序章……(七)  【委ね身】

 ◇◇◇




「…………」


 リンリは、ニエの言葉に意味が解らないという風に呆け顔で首をかしげる。

 首と一緒に尻尾も傾げて『この娘は何を言っているんだ?』と感情を表出させる。まさか初対面の際とは逆転して、自分が『困惑させられる』立ち位置になるとはリンリも思ってはいなかった。


「えーと?」


 リンリのつい洩らしてしまったその一言には聞き返しの意味があったのだが、当の彼女本人には届いていないのだろうか……? ニエは怯えるよう目をぎゅっと瞑ると、深々ふかぶかとリンリ達に向かって頭を下げてくるではないか。


「……悪い命を精算する役目と?

あの俺のトラウマ。厄災鼠バケネズミ……禍淵マガフチの事か? ニエお前は、つまりハクシがどんな存在なのか色々と誤解してるみたいだな。……いや、正しく統巫の役目を知ってる人間は限られてるんだったか?」


 ――悪い命とはそれすなわち『此土しどことわりから外れかけたまがつ命のタマリミたる禍淵マガフチ』の事。此土セカイが運行される上で、どうしても発生してしまう癌や不全病魔の如き存在や事象で、自然の摂理せつりを逸した命の増長や闘争が招いた災渦。或いは、人が仇なした大罪への此土からの報い。それらのとがよどみの大元を精算し、払い、浄め。過ぎたイヌモノことわりの流れに戻して、人の世にもたらされうる厄災を未然に鎮める事が統巫の役割の一つでもある。らしい。その役を精力的に行う統巫達も居る。そんなような事をリンリは『最低限必要な知識』として教えられた。なのだが、どうも人を介して伝わるうちに勝手に神格化されて、その役目すら間違って認識されているもようで……。

 

「なぁ、ハクシ? 悪いけど、俺は聞き及んだ知識しかない統巫初心者なもんだから。統巫の設定解説とか荷が重いぞ。だから頼んで良いだろうか? 系統導巫が何者で、統巫が何の為に存在するのかをニエさんに説明をしてやってくれな……い、か……な?」


 リンリは視線を下に持っていき、


「……すぃ……すぅ」


 己がツガイの可愛らしい寝顔が目に入る。


「――って、ハクシ様!?

いつの間にか眠っていらっしゃるっ!!」


「くぅ……すぃ……。コムコム……イセポ?」


「『こむこむ』ってなんだ? それ寝言?」


 リンリは自分の膝の上からハクシを起こさないように持ち上げ、使っていた座布団を丸めてその上に彼女の頭を降ろしておく。解説役は不在か。

 仕方なく、容貌に似合わぬ男らしい所作でもって「よっこらせ」と立ち上がり、尾をくねらせ。そうして土下座するニエに近寄って伝える。


「じゃあ、まぁ、んんむ。いいか……。

俺のアドリブで行こう。あーと……ニエさん? しっかり確認しておくけどな。お前は、俺に自分自身を『精算』して欲しいと願った。それが一体どんな意味だかを理解していて、その上で口にしたのか?」


「……い、意味? ですか?」


 頭を下げたままで、ぼそりとニエ。


「おいおーい。まさか、何も考えずに。ただ俺達が普通の人間に神のような存在だと扱われているから。だから『悪い自分を精算してくれ』そう無茶苦茶な神頼み的な願いをしてみた。とか……そんな事は無いよな?」


「…………うッ」


「あぁ、図星か。うん、よくわかった。

願いは、軽々しく掛けるもんじゃないぞ」


「う、うぅぅ」


「聞け。『悪い自分』そんな……個人の心や考えの在り方を他人が精算し“きまり”を付ける事なんてそう易々とはできないものだろ? いいか、統巫は万能ではないんだ。ただちょっとした、例えば誰かの為の小さな奇跡を起こせる程度の存在さ」


「奇跡――」


「願掛けられたとしても。他者の心胸胸中にゃ奇跡だって管轄外。俺達では人並みに過程を踏み、時間と苦労が伴う手伝いをできるだけ。それでも望むというならば。俺的には、それこそキミの命を奪うとかでもしないと完全には無理だろうなぁ」


「…………ッ!」


 “命を奪う”その部分でニエは全身をびくりと跳ねさせた。どうやらそこまで考えず、感情的に、自分自身の悩みを、統巫の役目として晴らしてもらえないだろうか? とでも考えていたらしい。


「だから決して、絶対に。俺はお前の頼みは聞けはしない。もう一度言うけども、願掛けされたって全くの管轄外だ。そいでニエ、俺はこれだけはしっかりと伝えとくぞ。大切なことだ! つまり……“自分の在り方”を他人に委ねるな!」


 リンリはニエを何処か遠い瞳で寂しそうにじっと見詰め、頭を左右に振るとそこでそう言い切り。彼女の頼みを完全に拒否した。少し付け加え、


「俺が昔そうだったように。欠点ばかりの自分をかえりみることは簡単にはできなくて。誰かに言ってもらわないと気が付けない事も多くあった。本当は内心で理解していても、意固地になっていたり……ははは」


「……あ、の……リンリ様」


「――意味は、わかるか?

胸に手を当てて訊いてみろってことだ」


「じ、自分の在り方。で、ですか……?

悪い自分を、どうするのか、とかを」


 力強く頷いて彼女の目を見るリンリ。


「お前の事は、お前の問題だろう。

だから。俺にできる事は、無い――」


「そう、ですね。自分の事なのに。神様や、他の人に頼るのは、ズルい……ですよね。後悔するかもでも自分の事は、自分で決めなきゃいけないものなのに。リンリ様……申しわけありません、でした」


 そこまでわかっているならば。

彼女はいずれ、自分自身の『答え』を得るだろう。


「――だけど、せっかくのえにしだ」


「……?」


「“おまじない”くらいはしてやるとも」


 懐から何かを取り出すリンリ。


「コイツが何か解るか、ニエ?」


 ニエは頭を上げる。


「……わ、脇差し、でしょうか?」


「統巫の一振ひとふりたまわりし神の形見。は統べる力のよすが。統巫のたずさえるそれ枝刃エムシと言う……らしいな。これは誰かを傷付けるものではなくて本質的には己のえにしぬいい、つむぎ、み、つづり、つなげるものだと。ならば、こう使うのも間違いではないはず」


 リンリは小刀状のソレを鞘から抜くと。空中でスッと弧を描くように振るってみせ、すぐ収めた。


「俺は今、現状のお前を縛るモノを切った。

さて、はたしてそれが家族やこの宿との縁なのか、ニエの……お前自身が心に抱く悪い部分なのか。もっと別の何かか。お前が考えて決めるんだ!」


「り、リンリ様……」


「お前は、強いよ。過去の俺よりも……。

ならば何時かは、実を結ぶ事ができるだろう」


 リンリはニエを見下ろす位置で、羽衣ユリカゴを使い彼女の背中をポンと叩く。

 それ以上は彼女に対して直接どうする事もしないで、杯に入った酒を飲み干し、卓を部屋の隅に片付けたり、陽虫の入った照明の瓶を軽く指で弾いて光りを弱めたりと、就寝の準備を始めた。


「もう遅い時間だな……明日も仕事では?」


 そして、遠回しに『早く帰れ』と催促。


「あ、あぁはい。そろそろ迷惑だと思うので……この辺りでお暇します。リンリ様とハクシ様の貴重なお時間を使ってもら……頂いて、ありがとうございました。あと、最後に変な事を言ってしまい。も、申し訳ありませんでした! おまじない、も」


「別に気にしてないから、気にするな」


 腰を上げたニエは妙な顔をしていた。

ただ宿に泊まった少しだけ稀人な客と、その宿の若い女将という……一期一会。明日の朝には、それっきりで縁も切れてしまうような間柄だ。


 立ち上がったニエがそのままトボりトボりと部屋から出ていけば、この縁も終わり。それ以降は二度と私的な会話も無いかも知れない。


「あぁ、ニエ。ニエさん!」


 ――そう思ってか。リンリは入口に向かうニエを呼び止め、尻尾をおおらかに振り。それだけは伝えようという意思を感じさせる声で最後に言う。


「――いや。あえて改めようか。

お休み、“若女将のニエっ!”」


 ただ、それだけを。


 リンリの言葉は、ニエの心や感情に響いたのだろうか。それは解らない。けれど、一瞬だけハッとしたニエの顔には、先程までの思い詰めた表情が多少なりとも和らいで見えた。ならば良し。


 木扉に手を沿えて、声をひそめている彼女。

彼女の背中を眺め、小さな呟きを溢す。


「……はぁ。俺はそんなキャラじゃないのに。せいぜいが元演劇部のピンチヒッターな名誉助っ人だぞ。それなのに、我ながらクサイ台詞でクサイ立ち振る舞いをしてしまったな……まったく。もう寝よう」


 尾をしなわせつつ、頭を掻くリンリ。

両腕を高く挙げてから凝った肩を回す。


「金縛りとかにあったらどうしよう……。

枕元に髪の長い女の人とか現れたらどうしよ」


 ――リンリの“敢えて”の“気紛れ”によって生じた夜の物語は、日が替わり、少しずつだが落ち着いてきた嵐の音とともに幕を閉じる。結果的に、たわいの無い会話だけの一夜物語。ただ泊まった宿の若き女将の話を聞いただけの一夜だったとしても、そんな日も、そんな出会いも旅の一興かも知れない。





 ◇◇◇






 ――奇妙な話だが、もしも、この世が何かの物の語りだった場合。……仮に、“読み物”の類いなどの創作だとするなら、ここで夜が終わるのは些か味気無いのではないだろうか?


 内からの施錠を解いて。お辞儀をして部屋から去ろうとするニエを送ろうと、出口の木扉に手を付けたリンリ。すると、廊下側から足早に此方の部屋の方向に歩いて来る足音がした。


 その足音の主は、


わたくし、サシギでございます。リン……旦那様、ハクシ様。まだ起きていらっしゃいますでしょうか? 夜分恐れ入りますが、至急にお伝えしたい事柄が……ハァハァ」


 そんな風に落ち着いているが、珍しく慌ても含んだ声のサシギであった。


 ハクシと自分の使従しじゅうである彼女の只ならぬ声の様子に、リンリはニエを部屋の外から死角になりそうな場所に誘導してから、急いで扉の錠を開いて廊下に顔を出す。


「サシギ、どうした? まだ俺は起きてたが……ハクシの睡眠時間を邪魔するなんて、お前らしくも無いぞ。何か有ったのか? あ、もしかしてこの建物の倒壊の危機とかじゃないだろうな?」


「……旦那様? 既に、ご存じで?」


 返された言葉の意味を理解する前に「そんな訳ないか」と軽い言葉を続けたリンリだったが、その冗談を聞いた当のサシギは真顔で首を横に振る。


 よく見ると、サシギは外套以外にしっかりとした衣服を身につけていないようで、濡れた外套の布が張り付いて、そのまま彼女の素肌の形を浮き出している。サシギが腕の部分の布を捲ると、彼女の腕を包む羽毛から水がポタポタと滴り落ちた。表側は水を通し難い素材で作られた外套。それを羽織っていながらも全身がずぶ濡れの様子であるサシギを見てリンリは、


「サシギ、その格好……。まさか、お前、雨の中を無理して飛んできたのか? そんなに焦ってまでハクシと俺に伝えたい事とは?」


「……ご存じでは、ありませんでしたか?

なら、私が急いでこの宿に戻って来たのにも意味があります……ね? ハァ、ハァ……」


「どういう意味だ?」


「――旦那様が仰った通りでございます。この建物……だけではなく、ここらの町の中でも低地になっている周囲の建物が危ないようで。現在、範囲内に居る者全員に対し『高台に退避するように』との勧告が出ております!」


「な、なんだと!?」


「そそ、それ、本当ですかッ?!」


 ――後のある事柄や状況を引き出すような事を無闇矢鱈と口に出したりすると、それに続く伏線となってしまうという。そんな恐ろしい……今は言葉にするのも憚られる、アレかもしれない。


「すぅ、すぅ……。りんりぃ……。

こういうのがぁ……ふらぁぐ……だね?」


 突如として混迷極まってしまった部屋の片隅、

ハクシが何やら嫌な寝言を呟いていた。

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