできるはずはないと見込んでいた。最後に、みんなと言う群衆の中に身を隠すことで個人的な復讐の被害からも身を隠すことができる。脅迫と言う犯罪で捜査の手も官吏の手が伸びることがあっても逃れることができる判断した。私は存在しない架空の存在であった。しかし、工事に関わった者や、自己の過去の女性遍歴を吹聴していた男などでが思い当たる存在であった。あるいは彼らを庇うことを大義名分に掲げる者がいるかも知れない。

 背後に陰謀めいた動きを感じる。彼の意図に意識的にか無意識にか職務に関する評価を広げようとする行為がある以上、人事からみの思惑があるかも知れない。

 あるいは第三者が絡んでいるのではなかろうか。言葉で言えないことも多くある。だから書くしかない。

 それにしても、「何も出来ないくせに」と言う評価を、どのような基準で下したのだろうか。これは彼だけの思考過程であろうか。そして「何」も出来ない、あるいは「何」か出来ると言う、「何」と何であろうか。そして「出来る」、「出来ない」と言う判断は彼がやるのであろうか。

 柔道や剣道が強くても鉄棒で大車輪が出来ても、銃の前には無力なのである。愚かさを解決する処方箋はあるまい。

 社会的に、この「何も出来ないくせに」と言う前置きが重要な意味を持つようになる。そして、このねたみやおごりを含んだ一種の思考過程も重要な意味を持つようになる。

 「こちはお国のために命をかけたのだ。・・・・・」

 「危険な目に遭ったのだ。・・・・・・・・・・・」

 この言葉の後ろに続く言葉が重要な意味を持つ。

 その夜は、「何も出来ないくせに」と言う言葉の後に、この夜は、彼は「こっちに来い」と言った。私は無視したが、二十年の時のトンネルを通過して現実に私の耳に届いた声のように聞こえた。

 あの時も、そのような会話がなされたのでないか。詳しい事情には目を背けた上で。

 大きな怒りが心で渦巻いた。

 泥酔しているとは思えなかった。彼の意図がどこにあったのか推測の範囲を出ないが、集団ヒステリーを招きかねない言葉であろう。その夜は彼の言葉を無視したが、簡単に割り切ることも忘れることも、許すことも無視することもできない言葉である。

 二十年前に集団ヒステリーが起きた時にも、このようにして始まったのでなかろうか。

 「何も出来ないくせに、・・・・・・・」

 この言葉の後に続く、言葉は何であろう。

 何も出来ないとは、どのような意味であろうか。

 権限がないと言うことであろうか。

 それとも能力がないと言うことであろうか。彼が必要だと認める能力はどのような能力であろうか不明である。問い詰めても言った言わないの世界である。話せば分かると言う問題でもない。ことを荒立てて良い結果を招くともかぎらない。大車輪が出来る云々と自慢して男と水面下で気脈を通じているのでなかろうか。疑えばきりがない。

 一人一人に自己の価値基準で順番を付けたがる男たち。それも明確に一番、二番と割り切るしかない順番である。

 彼は、以前、「色々なことに気を使っているのだ」と言う言葉に対し必要に食い下がってきたことがあった。

 口にすることも、はばかれると答えなかった。

 それでも、彼はそれはなんだと食い下がってきた。あまりのしっこさにへきへきした。

 争いの種になる。彼には答える必要もない。

 周囲で起きていることや起きようとしていることが理解できない訳でもあるまい。それをあえて私の言葉から引き出そうとしているのだろうか。五十歳を越えた男である。単に無分別なだけであろうか。何か特別の目的でもあるのではなかろうか。無分別から生じた質問なら救いようもない。情けない限りである。自分の頭を使えと言うしかない。他人を安易に評価する彼の心にあるのはおごりであろうか。それとも、これまでの抑圧されてきたことに対する反動であろうか。それとも私をスケープゴートにしようと企てているのだろうか。 

   

「何も出来ないくせに」と言う言葉に続く言葉も恐ろしい。 

 「何も出来ないくせに他人の異性問題に口を出すな」自分に関係ないことには口を挟む気はない。

 「何も出来ないくせに口を出すな。現場に口を出すな」

 「何も出来ないくせに。お国の命令で死地をさまよっているのは自分たちだ。女を犯すことぐらいで口をはさむな」

 この思考に大差があるだろうか。救いようのない卑しさ愚かさを感じる。

 だが彼らを排除することができない以上、近づかないようにすることだけが身を守る唯一の処方箋である。

 二十年前の離婚劇が起きた時の様子は想像するしかない。これまで想像することすら卑しい行為のように思えた。だが今、現実に目の前で起きていることは、すべて二十年前に起こったことを再現している出来事でないだろうか。少なく起こりえた出来事であろう。 怒りは数週間を続いた。いや、ずうと収まるまい。

 「うらやましい。きっとバズカ砲のような逸物を持っているのだ」

 下品な下ネタである。

 耳に入っているが、聞いていないふりをしている。

 腐れパイプの一端を見い出したようである。

 「そんなことを言ってもよいのか」

 押し止めようとする周囲の声に彼は暴言を続けた。


 ネットワークの端末は多岐にわたる。

 もし、二十数年前に彼の属する派閥の者たちを扇動したとすれば、彼も得意とする銃剣道も、その分野でなかろうか。

 「これまで生活の糧にしてきたことである。本人たちもやりたくない。必要性も認めない。惰性で、しかも飯を喰っている連中の個人的な生き甲斐のためにやっているにすぎない」と異なる意見を主張する。

 この世は、まるで物理学で言う慣性の法則で動いているようである。それに対抗する行動を起こす時に大きなエネルギーが必要である。仕事をすると言うことである。

 「鍛錬のために自己を苦しめることも必要である」と言い、駄々をこねる。

 「自分たちだけが苦しむはおかしい。全員にやらせろと」とも言う。

 苦しまねばならないことは山ほどある。

 「国が滅亡するまでやらせおけ」と心の中で叫んでいる

 不可解きわまりない言い分を繰り返し混乱をさせている。このような自己主張を繰り返す者たちが二十数年前に先鋒となって女性に脅迫行為を行ったのではないのかと思う。そして今度は私を担ぎ出し、ひどい目にあわされても必要性を認めている。何も言えないのだと主張する広報マンの役割を担わさせようとしているのではないのか。腹立たしく思いながら付き合ってやるしかない。


 彼が得意とする分野にもその端末があるように思える。確実なところを把握できない。複雑に絡み合っている。そして正体を露わにすることはない。理由は正体を露わにしたとたんに損害賠償をを請求される恐れもあるのである。

 彼らを闇の中から引きづり出すことすら至難の業である。

 「かまうものか」と彼は周囲の意見を無視した。

 「俺が電話をする全員が、彼の名前を聞くたびに『ケー 夏海か』と吐き捨てる」と彼は言った。

 数日を経て興奮が収まった頃に、私は彼に電話の相手の名前を問いただしていた。

 二十年前の騒動の原因を知るためにも必要であった。

 「言った覚えはない」と彼は答えた。

 彼が正直に答えるとは思っていなかった。

 しばらく間をおいて彼は付け加えた。

 「あなたの過去の身上調査をしている余裕などない」と

 はからずも彼が口にしたこの言葉の裏に真実はあると感じた。

 彼らは自己の都合が良いようにことが運ぶように、この種の情報をやりとりしていたのである。それは二十数年前の工事の時から続いていた。あるいは、それ以前からかも知れない。

 「そんなことを言った覚えはない」と彼は回答をした。

 いつものことである。

 「妄想家の妄想に付き合っている暇はない」とまで彼は付け加えた。

書き広めるしかないのである

 これ以上の追求できるはずはない。それにここで正体をつかまえても意味がない。

 公の場で正体を暴露するしかない。彼は私たちが二十数年前に工事を行った村に隣接する町の出身である。あの時の獣のようなむき出しの欲望と、人間としての仕事に対する不誠さや不真面目さを受け継いだのではないだろうか。

 どこにでも卑怯な人間はいる。気力だ体力だと叫んでいるが、頭の先も心臓も筋肉で出来ているようである。周囲に言いたい放題である。無責任である。みずからの言葉の影響から産まれる結果に対する責任など一切感じない。

 無責任な煽動者なのである。

 それまでも大事な結節で常に、このようなことが起きた。

 彼らの影響力を甘く見ることはできない。

 ここ数年、私自身をも破滅させようと落とし穴のような罠を仕掛けてきた。何をされても許す訳ではない。上司や組織が面倒をみる必要でも訳でもない。厳然と対応するしかない。

 すべて訓練である。責任を伴わない。こんな錯覚に基づいた精神構造が蔓延しているのでなかろうか。


 闇の中から声が聞こえる。

 「彼には、年頃を迎えようとする娘がいる。彼女の運命が心配なのだ」

 「それと私の人生に関わりがあるのか」

 「二十年前の騒動を忘れたのか」と再び闇の中から声が聞こえる。

 「ならば、こちらもすべてをはっきりさせる必要がある。微妙だとかあやふやな状態には放置しておけない」

 方法がない。すべてが不明なままである。

 

 大正時代の第一次世界大戦終了後から日本軍隊は変化していったように思える。出世競争など人間くさい闘争が続いた。この種の内部抗争のはてに暗殺をし、クーデターを起こし、中国との十五年戦争を起こし、昭和二十年の夏に連合軍に敗れるまで日本を引きずったのではなかっただろうか。


 このような起きた数日後に「微妙、微妙」と叫ぶ者が現れた。

 周囲の雰囲気から二十年前の出来事を評している言葉にちがいないと感じた。

 現金を渡しても私との離婚を望むと言う女性の気持ちを微妙であると言っているのだろうか。彼女を最後に突き動かしたのは、彼女に対する電話がひっきりなしの電話であったと想像しているが、それが微妙だと言っているのであろうか。

 私が知る彼女の心境は、「若い隊員からも馬鹿にされて」と言う言葉を通じてのみである。電話で彼女は私と一緒になることに危機を感じたのでなかろうか。安心した生活を送れないと判断したのでなかろうかと想像した。


 黒人女とやった。ペロペロ全身をなめやがった。

 トイレの壁に書かれた汚い落書きのような猥談だと思った。品の悪いホラ話、あるいはハッタリの類と理解していると思った。それに広がっていないと思った。ところが彼の話は深く浸透していたのでないかと思うのである。そして工事現場での騒動である。それでも事実無根な話と思った。その手助けをしたのは彼の胸襟を飾る勲章である。幼いなどとは言えない。柵の中では階級が全てであり、そのような勲章が全てであると信じなければならないのである。F市での勤務で電光掲示板のことで烈しくやりとりをした時、彼が上級者になっていたことに逃げ道を確保し、めん鳥や禿たかやモグラは攻撃を仕掛けてきたのである。

 ところが彼の話が、事実無根ではないと感じる出来事に出会った時に、私は驚愕し、激怒した。だが、それでも他人の話と割り切るしかなかった。

 ところが彼の友人の借金発覚の時期を遅らせるためにサラ金借金の嫌疑を私に押付けた時に私も当事者になった。その行為さえ無視された時、私は完全に前後の見境や道徳の基準を見失ってしまった。かろうじて二十年前の結婚前に回復をしかけたが、あの離婚での混乱で完全に深い地獄の底に落ちた。自分を見失った。

 新しい生活を始めるまでの十年近い時期は、かろうじて生き伸びるたような時期だった。


 気分は快癒しない。

 カウンセラーも交えて治療法を検討しようと言うことになった。

 カウンセラー室は厚い壁に仕切られ相手の顔が見えない構造になっていた。まるで懺悔室のようだと思った。鬱積した感情が部屋中に充満し残っているようにも思えた。

 

 私は検察側の証人として事件が起きる可能性を証言する立場で法廷に立っていた。

 容疑者が犯行を自供した。

 隣で就寝する同僚のうるさいイビキに激怒し衝動的に清掃用具入れロッカーから金属製のバケツを取り出し、就寝中の同僚を叩いたのである。明け方のことであり、哀れな彼は明け方まで寝付かれず、その日の仕事を考えると居ても立ってもおれない気持ちになったあげくの犯行であった。静寂が漂う廊下をバケツで同僚を殴るがんがんと言う金属製の音と悲鳴がこだまする情景が頭から離れない。

 この件も私に無関係なことではない。十五年前のことであるが、隣人のうるさいイビキやうわさ話、猥談などを気にせず就寝できるような環境が必要であると訴えるために「柵の中にて」という小冊子を自費出版したところ、正体不明な者たちの逆鱗に触れて昇任に縁のない立場になった。

 「軟弱者。デタラメを言うな」という具合である。

 バットで同僚を撲殺する事件の前後にも大きな事件が続いた。バットではなくバケツにしておけばよかったのにと私は思った。

 私が法廷から引き吊り出された後には隊員が三名である女性を集団で暴行すると言ういまわしい事件も起きた。もちろん本人の素性や家庭環境など知るよしはない。

 バケツで同僚を殴り大怪我をさせた事件と同様に司法取引が行われるにちがいない。和解金を得るためには、それが好都合なのである。

 その後に沖縄での幹部自衛官による民間人殺害事件が発覚した。

 「慣れていくのである。そしてまず小さな事件に慣れてゆき、次第に大きな事件にも慣れていくのである。戦死者が出る。彼を軍神に祭り上げる。そして次第に大きな暴力である戦争に慣れていくのである」

 国民が一人一人、銃を持たねば身を守ることのできない時代が来るかも知れない。

 日本は成熟した。だから軍隊の暴走などあり得ないと言う主張を聞く。過去において日本は大正デモクラシーを破壊し、軍国主義に走ったのであるが、未成熟な社会であり、暴力や理不尽さがまかり通る時代は再起しないし、軍国主義も復活することはない。このように断定できるだろうか。

 それにしても成熟した社会とは、一体、どのような社会であろうか。どのような条件で成り立つのだろうか。

 個人個人が法を遵守することも大事にちがいない。

 社会を構成する個人個人が成熟していることも大事にちがいない。個人個人の成熟とは社会人としての独立も必要になるであろう。

 成熟した社会を維持するための勇気や責任感も求められるちがいない。

 成熟した個々の人間が正しい判断を下すためには情報が必要であろう。もちろん正しい情報かどうかを個々の人間が正確に判断する能力も必要になるであろう。

 少なくとも自分が住む社会は成熟した社会と言えないような気がする。

 二十年前にも柵の中で起きた出来事が現在の自分の周囲でも再現されようとしている。適切な処置はできない。六十年前にもそうだったにちがいない。歴史は繰り返すという言葉は的を得ているようである。


 二十年前の出来事は解決をしない。

 敵方は私に非があったと譲らない。もちろん私は敵方に非があったと譲らない。。私が被害妄想だと彼らは主張したがっている。

 正面を横切る者やそばを通り過ぎる者が、あの時どのような言動を発し、行為を行ったか疑ってしまう。何気ない日常的な会話の中で衝動的に怒りの感情が高ぶることも珍しくない。部下の責任は上司の責任だと美しい言葉を耳にする。たとえ自分に対する言葉でなくても二十年前のことを思い出し、衝動的に激しい怒りに襲われるのである。誰がどのように関わったのか想像すらできないが、婚儀の話しを壊すように指示した覚えも頼んだ覚えもない。

 ところで東北地方の部隊で発生した三名の隊員による一人の女性に対する集団暴行事件で上司は彼らに対する責任を取ったろうか。あるいは沖縄の部隊で発生した幹部自衛官による民間人殺害事件に際して責任は取ったろうか。犯罪者本人や彼の周囲の者は上司に責任を取れと詰め寄っただろうか。だが、このようなことを平気で主張しかねない者が柵の中では存在するのである。

 

 「人間とはそんなものだ。みずからの心に聞いてみろ。行動に出すか否かが犯罪者になるかどうかの境ではないか」

 闇の声は応えた。これまでこのような性悪で極悪人がいるとは思いたくなかった。

 世間や柵の中で起きる犯罪を考えた時に善意で彼女に電話をしたとは思えない。

 認めた瞬間に多く疑問が氷解したが、同時に感情は高ぶった。

 「許すことはできない」

 尽くせない怒りと怨みを覚えた。


 「嫉妬のせいだ」

 「個人的な趣味だ」

 「度を過ぎた悪戯だ」

 「単なる冗談だ」

 「気が狂っていた」

 声は頭の中で踊り狂う。

 「それで責任能力が問えないと言うのか」と闇の声が心の中で鳴り響く。

 気が狂っていたなどとは、自己申告ではすまない。当然、医師が判断することである。それに殺人を犯す時、多かれ少なかれ気が狂っているはずである。

 結局、例のバケツで職場の同僚を殴り続け大けがを負わせた隊員も、自己責任能力に欠けていたと病院への入院で済んだ。多くを語らせたくないと言う意図が働いた結果上での司法取引である。

 二十年間、脅え続けてきたが、我慢を続けるにもにも限界がある。私は自分の周囲で起きる出来事に無神経ではおれない。周囲の反応から彼女が不幸な人生を送ったにちがいなく、彼女は人生を台無したにちがいないと思うのである。ただその後の彼女の人生を詮索をすること自体、彼女を悪い影響を与えかねない行為として罪に問われかねない。


 結婚してからの十年の自分の足取りはどうなんだろう。振り返った時、安易では道ではなかった。

 高知で一年、香川で二年、滋賀で二年。山形で二年、福岡で一年、Nで一年、Kで一年半と言う具合である。

 私が幸せになることで困る者たちが存在したのである。やはり不幸な人生を歩む運命だったのだと正当化できなくなることを恐れたのである。彼らが安堵するためには私が不幸であることが必要なことであった。

 書こうと決意した。友人の江東は親もなく孤独な身の上で過酷な人生を生き延びてきた。生き延びるために必要なことである。 法律家にも相談をした。

 「彼女が訴える可能性がありますか」

 「ないとは言えません。民事訴訟に時効はありませんから」と彼は言った。

 「訴訟の相手が誰になるでしょうか」

 思わず言葉が声に出たが、心の中での自問自答を繰り返していたことであった。

 訴訟の相手は私だろうか。それとも複数の脅迫者たちであろうか。あるいは彼らが頼みにした、みんなと言う存在だろうか。それにしても、彼らが言うみんなとは国民全員が対象であろうか。県民が対象になるのであろうか。あるいは背後に存在するはずのくにであろうか。彼女の出方で私の立場は三者三様に異なる。いずれにしろ、私はまな板の上に乗せられたまま待つしかなかった。これからも待つしかない。


 「こだわらないことです。人や物、事象にこだわることは心を占領されることです。やがて心を奪われることになりかねません。そしてみずからが破滅の道に足を踏み入れることにもなりかねません。みずからの若い時のように苦渋の体験を繰り返すことになりかねません」

 この言葉は壁の向こうのカウンセラーが自らが日頃の戒めとしている言葉にちがいないと思った。

 彼は言葉を続けた。

 「心に壁を造ることも必要です。無理して他人の言葉に耳を傾けたり、合わせる必要がないこともあります」

 これまでは出来なかった。周囲の者の言葉の端々に毒と棘を感じ、苦しまねばならなかった。彼らは、私が苦しむのを楽しんでいたのである。

 その頃からであろう。幻聴が続くようになった。正確には幻聴と呼べるものであるかどうかも疑わしいが、ふと夜中に目覚めた時に二十年前の出来事を思い出すのである。夢なのかも知れないが、はっきりとした言葉で残っているのである。もちろん直接、聞いた言葉ではない。

 「誰が、あんな男と一緒になる女がいるものか」と女を慰める言葉である。

 男としての誇りを葬り去る言葉である。

 「恥ずかしい」と言ううわさ話。

 「人生を目茶苦茶にしてやる」と言う脅迫。

 誰も居ないはずの部屋で寝起きざまに聞こえる、その言葉が焦りを発生させた。

 もちろん、すべてを隠すための手段を考えつきたかった。

 二十年を経過した今も、他人の結婚式の風景と言えども見るのが苦しい。

 

 最近では、二十年前に電話で彼女を脅迫し、すべてをぶち壊した本人達が豹変し、みずから私に道義的な責任と経済的な責任を取れと詰め寄っているかのように思える。彼らに近い者たちが彼らを庇うために私に対しているのかも知れない。

 恥も知らず、良心の呵責に苦しむこともなく、一切の束縛とは無縁な調子者の方、この世界で生き抜く生存競争には強いようである。

 




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