星団(7/9)


秋の終わり、夜間の放射冷却が心配なくらいに午後の空気が透き通っている。

香苗のツイードのジャケットとブルージーンズ、それに少しふっくらした和哉の輪郭が、笠井をほっとさせた。

約束の時間より先に着いていた母と子は、多少ぎこちない笑みで父親を迎えたものの、三人の飲み物が揃う頃には、一緒に暮らしていた頃と変わらない空気になっている。

再会のための、いつもと同じ時間の同じテーブル。

ただ今日は、カフェに面した二車線道路が何かのパレードで通行止めとなり、笠井は200メートルも離れたコインパーキングに車を止めたことで、息を切らせながら店の扉を開いた。

ダンガリーシャツの背に汗がうっすらにじんでいる。

クリームソーダが来るまで、和哉はかくれんぼにみつかったみたいな目で、隣りに座る母親と父親の様子を見つめ続けた。


「……そう、それじゃ、次の入院のときは顔を見せなきゃね」

息子との2ヵ月ぶりの再会に気持ちが昂り、笠井は時候の挨拶程度の気持ちで実父の病気をかつての妻に伝えた。

軽く受け流すと思ったものの、香苗は表情を曇らせたばかりでなく、見舞いに行くことを笠井に勧めた。

そうして、目の前に運ばれてきた好物に「おあずけ」の姿勢だった和哉が、会話の途切れたところで、「いただきます!」と大きな声を出した。

幼児教室の成果だろうが、強制された口ぶりではない、胸のうちから発せられた言葉に笠井は安心する。もうきちんと挨拶のできる歳なのだ。小学校受験があろうとなかろうと、礼儀の正しさは必要だ。それも、せっかくなら早くに身につけた方がいい――笠井は満面の笑顔を息子に与えた。

「あなたに会えばね、お父さんも喜ぶと思うわ。お医者さんに従えば回復に向かうはずよ。ガンだって早期発見で治るんだから、心臓の病気だって大丈夫でしょ?」

香苗がミルクティーに砂糖を混ぜて続けると、笠井は何も返さずに目を伏せた。

どこからか、パグパイプの音が聴こえてくる。

和哉がいち早く気づき、笠井と香苗も外の景色を追いかけると、パレードが始まり、歩道にたくさんの人があふれていた。

視線を戻した笠井が、ふと、香苗の横顔に目を留める。ウェーブのかかった髪にハート型のイヤリングが見えた。結婚前に、笠井がプレゼントしたものだが、彼女の頬は肉づきが薄くなり、頬骨が目立った気がする。

別れてから、いつの間にか多くの時間が流れていた。離婚を即決するほど致命的な事件があったわけではない。「距離を置いた方が幸せになるだろう」という、同棲解消程度の別れ方だった。

生まれたばかりの我が子への愛情は野球への情熱に勝らず、「引退」の絶望感で、笠井は家族との別離を安易に選んでしまった。

離婚届の前に、とりあえず別居する手もあったのでは?と、父親はいまさらながら胸の内で後悔する。

笠井の物思いに気づいた香苗が、両手でカップを包んだ。

「ああ、温かいわ。もう、クリームソーダの季節じゃないわね」

母親の言葉を理解できず、和哉は首を傾げた。何かを否定されたのは分かったようで、スプーンを受け皿に置き、背筋を伸ばす。

「いいのよ、たくさん飲んで」

刈り揃えた前髪に綿毛の埃を見つけた母親が、息子の動作を邪魔しないよう、それをつまみ上げる。

「この子はすごいのよ。もう蝶結びだってできるんだから」

「蝶結び?」

今度は笠井が首を傾げた。

「そう、もう紐靴だって自分で履けるの。五歳になったばかりで、蝶結びができるなんて優秀だわ」

「固結びも、ね!」

唇にクリームを付けた和哉が自慢気に発すると、笠井は多少面喰らいながら「すごいね」とつぶやき、ドリンクをストローで吸い込んだ。

笠井が運動靴の紐を結べるようになったのは小学生になってからだ。入学祝いに父親から与えられたスパイク……それが野球人生の始まりだった。

バグパイプが遠さかると、カフェはひとときだけ鎮まり返ったが、今度は小気味よい太鼓の音が聴こえてきた。鼓笛隊とともに上下するバトンが三人の席から見える。

「和哉、見てごらん」

ミルクティーを半分に減らした香苗が口元をティッシュで拭いて、天井を指差した。

「あっ」と、和哉が声を漏らす。

満天の星が拡がっていた。

群青色の夜空に、黄色の塗料で彩られた星が白線で繋がれ、象形文字を散りばめたかんじで、それぞれのかたちを図示していた。

「あっ見て!オリオン座!」



(8/9へ続く)

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