序章……(完)  【生きて行く】

 ◇◇◇




「これが、人柱ヒトバシラ……」


 リンリは、先程まではニエという少女だった蔦の塊をぼんやりと眺め続け。ふとした拍子に我にかえると抑揚よくようのない声を洩らしてしまう。


 小刀で胸を貫かれたニエは、まるで眠りに落ちるようバタリと意識を失ってしまい。周囲に幾つかの白い燐火りんかが揺らめき、火の粉となって散る。そうして意味を持たぬ微風の如き無数のささやきが木霊こだました。

 囁きはきっと、命達の共鳴。系統導巫の威を借る者への応え。偽りの統巫リンリの意図を汲んだ、かの命達の声だったのだろう。

 次第に囁きは響きへと移り変わり、現世うつしよに奇跡を興す。本来は何者にも縛られぬ、侵されぬ、使われぬ大自然の理が、その在り方をねじ曲げてでも報い、人知を超えた明確な指向性をもたらすのだ。


 ――どこか、古い子守唄の旋律を想起させる響きに耳を揺らし。けども目は離さずリンリは見送る。


「…………っ」


 ニエが完全に目蓋まぶたを閉じるやいなや、端を発して輝き出した胸の小刀。その光に呼応するよう背後に生えていた蔦が彼女の身体へと絡み付き、その皮膚を侵食する様に包み込んで行き。あっという間に彼女の身を蔦の塊へと変化させてしまった。


 白い燐火の火の粉が、天に昇って行く。

 仰ぎ、手を伸ばし、指が虚空を掴んだ。


「ニエ、お前は――」


 そこから続く言葉を、ぐっと飲み込む。

 リンリにはとてもできない。それ以上は、とても言葉を続けられはしなかった故に。

 解っているとも。もしも感情に駆られて、今の彼女に対してなぐさめや謝罪の言ノ葉でもかけようものなら。それはすなわち、彼女の覚悟を貶めてしまう事に他ならないのだと。そう解っていたから。


 それでも、抑え切れぬ感情の数々。

 胸の内では、激しい慟哭が渦巻く。


 ニエは、彼女はこれから一体どれくらいの間、身動く事も思考する事も叶わない、斯様に醜い身体で過ごして行く事になるのだろうかと深く憂う。共に憐れみを抱かずにはいられない。

 少なくとも、だ。今の状態から、もう一人の少女としての幸せはおろか、未来や家族との時間、人間として当然の自由さえも取り戻すことは、きっと……きっと叶わないのだから。


「――良いか、ニエよ。

お前は何かと直ぐに自分を卑下してはいたが。十分に立派だったぞ。誉れであろう。誇れ。本当に立派な娘だった。そうこの我が……いや、俺が保証してやる……! ……すごく立派だったよ」


 ――だからせめて讃える。余計な言ノ葉で飾らず純粋に。精一杯、彼女を讃えてやる。

 ニエなら、彼女の性格ならば、手向けに悲しまれるよりも。ただ「立派だった」と褒められたほうが喜ぶだろうと。……きっと。

 きっと、そうに違いない。そうやって溢れ出す感情に蓋をして、己の激情を欺き。リンリは頬に雫を一筋流してから微笑み掛けた。


 貯水場を覆う蔦を見れば、蔦自体の光は失われているものの、もう枯れて崩れ落ちるような事は無くて。あぁ、無事に貯水場の決壊を押し留める役目を為し遂げている。少女の命を対価にした御技は十全に意味を成し、ここに結実したのだ。


 ――ハクシとリンリのするべき事は完了した。

 直接の視認こそ出来ないが。耳を澄ませば、貯水場内部の水が音をたてて何処かに流れ出しているのが聴こえてくる。


 従者の二人、サシギとシルシの方も無事に役目を果たせたようだ。つまり、成し遂げた。完全にチィカバの水害を阻止する事が出来たという事。ただ一人の犠牲により町は救われたのだ。


「……行こう。我……いいや、俺は。

片割れを、ハクシを、待たせてるからな――」


 いたたまれなくなったのか。

 纏っていた外套をそのまま、ニエだった蔦の塊に優しく被せると。一撫でして別れを済ませる。

 リンリは明けの陽光によって白銀色を綾なす尻尾を一筋振り、踵を返し、朝靄を払う。かくして、ゆっくりと階段に足を掛けその場を後にした。





 ◇◇◇






 彼女は着ていた装束に包まり、冷たい石畳の上で誰かを待っていた。

 その身体は、獸そのもの。人智を越えた力を自身の許容を超えてまで行使した影響故に人としての形を崩してしまっていて、現在は『系統を司る』という神格を借り受ける獸としての姿をとっている。


「寒い。ぁぅ……力が入らない。

動けない。ぅぅ……うん?」


 カタン、カタンと。貯水場へと続く階段を登って来る足音に、耳を傾けて反応する彼女。


「りんりぃ……おかえ……わっ!」


 彼女は自身の前で止まった足音の主に『おかえり』と告げて、なにか労いの言葉を続けて送ろうとしたようだったが、突然に抱き上げられる。そのままぎゅっと、優しくも力一杯といった感じで抱きしめられてしまう。


「ただいま。……ハクシ」


「りんりぃ……悲しそう、だね」


「そう見えるか。……ハクシ」


 彼女は、自身を抱きしめる女性リンリの泣きそうな顔を見た。だから、衣装から獣毛に包まれた上半身をモゾモゾと外に出して、その頭を前足でゆっくりと撫でてみる。一番最初にしてくれたお返しのように。


「りんりぃ……あの娘には、とても。

とても残酷な事を、しちゃったね。我は、我自身の至らなさ故にまた罪を重ねてしまった」


「――いや、俺の罪だ。ハクシは俺に応えてくれただけで。だから、何も悪くない!」


「……りんりぃ、ならばこれは二人の罪。

今後ずっと、己の戒めとしなければならない枷。しかし、罪を背負ってでもやり遂げた事にも目を向けねば、人も統巫も何処かで心が破綻してしまう。人柱となったあの娘も浮かばれぬ……そういうもの」


「あぁ、そうだな……。わかってる。俺達のやった事には意義があった。わかってるよ」


 ……静寂。共に空を見上げていた。

 遠方より、鳥達のさえずりが始まる。


 雲は緩やかに流れ、風が穏やかに吹く。

 きっと今日は、いつかのような晴天になる。


「――りんりぃ、ねえ?」


 ――彼女は今だからこそ、きっと伝えなければならないのだろう。自身が役目を投げ打ってでも“共に居て”と願い、それを“是”と返してくれたリンリに。


「其方がいた異成りの世、彼土や統巫屋での暮らし。これまでのそんな、此土の憂き世から離れた場所で過ごしていた……りんりには……ね。これから統巫と歩むという意味を、その覚悟を持って欲しいの」


「覚悟、か――」


「――即ち、だ。系統導巫の我のツガイになった……其方には、こんな……ね。辛い選択や別れをしなければならない場面が、幾度も……幾度も、嫌になるほど訪れるかもしれない……と」


 息を呑むリンリ。

 揺れたその瞳には、もう既に経験してしまった幾人との別れが、その光景が瞬時の内に追想される。


「そうかも知れない、な――」


「でも、何時までも、共に居て、お願い!」


 目を閉じて、頷く。背中をひと撫でしハクシを向き合うようにして床に降ろすと、リンリは自分も石畳に腰を落として彼女と目線を合わせた。


「――あぁ、ああ。どんな困難が有っても。俺はお前と共にいるさ……ハクシ。約束する。この晴天に、名前も知らない俺に宿った神様に、この世界にだって誓う。いつまでも変わらず、ずっと一緒だ!」


 リンリは言い切って喉を鳴らす。足許の水溜まりに映る自分の輪郭は、内情を見透すよう小風により揺らめき、喪った己が人としての面影を想起する。次の瞬間に様々な感情から溢れた涙を隠す為か、はたまた気恥ずかしさからか水面の彼女は顔を覆っていた。


「ははは……。これフラグだな……」


 ――きっと、これは『統巫』という存在の譚。系統導巫のハクシと、そのツガイとなったリンリのまだ序章。

 物の語りの、ほんの序章に過ぎず。


 ハクシが譚の締め括りの如く、口を開く。


「……あのね。今回は、本当の意味では誰一人の命も犠牲にならなかったけどね? 共に居てくれるなら……りんりぃ……覚悟をしてね。約束だよ。我も其方と何処までも共に在るから」


 ――これにて、序章は幕を閉じた。


「――うん?」


 空想上の幕が勝手に閉まってきたが、幕が閉じ切る前にそれに手を掛けて止めるリンリ。


「ちょと、待てよ――?」


 終幕をこじ開けて、終りの演出を遮る。

 リンリはハクシの含みのある言い方に、耳をぴくりと動かして聞き返してみる。確認をしなければと。


「――犠牲にならなかった?

はてハクシ様、ニエは確かに死んではいないが、あんな姿じゃ人としては死んでないか……?」


「え? りんりぃ? 我の生やした蔦の命が切れるまでは、あの子は楔身としてそれを維持する為の人柱だけど……その少しの間だけだよ? 数日くらいの間だけ、だけど……どうかしたの? ……え?」


「―――は?」


 今更の酷い暴露も有ったもんだ。


「うん? “暫しの間”そう話したよね?」


「――えっ、そうなのか? そうだったか?

いやいやいや、まてまて、ハクシが『禁忌』とか『犠牲』とか言ってたし。ほら『人柱』とか『罪を重ねた』とか、もうモロに取り返しのつかない流れだっただろアレ!?」


 リンリは立ち上がり、耳と尻尾の毛を逆立てて猛抗議をする。これでは、さっきまでの自分がとんだ茶番女、いや茶番野郎ではないか。


「……むぅ、心外だ。我がそこまで非情な選択を強いるわけないではないか。もう。りんりは、我の事を血も涙も無い非情で無慈悲な統巫だとでも考えたのであるまいな? ……その、勘違い屋さんだね?」


「いや、十割ハクシの説明不足だろ!」


 彼女の頬を指で伸ばすリンリ。


「……うっ」


 その自覚があったのか、やや唸り。

ハクシは可愛げに桜色の舌を出して一言、


「あぅ……てへ!」


「――てへ、じゃないわッ!」


 今度こそ幕が閉じる。けれど、譚の締めにはあまり相応しくはない間の抜けた声をあげたリンリだった。

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