東京ばるす

@syakamaki

To Today's Ballsh


 東京に入る。それ自体はとても簡単なことだ。

 

 べッドの上に寝っ転がって、僕は一つの公式サイトを眺めていた。手の平一杯の画面の一番上、浮かぶ文字は『東京都』。ページの入力ホームは未だ真っ白だ。

 まだ申請期日には間に合う。それどころか、申請がなくたって、このことは悟られなければ本当は不必要なものだ。

 それでも律義にデバイスのホームボタンに母指を押し付けると、一瞬にして静脈がスキャンされ、小さな欄を埋めていかなくてはならない個人情報はいちいち打ち込む代わりに、仮想上のデータベースから空欄目掛けて飛びこんでいく。十九歳、新軽井沢大学学生、肩書から氏名から、体重や身長までが事細かに書き連ねられ、すぐにそれは最下段までの必須項目を埋め尽くしてゆく。

 最後の項目、『入園の目的』はフリースペースだ。フリースペースなのに必須項目扱いなのが少しおかしかった。フリーじゃないのかよと独りごち、なんと書き込むべきか少し迷って、僕は文字盤をフリックしては消し、最後には「研究調査」とだけ書いて確認ボタンを押した。画面の上に向かってページ全体を放り投げると、一拍の間をおいて返事がすぐに帰ってくる。

 それは形だけのライセンス。東京都からの自動の返信には、大学の権限と肩書の名において、学術目的での入園につき、立ち入れる『深度』の制限が撤廃された旨、そのほか注意書きが箇条書きで並べられた。研究室にも通知が行っているだろうこと思うと、同期からの質問攻めを思い浮かべずにはいられない。物好き、変人、まあ返す言葉もない。

 都からの雑多な通達は丸ごとすっ飛ばしてスクロール、部屋の電気を落とすために起き上がる。足元に転がる大きなリュックサックは明日のため。準備が出来ているのは確認済み。その脇の小箱も確認して、スイッチ一つ、僕は眠りについた。


 


 駐車場の出口から、暖気が入り込んでくる。ふっと鋭く息をつき、僕は革張りのシートにまたがる。デバイスの示す現在地は、新軽井沢市中央。二一二〇年八月十日。土曜日、気温二十七度。

 時刻は五時を過ぎたところだ。まだ朝とはいえ、熱を蓄える新軽井沢都心のコンクリートは一夜を過ぎても冷えることはなく、連日の熱帯夜はまだ道半ばといった所だった。

 背中との間に空間ができるようにリュックを背負い直し、父のものだったバイクのキーを回した。ドルン、ドルンと唸り声を一つ、二つ、見事に起動してみせた九十年ほど昔の骨董品は、無事に今回の旅のサポートを快諾してくれるらしい。初めての遠出だ。整備キットと予備の燃料まで積んだ及び腰の装備に目をやり、壊れてくれるなと願って、マンションの地下駐車場を国道へと出る。

 この街、新軽井沢は関東の要衝だ。

 東京が機能を停止して以降、東西を鉄道、高速道路で結ぶ中間地点としての役割は、旧制度下の長野県のこの街に取って代わられた。東海道線の線路、諸高速道の支柱が沈んだのち、東西を高地で連結させる必要があった為の措置だった。限られた土地一杯に建物を広げるこの街は、『強制遷都』後の各都市の中でも一二を争う繁栄を見せている。

 そう、その街を出て、今日目指すのは旧き首都、東京だ。

 夏の朝日が生み出した遠くの陽炎と、その根に広がる新軽井沢の高層ビル群を背中に、その末で途切れているだろう国道をひた走る。 

 背を向けた都心の方を目指せば違うのだが、東京へ延びるこの道はどことなく寂しげで、時折道のそばには寂びれたレストランやその廃墟が、似たり寄ったりの姿でたまに立っている。かつて首都から避暑地、軽井沢を目指した人間が利用していたのか、強制遷都時代には利用者が多かったのかは定かではないが、今現在利用者が少ないのは、道の空き具合を見れば明らかだった。

 旅の始まり、不調も無くエンジンは嘶き二輪を駆り、傾いた店舗とは不釣り合いに大きな駐車場と看板を、すぐに背後に追いやっていく。

 道とは、どこかで終わるために延びている線ではなく、二つの場所を結ぶために垂れ下がるつり橋の様なものなのだろう。一方の点を失ったその線は、凍傷で壊死してゆく指先のように、先端からだんだんと駄目になってゆく。


『東京』が『東京』でなくなっていったのは、僕の生まれるずっと前、祖父の時代のことだ。一体どこからやってきたのか、それとも初めからそこにいたのか。その未知の植物はただびっしりと繁茂し、ただ一点、「邪魔」であることを以て、東京をはじめ、世界各地の都市機能を極端に制限した。歴史の教科書の後半、それまで退屈なはずだった現代史の項で待っている大波乱、『強制遷都』の項はここに当たる。

 どんな研究機関でもその全容を解明できず。除草剤もものともせずに蔓延る、謎に満ちた、強靱な植生は、極めつけにコンクリートの土壌であっても成長を止めはしなかった。浅い地中に張り巡らせた太い幹から枝葉を展開し、彼らは舗装された道を粉々に掘り返し、あらゆる建物を地盤から歪ませ、線路をジェットコースターのそれに変えた。


『緑害』。それがこの災害に付けられた名前だ。


 幸運にも海抜五十メートルを超えては生息しないなど、解ったことももちろんある。しかし幸中の不幸とでも言おうか、その分布図はすっぽりと都市機能を覆っていた。

 更には、海抜が低ければ低いほど繁茂の具合も激しいものとなっていて、地下鉄などは場所によっては有機物の壁がいつまでも続く、といった具合になっているそうだ。想像しがたいけれど、東京東部の海抜ゼロメートル地帯は人の背丈までが緑色に染められたという報告がある。現在『深層』にあたる地域だ。立ち入り制限は撤廃されてはいるけれど、今回『深層』に用はない。

 その五十メートルの中、首都たる東京、数多の人間蠢く最大の街は関東平野ごと雁字搦めになり、その隙間からぽろぽろと人は去っていった。そして、二十一世紀後半に入り、人間は低地を捨てる。それならば、また新たに住処を作ればよいと。都市が蝕まれていく間、数十年間解明を試み、立ち向かい続けた人間が勝ち得たのは唯一、徒労感だけだったという話だ。

 諦めが付くまで、住人達は日々傾いてゆく家を枝切バサミで守っていたのだろうか。その画を想像するとなんだか滑稽に思えてしまうのは、自分が当事者ではないからだろう。新しく作られた住処で育ってきた人間だからだろう。

 好奇心からなのだろうか、僕は無意識の内に上がっていたバイクの速度をゆっくりと戻した。中央線はかすれることなく未だ白く、伸びている。

 五十メートルの壁の向こうにあった街は、関東平野において、無論いくつも存在した。都市の郊外でも栄えていた吉祥寺などは、初めこそ代替都心としての役割を果たそうと息巻いていたそうだが、しかしどうしてか、その勢いは続かなかった。その理由は単純だ。中継地から終着地へと、街の肩書が変わったためだ。『東京』の街が人を集める先は、中心からほぼ円状を保っていた。東西南北、満遍なく流れ込んでは流れ出す人。

その流れの向きが絶対的に制限された状態で、「都の中心」の役割を果たすことはかなわなかったということだろう。

 

 下り車線を暫く行ったところで、僕は最初の休憩を取った。

適当な路肩に止めても構わないほど、もう交通量は無い。段々と緑の濃さが増してきていて、道路まで伸びた日陰の下に隠れれば、もう長野とはいえ立派に資料で見た田舎の風情だ。縁石に腰を下ろして、持ってきた菓子パンを朝食として頬張る。座席の足元に挿した水筒を取り出し、中の麦茶を喉に通す。夏の盛りであっても風を切って進む今は別段暑くはないが、強くなる日差しに体調を崩してはつまらない。

 進行方向、左を向いても、延びる道の先にある街の姿はまだ見えてこない。控えめに揺れる陽炎、蝉の声。ただ夏がある。

この先にあるという街が、かつては人で溢れていた旧い都だと、知ってはいてもまだ想像できない。背中の方向にある『都心』が都心だ。『東京』は都じゃない。人の手を離れた、遠く横たわっている都市の骸は、イメージの中でどこかおぼろげだ。昔の東京の人は、奈良の平城京なんかに同じ思いを抱いていたのかもしれない。

 あと一時間と少しといったところだろうか、起動したデバイスで現在地とルートを確認し、僕は再びバイクに跨った。後の時間は、まだ見ぬ街の想像に充てよう。

 ところで、こうして荷台一杯に荷を縛り、段々と旅の風情を増してゆく道をひた走る理由は、実はこのバイク自体にある。まあ、研究調査なんて嘘っぱちなのだ。

 まめに手入れをされていたため見た目にはそれほどでもなく、動作も快調ではあるが、実はこれは残存する機構の中では最古のレベルの骨董品だ。絶対的に劣化が進む部位は最近の物と取り換えられてはいるが、それでも、全体の七割ほどは祖父が購入して後、ずっと取り換えられていない。それがどういう意味を持つのかは、こういったものに興味があるかそうではないかによるだろう。

『緑害』以前、深刻な大気汚染に悩まされていた日本、世界各国は規制による規制を重ねた結果、環境に悪い旧式のエンジンを厳格な規制の下においた。結果、対象となった機関は片っ端から生産停止となったのだという。

そうして訪れたのは、忍者ばりに静かでクリーンな乗り物たちの時代だった。しかしその矢先に『緑害』が猛威を振るった。

港の破壊で海路は塞がれ、あらゆる物資は不足した。原子力、火力はもちろんインフラ系統は安全と資源の問題から一時停止する他なく、環境問題は、というか生産活動のほとんどが世界規模で水を浴びせられた精密機械のようにストップしてしまった。人間が信じ、運営してきた経世済民という世界の基準は、規格など持たない緑色のツタに絡めとられた。

 世界的な緩やかな人口縮小、経済の後退は避けられなかった。活動範囲を大幅に制限されるという単純な方法で、人間という種は進歩の折れ線グラフをへし折られた。緩やかな成長に戻ったのはごく最近のことで、よほどの頑張りがあったのだろうと思う。

 それでも、空白の百年間、もとい『空緑の百年間』、これはうちのお爺ちゃん教授のネーミングだ、が東京と新軽井沢の間には横たわっている。世界中を舞台にしても、『緑害』を無視して革新を遂げ続けた国はない。


 そんな時代を、ガレージの奥で大事に守られ、この二輪車は生き抜いたのだ。

 前世代のローテクの粋を集めたような、無骨なようで流麗極まる機構のアソートは、大いなる魅力として僕の興味を引き続けた。そして父がかつてそうされたように、彼の死に際して四十七日前に僕はそれを受け継いだ。

 遺書の通りに、或る場所へと行くように。そこに遺骨を置いてこい。そうすればあのバイクはくれてやる。東京行きを指示する奇妙なその願いは、たとえ真意が読めないことであっても守るべきことなのだろう。

 父親に何かしてあげられた記憶も無い僕は、安い願いだと旅行気分で準備を進めた。それが一割と、受け継いだバイクを転がすいい口実だという気持ちが九割くらい。ダイレクトに伝わる地面からの振動にはにかみながら、顔に風を受けてゆく。

 

 そういう訳で、父の遺骨を背負い、僕は二輪車を転がしている。長野を出、群馬の南部を貫いて埼玉へ。『緑害』を避けるために、僕は西側から回り込むようにして東京を進んで行くことにしていた。所沢の地名が記された標識を頭上に見送り、上りの道路をひたすら選ぶ。この進行方向は「上り」で合っている。これもいつかの時代の名残の一つ。

 一時間弱のドライブを経て、僕は初めの目的地に到着した。


 緑色のクレヨンで線を引いたような、五十メートルの境界線がこの街にはある。かつての商業街、住みたい街ランキングナンバーワン。そして現代、東の果ての街。僕は速度を緩めたバイクの上から左右を見回して、その実物を、見つけた。エンジンはそのままに、コンクリートに足をつける。

 少し下り坂になっている細い道の先に目を凝らすと、道端の標識は、『吉祥寺本町一丁目』。その根元から、地面を割って伸びた淡い緑色のツタ植物がポールに身を絡ませている。

 傾いた金属の白い幹とは逆に、天を衝かんと伸びる硬質なからだは、少ないながらに葉を蓄えていて、勢いよく成長したはいいものの支えを失いましたとばかりに宙でふよふよと躊躇っていた。

 

 これが、『緑害』。隣に建っていた一時停止を示す標識は、車道から出しゃばって、歩道の僕に一旦の停止を求めている。

 傍の商業ビル、そのコンクリートの外壁にも、『緑害』は爪を立てたようにしてめり込んでいた。腰の高さまでをびっしりと緑色に覆われ、その模様が描く横線こそ、海抜五十メートルを示している。

 物珍しさに一しきり写真を撮って、目指す駅の方向に歩き出しながら、知識の中の東京と眼前に広がる繁華街を照らし合わせてゆく。繁栄しきった街が、ここまで来て打ち捨てられている状況。

 異常と言うほかないそのアンバランスは、映画の特殊効果を使ったワンカットか何かのように思える。しかし、これは確かに人々が生活していた街であって、まだ『吉祥寺』は吉祥寺だ。この街から東、境界線一本隔てた東京が、いまや国立公園として管理されていることを考えれば。

 このビルにもう価値はなくとも、テナント料はいくら安価であったとしても、まだ誰かの持ち物なのだ。入るべき中身が、もうこの果ての街にはやってこなくとも。

 バイクを転がす。他のビルと同じように、中身が全てどこか知らない同僚の腹の中に移ってしまった美術館は、大きく開いた入口を不気味に残して立ち尽くしていた。彼自身、自分でも開いた口をどうしようかと困惑しているようにも見える。


 通りを建物の背の高い方へと進み、バス停がそのまま残されたロータリーへ入ると、ここから来た道の他にもいくつかの道路が伸びているのが分かる。錆びた看板が中の様子の良く見えないアーケードの入り口を示しているが、その明るい名前がかえって不安定を煽っているような気がして、少し気味が悪い。その中にはいったい幾つの生きた店があるのか、気になったが、何にも邪魔をされない蝉の声がその答えだろう。

 

 僕は押して来たバイクと一緒に、屋根のあるバス停を選んでその下へと体と車両を滑り込ませた。首をヘルメットの留め具から解放し、日差しに熱せられた頭を冷ますように、汗ばんだ髪をくしゃくしゃと指で解きほぐす。

 紫外線を遮るために薄い紫の色をしたクリアな屋根は、雨に洗われてどうにかその透過性を保っている。透かして、空。手の中で、一本目の水筒が半分ほどにその中身を減らしている。

暫く屋根越しに流れていく白雲を眺めていたが、汗を拭い、僕はベンチを後にした。もう来ないバスを待ってはいない。


 これだけ大きな駅だというのに、使われているホームは一つ、無人運転の電車が朝夕二本ずつしか来ないのだというから驚きだ。

 僕は細心の注意を払いながら、無人の構内へとバイクを持ち込んでいく。間違っても階段から落ちないように、ゆっくりとタイヤを回す程度に右手を絞る。エスカレーターが動いていればいいのに、残念ながらいつから張られているのか、黄ばんだベトベトのマジックテープが進路を遮っていた。これが案外気を遣うしんどい作業で、ドルンドルン、ゼイゼイと鳴き声を上げて、二輪車と僕は二階の改札口へと辿り着いた。

 人のいない東京にもう嫌気がさして、一日四本の電車で帰ろうと思ったわけではない。目的は逆、打ち捨てられた中央総武線の線路のほうにある。ひたすら東へ、深くへとのびる鋼のレールに。

 僕はデバイスを取り出すと、吉祥寺駅のポータル、備え付けられたローカルネットワークに接続する。

 新軽井沢で一般的なシステムも、そもそもの導入は二〇二〇年台の東京が最初だったという。デバイスをローカルネットに繋げることで駅や周辺の情報を閲覧出来るという、観光客向けの沿線の活性化を目的とした代物だ。乗客への強制力は通常持たないが、今の僕には情報をやり取りする必要がある。入園報告だ。入園者は基本的に数字となって管理を受けることになるが、それだけだ。あまりに連絡が滞ると、安否確認や救助が入ったりするらしい。そんなことでニュースにでもなったら自死を選びたくなるだろう。

 昨晩取得した認証と個人情報を、また親指で駅のネットワークへと渡す。すると、ポーンという何とも気の抜けた音とともに、一番左の改札がライトを点滅させ、勝手に通れといわんばかりに、最後のメンテナンスはいつなのだろう、軋みつつもぎこちなくバーの障害をどけてくれる。

 改札を努めて涼しい顔でバイクと一緒に通り過ぎると、デバイスが振動、新しいメッセージの到着を知らせた。申告していない二輪車の持ち込みを指摘されたのかと思い身構えるが、どうやら違うらしい。


『ようこそ、旧都国立公園へ―――』


 少し間の抜けた顔をしたように思う。すこしそれを見つめてから、僕はデバイスの電源を落とした。背嚢に挿した魔法瓶の中で、残った氷がカランと涼しく鳴った。


 人々が街を捨てていく中、首都機能はもちろん、経済システムを急速に喪っていった東京の周辺は、他の先進諸国と同様に混乱を避けるため国の管理下に置かれることになった。手放された土地を国が買い取ることで、移住者の負担を軽減しようとした。

 その結果が、東京を丸ごと公園として管理する現状だ。明確な鉄条網で囲うでもなく、ただそういう扱いというだけで、空白の土地の悪用を防止する苦肉の策。その中に入らんとする人間は、五十メートルの境界周辺にある公的機関、特にこの場合は東京都が管理しているものが一番簡単だ、のポータルにアクセスし、形式上認証を示す必要がある。

 管理といっても、国はどの建物が『緑害』に食い破られていつ倒壊し、どの道路が通行できなくなったかなんて把握できてはいないのだけれど。

 入園手続きを済ませれば、どう中を進もうと基本的に問題はない。それを見越して、僕は改札を通り抜けることにしていた。先ほどと同じように動いていないエスカレーターの脇の階段を、さっきと同じ要領で登ってゆく。空気の通りが悪い狭い階段は暑く、バイクそっくりに唸るなどした後、始まりのホームに足を付けた。

 

 終点の筈なのに、吉祥寺駅のホームは線路の中間にあった。

 

 複数ある線路のうち、使われているのは一本だけ。使われていないホームから右を望めば、地平線まで続く線路。左も同じ。それでも、電車はここより東を目指さない。

 それは、線路の下に、駅を出たところに広がる街が五十メートルの境界の内側にあるからだ。緑色をした障害物が、コンクリートを丁寧にほじくり返しているためだ。

 僕も管理者と同じように、どの道路が生きているのかなんて把握できている訳がない。海抜が下がってゆくたびに濃さを増すという『緑害』に正面から突っ込めば、一定のラインで立ち往生するのは目に見えている。それならば、或る程度高いところを通っている線路を使って、行けるところまで行ってしまえばいいというのが僕の計画だった。線路上であれば、路線図を見ればある程度は道順もわかりやすい。

 西から延びる電車の終着点。東を目指す僕の出発点。

 点字ブロックの上から望む、吉祥寺の街に立ち並ぶビルは、車のない道路を左右から挟み込むようにして、道が右に逸れるのに合わせてその果てを隠す役割を果たした。遠くの空にはもう、夏の昼間の入道雲が浮かんでいる。それを縁取る青い空と、ビルの頂上が境界を曖昧にぼかして蒼くゆらいでいた。

 そんなこんなで、僕は枕木の上にバイクをやっとこさ線路へ降ろす。今日一番全身を酷使し、少しの間動けなかった。研究室にこもりっぱなしのモヤシ学生には荷が重すぎる。

 それでも何とか復活し、首にかけたヘルメットをかぶり直し、キーを回す。無人のホームの静寂を、エンジンの駆動音が連続で引っ叩く。出発だ。

 鉄の轍の間を通り、枕木を捉え、前へと進むだけのこと。

 誰かが問題にしなければ、バイク自身は何も問題にしない。


 電車の往来のない線路の上を、趣の違う乗り物に乗って、僕は快調に走り抜けていた。

 時折脇を駅がすり抜けていくが、そのどれもが吉祥寺と同じか、もっと寂びれた様相だ。建造物から人の手が離れるということは、こういうことなのだと感銘を受けたほどに、新軽井沢の駅とは違う。人間の匂いというものが脱臭されている。

 東京でも当たり前の光景だったはずの、ありとあらゆるカラフルな広告は剥ぎ取られ、ぽっかりとそこに空白と、元よりの一色の壁を出現させている。ホームに置かれていたはず自動販売機は当然撤去されていて、そこだけ気持ち新しい床の色を見せていた。立ち食い蕎麦の看板と空きテナントの張り紙が、時速四十キロで後ろへと流れていく。

 電車を受け入れる機能を根っこに据えた駅という建造物から、周囲に付属していた機能が剥がれ落ちていき、そもそもの電車が消え去ったが最後、人が消え去り、残されたのは入れ物だけ。かく在れと作り上げられ、かく在った駅はいま、東京の中にそう、在れない。


 この都市をじわじわと蝕んだ『緑害』は、それ自体が何かを奪ったわけではない。ここに核が落とされたわけでもなければ、疫病が蔓延したわけでもない。それが根を張り巡らし、枝幹を広げるそのゆったりとした時間、植物とは思えない速度ではあったが、の間、何もかもを持ち出していったのは人間のほうだ。ヒトの頭が描いた、ヒトの為の街から、住人は少しずつ家財を持ち出し、出来る限りの機能を移そうと試み、その最後に諦め立ち去った。どうしても持ち出せなかったものは、緑色の底に置き去りにして。

 いま、東京の墓の下に眠るのは、『緑害』で東京を離れてなお、先立った妻と同じ墓に収まることを選んだ祖父と、移住前に亡くなった祖母だ。祖父にとっては、連れ出せなかった者、になるのだろうか。父の動機には、全く思い当たる節がない。

どうしても動かせなかったものはまだ置きっぱなしにされていて、強引に『緑害』がそれを上書きして東京の今はある。公共の場に変わった東京。公園になった都市。みんなの首都。枕木の上にあった石ころを跳ね飛ばして背後に破壊音を聞いたけれど、僕は器物破損で書類送検されたりするのだろうか。


 通り過ぎる駅と駅の間隔が、段々と狭くなっていることに僕は気付く。線路の両脇に生えるビル達も、その高さを増してきたように思える。おそらくは、近いのだ。東京の中心が。かつての都庁所在地新宿が、いつ右にカーブする線路を、挟み込む建物が切れたその裏に見えるものかと、目を凝らしていた。

そして、見えた。右カーブのお終い、開けた視界に、唐突にそれらはいた。

 それらはまるで、なにか生き物の集合体のようだ。左右に臨む建物の群を抜くようにして、ぎゅっと凝縮された、鋼の巨塔で形成されたクラスター。蒼天を衝かんと頂点はぴんと張っていて、隣り合うビル達は左右には負けないようにと高さを競い、幾つかは根を食われたか、少し傾いているように思えた。足元は垣間見えないが、『緑害』の海に沈んでいるのだろう。まちがいなく、あれがそうだ。首都、東京。いつかの日の。

 だんだんと近づいているのが、大きさを増す都市の輪郭でわかる。しかし、車体が大きく跳ね、上ばかり見てもいられないことにも気が付いた。高架上の線路にも五十メートルの限界がもう現れていて、すぐ足元のレールを隆起させていたためだ。それでも、緩やかなこの下り坂ならば、バイクに乗ったままでも新宿駅には着けるだろう。僕はハンドルを握り直し、改めて運転に集中する。

程なく、大きく口を開けた入れ物が僕を歓迎した。


 遠くから見ていてわかっていたことではあるけれど、新宿駅はとてつもなく巨大だ。通って来た一駅間くらいはある。

JRがかつて有していた路線数本だけでなく、一つの巨大な名称のもとには幾つもの私鉄が線路を通していたためという。車両や機械類は持ち出されて久しいが、残った線路と建物の骨格だけは健在だ。人身事故の心配のないホームにバイクをつけ、砂利を蹴り飛ばして側壁に近づいた。背伸びをすれば、街景を目にできる。

 壁の向こうに見えたのは、思っていたよりもずっとまともな世界だった。少なくとも建物はまだ垂直に立っている。それでも人が立ち去る間際の後片付けは為されていて、ビルの側面、屋上にある表示は皆一様だ。『貸し看板』、『広告主募集中』。取り残された大きな建物に寄り添うように建つ、個人経営の店舗はまだ匂いが残っていて、中身は無くともその店名をまだ掲げている。

 新軽井沢にもある電気屋の壁には、おそらくは電光掲示板だったのだろう、巨大すぎる黒板が埋め込まれていて、ところどころ剥がれたパネルの中から、鳩が飛び立つのが見えた。巣があるのだろう。ヤマダ電機、新宿店の一等地、陽当りの良い角部屋です。

 街を捨てるということ。そしてその規模をまじまじと目にして、僕はただぼんやりとしていた。理解が追いつかずに宙を舞う。例えば、あの地下道への案内はもう嘘をついている。地下道の中には『緑害』の幹が壁をぶち抜いてはびっしりと生えていて、入れやしないのだろう。あの地下鉄の入り口も。

 停めた二輪車に戻りキーを抜くと、荷台に結んだ方のリュックサックにいれた。無くしては困るものは、持ち歩かない。

 運転に支障の出る段階からは、徒歩と決めていた。ヘルメットを座席下の荷台に放り込むと、背負っていく荷物の中身を確認する。水、食べ物に、ナイフまで入ったサバイバル用品各種。急な倒壊以外に危険はないとは思っているが、こういうのは気分だ。完全にレジャー感覚の装備だが、ここは公園なのだから、ハイキングにはもってこいだろう。汗が水玉模様を作ったシャツの上からずっしりとしたそれを背負い、凸凹した、これまでとは様相を違えた道を歩きだした。

 デバイスのGPS機能で現在地を確認すると、遮蔽物のせいか僕を示す青い点は表示されなかった。電波も弱い。アンテナはもう、こんな辺鄙な場所には立ってはいないのだろう。まあ、いざというときは本当に駅の案内に従ってしまえばいい。楽天的に考えて、秋葉原、錦糸町、千葉方面と書かれた黄色い矢印表記を手で撫ぜ、歩き出す。


 遠くに、わななくセミの声が聞こえる。

 それがいったいどこから響いているのかは、一目瞭然だった。遮るものの少ない沿線の向こう、その両側に大きな緑地が見える。デバイスで開いたマップ上に確認すると、左が新宿御苑、右が明治神宮。どちらも、自然公園の様なものだったらしい。公園の中の公園。文字通りの意味。『緑害』の作る景色は、おおよそがぼんやりと緑色だ。枯れることのない淡い緑たちが、折り重なることで強くグリーンの印象をこちらに与えてくる。そんな中にあって、背の高い樹林が密集している光景は逆に新鮮に映る。緑色の横線から急に生えるのは、公園を挟んだ向こうにあるビルだ。

 専門的な勉強をしたわけではない、というかほとんど講義の聞きかじりだけれど、『緑害』は他の植生を基本的には脅かすことはない。むしろ硬い地面を掘り返すことで、他の植生の種子をその亀裂に招き、共生する場合がままあるという。

 葉を大きく広げるでもなく、深く根を張り地力を搾取し尽くすわけでもなく、ただ強靱で、勢力を拡大する『緑害』。人間の土地を奪い、ただ横槍を入れた『緑害』。まるで人間から自然を取り戻そうとする地球の意思だ、と評して大炎上したコメンテーターがいたという記述も読んだが、こうして目の当たりにしてみると、それは真に適切な表現だとしか思えなかった。

 万年をかけて、都市を耕す。根を覆されたコンクリートの木々は順繰りに朽ち、倒壊し、いつか粉微塵になってどこかへ還る。

 東京は、いつかはじまりに還っていくのかもしれない。

 その末には全てがこの公園のようになるのかとも思ったが、多分それは僕が、そして全てが死んだ数千年後か知れない。


 空っぽの代々木駅を抜け、新宿御苑の外枠をなぞるように千駄ヶ谷駅を通り過ぎ、僕はしばらく黙々と歩みを進めた。こういうのをかんかん照りというのだろう、天辺に近づいた太陽は容赦なく僕を焼いて、それに気をもんでいると足元を『緑害』に取られるという悪循環。ぐっと力を込めて亀裂を踏みつけ、平らに均しては次の一歩を踏み出してゆく。

 俯いて歩いていたからか、見えていた建物が頭上に影を作ったことに寸前まで気が付かずに驚いた。駅名表示は「信濃町」。ところどころ崩落して危なっかしさをビンビンに感じさせるものの、屋根が生きているのは有難いことだ。僕は休憩を挟むことにした。

 ポータルにデバイスを接続してみようとしたけれど、その辺を飛んでいる回線を見つけ出すことは出来なかった。ローカルネットも駄目で、ホームに腰かけ、線路にぽいっと脚を放り出す。

 駅の建築の下に作られたホームという構造によって、この場所には完全に陽が入らない。夏そのものから切り離されたかのようだ。時折抜けていく風は、外の熱風と段違いに冷えている気すらする。ぽつんと線路上に置いてある点のような存在。その点と点、駅と駅の間、電車に揺られる数分が大きく引き伸ばされたこの線上で、ゆっくり進む僕は、原初の夏を前にあまりにちいさな存在だ。


 続く四ツ谷駅までは、緩やかな下り坂が続いていた。段々と絡みあうレイヤーの数を増していく『緑害』は、重なり合い、ここまでくると逆に歩きやすい足場になってきていた。隣を並走するのは首都高速道路。車の通りは当然無い。駅への入り口は四つのトンネルで、向こう側にぼんやりと光が見える。多分通り抜けられるだろうと高を括って、くぐってゆく。

 入り込む光は、頭上の梢を通って僕のところまで降りてくる。トンネルを抜けると、そこは箱庭があった。『雪国』のはじまりはどうだったか。何か違う気もする。

 奔放に枝を伸ばした、頭上を覆う植生は、『緑害』のものでは無いようだ。足元が見慣れない朽ち葉で覆われている。葉を落とす植生のドームの中に、四ツ谷駅は包まれていた。その天井はどうやら、ホーム上に延びるあの橋にあるらしい。袂の色あせたレンガ材から、これまた剥げ掛けた緑色の塗料の痕跡をところどころに残した鉄骨が緩やかに曲線を描いて、視界の右向こう、傍の崖の向こう側へといなくなっていた。

 その手すりから、恐らくはその向こう側も、おおよそ空というものが青々と茂る大きな葉にすべて隠されていて、何もない駅舎はその日傘の下に守られている。

 橋の上に向けて作られた階段の行き先を示す頭上の案内表示は、中のネオンが抜けて、薄暗さの中で一際ぼんやりとしていた。その案内によれば、乗り換えには一度階段を上がってまた降りなければならなかったようだ。今なら隣のレールまでは五歩で行ける。

 僕は線路と平行な駅名表示に従って、このドームの下を通り抜けていく。橋の向こう側、同じようにツタの蔓延り、頭上を青葉に塞がれた箱庭の出口から、下を『緑害』、上は名も知らない植物と、自然と自然に挟み込まれた人工を振り返る。

 四本の線路と二つの船着き場は、どこまでも静謐を保ち、優雅に零れ落ちてくる陽光を受け入れていた。埃一つ立たない、死んだように眠るホームに落ちる光。トンネルが閉じてしまったなら、この場所にはもう、誰も来られない。天蓋が落ちてしまったなら、箱庭は無くなってしまう。照らされるレンガのオレンジと淡い碧緑は、柔らかく僕の目に焼き付いた。


 連なるいくつかの駅と飯田橋駅を過ぎた頃、瞬間、デバイスが警告音と震動を以て僕の歩みを牽制した。泡を食って取り出したデバイスの画面に、一本の通知がポップアップしていた。送り主は……国土交通省。文面に首都高速道路の文字が確認できる。そういえば、頭上の横線は首都高速だ。下から見上げただけで劣化が目立つそれに巡らされた、非常用ポータルが送ってよこしたものだろう。確認した情報と眼前の景色がリンクするのに、そう時間はかからなかった。


『危険 通行止め 首都高速五号池袋線 〈緑害〉被害』


 その横一線は、左に向けた視線の先で予想外の終着を見せていた。劣化の末になのか、支柱を食われたのか。多分両方の理由によって、緑色の中に橋梁はその行き先を沈めている。軸を左向きに捻転した道路がそのまま、まだ健在なビルの三階部分に道の最期を突っ込んで、奇妙な安定を見せていた。その接続部分、暴力的な倒壊の現場にも、傷を癒す緑色の絆創膏のように、今は『緑害』が優しく絡みついていた。朽ち果てたその瞬間は、暴力的な轟音が響いたのだろうか。優しい沈黙の傾きが作っている奇妙な光景からは、それがどうも想像しにくくて、僕は線路の上、行く方向へと身体を戻す。


 続く水道橋駅で一休みした僕は、駅の少し先、緑色の鉄骨で出来た橋の上ですぐに座り込んでいた。体調を崩したわけではない。すぐに休んでいるのは不測の事態によるものではあるけれど。自分が、全くこの道を選んだのは正解だったと喜んでいるのに気が付く。眼下に広がる光景をただ眺めながら。

 

 サイドに走る赤いライン。窓ガラスに割れは見受けられず、揺らぐ水面の奥で光を様々に揺らす。開いたままのドア。アルミニウムだかなんだかの、軽く最適化された車体。

何故そこにあるのか解らない、僕一人がそう思っていても、東京メトロ丸の内線の列車はそれが当然だとでも言うように、水位を上げた神田川の底で、永遠の途中停車を行っていた。

『緑害』による都市機能のダウンの最初の一件が、この風景だったりするのだろうか。諸公共交通機関の中でも、低い位置にある地下鉄から機能を停止していったというのはよく知られた話だ。線路内に異物が発見されました。確認の為一時停車します。安全確認が取れません。

 そんな段階を踏んだ末ににっちもさっちもいかなくなった何両もの鉄の塊を、川面すれすれにある線路からサルベージするのは難しい気がする。その直後に一気にそれどころではなくなって、今の今まであそこに放置されたまま。きっとそうだ。

 透みきった水の底に目を凝らすと、車内へと鯉が入っていくのが見えた。どこかの資料で見た、海底に沈んだ船舶が水生生物の住処になっている光景を思いだす。ちりちりと水面に照り返った陽が瞳の奥を焼いて、僕はぐっと目を閉じた。眩さを凝視しすぎた代償に眼を潤ませて、袖口でそれを拭い取る。気恥ずかしさを感じては、ふっと寂寞に揺られて、今日何度目かの気付きを得る。

 誰も僕など見てはいない。ここには誰もいない。沈んだ車両の中から、つり革を掴んでこちらを見上げる人はもういない。目と鼻の先、御茶ノ水駅のホームから、向かいのアーチ橋の上から、線路に立ち入る人間を見つめる好奇の目はない。この異邦人の目から水が一滴零れようが、それだけだ。ぐんと、一眼レフのカメラでピントを合わせたみたいに、高く、均質な青空と凸凹とした地平線の距離が消えて、その間に僕は吸い込まれてゆく。行く手、秋葉原の街の描くシルエットが、不思議なくらいクリアに望めた。



『ようこそ 秋葉原へ 電気街口 中央口をご利用の方はこちらが便利です 続けてお探しの情報がございましたら こちらのリンクをタッチしていただくか または駅員までお気軽にお尋ね』『Welcome to Akihabara! Please touch this link to get some informat』『Touch your nationality or national fl』『مرحبا بكم في أكيهابارا ! يرجى』『Bem-vindo ao Akihabara ! Por favor, toque』

 様々な言語が飛び交う画面。目を白黒させていると、一つのメッセージが全てを上書きして表示される。


『現在 当駅は旧都国立公園管理下に置かれております。当ポータルより東、深層への立ち入りは現在認められておりません。認証をお持ちの場合、個人情報と合わせて当ポータルへの申請をお願いいたします』


 デバイスがひっきりなしに震動している理由は、秋葉原のポータルが生かされていて、かつ無差別に受信圏内の受信可能なデバイスに通知を届けるためだ。

 ここ秋葉原は、人間の立ち入りが憚られる程度の『緑害』繁茂区域、二十三区東部の『深層』との境界付近にある。吉祥寺が最果てというのは厳密には少し嘘で、最果てはここ、秋葉原だ。山手線の東端、中央総武線の交差するこの施設は、最低限の自立機構だけを備え付けられ、わずかな入園者を待ちぼうけになっている。

 どれほど適当な仕事をされてしまったのか、追加でずさんな送信機能をぶち込まれたらしいポータルのシステムからは、在りし日の観光用案内もそのまま発信されていた。デバイスのバッテリーが食われることを苦く思って、それらをひとつひとつ画面からデリートしていく。

 始まりの『緑害』は、世界各地の海抜ゼロメートルのどこか地中で、東京においては、アスファルトの硬い地表を簡単に内側からこじ開けて姿を見せた、らしい。このはじまりは記録の上でのはじまりだから、大昔の神話と同じで、今やそれほど意味がない。

 東京だけでなく、絵具のチューブを力の加減を間違えて押し潰してしまったように、世界地図上の低地を塗り潰した緑色は、重力に従っているのか、低いところに深く溜まる習性を持っていた。段々と海面が近づくにつれて、折り重なる『緑害』はその濃さを増す。比例して、低地はそのまま『深層』となる。海路が阻まれる恐ろしさを、この島国は手酷く味わった。

 片手をついて、僕は緑色のツタからも、駅の砂利のないレールからも体を持ち上げて、ホームの上に立った。風雨を遮るための半透明なトタンの天蓋はところどころに穴が開いている。遮られなかった光が、屋根に弱められた光と、ガタガタに掘り返されたタイルの上で白、黒、ベージュ、入り混じる。

 公園側から寄越された認証には、デバイスで静脈をスキャンして適当に応じる。入園者に課される数少ない義務、生きているポータル圏内に入った際の生存報告。『深層』に用はないので、『深層』についての認証は投げずにページを消す。

 雑な仕事で遺された通知の一つは残しておいて、僕はそのページからリンクを踏み辿り、構内の地図を開いた。駅に残された現実の表示と照らし合わせて、目当ての線路を見つけ、歩き出した。

 案内されるまま、天井の高いスペースを横切って、エスカレーターを一段一段下った先にあるのはまたホームだ。予想通り、総武線のものより低い山手線のホームは今までよりもレール上に蔓延る『緑害』は色濃く、降り立った靴底から伝わる衝撃を柔軟に弾き返して、吸収する。しなる地面。山手線の外壁は少し低くなっていて、眼下に街並みが見渡せた。人の腰くらいまではあるだろうか、地上のバスロータリーらしき広場は一面に敷き詰められた緑色に満ちていた。ここからはかの有名な歩行者天国は望めないが、歩き心地はもうよくないだろうことは一つ、確かだろう。

 向かいにある大きなビルは家電量販店のものだ。どっしりと構えた大きなボディは崩れそうにはないが、味気なく薄く汚れた灰色の腹をむき出しにする姿は、さながら陸に打ち上げられた巨大な鯨だ。京という漢字は大きい、という意味だと教わった記憶が蘇る。京都も、その大きさから京って付けられたらしいぜ。誰が言っていたんだったか。大きな都。座礁して、横たわる鯨。東京。コンクリートのビルで出来たしろい遺骸。その輪郭はどこだ?

 ちらつくそれに気が付いたのは、ゆったりとした風がそれを静かにはためかせ、静止した風景の中で動いていたのが目を引いたからだった。鯨の横っ腹に垂れる、一つの垂れ幕。広告だ。見覚えのあるゲームタイトルが、横向きに並べられている。そのナンバリングは見当たらない。なんと、無印だ。その広告だけではない。秋葉原駅の構内にも、そういえばいくらかの壁紙が残されていたし、向かいのホームの向こうに見える建物は今も存続するゲーム会社のものだ。デバイスに集中していて見落としていた、街の色。人間の痕跡、匂い。草いきれの合間から、未だ薫る文明の、アキバの残滓がここにはある。誰が示したわけでなく、この場所がこの場所たろうと、自然に足掻いた結果にも思えて、奇妙な思い付きだと一蹴する。

 そう思えてしまうほどに、よくよく見れば、なるほど、あちらこちらに。ここまで跡を濁した街があったのは想像していなかったけれども、これが誰かの足掻きで、かろうじて残る誰かの思いなのだとしたら。

 あそこに垂れる広告は素敵な勲章のようにも僕には思えた。シリーズはもう、十作目を数える人気作になったんだよ、小さく呟いて、僕はまた線路の上を歩きだした。


 山手線の路線はまっすぐに延びていない。それは、線路自体が大きく弧を描いているからだ。

 二つの鉄の轍に挟まれた枕木を、一定の歩幅をキープして渡って行く。人間が踏むことの少なかった木材の渡しは、滅茶苦茶にひずんでしまった今、踏まれては軋み、急な仕事に抗議の声を上げる。ギイギイと落ち込んでは、脚を上げればまた浮き上がるもの。パキンパキンと乾いた音を立て、割れそうだと悲鳴を上げるもの。その連続、縦の鉄線と横の枕木の二層構造は、今はそれ自体が道しるべとなり僕を導く。

 僕がこの道を選び歩むのではなく、この道に僕が運ばれているようだ。ふとよぎった思いの先で、陽炎が笑っていた。


 休息をとったのは、上野駅だった。日陰を求めてホームの屋根の下へと滑り込み、ベンチに絡みついた『緑害』を掴んでは引き剥がす。思いの外簡単に露わになったプラスチックの座席は、しかし座った途端に支柱からへし折れ、僕は後転してコンクリートの上に尻餅をつくことになった。ばつの悪さに笑いつつ、痛む尻をさすりつつ、諦めて床に大の字になり大きく息を吸った。涼しさが肺に充ちる。胡坐をかいて、取り出した水筒に口を付けた。

 出発前にデバイスの地図アプリ上に描いておいた計画を開き、僕は現在地を確認する。

 かつての東京において、上野は木々の多かった場所だったことが、旧版のデータ上に見て取れる。駅の周囲を囲むのは、公園、美術館、また公園……。大きな池もある。地図の色分けにおいて、緑と灰色に区別された街のパッチワークは昔の話。今は確実にワントーンだろう。

 後ろに回した腕を支えに、首を背に向けて垂らす。汗を含んだ髪がばらばらと流れる。疲労感も構わずに、背後に広がる景色を眺めた。

 逆さになった視界の、下の方には一面の青。そこに絵具を垂らしたように、ひと際長く、上から白けた氷柱が垂れている。それは氷柱などではないことくらい、知っている。誰でも知っている。あれは日本一高い自立式電波塔。だったもの。現在においても日本一高い建造物にして、遷都後は、古跡だ。

 強制遷都期、あの建造物へ向けられる視線は大きく変わったらしい。繁栄の象徴を見つめるポジティブな感情から、ネガティブへ。それもまた、すぐに通り越してアパシーへ。あれだけのものを作り上げて、ものの十年あまりでそれを諦め、手放さなくてはならないという諦念が、当人たちの胸には去来したという。人呼んで、諦めの樹。何となくわかる気もする。

 ここまで歩いてきた横たわる首都の残骸は、明らかに新軽井沢のそれよりも巨大だ。建物の規模こそまだ同じようなものだけれど、それが広がる規模はケタ違いだ。コンパクトシティという明確なプランの元形成された新軽井沢と東京の差異は、その歴史上仕方のないことではあるけれど。

 自由奔放に広がり、思い思いの花を咲かせた「東京」と共に育ち、人類の対抗と、後退、諦念の中を生き、人生の終わるころ、明確な答えとしての移住を選ぶことになった世代。諦めの世代と呼ばれる祖父たちの目に、そうスカイツリーが映ったとしても、それは仕方のないことのように思う。僕の目には、どうだろう。

 ただ、白樺の幹のようなしなやかな身体を、ひとり蒼天に誇るその姿は、凛々しく映った。開き続けた目を閉じて、首を戻しては丸くなり、身体の力を抜いていく。瞼の裏には青色と、白い縦線。伸びをした心地良さがおかしくて、小さく笑い声が漏れた。

 もう一つ隣、日暮里駅は今日の僕の終点だ。



 そのホームは二階にあって、歩いてきた道を、その曲線の途切れるまで見通せた。『緑害』の放つ香か、元々ある木々が薄弱となった人間の領域に浸み込んできているのかは判断しかねたけれど、強い緑の香りがする。露わになった土の立てる匂い。僕の街には無い匂い。

 一見無事な改札を通ると、それは一層顕著だ。アブラゼミの鳴き声だけが響く。どこまでも静かな街は、緑の中に沈んでいる。僕はデバイスでポータルを検索してみるけれど、検出できた回線はゼロだった。当然の結果に落ち込むでもなく、すぐに地図に従って歩き出す。

 現在地を地図に照らし合わせて、線路上の橋を渡って、石造りの階段を上がっていく。谷中霊園はすぐ近く。生きた都の死人の行きつく場所の一つ。七千の墓地の集合もまた、今や蔦の下に。


 住宅街と寺院の混合で作られた街。そんな表現がここ一帯には一番しっくりくるような気がする。立派な漆喰の壁、もう見る影も無いが、が数十メートル続く道向かいでは、数メートルを小さく分け合う住宅が軒を並べている。生者の領域と死者の領域が入り組んでは広がり続けた上に、僕はいる。墓地や管理する寺院が多いのは、江戸城から見て鬼門だったからという説もあるらしい。

 小さな道は曲がりくねって、入り組んだ間、家々の間を通り抜けろと僕に言う。道なりに行き過ぎるとどこまでも連れて行かれてしまいそうで、時々地図の上にしか存在しない道を強引に行かなくてはならない。

 途中、壊れた塀が三重になったものに『緑害』が絡みついたものを全身を使って乗り越えるのは骨が折れた。そこから、二本目の路地を右へ、そのあと三本目を左へ。右への曲線に従う。住宅というのも、人という中身を失えばどうにもならない建物になる。主を失った家はすぐダメになると言われるのもわかる。雨戸までしっかりと締め切られ、ドアには鍵がかかったまま。誰も迎えることはなく、誰も帰って来はしない。入口も無い大きな箱が、積み木をそうするように並べられていて、それだけ。


 谷中霊園と大きく記された園内地図に絡みついた『緑害』を引き剥がそうと手をついたのと、その手に水滴が付いたのは同時だった。不意の冷たさに空を見上げたのと、その顔にまた水滴がぶつかったのもまた、同時。夏の夕方の気まぐれは、この東京とて例外ではないらしい。

 傘はバイクに置いてきている。晴れていたから。

 悠長に上を見ていられたのも一瞬だけで、瞬間、叩き付けるようにして雨粒が襲い掛かってきて、僕はたまらず凸凹の道を走り出す。どこか雨宿りできるところ、コンビニとか、ここにはないか、それなら最悪屋根があれば何でもいい。とりあえず濡れないところを求めて、墓石の間、大きな舗装路をひた走った。

 屋根を備えている墓石でもあればいいのにと切に思いながら、何の遮りも無い霊園を抜けるも、入れそうな場所は一つも無い。交番の跡ですらその扉を硬く閉ざし、普通の民家を壊して入るまでは考えられない。見かけた商店の入り口の幌は完全に破けてしまっていて、そんな肩透かしがあるたびに、雨脚は強くなる。

 シャツはたっぷりと水を吸い、パンツまでもう死んでしまった気がする。めちゃくちゃで、わからない。ただ、走って、ここまで濡れてしまったならもういっそ雨に打たれてしまえば楽なのではないだろうか、とさえ考え始め、僕は道脇の柵に手をつき脚を止めた。息切れ、上がる心拍、情けなく咳き込む。 

 夕立はまだ手加減というものを知らないようで、僕の体温を容赦なく奪っていった。先ほどまでの夏はどこに。

 立ち止まり一段冷静になった僕は、手のひらに伝わる感触に覚えがないことに気が付いた。柔らかく、体重をかければそれだけ身を失うほど弱い植生は、『緑害』ではありえない。目線の先、アスファルトに落ち、雨に打たれては萎びた水色と桃色、紫色の花。朝顔だった。

 連なる柵に眼を向ければ、それは細い道の左側一杯に伸びて、末の三叉路で途切れていた。走り回って、ずぶ濡れになって、こんな道と柵にどうして気が付かなかったのか不思議なほどに、それは見事な緑色の生け垣を成していた。ちょうど僕の背丈ほどの高さが左右を遮り、導かれるようにその先を見れば、三叉路の中央には騙し絵のように大きな杉の木が立っていた。くぐもった色の背景を受けて、青々と茂るその像は一層立派に見える。目を凝らせば、その幹に寄り添うようにして、トタン屋根の小さな店が『緑害』に包まれて眠っているのが分かる。雨は届いていない。

 導かれるように僕はその木陰へと歩き出し、その腕の中に入る。その足元は乾いた色をしていて、頭上の枝たちが格好の傘となっていることに気が付いた。もう少し早くに辿り着きたかったとぼやきながら地点を確認しようとして、嫌な予感に襲われた。シャツの胸ポケットから、デバイスを取り出す。一緒になって、溜まりに溜まった雨水がドバっと溢れだす。

 電源は点かなかった。

 解像度が高くグラフィックが美しいものと、防水機能を備えたもの、前者を選んだ時の自分を殴り飛ばしたくなる。デバイス無しでは報告の義務を果たせない。目的地に辿り着けない。

 それだけならいい、冷静に考えて、帰路への不安が大きく膨れ上がって堪らない。

 

 大きなくしゃみが出た。

 とにかく、乾かしてダメなら別の策だ。僕はリュックの中身を空けて干し、身に着けた上着を手近な枝に広げて掛けておく。正直なところ下も脱いでしまいたかったが、流石に勇気が湧かずに、僕はとりあえずの体勢を整えた。雨が止めばいいのだけれど、すぐいなくなるはずの低く垂れこむ黒い雲は、今日は長居することに決めたらしい。雷鳴が轟く。打ち付けるスコールは、『緑害』の作った亀裂に恵みの雨を注いで、また緑化を進めるのだろうか。

 僕は待ち惚けになって、やがて幹に背中を預けて座り込んだ。濡れたズボンがギチギチと気持ち悪いけれど、すぐにそれにも慣れる。すっと収まるように僕は杉の木、ヒマラヤスギと書かれたプレートが幹に巻かれていた、と、下敷きにした『緑害』と、段々一つになってゆく。少しざらついた木の幹は、それでも僕の背を優しく受け止めて微動だにしない。

 走って火照った体温が内側から、濡れて冷えた体を包み、ぼんやりとしたそのうちに一緒になって疲労感が襲い掛かる。当然だ、何時間歩いたと思っているんだ。目覚ましをかけなくては、薄い危機感の中、ぼんやりと歩いて来た生け垣の間を見つめた。低くなった視界から見上げる杉は一層高くて、曇天を透かせないほどに緑は色濃い。

 三叉路を抜ける風は、焼けたアスファルトが立てる、煙に似たあの匂い。ダラララと雨粒が何かを叩いている。蝉の声がしないことに気づいた。雨音に紛れ、後ろの商店の引き戸が開いたような気がした。

 左手の指のすぐ先の亀裂から、見慣れぬ白い花が咲いている。その上、視線の先には『蓮華寺』。

 僕は探していた寺の、すぐ傍にまで来ていたことを知った。



「お、あったあった」

 

 夏のある日、父の四十九日の日、私はその納骨を済ませに一人、東京の寺を訪れていた。雲一つない青空に虐げられ、汗をだらだら流していても、まだ気分はいい。こんな日でも、一人なら軽装でいいから楽だ。こんな炎天下の下、親族に挟まれてスーツなんて着ていられない。それならば、もらったばかりのバイクに乗って生まれ故郷の東京凱旋と洒落込んだ方がよっぽどマシだ。

 妻と同じ墓に収まりたい。そう願い、遺書を残してくれた父親にはその点感謝している。

 小さいころ、この辺りをうろちょろしていた時の記憶と、母親の葬儀の時の記憶が、眼前の寂びれた寺の門とは少しかけ離れていて私の首を傾げさせる。

 まだ、あの頃はここまで酷くはなかったんだけどなあ。それでもまあ、『緑害』が進行して、管理する人もいなくなったとあれば、こんなものだろう。他所も、霊園なんて五十歩百歩だ。生きている人間ですら苦しい世の中なのだから。

 父親の骨壺をぶら下げて、遷都先から連れ出された故郷に戻って見れば、よもやこんな面白おかしいことになっているとは思わなかった。まだ使えるだろうと踏み、道路替わりに廃線になった線路を来てみれば、市ヶ谷の駅が水底に沈んでいたから、四ツ谷にバイクを停めてドライブは中断する羽目になった。あと少し『緑害』が生え切ってくれれば水の上を渡れそうだったのに、こういうところでは育つのが遅いと憤った。着いたら着いたで、慣れ親しんだ町並みは緑の下だ。

 私の故郷は、『緑害』に上書きされてしまっていた。

 何度か来たことがあるから、目当ての場所まで迷うことはない。自分の名字の書かれた大理石の前で立ち止まり、私は手を合わせると、さっそく仕事に取り掛かる。蔓延っている『緑害』を引っぺがして、父の収まる骨壺を置いて、はい、終了。一人の男が墓石をずらせると思うのが大間違いだ。ちょっと違うな。墓石を動かすほど父親のために肉体を酷使すると思ったら大間違いだ。これでいい。どうせ、剥がれたところは傷口を治そうとするみたいにして、緑色で塞がれるのだ。その時には、骨壺も巻き込まれて、その下で微動だにしなくなる。

 そもそも墓荒らしなど現れるはずも無く、父親の遺骨を盗む泥棒がいるくらいなら逆に見てみたいと私は思う。

 ともあれ、これで私の仕事は終了だ。歩いて帰って、四ツ谷からまた、ドライブといこう。秋葉原を経由して、水底の丸の内線をまた見物して、崩れそうに傾いた首都高速に気を付けて、四ツ谷の薄暗いホームまで。あれももう少ししたら完全に覆われて、テントみたいになりそうだ。そうしたらバイクは乗り入れられないかもしれない。

 そんなことを思いながら、私は父親に別れを告げた。あと二日もすれば、両親は仲良く『緑害』の下だろう。

 それじゃあ、帰ろう。私の街へ。新軽井沢に置いて来た息子に、写真でも撮っておけば良かったと思ったけれど、大音量で音楽を流しすぎて、とっくにデバイスは充電切れになっている。まあ、実際に訪れないと分からないものもあるよな。私はもっともらしくそうまとめると、傾いた寺の門をくぐった。大きな杉の木が、根元に『緑害』を絡ませて立っている。足元に誰かいるような気がして目を凝らしたが、影が何かに見えただけで、私は小さく笑った。ひらひらと手を振って、杉の木の右の路地を行く。



 肌寒さで目を覚ました僕は刹那、自分の愚かさを理解した。ばっと立ち上がるスピードは、大学の講義に遅れかけの時間に起きた時のそれとほぼ同じスピードだったと断言できる。眠りの代償に、もう陽は暮れてしまっていた。遠くの空の端が、夜の群青と黒みがかった赤色の境界を、ゆっくりと失っていくところだった。

 唯一の救いは、雨がカラリと上がっていたことだろうか。いつの間にか、空からはまた雲がなくなっている。ほとんど乾いていないシャツを着、僕はくしゃみを二、三連発した。大きく体を折り曲げた視線の先で、白い花のようなものが咲いているのに気が付く。

 それは花弁のように見えたけれど、摘み取ってよくよく見てみれば、ガクを持たない構造からして花弁ではなく、そう見えるだけものなのだろう。それは小さく、闇が迫るこの時刻において、アスファルトの夜空に散る星の粒のように輝いて見える。思った通り、それは四枚の小さな白い葉の重なりから成っていて、付け根は『緑害』の枝から伸びていた。『緑害』の花なのだろうか。花のようなもの、を咲かせるという生態をどこかで見た覚えは無く、多分見落としているだけなのだろうけど、僕にとっては新発見だ。すこし心が躍る。

 小さな花を踏みつぶさないように気を付けて脚を引くと、視界の中にまんべんなく、この小さな花の蕾がいくつか綻んでいるのがちらほら見受けられる。まるで、豆電球のようだ。街灯には遠く及ばない、闇を邪魔しないくらいの、小さな灯火。

 探していた寺院は、やっぱり目と鼻の先に傾いた門を構えていて、濡れたついでに参ってしまえばよかったのだと、雨の止んだ今はそうぶつくさ言ったりする。リュックサックの肩ひもは濡れたままで、更に気持ちが悪い。慣れれば平気と言い聞かせ、僕は無理にそれを背負って、ぐじゅぐじゅと音を立てるスニーカーの底を踏みつぶした。

 蓮の華を名に冠する寺院。その境内も外と変わらずに荒れ果てていた。いつからぶら下がったままなのか、青銅色の風鈴が寺務所の縁側で揺れている。目を凝らすと縁側を登った緑色の蔓の、先端が舌を雁字搦めにしているのが見て取れた。通りで揺れても音が出ないわけだ。気付けば蝉の声もしない。夜だからだろうか。

 緑に乱された敷石からはぐれないように、気を付けて歩みを進めてゆく。墓地は寺務所と本堂の裏手にあり、小さな寺だからか、墓標の数はそこまで多くない。自分の名字を探すのは苦労しなさそうだった。

 ひとつひとつ、横並びの墓石を覗き込んでは次に。僕はしらみつぶしに調べることにした。或る者はツタに絡まれてその名前を隠し、或る者はどれだけ建てつけと運が悪かったのか横倒しになり、或る者はお供えのビールの缶ごと雁字搦めになっている。

 父親の言っていたことを信じたくなかったから一つ一つ調べていたのだけれど、言っていた通り、うちの墓石は一目で判別できた。雨ざらしにされている骨壺。墓の中に入らずに、祖父は『緑害』の下にいた。自分の名前をその墓標に見出す。居た堪れない。

 僕は背負ってきた骨壺を取り出して、足元にそれを置いておく。こうしてくれと言われた様に、僕は墓石の傍の『緑害』を千切り、小さな空間を作ってゆく。そうして出来た小さな穴へ、僕は父親だった壺を納めた。これでお終いだ。何日かすれば、長く伸びたツタが損傷個所をすっかり埋め尽くす。そうしたら、野晒しとは呼べない屋根の下に壺は沈むだろうと父は書き残していた。祖父もそうされたように、『緑害』の下にいるだろうからと。言葉の通りに、きっと隣の祖父のようになるのだろう。居た堪れない。

 渋い顔をしたように思う。それでもまあ、緑と一つになって、墓石の下ではなく『東京』の地面に沈む。それはそれで、空は眺めやすそうだ。

 

 もしかしたら、今日のこの道筋を、かつて父も辿ったのではないだろうか。僕は何となく、理解を得る。故郷を離れて死んだ祖父の遺骨を、祖母のいる場所、この墓まで持って行ったのは父だ。そうだとすれば、おそらく僕は同じものを目にしてきたのではないだろうか。

 静謐の中に埋まったホーム、水の中の鋼鉄の列車、人間の営みが残る人間のいない秋葉原の街を。この考えが間違っていて、山手線を北から目指して日暮里の駅に到達したのだとしても、線路を辿っていなかったとしても、父は何か別のものを見つけていたはずだ。同じような、しかしまた違った、崩壊した東京。その風景を。

 もしかしたら、父はあの景色たちを僕に見せたくてここまで僕を連れてきたのかもしれない。

 人によって生み出され、人の手を離れ、役目を失った容れ物たちが、自分自身が、己が墓標となって立ち続けている。中身を本来持たない都市が、あるべき姿にフォーマットされてここにある。

 かれが、初めてかれ自身としてある。

 そんなまっさらで、しかし鮮烈に凸凹を印す風景。僕なら、少し秘密にしていたい。父のように、誰か見せたい人ができたら、教えるのもいいな。そこまで考えて、父はやっぱりこの道のりを見せたかっただけなのだろうなと、僕は墓石の前で笑いながら、少しだけ拝んだ。その気持ちは、確かに。

 ヒグラシがどこかで鳴いている。闇の向こうのビルが、腹に低くからの月光を受けてあおじろい。

 優しい風がシャツの下に潜った。僕は静かに境内を出る。


 やるべきことを終えた僕は、これからのことを考えて憂鬱になる。それは普段考えているような、今後の進路や身の振り方とかではなくて、もっと直近の未来。帰り道のことだった。

 電力の供給されない街灯は役に立たないし、民家の窓から明かりが漏れることはない。幸いにも、登りかけている月は大きく満ちていて足元を見失うこともないし、『緑害』の花が、そこに物があることを教えてくれる。あれは空中に生えないから。無い物尽くしの帰路の中で、あるのは遠くスカイツリーの輪郭だけだ。何度も目を上げては確かめる。スカイツリーは線路を挟んだ向こうにあるから、大まかに進もうと、線路に当たるまで迷わないで済むはずだ。

 それは果たして正解で、すぐに霊園を左に指し示す案内と一緒に、右を差す矢印、上野駅の名前を標識に見つけた。どうやら僕は無事に帰れるらしい。どこかで張りつめていた緊張の糸が緩んで、肩の力が抜けた。


 夜の辻に立つ。一向に近づく気配のない、遠く聳えた白い柱は、それゆえにその巨大さを物語る。見上げるついでに見つけた横断歩道は驚いたことに生きていて、赤い表示で僕の足を止めさせた。

 横目で見た支柱に、『災害時対策用』とだけ書かれている。『緑害』の絡むそのてっぺんに、無傷の太陽光パネルが見受けられた。傷が無いと言っても、生きているのが驚きだ。見たところ、同じ通りの他の信号機は皆停止している。

 歩行者用のボタン機器の上に、一輪、白い花が咲いている。ふざけて押してみると、『青になるまで、少々お待ち下さい』、機械の声が、デバイスのスピーカーから流れだしてさらに僕を驚愕させ、狂喜させた。デバイスが生き返っていたのだ。これは本来は補聴器等とリンクして障害者を補助する仕組みだで、イヤホン等を指していないとデバイスが急に喋りだし困惑する仕組みだ。

 デバイスがくれた更なる安心感は、僕はこれから帰れるという安堵だ。それはどこにだろうか、たぶん新軽井沢に。シャワーのある家に。更に言うなら、人に溢れた文明に。

 気を好くした僕はしっかりと信号を守ってから、霞んだ白線と黒いコンクリート、緑色の格子模様の上を渡っていく。車通りのない歪み切った道路でも、渡る前に左右を確認してしまうのは、意味はないとは分かっていても、仕方がない。


『青になりました。左右の安全を確かめてから、渡りましょう』


 聞いたことのある曲だ。題名は知らないけれど。東京でも、新軽井沢でも、同じ音がするんだと思った。

 僕はその真ん中で立ち止まって、ぐちゃぐちゃに割られた片側二車線の真ん中で、その両脇を固める建物たちを見上げる。ひとつとして光を灯さず、差し込む月光だけが、光源となって暗がりを露わにさせていた。辺りは静かな夜の中にある。一体どれほどの間、この場所は静かに朝と夜を繰り返したのだろう。データでも確認すれば、人口がゼロになって何日だ、とかはわかるようなことだけれど、その数字には意味はないように思う。

 どこまでも、もしかしたら僕の街までつながっている、いま立つこの道の先は見えない。

 吉祥寺までがこうなのだろうか。もしかしたら吉祥寺の境界はもうないのかもしれない。この旅の間に、『緑害』は進化を遂げて、今まさに五十メートルの垣根を乗り越えて、世界中を覆ってしまっているかも知れない。

 日暮里で見た民家のようになっている僕の家を想像して、緑のカーテンか。涼しげでよさそうだな、と思った。


『信号が変わります。無理な横断は、やめましょう』


 再び口を開くデバイス。また歩き出して、上野駅を目指す。


 可笑しなくらいに寺だらけの区画は次第に景色を変え、下って行った緩やかな坂の右手に入ってゆく。捨て置かれた広い空間は、恐らくは公園だろう。無数に生える常緑樹の作り出す暗闇の中で、月明かりが梢の合間から覗いている。

『緑害』に掘り返されたタイルの合間に運よく滑り込んだ木の実が、もう僕の腰辺りまで背を伸ばしている。この場所では、街路樹は自然の機能を果たして、次の自分を作れるようになっている。もっと小さな芽を踏みつけないようにしながら、僕は気を付けて曲がりくねった遊歩道に従っていく。

 暗闇の中、立っているだけの街灯の代わりに、ここにも小さな豆電球は花開いていた。広葉樹の幹に、下草の間に、街灯の鉄柱に。紛れるようにして咲く花は小さく、それでも存在を一杯に主張していた。

 標識に導かれ続けた先で、上野駅は程なく見つかった。頭上から木々の伸ばす枝が取り払われ、急に広がった空は森の出口のそれに似ているようにも思える。遠かったスカイツリーも、久しぶりに見た今では少し近くに感じる。大きく口を開いた上野駅公園口に吸い込まれ、僕は構内に踏み込んだ。

 その天井にも壁にも、仄かに発行するようにして『緑害』の花。そういえば繁茂の具合を確かめていないなと、僕はガラスの嵌まっていない窓へと駆け寄り、外の様子を確認する。線路の上、頭上を行く電線、街路樹の幹、駅舎の壁、その白は場所を選ばずに張り付き、垂れ下がり、咲き誇っていた。

 遠く望む高層ビルの肌は月明かりを跳ね返して白く映え、そのどこまでがビルのものなのか、花のものなのかは明確でない。おそらく東京の中でも、夏の、夜の、雨の後の晴れた場所と限定すると、結構限られるはずだ。もしかしたらとても幸運だったのかもしれない。雨に打たれる間、早く屋根が見つかればもっと幸運だったと言えるけれど。右側、こちらから数えて二つ目の階段を、気を付けて下っていく。バキバキになった段差は気を付けて足を運ぶ必要がある。

 五、六本あるうちの見覚えのある一本を選んで、僕は湿ったスニーカーの底をレールの上に置いた。

 この道は、僕のバイクへと続いている。あのバイクは、吉祥寺へ、僕の家に続いている。ということは、東京は、僕の街とつながっている。今踏む地面を想う。歩き出す。

 まだ低い満月は巨大で、燃えるように夜に映えていた。



 僕は、案内のうるさい秋葉原を抜けて、増水して案の定水没していた御茶ノ水のホームをザブザブと渡り切り、飯田橋で崩れそうな高速道路の影に怯え、四ツ谷の今度は白い花で埋め尽くされた箱庭の中を通り、新宿に辿り着いた。

 大きな駅の下で、バイクに跨る。来た道を、軽くなったリュックサックと一緒に走り出す。

 すぐに暗闇、新宿駅という覆いが取り払われて空が顔を出した。零れては落ちてきそうな星の粒。バイクが切り、前を開いたシャツをはためかせる風は、紛れもなく夏の夜のそれだ。

星空はこんなところに隠されていたんだなと、僕は遮るもののない空を見上げる。遮るものとは、屋根やビルの壁だけでなく、ヒトの生活の生む光もいう。

 普通は満月の日には星空は控えめになるというけれど、全くもって、それはここには当てはまらない。しっかりと見つめれば天の川だって観測できそうだけれど、それをするとバイクが『緑害』を踏んで吹き飛ばされかねない。それなら押して歩けばいいんだと思い付き、僕はバイクを降りた。

 振り返った先に、ぬぅと、新宿のビル群が白い肌を夜空に突き出して横たわっている。

 黒い空の領域に立ち入ったしろいからだ、月光を弾く、遠く、遠くの遺物たち。かつて太陽だった東京は、今は月明かりを眺める、三人目の享受者になった。それが弾く光を、眺める四人目は僕くらいだろう。なんだか温かいその照り返しは、東京が僕に寄越す視線のように感じられた。

 僕は月を見ているあなたを見ているよ。きっと、あなたも。


 星影の下、旧都に背を向け、僕は二輪車に跨った。


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東京ばるす @syakamaki

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