爪のないドラゴン

矢口ひかげ

爪のないドラゴン

 六肢動物綱 龍目 有翼龍科。

「ドラゴン」と呼べば、馴染み深い人も多いだろう。

 古来より、ドラゴンの頭骨は権威を象徴するものとして祀られ、爪は煎じると万物の病にも効くと伝えられてきた。

 また、雄々しい姿は子どもたちにとっても人気で、休日にはドラゴンの復元骨格を見ようと、多くの親子連れで博物館が賑わう。ドラゴンは時代を問わず多くの人たちを魅了させてきた。

 僕もその一人だった。

 子どものころは重たい図鑑を床に広げて、そこに描かれたドラゴンに、一日中見惚れていた。

 一軒家はあろうかという体躯。大空を埋め尽くす皮膜状の翼。獲物を捕らえるための鋭い鉤爪。螺旋状の角。ギロリとした眼。

 言葉に形容すると畏怖すら感じる怪物が地球に繁栄していたのは、今から一億年以上も昔。ドラゴンはヒトが誕生するよりもはるか過去に、地球上から姿を消した。

 今やその存在を証明することができるのは、太古の生き物が遺した化石のみ。

こんな僕がそれに惹かれるようになっていったのは、当然の結果だったのかもしれない。幼心にいつかドラゴンの研究者になることを夢見て、僕は猛勉強した。

 その努力は実を結び、今は辛うじて学徒の門の前にいる。

 学会でなんとか掴んだ人脈伝てに憧れの先生とも知り合いになった。そこですっかり意気投合し、先生が主催の発掘調査に招待されたのは、大学二年生の夏のことだった。


 調査地までは通っている大学から電車で一時間半。高速バスで三時間余り。そしてようやくたどり着いたのは、聞いたこともない辺鄙な地だった。こんな機会がなければこんな遠くへ足を踏み入れることはなかっただろう。

 街は標高の低い山々に囲まれている。東はぽっかりと開いた入り江。潮の香りを乗せた風が、炎天下に晒された身体を包みこむ。僕は深く息を吸った。

――ようやくこの時が来たんだ。

 事前にメールで送られた地図を見ながら、先生のいる現場へと向かった。


          *


 龍の化石が日本で初めて確認されたのは、僕の父が生まれたくらいの年だった。

 龍はその巨体を維持するために、大量の餌と生活するだけの土地が必要だ。だから小さな島国である日本では龍は生活できないというのがこれまで有力な説。当然、日本に化石記録なんてないはずだった。

 ところが一人のアマチュア研究家が北日本の海岸を散歩していたときに、異形な化石を発見した。

 それは保存状態も悪く、種類まで特定するには値しないものであったが、龍の大腿骨であるのは間違いなかった。

 龍の化石の発見は、これまでの常識を覆す大きな発見となった。

 ただ日本に龍が存在していただけでなく、日本はかつて大陸の一部であったという証拠にもなり、地質学者たちにもセンセーショナルな出来事であった。

 それが起爆剤となり、日本中の至る地質学者や古生物学者は化石を探し当てようと、大規模な発掘調査を企てるようになった。

 そして僕が向かったのも、そんな数ある調査の一つだった。

 ただ、個人的に本調査地にはとりわけ関心があった。それは――


          *


 山の林道を奥へ奥へ突き進むと、そこに発掘現場があった。同じく調査の参加者である学生たちが、現場の隅でテントを設営している。一方では、地面に広げられたブルーシートを数人がかりで片付けようとしていた。これから発掘調査を始める様子だった。

 作業する学生の中に紛れて、今回の発掘調査の責任者――山中先生がいた。

挨拶しようと僕は先生の元へ歩み寄る。先生も僕に気づくと、作業する手を止めた。

「お久しぶりです。調査に参加させていただく河野です。よろしくお願いします」

「おお、河野くん。どれ、作業の前に少し説明をしないとな……」

 そう言って、先生は先導して現場の案内をしてくれた。ブルーシートが覆っていた地面の真上に立ち止まると、解説をはじめる。

「ここら辺は約一億年前に堆積した地層で、去年、足元にある黒色の凝灰岩層から龍の化石が発見されたんだよ」

「確かそれがドラゴンの背骨だったんですよね」

「そう。背骨の形状から有翼科だと判断できた。残りの部位がないか去年まで調査を進めてたけど、どうやらほぼ全身残っていそうなんだ」

「まだ背骨しか発掘されてませんよね? どうして全身残っているといえるのですか?」

「おっ、いい質問だね。それは化石の産出状況から分かってね――」

 そう言って山中先生は地面を指さし、大きく弧を描いた。

「去年の調査で、足元の地層から、ドラゴンの背骨が半円状に掘り出されたんだ。ドラゴンは洞窟の中で猫のように丸くなって眠るのだけど、その睡眠時間は数百年単位といわれている。ドラゴンがこの場所で永い眠りについている間に、火砕流が洞窟の中に流れ込んできて、ドラゴンは死んで化石になった。そう断言して、ほぼ間違いないと思われる」

「眠っているうちに、ですか。……全身が残っているのなら、日本で初めての例ですね」

「だから、メディアが大注目しているんだ。今まで日本では見つかっていない頭や爪が見つかるかも知れないってね」

 僕は足元を眺める。自分のいる真下に、もしかしたらドラゴンの一部がまだ眠っているのかもしれない。

「その……化石があるかもしれないところを踏み歩いてても大丈夫なんですか?」

「なーに、考古学みたいに神経質にならなくてもいいよ」山中先生は豪快に笑う。

「どの骨がどこの場所にあるのかは大まかに分かっているから、河野くんは指示されたところを堀り進めてみてくれないか?」

「分かりました。……ただ一つ、できれば手の辺りと思われる場所を担当したいんですが――」

「構わんよ。ただ、骨は風化して脆くなっているから取り出すときは慎重にね」

 僕はそれまで担いでいたリュックから、軍手と作業着を取り出した。テントで着替えると、道具を手に握りしめ、任された場所の表土を丁寧に剥がしていく

 真夏の太陽に晒されて、体の至るところが汗ばんでいく。だけど土を掻く指先だけはいつまでも冷えきっていた。


          *


 日が傾き始めると、作業は一時中断される。暗くなると地層から化石を見つけ辛くなるからだそうだ。

 僕たちはテントで着替えて、引き上げる準備をした。身支度を終えた学生たちで協力しあってブルーシートを覆い、風で飛ばされないように重石で押さえた。

「先生、一緒に産出した琥珀はどうしますか?」

 学生の一人がバケツを抱えて先生へ歩み寄ってくる。

 バケツの中には溢れんばかりに詰まった琥珀が、西日に反射して黄金色に輝いていた。

「おお、沢山獲れたね! じゃあ化石と一緒に私の車の荷台に載せて――と、その前に……」先生はバケツの中の琥珀を手に取って選別をすると、

「河野くん。これをお土産に持って帰るといい」

 親指大の琥珀を僕に渡した。風化で白くなっていて状態は悪かったが、ところどころ本来の鼈甲色が残っていて綺麗な光沢を放っている。

「頂いてもいいんですか……?」

「研究で使うから、あまり状態のいいものはあげられないんだけど……これくらいならね」

「ありがとうございます!」

 嬉しさのあまりに深々とお辞儀をしてしまい、先生と学生は失笑する。

「これくらいの琥珀、ハンターならその場に捨てて踏みつけてしまうけど、君なら大事にしてくれそうだしね」そう言ってバケツを抱えた学生は渋い顔を浮かべる。

「あまり公に問題にされないけど、琥珀とかの化石は価値があることから、よく盗掘されたりしてね……琥珀ならまだしも、もしドラゴンの骨でも盗まれたりしたら――」

 先生は淀んだ空気を察したのか、「ま、君たちが心配することじゃないよ」と僕の肩をポンっと叩いた。

「それよりもこの街では『海の黄金』と呼ばれるほど美味しいウニが獲れるらしいから、今夜泊まる宿で味わおうじゃないか!」

 先生の大きな笑い声につられて、僕は空笑いを浮かべる。先生の運転する車に便乗して、その日は調査地を後にした。


          *


 或る日、先生が姿を見せなかったときがあった。

「山中先生はどこにいるんですか?」

 気になって近くにいた学生に訊ねると、

「ああ、先生はテレビの取材で街の方に行っているよ。関係者以外はどこで発掘しているかは秘密だからね」

「それは……盗掘があるからですか?」

 学生は何も言わずにただ頷いた。

「君は、フィールド調査は初めてだっけ……。俺は山中先生以外に全国にある発掘調査に参加させてもらったんだけど、どこもやっぱりどこで採集しているかは非公開だったよ。特にこういったドラゴンの化石は、様々な部位が残っていてこそようやく研究としての価値があるものだから。もし指の骨一本でも盗られたら大変だから、仕方ないことだよ」

 学生は手を休めることなく作業を進めながら話しかける。

「確か河野くん……だよね? 俺は久保っていうんだ」久保さんは続けて質問した。「河野くんはどうしてドラゴンの研究者になろうと思ったんだい?」

「僕は――」

 僕はふと言葉を詰まらせた。僕が答えきるよりも先に久保さんが話しかける。

「皆まで言わなくてもいいよ。子どもの頃からずっと好きだったんでしょ? ここに参加する学生たちはみんなそういう人たちばかりだからね」

 久保さんは「かくいう俺もそのうちの一人なんだけど」と作業をしながら独り言のように呟いた。

 作業中の久保さんの目は宝物をみる少年のようにキラキラと輝いていた。

 僕は、僕は――

 その先の言葉は口に出すことができなかった。伝えようとすると息が詰まり、喉の奥が焼けるようだった。

「げほっ! ごほごほっ!」

「ちょっと大丈夫⁉ 随分と激しい咳をしてるけど!」

「すみません、昔からの持病で……。目眩もするみたいなので、ちょっとテントで休んできていいですか?」

「あんまり張り切りすぎて無茶しないでね」

 ふらつきながらも、何とかテントまで自力で辿り着くことができた。けどそれ以上は動くこともできず、力が抜けるように尻餅をついた。

 僕は深くため息を吐く。子どものころからの持病で、肝心なときに体調を崩すのにうんざりしていた。

 薬を飲んで落ち着かせたが、手はもう道具を握る力すらなかった。暫く調査に参加できそうにもなく、丸一日テントで他の学生が発掘している様子を見学するしかなかった。


          *


 数日後の朝、例日通り先生の車に乗せてもらい宿から現場へと向かった。今日と明日で調査が終わる。ドラゴンも大部分の骨は回収され、残りの二日間で末端部と頭の骨を回収する予定だった。

 車は林道の手前に停め、そこから奥へは、徒歩で突き進んだ。

 現場に到着すると、目の前の光景に、その場にいる全員が息を呑んだ。

 発掘場を覆っていたブルーシートは剥がされ、雑に丸められた状態で隅に捨てられていた。足元の地層には無秩序に掘った痕が残されている。その周りにはバラバラに壊された骨片が散らばっていた。

「あーあ、やられちゃったかぁ……」

 山中先生は気が抜けた声を漏らした。

 この惨状の原因が何なのか。その場にいる全員が勘付いただろう。

 足元には骨片の他にも、飴玉を踏み潰したように砕け散った琥珀があった。

 それは誰かが採掘した後に違いなかった。

「警戒はしてたんですけどね……こうも早く場所を特定されたとは……」久保さんが頭を抱えて言う。

 僕は皆よりも一歩後ろで佇んでいた。その場にいる誰もが肩を落としている。手に握りしめていた道具をその場に落とす者もいた。全員、昨日までの活気を完全に失っていた。その背中を見ただけで胸が苦しくなる。

 茫然と立ち尽くす中、先生だけは屈みこんで、無残に散らばった骨片を拾い上げた。

 それを手の平に乗せると、学生たちに見せる。

「……バラバラになってもまた組み直せばいいさ。皆、骨片を一つも逃さず拾い出そう!」

 そして皆は正気を取り戻し、地面に這いつくばって足元に散らばった化石の回収作業となった。

「おーい、こっち! 頭は無事見つかりました!」

 久保さんが大声をあげる。両腕には綺麗な状態の頭骨を抱えていた。

 それを見て全員の士気が高まった。活力が目に見えるように漲り、そこにいる人は皆脇目も逸らさず化石の欠片を拾い集めることに集中した。

 しかし調査が終了するまで、爪の化石だけは一つも見つかることはなかった。


          *


 それから三年余りが経過した。

 現在ではそのドラゴンの復元骨格が組み立てられて、大学付属の博物館に展示されている。バラバラに散らばっていた骨片――手足の骨は継ぎ接ぎであったが、欠損なく修復されていた。

 唯一、産出していない手足の爪だけは、白い石膏で成形されていた。

 僕は大学院に進学し、山中先生の元でドラゴンの研究に携わることになった。実力を先生に認められ、修士ではあの時のドラゴンの記載論文を担当することになった。

 幸いにも大部分の骨は残っていたため、属までは決定することができたが、種を特定するには爪の化石が必要不可欠であった。そのため、新種かどうかは分からずじまいで、議論は終結した。

 僕は休日に博物館に訪れては、ドラゴンの前で佇んで当時のことを思い出す。

あのときの僕は、他の学生とは違う意思で参加していた。久保さんや他の学生みたいに、純粋にドラゴンが好きで参加したのではない。

 あのときの僕は、どうしても爪が欲しかった。万物の病にも効く、爪が。

 ドラゴンの爪はどんな病にも効く。そのため難病を抱えた人たちが喉から手がでるほどドラゴンの爪を欲しがる。しかし、化石は稀にしか産出しないため、どれだけ大金を積んだところで手に入ることは殆どないといわれる。

 子どもの頃から、自分の患った病は治ることはないと親から伝えられてきた。できることなら、ただ薬を飲んで抑制させることのみ。そんな生活に幼心ながら嫌気をさしていたが、ふと好きだったドラゴンの勉強をしていたとき、爪のことを知った。

 もし、ドラゴンの爪があれば僕の病気は治るんじゃないか? 何か手に入れる手段はないだろうか。

 研究者になれば、いくらでも爪を手に入れるチャンスがあるのでは?


 そう思うようになってからは、研究者を目指す目的が変わっていたのかもしれない。


 もしあのとき盗掘が起きなければ、自分が盗掘する側の人間だった。

 そしたら――もしかしたら今でも――自分のためだけに化石採集へ執念を燃やしていたに違いない。おそらく調査中の久保さんのように、子どものころのような純粋な気持ちで化石を採集することはなかっただろう。そう思うと虚しい感情がこみあがってくる。

 僕は気持ちを落ち着かせるために、ポケットの中に手を入れて琥珀を握りしめた。

 あの時にもらった琥珀は、自分への戒めとして肌身離さず持ち歩くようにしている。ボロボロで宝石のような価値は持たないが、昔抱いた感情を思い出させてくれる。

 ポケットから琥珀を出した。一緒に入っていた常備薬もいくつか落ちたが、そんなことは気にもせず、手の平で転がした。

 白焼けした琥珀は博物館のライトに照らされて、鈍い黄金色を呈していた。

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