序章……(十一) 【贄の結実】
◇◇◇
「――だ、だからこそですよッ!!」
ニエは叫びをあげ、自身の唇を激情からか強く噛み締める。そして前屈みになり、激しくしゃくりあげながらポロポロと泣き出してしまった。
「だからこそ、なんですよッ!! けっして軽々しくなんて言ってません。言ってませんから!! 大好きな宿への心構えも、営む為の知識も。人としての能力も自信も無い……。そんな、私が、私が――」
泣きながらも、ニエは言葉を止めない。
「ニエ、お前――」
「そんな私がやっと、やっと宿を大切な場所だって気付けて。気付けたから。そこを今、守る為には、どうするのが一番良いかを……自分で考えついた。その答えなんですよっ、リンリ様っ!!」
「『答え』って、お前は」
「リンリ様ぁ、だからぁっ、だからッ!!
お、お願いします! お願いじまずぅ!!」
鼻をすすり、リンリの外套に
「お前はなぁ……」
「あ、あの。や、宿さえ無事なら、家にはまだ父と弟が居ますから……。女将の肩書きだけの私が居なくなったとしても、どうにか後の事は上手くやってくれるはずです。……あの、だからぁ!!」
「くぅ……っ! そんなことッ!
そんなことを、言うもんじゃ……ない!」
リンリは顔をしかめる。
ニエの言ノ葉は、リンリとハクシの会話を横から聴いて言い出した安易で短慮な物であり。
だが、少なくとも“自身を犠牲”にできる。犠牲になって構わない。犠牲にしてくれ。その言葉に伴う覚悟や決意は一切の嘘偽りは無く本物のようで。
「――良いか? 早まるな、ニエ。お前が犠牲になるしか方法が無いわけでもないっ! はずだ!」
リンリは苦い顔でそう諭すように言って、
助け船を求めるように自分の腕の内に抱くハクシへと視線を向かわせたのだが、
「りんりぃ……我は、この場ではその方法が最善だと判断する……。うぅぅ我の力が到らぬばかりに、こんな事に……なって、こんな事しか言えなくて……ごめんね。本当に、ごめんなさい……」
「……は、ハクシ」
彼女から帰ってきた応えは、残酷なもの。
ニエにとって、リンリにとって、応えたハクシ本人にとっても。この上に無く残酷な物であった。
なんたる事か。今まさに、大を救う為に小を犠牲にしなければならないという局面。
偶然の縁の出逢い。些細な巡り合わせ。図らずもたまたま選んだ宿、その宿で女将をしていた若き娘の無辜な命を篩に掛けなければならないのだ。
――これが、手段として最も確実で、正解。
「そんなの……」
――認められない。認めたくない。
全く以て、こんな犠牲を容認できるわけがない。
リンリは無言で眉を寄せて。対面の彼女、目を擦り涙を拭うニエを見据える。よく見れば、ニエは全身を小さく震わせていた。なお涙雨が降る彼女の瞳の向こう側は、恐怖、怯え、不安。そういった感情の色に深々と塗り潰されておるではないか。それらは当然の感情で。至極、当たり前だ。
ならば、立ち向かわなくて良いものを。
己が身を捧げるような意志は、改めて欲しい。それがどれ程までに
「り、リンリ様、急いで……。貯水場から、石の擦れるみたいな変な音が響いてます。あのっ、あんまり時間が無いみたいです。だからっ」
それでもニエは、リンリと目が合うと頷いて「早くしてくれ」そう迷い無く急かしてくるのだ。
リンリに自分自身の感情を、身体の震えを悟らせないためにだろうか。無理して作ったのがバレバレな、不器用でぎこちない笑顔を浮かべながら。
「ニエ。本当に後悔はしないな? 今からでも逃げて構わないからな。たとえ一度失っても、宿は建て直せる。が、人はもう戻らないんだ。お前は一人しか居ない。お前に残された家族の事を考えてくれ!」
――リンリは彼女の命を諦め切れずに、ニエに最後の選択をさせる。どうか思い直して欲しい。踏み留まって欲しい。逃げ出して欲しい。そう望む。
彼女の頬に掌を添え、視線を送るリンリ。
「は、はい……後悔は、いたしませんッ!!」
ニエは掌を握ると。強く頷き、決意を述べる。
リンリの願いは拒否されてしまった。
「そう、か……ニエ。本当に、だな?
その意志は、言ノ葉は、
「あ、はい。リンリ様ッ!!」
――これを以て、方策の舵を切る。
これより先に取るべき手段が定まった。
「うん。……りんりぃ、ならば、娘を連れて……蔦が触れられる距離まで近付いて。そこで、
事の纏まりを見届けたハクシは、リンリとニエの心情に配慮してか窄めたように一言。感情を押し殺した声色で必要な事を淡々と伝えるのみ。
「――お願い、できる?」
そして、そう確認してくる。
現在の人とも獣とも言えぬ状態であるハクシの身体では、もう『役にたたない』と自明で。リンリに事の始末を一任するしかないからだ。
「ハクシ。よしわかった。任された。ちょっとの間ここで待っててくれ。行ってくるよ……!」
「うん」
リンリは抱いていたハクシを抱き締めた後、そっと地面に下ろし。地面に刺さったままの自分の枝、
「いってらっしゃい。……りんりぃ。
……後のことは、お願い。無事に戻ってね」
送りの言葉と共に、ハクシが前足で
リンリは刀身を直視し続けられなかった。
「――聞こえてたか。ニエ……。
今から、共に階段を降りて、貯水場を覆う蔦にギリギリまで近付くぞ。ついて来てくれ!」
「はいッ!」
鞘に
◇◇◇
「えっと、あの。り、リンリ様ッ!
あの、その……ありがとうございましたッ!」
リンリが階段を下り切ると、同時。後ろに居るニエから背中に声が掛けられた。
「どうして礼を言うんだ? いや、そもそも何に対して礼を言ったんだ? やめてくれ。俺は今から非情にもニエを犠牲にするってのに……」
「ち、違います。そんな風に、言わないで。犠牲になるのは自分の意志ですから。リンリ様は気に病まないでください。自分のせい、だなんて気負わないで欲しいです。私はただ、私の宿をリンリ様が選んでくれた事にお礼を言ったんですから!」
「お礼、か」
リンリがニエの宿を選ばなければ。彼女との間に縁を作らなければ。運命は大きく違っていた。結果的にニエに、彼女自身を犠牲にするような“悲しい選択”をさせる事も無かっただろうに。
「リンリ様が宿を選んでくれて、私の話を聞いてくれた。そのおかげで私は、宿を守る為に自分を利用できる“今”を選択できましたッ! だから心からの。あっ、ありが、どう、ございますッ、なんですっ! この『お礼の言葉』を、う受け取って、くださいっ! これが、私の今日まで生きた、私なりの意味です!」
それが、当の本人からは感謝されている。
泣き声混じりで礼を言われている。いったい何たる皮肉だこれは、これ以上の皮肉など無いだろう。
「そういうことなら、無碍にできないな。
あぁ、言葉を受け取る。どういたしまして」
呟いたものの。リンリはニエに振り返る事も出来ずに正面を見上げた。瞳に映るのは貯水場、それの外壁を翠色に覆い隠すハクシが生やした蔦の網。
少し前に進めば、その根元だ。其処はシルシが蒔いた種が落ちた場所であり、石畳を割り根付いている蔦の大元の一本が見て取れた。
「――よし。ここか」
ハクシが言うには、その蔦の触れられる距離でニエの身を刺す事が人柱の楔。楔身を添え、繋ぎ、捧げる。命を使用し、命を保持する術。それがハクシの統巫の力を受けられなくなり、直に枯れ果て崩れ落ちてしまう蔦を維持する手段。
「こ、ここですね?」
ニエは後ろからリンリを追い抜き、その蔦の前で大の字に腕と足を広げて構えた。顔には涙の跡が残り、深い恐怖からか蒼白。ひきつった表情で唇を噛み、ぐしゃぐしゃの笑顔を浮かべる。
がたがたと全身をより震わせてはいるが、それでも彼女は確かな意志を貫いて立っていた。
「父の『逃げろ』って指示に従えなくて。
『自由に生きろ』って言葉も私は、破る形になっちゃいます。だから、お願いです。父と弟には私の事を伝えないでくださいッ!」
「良いのか?」
「この期に、家財も持たずに家出した馬鹿な娘とでも思われた方が幸せですッ! 悲しまれるより、呆れられた方が良い、ですッ!」
「本当に、馬鹿だ! 馬鹿だよ……!
悲しまれないのは、悲しいぞ」
「リンリ様ッ、お願いしますッ!
私が笑っていられる内に、早くしてッ!」
「ニエっ……、ニエっ……くッ!」
リンリは牙を噛み締めて顔を歪ませる。
「リンリ様ぁ――!」
「あぁ……俺も、俺は、迷わないさ!」
――ニエの覚悟を聞いた以上、後には引かない。リンリはもう何も言わないし、リンリ自身がこの局面を迷う事は有ってはならない故に。だから、行く。
「だから……。おやすみ、ニエ――!」
「はいッ! リンリ様……ありがとぅ!
えっと。このたびは、私達の宿にお越しいただき、誠にありがとうございました!!」
「――こちらこそ、良い宿だったよ……!!」
――リンリは、ニエの胸を貫いた。
◇◇◇
――――遠くの山が輝き出す。日の出だ。
チィカバの町に日の出の時刻が訪れて、町は少しずつ明るい陽射に照され始める。
大通りに建つ店の主人が店開きの準備に掛かろうと軒先へ出てみれば、大晴れ。昨夜の大荒れが嘘のような一点の雲も留めぬ空模様の朝焼けであり。前日の夕方から深夜に掛けて大きな嵐が町を襲ったが、こと水害において心得と対策のあるチィカバには相も変わらず何の被害も無い。
――いたって平穏な朝を迎えた。
深夜、町の中に三ヶ所ある貯水場の一つに何かしらの原因で『決壊の危険』があると大きな騒ぎになったのだが、技師達が何か手でも打ったのだろう。日の出の前には貯水場に逆流していたらしい水が引き始め、町民にとっては無用な心配をしただけに留まる。
町民達は事も無げに、ただ町の通路を無駄に塞ぐ程度の粗末な対応しか出来なかった役人達への不満に加えて文句のいくつかに、くだらない騒ぎに踊らされた者への軽蔑と嘲笑を添える。しまいには、町の水害に対する技術の高さを盲目的に讃えるのみ。
何故か貯水場の一つが一晩の内に無数の蔦によって覆われていたが、元から貯水場自体に関心の薄い町民達は蔦の翠色が目立たない事もあって普段と変わらず別段気にとめる事もなかった。
――事の真実。裏の功労者。
偶然に町に訪れていた統巫と、そのツガイ、その使従達の活躍。加えてこの町を救おうと一人の娘が尊い犠牲になった事など誰一人知る由も無い。
――外套が風に煽られて、空を舞った。外套を被されていたものが顕になる。大きな蔦の塊だ。
貯水場のある窪地には、宿の女将だった娘がその身を人の形をした蔦の塊という姿に転じさせ、今も人の柱として在り、町を守る磔となっている。
強い意志で決断した彼女は、人であった過去に胸だった場所に小刀が刺さった状態で、ただ祈るように願うように、安らかに。長い永い眠りについていた。
人知れず
◇ 序章 完 ◇
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