第三章 嵐の前
21 浮遊都市の首狩り天使
ASIDとアシッドフレームの戦いは基本的に殴り合いとなる。
何もない荒野の真ん中にその巨体を晒すのは停船中の浮遊都市アークだ。都市丸々一つが空を飛ぶと言う物理法則を無視した事態を可能とするのは単にエーテルと言う別の条理による法則の結果だ。しかしそれにも限界はある。一年の四分の一はこうして地上に着陸する事を避けられない。その理由は空を飛ぶために必要なエーテルを溜める為だ。一か月の充填で三か月は飛行が可能となる。
そしてその一か月の間、浮遊都市は地面から離れていると言う最大の防壁を失う事になるのだ。
その代わりの城壁となるのがアシッドフレームである。
巨大な浮遊都市を背に、十機ほどのアシッドフレームが足音を響かせながら走る。全ての首が落とされているのはそここそがASIDの中枢、思考等を司る部分だからだ。頭部の代わりとなるセンサー類とコクピットを取り付ける事で完成するアシッドフレームの性能は元となったASIDの性能とほぼ互角である。
十機のアシッドフレームが向かう先にいるASIDは計十体。いずれもこの先にある大量の人がいる場所、即ちアークを目指して一目散に駆け寄っている。
何故、ASIDが人を襲うのか。実の所良く分かっていない。彼らは人を捕食するわけではない。捕獲して彼らの巣――ネストに連れ去っていくがそこで何をしているのかは不明だ。ネスト内部にまで侵攻出来た事は無い。それ故にASIDがどういう生態なのかも不透明なままと言うのが実情だ。
だがこうしてASIDは人の反応をどうやってか見つけるとすぐさま寄ってくるのだ。それを排除する必要があった。
十機と十体がぶつかり合う。射撃武器はどちらも持っていない。ASIDは己の爪と牙で、アシッドフレームは切れ味よりも叩き潰すことを重視した長剣で切りかかる。
ASIDが飛び道具を持たない理由は不明だ。トータスカタパルトの様に火砲を持つ個体もいるが、基本的には無手だ。研究者の言によれば通常タイプなどの下位個体は獣であり、道具を使う知性が無いためではないかと言う事らしい。
アシッドフレームが飛び道具を持たない理由は簡単だ。安定して弾を供給できない以上無駄撃ちは許されない。持てるのは腕の良いフレーム乗りだけ。それ故の殴り合いだ。
ASIDとアシッドフレームの動きを比較した場合最大の差異はそこである。ASIDは道具は基本的に使わない。ただ己の肉体で戦うのみだ。少なくとも通常タイプは。逆にアシッドフレームはASIDの装甲を加工したものが大半だが武器を使う。ASIDは本能のままに戦うが、アシッドフレームは操る人間によって武の術理を扱う。
その差はすぐさま圧倒的優劣として現れる。そもそもが戦いとは間合いの長い方が勝つとも言われている。素手より剣。剣より槍。槍より弓矢。弓矢より銃。人はそうして間合いを、射程を広げてきたのだ。それ故に素手しか扱えない通常タイプのASIDとの戦いが人類優位に進むのも無理は無い事だった。
こうしたASIDとの戦いで最も優先すべきことは何か。それは損害を受けない事である。
人類側のリソースは限られている。例えばアシッドフレーム。これは対ASID兵器を一から作る余裕が無い事による苦肉の策とも言える存在だ。その材料の大半をASIDから取っているとはいえ、破壊されたら修理をするためには人手が必要となる。そうなるとその分作れるはずだった何かが作れなくなるのだ。
だから、急なASIDの増援によって先発隊が取り込まれた際にその脱出を支援するための部隊が存在する。
「二時方向。ASIDに包囲されている友軍機十を確認。敵総数三十二」
「結構数が多いな」
ここ半年ですっかり聞き慣れた良く言えば冷静な、悪く言えば無愛想な声の報告に誠は率直な感想を返す。ASIDが三十二体もまとまって行動していると言うのは珍しい。それ位の事が分かるくらいには誠もここでの生活に慣れてきた。
「はい。ジェネラルタイプの存在を確認できず。全て通常型の様です」
戦場の情報を素早く読み取り、操縦者が望む情報を素早く提供する。それはある意味で戦場を俯瞰する様な神の視点が必要な作業だ。
それを容易く行っているのは誠の後ろ――サブドライバーシートに座る黒い髪を三つ編みにした少女。名を山上雫(やまがみしずく)。元アークの管制官だった少女だ。切れ長の目は見る人に鋭利な印象を、その淡々とした声音は聞く者に冷静な印象を。その二つを合わせて切れ者、と言うイメージを周囲に与え、事実その印象に違わぬ能力を持つ才媛だ。
それだけではないと言う事も誠は既に知っているが。
「よし、それじゃあ素材調達と行きますか」
《了解。RER出力を戦闘モードに。稼働効率50%》
ヴィクティムの声が自身を戦闘に適した状態に変更したと告げる。モニターに移された三十二体のASIDは十機のアシッドフレームを包囲しつつある。アシッドフレーム部隊は円陣を組んで互いの死角をカバーしているが時間の問題だろう。その性能はほぼ互角。勝るリーチも、一度接近されてしまえば取り回しが聞かないと言う欠点に変わってしまう。
純白の装甲から燐光が漏れる。雫と誠のマッチング結果はB。ヴィクティムの全性能を発揮するには至らないが、最早並のASIDでは敵にならないレベルの出力だ。それに伴ってエーテルコーティングの出力も大幅に向上し、今ならばトータスカタパルトのレールガンの直撃もやり過ごせるとの計算結果が出ている程。
更に肩口の噴射口からも光が溢れだす。その様子はまるで羽が生えているかのよう。青白く輝く羽を伴ってヴィクティムは待機地点――アークの都市部、それを囲う強化ガラスのドームの天辺から飛び降りた。
「いやっほう!」
「ひゃっ!」
地面に着地する瞬間、爪先の周囲からエーテルの波動が二度放出される。それだけでヴィクティムは完全に静止した。地面に触れることなく、だ。その原理は浮遊都市が浮く理由と全く同じ。
《エーテルレビテーター、動作正常》
「誠さん。万が一レビテーターが動作異常を起こしたらここでヴィクティムは損傷。囲まれている十機のアシッドフレームは増援が間に合わず奮戦虚しく全滅。都市は貴重な資材を擦り減らすと言う事になりかねません。より安全に行くべきじゃないかと私は思うのですがどうでしょうか?」
「い、いや。もう何度も試してるし大丈夫かなって」
後ろから聞こえてくる淡々とした提言に誠は背中に嫌な感じの汗を覚えながらしどろもどろに反論をする。それに対する切り返しは即座に来た。
「何度も、と言いますがまだたったの十七回ですよね? 試行回数十七回で全てを把握したつもりになるのは早計かと思います。確率が偏っただけと言う可能性もありますし、そもそも飛び降りる必要が全くないですよね。普通に駆け降りるので十分ですよね。違いますか?」
「はい、仰る通りです……」
正論である。言葉でタコ殴りにされた誠はぐうの音も出ない。
「言っておきますがこれは私が飛び降りる事に忌避感を抱いている訳ではなく、ましてやそれが怖いなんてことでもありませんのでそこは勘違いしないようにしてください」
「いや、悲鳴あげておいてそれには無理があると思う」
「何か言いましたか?」
「イイエ、ナニモ」
振り向かなくても後頭部に感じる視線から分かる。きっとあの冷たい視線を向けているのだろうと誠は思った。実際には少し唇を尖らせて頬を染めているのだが正面を向いている彼は気付かない。
そんな会話をすることが出来るのも余裕があるからだ。爪先を浮かせたままヴィクティムは移動を開始する。まるで滑る様に。その動きは飛翔していると言っても良い。そして手にするのは鋭利な輝きを宿す大鉈染みた大剣。
ハーモニックレイザーでは周囲への被害が甚大過ぎる。エーテルダガーでASIDを斬ると切断面が溶解してしまい再利用が難しい。そう言った事を受けてヴィクティムが手ずから金属を磨き上げて作ったハンドメイドの近接兵装だ。二十メートルもあるロボットがチマチマと刃を研いでいる姿は何とも言えない哀愁が漂っていたと言う。
滑空しながら方位を完成させつつあるASIDのすぐ背後に立つ。足音一つ立てないこの移動にASIDはまだ気付いていない。その頭を鷲掴みにして鉈を一閃。首と胴を綺麗に切り離す。
「まずは一つめっと」
「敵残り三十一、こちらに気付いていない固体にマスクをかけます」
雫がそう言うと画面に映っているASIDの輪郭に赤い線が重なる。これらが優先攻撃対象、と言う事になる。こちらに気付いていないと言う事は隙だらけであり、同時に守るべき十機のアシッドフレームを狙っていると言う事だ。二重の意味で素早く排除する事が求められる。
ヴィクティムに求められているのはこうした急な増援への対処。そしてもう一つは他の機体よりも素早く、そして綺麗にASIDの解体を行う事である。
「ほい、ほいほいっと!」
手慣れた手つきで誠はヴィクティムの腕を動かす。その意を違えることなく正確に軌道を追従し、まとめて三体の首を飛ばす。こちらに気付かず回避行動も取らない相手だ。容易い仕事だった。
翻って後ろから迫ってくるASIDを斬り伏せる。半ば反射的な行動だったがその結果に誠は眉を顰めた。
「やべ、思いっきり胴体斬り付けちまった」
「損傷は……エーテルリアクターまで行ってますね。この個体は殆ど再利用できないでしょう」
《伝導体の再利用のみが可能かと考えられる》
「うおおお……優美香に怒られる」
もっぱら誠達の部隊専属となっている桃色の髪をした機械フェチの整備兵の怒る姿を想像して誠は頭を抱えたい気分になる。そんな事をしていたらタコ殴りに――されたとしても恐らくは無傷だが――されるのでしないが。
「だ、大丈夫。他の三十一体を綺麗に解体しておけばあいつだって怒らないよな……?」
自分で言っていてその姿が想像できなかったのか、言葉尻が段々と弱気になって行く誠に雫はこれ見よがしに溜息を吐いた。
「私からもちゃんとフォローしてあげますよ。あれは仕方なかったと」
「ありがとう雫! その優しさを普段から見せてください!」
「調子に乗らないでください。敵残数二十七中二十四がこちらに気付きました」
その言葉に合わせてマスクされていた輪郭が消える。残り四機は未だにこちらに気付かずに十体のアシッドフレームに向かっている。自分たちが孤立している事にも気づかずに近寄って行く姿は最早間抜けだ。散々追い回された鬱憤を晴らすとばかりにアシッドフレーム部隊が各々の武器を構えて突撃した。
それを誠は横目で眺める。ヴィクティムは滑る様な動きで敵の攻撃を躱していた。流石にこれだけの数に連続で攻撃を仕掛けられると攻撃をはさむのも大変だ。それが首だけを正確に狙うとなれば尚の事。
右腕が突き出された。その右腕を掴んで引っ張る。バランスが崩れたASIDを盾にしながら一方向からの敵の攻撃を封じる。ASIDは生きている限り同士討ちはしない。それ故に短時間ではあるが体勢を立て直すまでその個体は壁となる。それに背を向けて次に遅い来る相手と向かい合う。相手の攻撃が何であろうと関係は無い。相手が突っ込んでくるのに合わせてヴィクティムは跳躍する。
光の羽をたなびかせて飛ぶ姿はまるで天使の様。ふわりと浮きあがるように飛んで、今しがた突っ込んできたASIDの背後に着地する。その次は右に倒れ込む様にして回避。一瞬前までヴィクティムの頭部があった空間を別のASIDの右腕が薙ぎ払って行った。
肩が地面に着くかと言うところで落下が止まる。エーテルレビテーションは浮く、と言うよりも地面に触れないと言う方が正しい機能を持っている。それ故に地面すれすれをまるで床を舐めるかのような動きで移動する。
「……相変わらず気持ちの悪い動きをしますね」
「気持ち悪いとか言うなよ……」
足元を、膝よりも更に下を滑るように移動する相手を攻撃する方法など考えた事も無いのだろう。ASID相手にこれをやるとかなり混乱させられるのだ。いや、人間相手でも相当に困惑させられるだろう。
有効である一方、雫の言う様にかなり気色の悪い動きであることは事実だ。誠自身そう思ってはいるのだが他人から言われるとショックが大きい。震える声で反論する。
「せ、先進的な戦術は理解されない物だし」
「理解はしていますが、その上で気持ち悪いと思います」
「追い打ちかけるのやめて!」
何が悲しくて戦闘中にバディから罵られなければいけないのか。
そんな会話をする余裕がある程に戦況は人類側優位に動いていた。
無論、普通はこうならない。ヴィクティムの性能が隔絶しているためにその様な状況も許されているのだ。
それに彼は一人で戦っている訳ではない。
背後から襲おうとしたASIDの頭が弾ける。その下手人は小さな一発の弾丸。性格に頭部、ASIDの知能を司る部分を正確に貫いた結果だ。そちらを振り向く事も無く誠はやや呆れた様な声を出す。
「相変わらず非常識な腕してるな……リサは」
『ボク以上の非常識を発揮している誠君にだけは言われたくありませんね』
通信機越しにリサが不服の声をあげた。彼女が今いる場所は遥か彼方、アークの外縁に膝を突いて長大なスナイパーライフルで入り乱れて交戦している中のASIDの頭を貫いたのだ。その様な事が出来る者はリサ以外にいない――いや、そんな事が出来るからこそリサには貴重な火器であるスナイパーライフルが与えられているのだ。
『ルカがいないからってはしゃぎすぎですよ』
リサは今この場にいないチームメイトの名を挙げる。彼女は機体に不備が見つかったため待機中だ。リサと同じ青い髪をポニーテールにした少女が怒っている顔を想像してしまい誠はまたテンションを下げる。
「いや、だってさ……久々に周り気にしないで良い状況だし、ちょっとはね?」
「そうですね。あの子と一緒だとそれに足並みを合わせる事になりますからね。悪い事ではありませんが誠さんとしてはストレスが溜まるのでしょう」
チームで動くことが嫌なわけではない。ただどうしてもヴィクティムとハイロベートの性能差があるためそれに合わせる必要があるのだ。その差をどうにかしようとしている動きはあるのだが現状実を結んではいない。
単独で動き時と言うのはこの半年でも珍しい。その為鬱憤を晴らすかのように思いっきり動いていたのだがそれを指摘された形だ。
『…………雫さんはあれですね。意外と誠君に甘いですよね。前から思っていましたが』
「何の事でしょうか」
湿度の高いリサの視線をものともせず雫は応じる。その態度に瑕疵は僅かたりとも見当たらない。堂々とした態度にリサは肩を竦める。
『あれとかこれとか色々とありますが、まあそれは後にしましょうか。お客さんです』
「ええ、確認しています。誠さん。三時方向に別のASID集団二十体を確認。今日は大漁です」
「了解! これなら優美香の奴も満足するだろう」
そう言葉を交わして。ヴィクティムは大鉈を構える。
「それじゃあまずはここにいる連中の首を全部狩らないとな」
その一時間後。アーク周辺の荒野には立っているASIDはいなかった。有るのは首の無い胴体と、切り離されて更に潰された夥しい数の頭部だけだった。
死屍累々の大地の中心にいるのは肩に大鉈を担いだ純白の天使染みた機体。
近頃守護天使とも首狩り天使とも呼ばれるようになったヴィクティムがそこにいた。
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