第4話


 「あった、あったぁ!」


 飛び跳ねるようにして喜んでいるゆりかを見ながら、ほっと胸をなでおろす。体操着の袋ごと3階のトイレのゴミ箱に突っ込まれていたのに気づいたのは私のほうだった。体操着は油性ペンで落書きされている上にびしょ濡れになっていたので、ゆりかの笑顔はたちまち消えることになったけれど。

 時計を見ると、体育の授業はとっくに始まっている時間だった。今更体育館に向かう気にもならなかったので、授業中の静まり返った廊下をこっそりと歩き、長い螺旋階段をのぼって屋上に向かった。ゆりかのスカート丈はひどく短くて、私はできるだけ見上げないようにしなあら階段を上がった。ゆりかが銀色の扉を開けると、強い風が彼女のスカートのプリーツをはためかせた。


 屋上に入るのは入学して初めてのことだった。雨ざらしにされたコンクリートの地面はあちこちに雨の模様をつくっている。眼前には雲ひとつない真っ青な空が広がっていて、5月の太陽のまぶしさに私は目がくらみそうになった。


 「あーあ、何かもう、死んじゃおうかなあ」


 ゆりかの投げやりな声に、ハッとして横を向く。錆びている手すりを握ってグラウンドを眺めている彼女の目には何の感情も篭っていなかった。その空虚な瞳を私は良く知っているような気がした。


 「ここから飛び降りたら、みんなどう思うかな」


 セーラー服の襟に結ばれた紺色のスカーフが風に揺れた。突然怖くなって、ゆりかの細すぎる腕に手を伸ばすと、ざらりという感触が指の先に触れた。目を落とすと、おびただしいほどの細い傷跡が、彼女の手首の内側に刻まれていた。


 厄介な女の子だ。関わるべきじゃない。私の手にはとても負えない、面倒くさい女の子。私はできるだけ慎重に、ゆりかの気持ちを鎮める言葉を選ぼうとした。


 「飛び降りなんてやめたほうがいいよ。どうでもいい誰かの自己陶酔の材料に利用されるだけだから」

 「良く分かってるんだね、私もそう思う」

 「…その内みんなも飽きるよ」


 だからそれまで頑張って-…。

 そう言おうとした言葉を飲み込んだのはあまりにも無責任すぎると思ったからだった。これまでだって頑張ってきただろうに、これ以上を彼女に求めてどうしようというのだろう。突然口をつぐんだ私をみてゆりかはさびしそうに笑った。何もかも分かっていると言いたげに。


 私たちは屋上で寝転んで、巣をつくっているツバメが餌を求めて飛び立つ様子を黙って見つめた。授業終わりのチャイムが鳴ると、ゆりかは「そろそろ行こうか」と立ち上がった。


 「ねえ、ありがとうね。体操服探してくれて」


 弱弱しく首を振る。お礼なんて言われる筋合いはない。私はゆりかの為に何もできないのだから。それどころか傍観者の立場を貫こうとしていたのだから。

 今にもしゅわしゅわと消えてなくなってしまいそうな背中に、心の中で語りかける。

 —ねえ。どうして死んじゃいけないんだろうね。私たち、こんなに苦しんでるのにね。


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