第22話


 何も言えないで居ると、ゆりかはますます激高し、長い髪の毛を振り乱しながら私を罵った。とうとう彼女が窓枠に足を掛けたとき、教室の中から微かな悲鳴が上がり、隣で呆然としていた早坂さんが「おい、やめろ!」と鋭い叫び声を上げた。それでもゆりかは止めなかった。レールに腰掛け足をぷらぷらと揺らしながら、試すように私を観察していた。


 ゆりかは私しか見ていないのだ、とそのとき気づく。

 彼女の耳には他の誰の声も聞こえていなかった。彼女の小さくて狭い世界に居るのは、彼女と私、たったふたりだけ。既視感があるのは当たり前だった。以前もこんな風に、私はあの子とふたりきりの世界に立っていたのだから。あまりにも近くにいすぎたせいで、ドロドロに輪郭を溶かしあい、ふたりでひとつの肉塊になっていた。蘇る記憶と共に、私の前から飛び去ってしまったあの子の声がした。


 —ねえ、きえちゃん。私と一緒に死んでくれない?


「そんなの、ダメだよ」

 —だって、私、ずっときえちゃんと一緒にいたいんだもの。

「やめてよ」

 —そうするには、時間の針を私たちふたりで止めるしかないでしょう?

「ゆりかの為になんだってするから」

 —日曜日が月曜日に変わる時間、学校の屋上で待ってるね。

「この先もずっと、ゆりかの一番になるから」

 —絶対来てね、約束だよ。

「ずっとゆりかの親友でいるから」

 —ずっと言いたかったことがあるんだ。だから。



 あの日曜日は土砂降りの雨が降っていて、黒々とした暗雲が、そこにあるはずの星々を覆い隠していた。差していた傘は意味を成しておらず、私の制服のスカートは雫に濡れて重みを増した。車のテールランプが、こんな時間に外を歩いている私を訝しげに見つめていた。

 学校に行かなかった訳ではない。だけど、屋上に立っている一人の少女の面影をそこに見つけたとき、足がすくんだ。理解のない両親や頭の悪いクラスメイト、決して明るくない未来を思い、毎日のように死にたがっていた私はそのとき初めて、自分の浅はかさに気がついた。これから死ぬのだということが真に迫ってきて、私はすぐに来た道を引き返した。泥水が顔に跳ねるのも構わずに、ただひたすらに走り出していた。あれは生物としての防衛本能だったのだろうか。屋上にえりかを一人残してきた罪悪感よりも先に、死ぬことの恐怖が胸を襲った。



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