第89話 82



「『家畜の女王』?」



 何十枚もの畳が敷かれた室内に俺の声が響いた。

 衣桁いこうに吊るされた緑と水色の狩衣が揺れる。


「はい」


 一位はうっそりと頷いた。

 その手がゆらりと動き、泡に濡れた茶筅ちゃせんが置かれる。


 事後処理を終えた俺は一位の屋敷に呼び出されていた。


 時刻は夜。

 御楓を覆っていた熱も冷め、人々は眠りに就いている。

 ――普段よりきつく戸締りをして。


「せかいのそうじんこう、わかりますか」


(……)


 唐が三千万。

 ザムジャハルが一千五百から二千万。

 エーデルホルンは一千万。

 葦原が六百万。

 ブアンプラーナが三百万。


「少なくとも六千万は超えていたかと」


「いったん、そのりかいでよいでしょう。ひるがえってあるけおは?」


「千二百……」


 はっと気づく。


「あるけおはじんるいをかり、くらいたい。そのいっぽうで、いちぶをかいならしたいともかんがえている」


 カヤミ一位は自ら点てた茶を手に、俺の向かいに腰を下ろした。

 するりと布が落ち、畳まるような動き。


「こうだいなえさばをてにしたあるけおは、かくじつにかずをふやすでしょう。そうなったとき――」


 つつ、と一位はほぼ音を立てずに茶を啜る。

 喉の渇きを覚えた俺は既に茶を飲み終え、菓子まで食べ終えていた。


「『つめ』のやくわりはこれまでどおりですが、『あん』はいくじとかじにせんねんしなければならない。にんげんをかんりするひとでがたりない」


「だから家畜にした人類は、人類に治めさせる……」


「はい。そうすれば『あん』はこころおきなくこそだてにせんねんできる」


 一位の視線は碗の茶に吸われている。

 室内着ではなく弓取りの格好のままなので、くつろいでいるようには見えない。


「それに、あるけおがちょくせつしはいするより、なにかとぐあいがよいはずです」


「? 『家畜の女王』が同じ人類なら、反乱を防ぐことができるから、ですか?」


 これまでアルケオが支配していたのは言葉を持たない人類だ。

 教育を受けるどころか、自分が何者なのかすら知らない『人類』。

 文字通りの「裸の猿」。


 だが今、アルケオが敵対している人類は言葉を知っている。

 それに余程の不遇に置かれた者以外は一定水準の文化にも触れている。

 牧場に放り込まれ、アルケオに力ずくで支配されば、確実に蜂起するだろう。


 そこに『家畜の女王』を置く。

 なるほど、支配するのが同じ人類がならいくらか気も休ま「ぎゃくです」


「……逆?」


 一位の手に乗る茶碗が傾く。


「『かちくのじょおう』にはあるけおとの『こうしょうけん』をもたせるはずです」


「交渉権……?」


「かちくのふまんやふあんをすいあげさせ、あるけおにかいしょうをもとめるのです」


「檻が汚いとか、食事が少ないとか、そういうことですか」


「はい。そうしたようきゅうは『かちくのじょおう』をつうじてあるけおにつたわり、こうしょうされ、てきどにかいしょうされる」


 俺の想像通り。

 つまり『女王』の支配によって家畜は心の平穏を得る。――はずなのだが。


「……それが何故『逆』なのですか? 不満を解消させて、反乱を未然に防ぐための女王なのでは?」


「ふまんはきえません。はんらんも、けっしてふせげない」


 一位が茶碗を置いた。 


「かちくがはんらんをおこすあいてとして、『かちくのじょおう』をおくのです」


「!」


 驚きに身じろぎする。

 じくりと膝が痛んだ。


「あるけおはおそらく、むりにかちくをとることはしない」


「……俺もそう思います」


 何せ、ほぼ全人類がアルケオに牙を剥いている。

 奴らはまず、その牙を根こそぎ折りに来るだろう。


 最前線で戦う者たちはアルケオにとって魅力的だろうが、家畜に堕とすのは困難だ。 

 主だった軍を徹底的に殺し尽くし、抵抗の意思が弱まったところを見て、アルケオは『捕獲』を始めるだろう。


「家畜にするなら、完全に無力化した戦士か、戦闘能力を持たない者、もしくは――――」


 ぞわりとする。

 が、一位は目で続けるよう促した。


「もしくは――――自分からアルケオの家畜に志願した者……」


「はい」


 一位は普段と変わらない様子で茶碗を眺めている。


「もしわれらのしんこうがしっぱいすれば、そうとうすう、でるはずです」


「……」


「九位はあまりじっかんがないかもしれませんが、あんがいおおいのです」


「死にたい者が、ですか?」


「いきたくないものが、です」


 一位の茶碗に描かれた蟹が、青黒い鋏を振り上げている。

 何を考えているとも分からない、粒のような目。


 はなしをもどしましょう、と一位は呟く。


「あるけおのかちくは、じゅうじゅんなものでしめられるはず。とはいえ、ようきゅうはあるはずです。かれらはにんげんらしいくらしをもとめます」


 ある程度の要求は女王を通じて解消される。

 だがある程度は、拒まれる。

 そこで家畜は不満を溜め込む。

 

「いっぽうで、『かちくのじょおう』は『とっけん』をもたされることでしょう。ぜいをこらしたしょくじ、ごくじょうのかんたい、いちぶの『あん』をめしつかいにするかもしれない」


「代官みたいなものでしょうか」


「かんかくとしては、そのようなものです。どれだけたみにつくしても、たみからこころよくおもわれることはない」


「……」


「それがつとまるのはけいさんだかいおとなではなく、こどもです。あるけおのきょういくをじゅうぶんにうけ、そのしそうをはだでりかいしている、こども」


 もう一つ条件がある。

 アルケオの社会で『男』の地位は低い。

 人間の統治者に据えられるのもやはり『女』。


「『女の子』……」


「かつ、『せいとうなるけんい』のもちぬしであるべきです。さもなくば、ほんにんのしめいかんはじぞくせず、かちくはかのじょをあなどるでしょう」


 すなわち、と一位の唇が動いた。


「あるけおがもとめているのは、『おうぞくのしょうじょ』」


 俺はようやくアキがプルにこだわっていた理由を理解した。

 奴は食料や愛玩動物としてではなく、『人間牧場』の長としてプルを選んだのだ。

 攫った後は一位の言うように『教育』するつもりだったのだろう。


 もちろん初めは抵抗するだろう。

 だがアルケオと恐竜が人類を蹂躙する様を見れば、遠からず考えを改めるに違いない。


「かっこくのおうぞくについては九位もしってのとおりです」


(――――)



 唐は国そのものが分裂している。

 旧王都のあるこうには王太子がいるものの、それ以外にも山ほどの、そして有象無象の『王子』『姫』がいる。

 

 エーデルホルンは王族が統治する国だ。

 性別は問われない。今の女王は十五、六歳だったはず。


 ザムジャハルは代々男系の『帝王』が支配する。

 現在の帝王も当然、男。髭面の男だった記憶がある。


 ブアンプラーナも代々男系だが、他国に比べ王族が多くの子を設ける。また、時に王よりも王妃に権力が集中する。

 現在は正統の跡継ぎであるセルディナの廃嫡によって、王の親族、そして王子と姫が血みどろの争いを繰り広げている。


 葦原は――――俺にも分からない。

 帝様にご子息がいらっしゃるのかどうか、その性別がどちらなのかも。

 それ以前に、帝様が男性なのか女性なのかも、俺は知らない。



「あるけおがまっさきにめをつけるのは、エーデルホルン」


 一位は釜から立ち昇る湯気を見つめていた。


「じんるいけんでゆいいつ、じょせいのおうがしはいするくに。かのじょこそが『かちくのじょおう』にふさわしい」


「しかし、攫うことはできなかった」


 当前だろう。

 かの国の軍は層が厚く、王室の近衛は凄腕揃いだ。

 しかも、バリスタや銃、大砲といった危険な兵器を有している。

 怪鳥や肉食恐竜程度で王都を落とすことはできない。


「つぎにねらうなら、どこでしょうか」


 唐は小国が覇を競う時代。『正当なる権威』というものが存在しない。

 葦原は帝様の情報を伏せているため、子の有無が分からない。

 ザムジャハルはアルケオと表面的な同盟を結んでおり、敵対するのは最後にしたい。


「……。ブアンプラーナ……」


「おそらく、ザムジャハルがそそのかしたのでしょう」


「ろくなことをしない国ですね」


「じこくのため、たこくをうる。なにもふしぜんはありません」


 一位は大きく息を吐いた。


「プルおうじょは、あるけおのもとめるじょうけんをほぼみたしていた。ザムジャハルはあるけおにおんをうるべく、あるいはこうしょうのざいりょうとすべく、かんやぎにさらわせた」


「ですが、失敗した」


 はい、と応じた一位が続ける。


「あるけおはこんごも『かちくのじょおう』をさがすでしょう。あるいはアキやトビいがいのあるけおが、すでにしゅちゅうにおさめているかもしれない」


 もし、と一位の片目が僅かに動く。


「あるけおが『かちくのじょおう』をたてにするようなことがあったら――いころすように」


「……」


「せきにんはわたしがとります。わたしのなのもとに、ころしなさい」


 武士数十人が素振りできそうな室内が、痛いほどの静寂に包まれた。






 一位は再び俺に茶を点て、自らの茶を点てる。

 ちゃかちゃかと軽い音。

 正座している姿を見るのは珍しいので、俺はぼうっと一位を眺める。


「ひとつ、きになることがあります」


 一位の呟きで、はっと我に返る。


「なぜ、アキがたんどくこうどうしていたのか」


 それは俺も不思議に思っていた。

 アキは敵対勢力の存在を知っていた。だというのに、わざわざ一人で行動していた。

 もし初めから一人でなければ、誰かに陥れられることもなかったはず。


 一位の言う通り『家畜の女王』を手にすることが目的なら、最低でも五、六人は仲間をつけるはず。

 なのに、いなかった。

 アキは一人だった。


「『そらとぶぶたい』をしきするあるけおも、トビひとりでした。しらべたはんいでは、ようどうもいなかった」


 聞けば聞くほど、妙な話だ。

 アルケオの『爪』は集団で動く。

 五か国最小の葦原へ空から攻め込むとは言え、不用心過ぎはしないか。


「あるけおはわれらをしたにみています。ですが、たんどくでのせんにゅうをめいじるほど、じょおうはおろかではない」


「つまり……?」


「つうじょうのしきけいとうとは、はずれたうごきということです」


「……」


「……。サギのじょうほうでは、そうしたことをゆるされるぶたいがあったはず」


(通常の指揮系統を外れて動ける部隊……?)


 記憶を探り、一つの言葉に辿り着く。




「『賜天十哲してんじゅってつ』……」




 こくりと一位が頷く。


「あのふたり、その『じゅってつ』だったのかもしれません」


「待ってください。俺が聞いた話では――」


 俺はサギに『十哲』についての情報をもらっている。

 だがその中にアキの名は無かった。

 もちろん、空飛ぶアルケオの名も。


 サギが知っていたのは十人中六人程度だったが、アキが入っているなら確実に名を挙げるだろう。

 あの二人が『十哲』であるわけがないのだ。


 一位は静かに告げた。




「じょおうが、だいがわりしているのかも」




「!」


「『じゅってつ』は、じょおうがかわるといれかわる。ちがいますか?」


「いえ、合っています……!」


「すこしまえに、あるけおがいっせいにひいたときがありました。ちょうど、九位がサギをたすけていたころです」


 あった。確かに。

 あの時、アキたちはずいぶん急に女王の元へ向かっていたようだった。

 おそらく『座』が『爪』を呼び戻したのだ。

 サギが応じなかったのは子供たちがいるからか、『安』だからか、あるいは他の理由か。


「女王が代替わりして、新しい『十哲』が選定された。その中にアキと……空飛ぶ恐竜を操る『トビ』が加わった……」


 考え、唸る。


(アキが……?)


 明朗かと思えば狡猾。

 冷酷かと思えば闊達。

 分かりやすいようで分かりにくい、赤いアルケオ。


「なにか?」


「いえ……俺が言うのは滑稽かも知れませんが、そこまで強いようにも、特別なようにも思えませんでしたが……」


 十哲にはシャク=シャカを退けた『ユリ』がいる。

 彼女に比べ、アキはどうしても見劣りする。

 もちろん、『十哲』は強さで選ばれるわけではないのだが、それにしても――――


「ほんとうにそうでしょうか」


「え?」


「わたしはそのばにいたわけではありませんが――あなたとサギのやりとりに、みょうなものをかんじます」


「……妙なもの?」


「サギは『アキはぐんにおいて、へいきんていどのつよさ』といっていたそうですね」


「はい。そのようなことを言っていました。……」


「みょうだとおもいませんか」


「妙?」


「かのじょは、じょちゅうですよ」


「……。っ」


「なぜ、アキのつよさをしっているのです」


 そうだ。確かに、おかしい。

 アルケオの『爪』は900人いる雌のうち、800人が属する最大勢力。

 アキが『平均』程度の実力者なら、『空飛ぶ恐竜』の存在すら知らない『安』のサギが、その名を知っているわけがない。

 他の無名のアルケオと同じ扱いのはず。


「もちろん、あなたはサギとであったときにアキのなをくちにしている。きょうつうのにんげんとして、ただなまえをだしただけかもしれない」


 でも、と一位が続ける。


「アキがつよいのかよわいのか、サギはしらないはずです。いっしょにいたときに、そうしたはなしをするきかいがあったかのうせいはありますが……どうもそうはおもえない」


「……」


「まるでサギは、アキがどういったじんぶつなのか、さいしょからしっていたようにかんじます」


 年齢からして、アキを育てたのがサギということはありえない。

 話しぶりから察するに、個人的に親しいようにも見えなかった。

 もちろん、アキが『肉を食べない』という特殊な嗜癖の持ち主のため、サギが個人的に知っていた可能性もある。

 だが、一位が言いたいのはそうではなく――


「アキは、なにかとくしゅなぎのうをもっているのかもしれません。それは、サギがアキのなをしるほどとくべつなぎのうだったのかも」


「……」


「アキはそれゆえにあらたな『じゅってつ』にえらばれ、たんどくこうどうしていたのかもしれない」


「……」


「九位をまどわすことばをくりかえしていたのも、それをさとられないためだったかのうせいがあります」


 唇を噛む。

 両手を畳みにつき、頭を下げる。


「……。面目次第もありません。俺があそこで殺していれば……」


「じゅうようなのは、そこではない」


 冷たく言い放った一位が立ち上がり、ふすまを開いた。

 夜空が見える。


「つばさをもつきょうりゅうを、『よくりゅう』となづけました」


 翼竜。

 それが御楓を襲った恐竜の名前。


「ひこうのうりょくも、まぢかでみました。……はっきりいって、あれはひじょうによくない」


 同感だった。

 あの高さを飛ばれたら、太刀衆でも忍者でも対応できない。

 地形を無視して移動できるのも厄介だ。


「よんかこくかいだんがはじまるまでに、あれはつぶさねばならない」


「……。各国の弓兵が集まれば、さすがに襲って来ないのでは?」


 翼竜は高高度を移動するが、攻撃の際にはどうしても低空に降りなければならない。

 そこを射かければ対処できない敵ではない。

 向こうも、今回の襲撃で嫌と言うほど思い知っただろう。


 九位、と冷ややかな声と共に一位が振り返る。


「わたしなら、あれにどくをはこばせます」


「!」


「ふんまつでも、えきたいでも。てのとどかないきょりから、てきのしんぞうぶにおとす」


 あるいは、と冷淡に続く。


「よくもえるねんりょうを。やまいにおかされたにんげんを。これみよがしに、こどもを。……かねをおとすことも、ぶきをおとすこともできる」


「……」


「『じょおうのだいがわり』についてはなしましたが、じゅうようなのは『じゅってつ』がかわったことではない。あるけおぜんたいのほうしんがかわること」


「攻撃的になる、ということですか」


「こどもはおうおうにして、おやとはことなるみちをすすみたがるものです」


 家族、近親縁者、はては国にまで向けられたセルディナの憎悪を思い出す。


「『かちくのじょおう』はおそらく『せんだいじょおう』のはつあんです。このほうしんが、あるけおないぶでどうみなされるかによって、むすめのうごきがかわる」


 先代女王が強硬的だとみなされていれば、そうではない女王。

 謀略家だとみなされていれば、そうではない女王。

 それが俺たちの敵。それを討つのが最終目標。


 完全な代替わりでない点が厄介だ。

 アルケオ女王の座は、ふとした拍子に元に戻ったり、別の姉妹に譲られる。


 一位は指で襖を撫でた。


「あるけおは、がいてきがほぼいないかんきょうでくらしていたにもかかわらず、いくさのきびにつうじている」


「……」


「にんげんよりずっと、たたかいにたけている。おもいこみでうごくのはきけんです」


 それに、と一位は声を低くする。


「まんがいち、よくりゅうが『だんのうら』にむかったらいちだいじです」


「……。では、翼竜を皆殺しにされるのですか?」


「いえ、『よくりゅう』すべてをうちはたすことはできなくともよい。トビのような『のりて』もどうよう。……じゅうようなのは、『ちょうきょうし』をころすこと」


「『調教師』」


「いるはずです。『のりて』とはべつに、『よくりゅうのかんり』をつかさどるものが」


「乗り手がそれぞれ管理している可能性もあるのではありませんか?」


「いっぴきいっぴきのかんりだけならば、できるでしょう。ですが、しんしんのたいちょうかんりや、はんしょく、あるけおにならすくんれんは、せんにんしゃがいるはず」


 さもなくば翼竜の存在は『安』にも知られているはず、と一位は続けた。

 確かに俺たちは馬に乗り、馬の世話をしてやることこそできるが、馬を育て、増やし、売りに出すことはできない。


「トビはいまごろ、『ちょうきょうし』のもとへむかっているはず」


 目的を果たせないばかりか、翼竜をほぼ皆殺しにされるという惨敗。

 女王はもちろん、調教師への報告も必要だろう。


「『ちょうきょうし』はあるけおのすにはいない。『あん』にさとられぬばしょに『ぼくじょう』をかまえているはず」


 一位は白い指を軽く振った。


「六位のつけた『あおいとりょう』はみましたね? にんじゃに、あれのあとをおわせています」


「そのまま暗殺させるのですか」


「いいえ。ごえいがいるはずです。じゅうめんでもなければ、それをはいじょできない」


「では居場所が分かり次第、まとまった軍を送り込むのですか?」


「いいえ。おおぜいでむかえば、あちらにきづかれます。いざたたかいになったとしても、たいきゃくをゆるせば、それでおわり」


 そうだった。

 向こうは空を飛べるのだ。

 少しでも不利を悟れば、すぐさま撤退してしまうだろう。 


「てきがあなどり、げいげきをせんたくするほどのにんずうで、かくじつにいきのねをとめたい」


 つまり、と続く。




「『ちょうきょうし』を『あんさつ』します」




「……」


「すでにかっこくは、これにむけたぶたいをへんせいしている。それぞれてがかりをつかんでいるようなので、どくじにうごくでしょう」


「葦原も、ですか」


「はい」


 そこで、と一位の青い目が俺を見据えた。


「あなたに『しらはのや』がたつかもしれません、ワカツ九位」


「?! ……俺、ですか」


 心臓が大きく跳ね、しぼむ。


 昨夜から昼にかけての失態が思い出される。

 冒涜大陸のどこかに隠れ棲む『調教師』の暗殺。

 そんな大役、俺には務まらないだろう。


「たちしゅう、おおぬきしゅう、にんじゃも、それぞれのぶたいをおくりこむやもしれません。それは、わたしのあずかりしるところではない」


 いずれにせよ、と一位は軽やかに続ける。


「ゆみしゅうからも、あんさつぶたいをださねばなりません。そうなったとき、てきにんなのはあなたです」


「……。毒を使うから、でしょうか」


「いえ。九位いがいのじゅっきゅうは、にんちとじんいんのせいりでおおいそがしだからです」


 俺には守護地が無い。

 失われ、大貫衆の縄張りとなったからだ。


 つまり、十弓の中で最も暇。


「……。そ、そんな理由で……? 確実に成功させるならネコ……エノコロ七位かイチゴミヤ四位に声を掛けるべきでは……」


「そのふたりには、べつのにんむがあります」


「!」


 悟る。

 ネコジャラシ七位とイチゴミヤ四位は、俺よりできることが多いのだと。

 四カ国会談を控え、アルケオの全貌が見え始め、いよいよ開戦まで間もないこの時期だ。

 彼らにはより重要で、より難度の高い任務が割り振られているのだろう。


 翻って、俺は。


 俺は七位のような機転と機動力を持っておらず、四位のように一人で大軍を指揮することもできない。

 三位の強さも、五位の政治力も、六位の影響力も、持ってはいない。

 

 暗殺。

 ――ただ、殺すだけ。

 なら、順当に下から割り当てる。


 十位は性格的にも能力的にも不適格。

 それに巨竜を打ち崩せる怪力を、万が一にも失うわけにはいかない。

 八位は大貫衆と合流し、海上護送の任につく。


 だから、俺。


 殺すしか能がなく、失っても差し障りのない駒。

 それが今の俺。


「……俺は失態を犯しました」


「そうですね」


「つまらぬ意地を張って、皆に迷惑を掛けました」


「つまり、ばんかいのきかいをあたえられた、ということです」


「!」


「おじけづいているのですか、九位」


 どこか悪戯っぽい微笑。

 俺はその場で畏まった。


「そのようなことはありません。ただ、務まる自信が……」


「じしんのあることしかできませんか」


「――――」


「それは『おくびょう』といいませんか?」


 ゆらりと一位が身を揺らす。

 黒い金魚のようにも、水中で踊る墨のようにも見える動き。


「九位は、うえのおぼえがめでたくありません」


 心の恥部に触れられる感覚。

 カヤミ一位相手に心がささくれ立つことはないが、多少、声が硬くなった。


「……。それを払しょくする機会だと仰りたいのですか」


「そのままでもいいとおもうのはかってです。ですが、あしはらをうごかすのはあなたのきらいな『うえ』です。ろうじんと、きぞくと、かねもちと、ぶんかんです」


 一位は外を見ている。

 淡い月明かりに薄められた闇を。


「かれらがきにいらぬといえば、『じゅっきゅう』はかいたいされます。かれらがゆるさぬといえば、九位はゆみとりではなくなります」


「……」


「あなたのもたらしたじょうほう、ひじょうにきちょうなものでした。きちょうであるがゆえに、あなたをうたがうこえがある」


「?」


「あしはらをきらっている九位は、あるけおにつうじているのではないか、と」


「……いかにも――」


 赤黒いものがこみ上げる。


「――――時代遅れを悟ってさっさと死ぬべき老害と、間抜けさを指摘されないまま育った間抜け貴族と、己の利得しか考えない下品で下劣な業突く張りと、世の中を導いている気になっているのぼせ上がった文官の、考えそうなことです……!」


「……」


「『俺がアルケオに通じている』?! 見当違いも甚だしい。みやこでぬくぬくと、何の不自由もなく暮らしているあいつらが、俺の何を知っているんです……!!」


 かっと身が赤熱するようだった。

 叶うならばみやこに押し入り、どこぞの屋敷で淫蕩と怠惰と飽食に明け暮れる連中の首を絞め、殺してやりたかった。

 そうやって腐った血を抜き尽くした方がよっぽど、葦原の為になる。


「かれらがしっているのは――――」


 一位は冷淡な表情に戻っていた。




「くににつばをはいた、あなたのすがたです」




 胸を衝かれるようだった。


「しゃかいのせきで、きぞくにぼうげんをはいて」


「……っ」


「おおっぴらに、くにへのふまんをくちにし、ぶかとともに、さけのさかなにして」


「っ」


「えらいもの、かねのあるものは、みなよごれていて、あくだといってはばからなかった、かつてのあなたのすがたです」


 一位は静かに畳を踏んだ。


「いちじは、ザムジャハルへのがれるのではないかとさえいわれていた。あなたは、くにをすてるのだと、みながおもっていた」


 一度、胸を衝かれる。


「いさめようとするかたがたもいらっしゃいました。でも、そうはならなかった。あなたはつよいだけでなく、たんきで、そぼうだから」


 二度、胸を衝かれる。

 見えない一位の手が、指が、俺の胸を衝く。


「いまのあしはらがきにいらないのなら、えらくなりなさい。めいせいをえて、とみをえて、えらくなって、かえなさい」


「……一位や二位のように、ですか」


「三位や五位のように、です」


「……」


「かれらは、えらくなります。えらくなりたいとねがい、こうどうしていますから」


「……」


「ぶかにきらわれても、はらぐろいとののしられても、なやみをわかちあうともがいなくとも、かれらはかれらなりに、あしはらへむくいるみちをすすんでいる」


 一位は諭すように続ける。


「わたしやあなたはつよい。そのつよさは、じぶんよりよわいだれかに、めんとむかってもんくをいうためのものではないはず」


「……!」


「だれかにあなどられないためのものでもない。つよさとは――」


「『それを生んだ『何か』に、報いるべきものだ』」


「!」


 俺はそんなことを呟いていた。


 蘇るのは髭面、そして半仮面。

 でっぷりと丸い義父が笑う姿。


「子供の頃、ニラバ二位によく聞かされました」


「はい」


「……」


「あなたがなにに、どのようにむくいるのかはしりません」


 ただ、と一位は続ける。


「むくいたいとおもったときに、そのばをえられないのはかなしいことです」


「そうならないように……常日頃から学び、修めよ」


「はい」


「誠実であれ。全力であれ」


「はい」


「……二位の教えです」


 幼い頃に、ぼんやりと飲み込んだ言葉。

 覚えていないと叱られるからと、頭に叩き込んだ言葉。


 俺はようやく、幼い頃に学んだ言葉に追いついた。


(――――)


 アルケオとの開戦――否、決戦まで、あとわずか。

 今、この機会が訪れたことを俺は一位に感謝しなければならない。


 ここしばらくの冒険を経て、俺は成長した。

 そう、思っていた。

 思っているだけで、そこに手触りは無かった。


 俺は証明しなければならない。

 俺がかつての俺ではないことを。

 国だけではない。

 他ならぬ、俺自身に。


「やるきになりましたか」


 カヤミ一位の顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。


「……はい」


 俺は恭しく、その場に跪いた。


尽忠報国じんちゅうほうこくしかと果たして参ります……!」


 一位は鷹揚に頷いた。


「じんるいのきげん、あるけおないぶのぶんれつ、あしはらのうらぎりもの。……こうしたはなしは、わたしと二位がひきうけます」


 あなたは、と一位は俺を見る。


「あなたのなすべきことをなしてほしい」


 はい、と深く頷く。


「……決行の詳細が決まるのはいつ頃でしょうか」


「あすか、あさってか。とおくはありません」


 舞狐が戻る頃合いだ。


「かりに九位でかくていするとしても、ひとりでやれとはいわれぬでしょう。じゅうめんはもちろん、せいえいをつれることになるはず。――」


 シア。ルーヴェ。

 あの二人は手を貸してくれるだろうか。

 ――――くれなかった時、俺は頼めるだろうか。


 頼むしかない。

 それで断られたら、その時だ。

 まずは誰かに心を置くこと。


「――。――、―――。……九位?」


「いえ。すみません。ぼうっとしていました」


「だいじなぶぶんだったのですが」


 俺は一位にひと言詫び、聞き逃した部分を繰り返してもらうことにした。


「……あなをこじんてきにしえんしたい、とおっしゃるかたがいます」


「俺に? 支援……?」


「どうぞ」


 一位が廊下の奥へ声を投げた。

 静かな足取りに続き、ふすまからひょっこりと顔『だけ』が飛び出す。


 覗いたのは――――羽根飾りのついた鍔広帽つばひろぼうをかぶる、髭面の男の顔。


 短く整えられた口髭くちひげ顎髭あごひげ

 少し離れた位置からでもわかる、栗を煮詰めたような上品な香り。

 年は四十か、三十か。目は黒く、背に届く髪は焦げ茶色。


「やあ、九位」


 甘く低い声。

 顔立ちと同じ、優雅さを感じる。


「? 失礼ですが、どちら様で……?」


 男は軽く肩をすくめた。

 口元には取り澄ました笑み。


「通りすがりの菓子職人だ」


(菓子職人……?)


 記憶を探り、思い出す。

 この微妙に癇に障る話し方は――――


「ヴァン……?」


 ヴァン。

 俺と共に、あの砦に囚われていた男。


 俺は思わず左右を見回した。

 一位にも獣面がいるし、そもそも屋敷の周囲は常に厳重な警戒が敷かれている。


「ここで何してるんだ。そもそも、どうやって入った……?」


「何って……君に礼を言いに来たんだが」


 顔に続いて、胴体が月光の下に晒される。




 白く縁取られた純黒の四角布。

 銀糸で描かれているのは、王笏おうしゃくを咥えた牡鹿に似た生物。

 

 前、一枚。

 後、一枚。

 右、一枚。

 左、一枚。

 首元で繋がるような形で、四枚布を連ねた外套がいとう


 背中には細く長い筒。

 凝った漆塗りの鞘のごとく、金銀の紋様が施されている。

 先端には、穴。

 反対側には鶏の頭に似た機構。



 ――――『銃』。




「ご挨拶は初めてだな、ワカツ九位」


 ヴァンは鍔広帽を取り、恭しく胸に当てた。


「エーデルホルン王国、近衛銃士隊このえじゅうしたいのヴァンパーヴだ」


「!」


 銃士隊。

 知っている。

 最新鋭の武器、『銃』を操る軍団。


 エーデルホルンが誇る、無敵の精鋭。


「ちょっとした挨拶のつもりだったのだが――――何やら君がお困りだと聞いてね」


 呆気に取られる俺を前に、ヴァンは軽い調子で続けた。


「私としても、女王陛下の歩まれる道の小石は払わねばならない」


「! 翼竜……」


 そうとも、とヴァンは優雅に微笑む。


「奴ら、恐れ多くも女王陛下の居城を襲ってきた。撃退はしたが、捨て置くわけにはいかないな」


 そう言えばエーデルホルンは真っ先に狙われたのだった。

 ヴァンの目に、ちらりと怒りの焔が覗く。


「『翼竜狩り』……ぜひ同行したい」


「……近衛が外に出ていいのか」


「近衛と言っても色々だ。陛下の御身をお傍で護るものもいれば、我らのように自由に動き、近からぬ脅威を排除するものもいる」


「……。ずいぶん自由な近衛だな」


「体はな。心は常に女王陛下と共にある」


「九位」


 一位が白けた目をした。

 俺がよくシアに向けられる目だ。


「じゅうしたいの、にゅうたいじょうけんをしらないのですか」


「? 確か……騎士団長相当の実力を持つことと、騎兵隊隊長相当の実力を持つことだったかと」


 エーデルホルンの銃士は「銃を扱う兵」ではない。

 一人一人が騎士団を束ねられるほどの実力者であり、一人一人が騎兵隊でいさおしを挙げた功労者。

 かの国ではしばしば官職すら売買の対象となるが、金や家柄や権力だけで銃士の外套を纏うことはできない。


 まさに精鋭中の精鋭。

 勇者しか居ない部隊。

 それが銃士隊。


 銃を持つことは国王からの信頼の証であり、特別な武器を授かる以上の意味を持つ。

 それを裏付けるかのように、銃士隊の『隊長』はエーデルホルンの国王が務めると言う。

 なので、階位の最上位は『隊長代理』。


「それに――しゃくいをもっていることです」


 しゃくい。


 しゃくい。


 ――――『爵位』。


「ヴァンパーヴどのは『こうしゃく』ですよ」


「?!」


「えらくないほうの」


「……その言い方もどうだろう、カヤミ一位」


 ヴァンを見る。

 黒外套の男は顎に親指を当て、残る四本指をうにうにと動かした。


「侯爵だ。覚えておくといい」


「侯爵が……泥酔して下忍に捕まったのか……」


「それは覚えておかなくて結構」


 困り顔をしたヴァンは、再び不敵な笑みを浮かべた。


「お互い、連中にはやられっぱなしだ。このままでは収まらないだろう?」


 ヴァンは軽い所作で銃を取った。

 弓よりやや短いが、太刀ほどの長さがあり、同じ程度の重みを感じる。


 銃士は武器を軽く回し、肩に乗せた。




「ちょっと逆襲に行かないか?」




 ちらと見れば、カヤミ一位は小さくうなずいた。


「あなたさえよければ、てはずはととのえます」


(……)


 俺はヴァンをまじまじと見つめる。


「……。騎士団長相当の実力で」


 んふ、とヴァンが歌うように応じる。


「騎兵隊隊長相当の実力で」


 んふふ、とヴァンが嬉しそうに鼻を鳴らす。


「爵位持ちの精鋭で」


 んふ、んふ、とヴァンが続きを促す。


「泥酔して夜道をふらふらしたあげく、雑兵にいっぱい食わされた御仁が一緒なら……とても心強いです」


「おいおい……」


 ヴァンは帽子を押さえ、肩を揺らす。

 自分を温めた俺は、ゆっくりと切り出した。


「もし途中であなたが死んだら――」


「……」


「あなたの領民に何と言えばいいんですか」


「記念日が一つ増えるとでも伝えてくれ」


 ふっと笑い、ヴァンは銃を背に戻した。


「死後のことなら心配無用。私が死ねば、身内が跡を継ぐだけさ」


「無責任過ぎるのでは?」


「何にだい? 領地の経営など誰にでもできる。私が死んでも、人々は生きるように生きる。だが、陛下をお護りできるのは我ら銃士だけだ。そちらの責任は放棄できない」


 それに、とヴァンは囁く。


「ただの金持ちとして名を残すぐらいなら、あたら命を散らした戦士として名を馳せたい。こう見えても武人なのだよ、私は」


「……。……わかりました。では、たよりにさせていただきます」


「当然だ。大いに頼ってくれたまえ」


 ヴァンの目線が、ちらと横に動いた。




「黙って聞いていれば、口が過ぎませんか、九位」




 襖が開き、別の男が姿を現す。


 赤い鉢巻きを巻いた革鎧の武士。

 目は青く、背は高い。

 口には親し気な笑み。


「トヨチカ……!」


 冒涜大陸に引きずり込まれたあの日、生き別れとなった部下。

 俺の右腕。


「ご健在で何より」


 にっと笑った部下は、腰に佩く太刀を叩いた。


「頼まれてた仕事は片付けましたよ」


「……速いな」


「仕事のできる男ですから。……九位が罷免されると、家族の食い扶持に困るんでね。同道してよろしいか?」


 言葉は不要だった。

 俺は一位を見る。


「まいこは、あすもどります。これでじゅうめんふたりと、せいえいふたり」


 ヴァンパーヴ。

 トヨチカ。

 舞狐。

 蓑猿。


「……お目付け役が四人ですね」


「たりなければ、ふやしましょうか」


「いえ……これで十分です」


「わかりました。では、おとこをあげられよ、ワカツ九位」


 俺はその場にひざまずいた。



 それからしばらく、一位と二人で問答をした。


 幾つかの事柄について話し合った俺は、一位に一つ提案をした。

 交換条件はあったが、それは問題なく受け入れられた。






 仲間たちは無事だった。

 銀色のアロと共に地平線に見えた馬。

 あれに乗っていたのが、俺の連れていた仲間たちだった。


 シアとルーヴェは、『翼竜狩り』に同道したいと言った。

 俺への憐れみや恩義からではない。

 それぞれアルケオに問いただしたいことがあるからだ。


 ナナミィは当然、葦原に残ることを申し出た。

 俺は一位に事情を話し、護衛をつけてもらうよう頼んだ。

 食事を多少豪華にしてもらうよう配することも、忘れなかった。



 セルディナは、妹と何やら話し込んでいた。

 彼らの身柄も一位が預かる予定なので、俺は特に何も言わず、客室を離れた。 




 翌日の昼、舞狐が戻った。


 そして俺に、正式な指示が下った。

 内容は『調教師』の暗殺。


 出発は指示到着日の夜。

 俺は心身の準備を整え、日没を待った。






 だがその日、俺が『翼竜狩り』に出発することはなかった。






 ――――『偏食者』が、現れたからだ。

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