第2話 ヒューゴという男

「時間通りだな、菜々子」

 部長室には一人の男がいた。

 ヒューゴ。ヒューゴ・ウィービング。肩でカットしている黒い髪、優しそうなたれ目、何を考えているのかわからない薄い笑顔。そして、イギリス出身とは思えないほどの小さな身長。このパステルグリーンのスーツは彼にしか似合わないだろう。

 そんなホビット族のような男は、大きなパキラが目立つ観葉植物の森のような室内に、黒い大きなソファと、客を迎えるための高級そうな長いソファ二つと、枠と足が木でできたガラステーブルを備えていた。

「あらあら部長、ご機嫌よう」

「何がご機嫌なものか。最悪の一日になりそうだよまったく」

 小さな緑のエイリアンは、スタートレックのヴァルカン人よろしく体に合わないソファーに腰かけた。

 よく見ると、ガラステーブルの上に、二つとコーヒーカップがあり、一つはクリームも使っていたが、もう一つは湯気が立ったままだった。

「誰が来たの?」

「トニー・ブラウン。政治家だ。首相戦において、第三の道を示し当選された有名人だよ。所属政党は勤労党」

「首相か」

 私は、口にしていたミルキーなロンリポップを口から外した。

「そうだ。正確には、トニー・ブラウンの専属秘書を名乗る女から密書が送られてきたというのが正しいのだが・・・」

 彼は私にある封筒を渡した。

「内容がな」

 私がもう一度ロンリポップを口にして、密書を読んだ。

 

 親愛なるヒューゴへ。

 以前お会いしたときは、カエデの木が色づく9月の下旬で、イングランドのテスト川でフライフィッシングを楽しんでましたね。そのときに教えてもらったフライフィッシングのコツや歴史。テスト川が発祥の土地であること。今も鮮明に思い出として息づいています。あの時もらったロッドで、またご一緒させてください。

 本題に入りたいと思います。

 最近異様な殺人事件が起きているのはご存知でしょうか?

 一家がすべて体を貫かれ、心臓に大きな穴をあけられる怪事件です。

 しかも時間差があり、一家全員が死亡する時間が日を開けてバラバラなのです。

 この事件は犯行予告はありませんでした。しかし私のところにその犯人から、2月最後の雨の日に一家全員を殺すとの予告状が届いたのです。

 今ここで家族と一緒に死んでしまってはいけないのです。これまで愛してきたもの、これから愛していくもの。これまで積み上げてきたもの、これから積み上げていくもの。私を取りまくすべての過去と未来が無に帰してしまいます。

 どうかヒューゴ、あなたの力で私を助けてくれませんか?

 もちろん、タダでとは言いません。

 500万ポンドご用意しました。

 前払いで250万ポンドを秘書にわたします。どうか受け取ってください。


 私は苦い顔をした。

「それで?秘書がこんな辺境の地にわざわざ手紙を届けに来たってわけ?」

「丁寧に犯行予告状のコピーと250万ポンドする高級ワインセットを持ってきてな」

 500万ポンドは日本円に換算すると7億円ぐらいだ。それほど助けてほしいと見える。

「私たちは傭兵みたいなものだ。紛争地帯において、民間人や医師団の護衛をする活動を行っており、武力の無力化を完全に行使する。それが私たちだ」

 ロンリポップを口から外した。

「そうね。頼まれて、お金まで渡されたら傭兵もどきの私たちはどうすべきなのかしら?」

「無論。依頼は受けるべきだ。入金もある」

 彼はテーブルに例のワインセットを置き、その上に予告状のコピーを置いた。

「今回の任務は首相の護衛、そして犯人の無力化だ。できるな?」

 私は、肩をすくめた。

「政府が頼るなら、私たちじゃなく公安けいさつにすればいいのに…」

「そういうな。私の数少ない友人の頼みだ。聞いてやってはくれないか?」

 彼は年端のいかない少年のような高い声で、私に言った。

「ビッグボスのいうことにゃあ、聞かざるをおえませんな」

「感謝する。後日、犯人につながるものすべてをお前たちに渡す。うまくやってくれ。くれぐれも周囲の注意を怠るな。犯人はすぐにみつかるだろうからな」

「はいよ」

 私は部長室の大きな扉を開けた。

 ロンリポップは、苦いグリーンカラーへと変わっていった。

 


      ◇



『エイボン、ジェイソン。聞こえるか?』

 私は303号室に向かう途中。無線機のようなもので二人に連絡を取った。といってもこの無線機はまるで石である。と、いうより石である。石に【R】(ラド)を加えたものだ。このラドを加えることによって遠隔の通信を可能にしている。

『聞こえますぜ、隊長』

『…無論だ。きれいに聞こえる。仕事か?』

『ああ。昨今起きている心臓ごと穴が開いた事件だ。そいつを洗い流してもらいたい』

 古い階段を下り、アンティーク調でかたどられたエレベーターを起動させる。

 エレベーターが軌道すると同時に時計塔に取り付けられた古金の円柱がゆっくりと回転する。その円柱には、多くの突起物が不規則に並んでおり、それが回るたびに高く奥に響く重低で軽高なハーモニーが流れていく。

 

 グランド・オルゴール。

 それは大きく響く人の歌。

 回る時を頼りに、廻る人の歴史。

 積み上げてきた、大きな大きな、輪廻の鍵。

 人はそれを、『魔術』と呼んだ。


 いくつものシリンダーが回り、いくつもの曲調が重なり合って、大きな曲を一つ作り上げている。

 人生も同じようなものだ。人が人といくつも折り重なってできる一つのハーモニーだ。

 そして、今日という日もまた、ハーモニーの一つとなる。

 それは、『新世界』を謳うのにピッタリだった。

『グランド・オルゴール。また今日という日がはじまるのですね、隊長』

『ああ、君たち二人には探偵として警察に接触してほしい。そして犯人の特定を追いかけろ。私は首相を遠目から保護し異常がないか確かめる』

『了解!』

『…了解』

 そしてオルゴールは三階で止まる。

 右に曲がれば、私の部屋はすぐそこだ。

「ヒューゴ」

 警戒を怠るな、か。

 私は言いようのない寒気を感じていた。

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