WMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップ2016

ムラカワアオイ

第1話

暴れ馬。時に自らを発し、時に美しく、時に荒々しく。殺めるという哲学。長き伝統と歴史。この神秘なるスポーツは今、巨大なる坂道を登り始めていた。日本が生んだ二人の侍は愛すべきこのスポーツに全てを賭けた。


原一休。サベチーノ渡辺。WMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップ。最後の聖戦、日本グランプリをここに告白する。


2016年、十月八日。2015年ワールドチャンピオン、原一休が帰国した。記者会見を終えた彼は2016年日本GP、調印式の為、日本WMA協会へと向かう。彼はポイントリーダーとして今季の最終戦、日本グランプリに臨む。

「僕なんて37歳で初めてのチャンピオンだよ。サベチーノくんなんて、まだ、25歳だよ。羨ましいよね」

車中での彼は終始、穏やかに語っていた。

日本WMA協会に到着した原一休はエントリーリストにサインしチャンピオンナンバーである「1」と印されたゼッケンを審判団から受け取り笑顔を見せる。

ここでWMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップのルールを説明しよう。WMA認定選手、20人。そして、世界各国のWMA評議会による、推薦選手、4人。この24人の選手達によりチャンピオンシップを争う。

2人の選手がWMA公式のリングの中で「レギュラーナイフ」「ショートナイフ」「ロングナイフ」の3種類のナイフを操り、馬を殺め、馬の心臓をマメコ教の神棚に速く納めた方に勝利が与えられる。

完全トーナメント方式。ポイント制。優勝した選手には、20ポイント。二位、15ポイント。三位、10ポイント。四位、6ポイント。五位、2ポイントがそれぞれの選手に与えられる。それ以下の選手にはポイントは与えられない。また、危険な行為などにより試合の続行が不可能であると審判団が判断した場合は両者共に失格となり、ポイントを剥奪する。

このスポーツの歴史は古く、17世紀、フィンランドの医者が女神と崇められていた、『セルーマメコ』に馬の心臓を与え、その恋が実った。という神話から発展したといわれている。

1951年、正式にチャンピオンシップがフィンランド、ヘルシンキにて開幕する。その後、ヨーロッパを中心に人気が広まっていった。選手は白衣を身にまとい、ヘルメットを着用し試合に臨む。

サベチーノ渡辺。日本人の父とスペイン人の母を持つ、2009年、2011年、ワールドチャンピオン。国籍は日本である。『勢いの原』に比べ、『技の渡辺』とWMAからも評価が高い。

2007年、サベチーノ渡辺にとっては辛いシーズンとなった。第三戦、ハンガリーGPでは、まさかの落馬。開幕二連勝と勢いに乗っていた彼にくだされたものは、左膝の骨折。全治三か月。当然、シーズンを棒に振ったものの、ブラジルGPで復帰した彼はあっさりと優勝をものにした。


原一休とサベチーノ渡辺。この二人の因縁を印象付けたのは2009年の中国GP、上海国際体育館での出来事。共に堂々と勝ち続け、共に初の王座を賭けた、二人が決戦のリングへ向かう。ヘルメットを被り握手を交わす原一休とサベチーノ渡辺。最終戦、中国グランプリ。二人の壮絶なる決勝のゴングが鳴った。まずは原一休のロングナイフにより、馬の頭部から出血。渡辺も負けてはいない。彼のショートナイフで馬の眼球から多量の出血。そして、原と渡辺との間で信じられないアクシデントが発生した。何とサベチーノ渡辺のレギュラーナイフが原一休の頭部に直撃してしまったのだ。原は一気に落馬してしまう。静まり返る会場。すぐさま、5分間の中断がアナウンスされる。自らヘルメットを脱ぎ捨てる原一休。すさまじく、流れ出す原の赤い血液。彼のセコンド達が駆け寄り頭部からの出血を大急ぎで処置する。審判団が原に近づき、担架を用意するものの怪我の処置を終えた原一休はゆっくりと立ち上がった。

原はセコンドから新しいヘルメットを受け取り、余裕と言いたいのだろうか、皮肉と言いたいのだろうか、ぺろりと一度、舌を出した。審判団は原の怪我の状態を注意深く確認する。意味ありげに笑う原一休。審判団の問いかけにも笑う原。そして、試合続行可能であると審判団も判断した。一方のサベチーノ渡辺はこの中断の間、ヘルメットを一度も脱ぐことはなく、審判団からの説明にも冷静に頷いていた。

そして、因縁のゴングが再び響き渡った。原一休が馬の腹部を強引に切開。今度はサベチーノ渡辺が落馬してしまう。また、試合が止まった。10分間の中断が会場内にアナウンスされる。どよめく会場。通常、落馬による中断は長くても5分間。サベチーノ渡辺のセコンド達も彼の元へと急ぐ。渡辺のヘルメットを脱がすと彼の右目と右腕からの大量の出血が見て取れた。選手達もセコンド達も審判団にとってもこの日は波乱と混乱ばかり。原一休に事情を説明する審判団。困惑の表情を見せる原。サベチーノ渡辺はまだ、倒れこんでいる。何ということだろう。サベチーノ渡辺の右腕にギブスが巻かれたのだ。審判団にギブス着用の理由を大声で訴えるサベチーノ渡辺のセコンド達。会場のムードも恐ろしいものになっていく。しかし、このサベチーノ渡辺という男は頑丈であった。彼もまた、チャンピオンシップを諦めてはいない男。セコンドに両脇を支えられ、彼は立ち上がったのだ。会場からは大きな拍手と渡辺コール。原一休とてそうである。堂々とチャンピオンを獲りに行く。審判団からも二人には、おとがめなし。そして、伝説となるゴングが鳴った。午後一時四十六分。サベチーノ渡辺のレギュラーナイフにより馬、足から出血。すぐさま、サベチーノ渡辺のショートナイフで馬の心臓がえぐり取られる。原は何の手出しも出来ない。そして、午後二時五分、サベチーノ渡辺が神棚に心臓を納め、試合終了。 

サベチーノ渡辺が自身、初めてのワールドチャンピオンを決めた。彼は左腕だけで戦い勝利したのだ。サベチーノ渡辺のセコンド達は奇跡的勝利に大喜び。まさしく、傷だらけのチャンピオンを褒め称える表彰式で国歌、君が代に酔いしれるサベチーノ渡辺。

一方の原一休は審判団に厳しい注意を受けた。サベチーノ渡辺の落馬の理由が原一休の強引な切開にあるとするものだった。原は、「今日の僕はまるっきりダメだったよね。でも、やることはやりましたよ」

と記者団にサバサバと答え、ロッカールームに消えた。サベチーノ渡辺は2009年シーズン、日本人として史上初のワールドチャンピオン。遅咲きの苦労人、原一休はランキング二位。自己ベストではあるが、サベチーノ渡辺に負けたのは悔しい一年となった。


あれから、幾つかの時が流れ、原一休はしゃにむに努力を積み重ね、2015年シーズン、ワールドチャンピオンに輝き、母国、日本に凱旋した。

2016年シーズン、前戦、フィンランドグランプリまでのポイントランキングは次のようになっている。


一位 原一休      140ポイント。

二位 サベチーノ渡辺  137ポイント。

三位 マイケルギンザ― 101ポイント。


 すなわち、残り一戦、日本グランプリでチャンピオン争いを演じるのは因縁の二人。原一休とサベチーノ渡辺。

原一休。遅咲きのワールドチャンピオン。彼は日本グランプリ直前に我々、VTVの取材に応じてくれた。

「単純な質問なのですが、何故、この世界に入ろうと思われたのですか」

「一つは両親がマメコ教の信者であったことですね。それから、僕が12歳の時に初めてフィンランドで生の暴れ馬を見て、強い憧れを抱いたんです。そのうち、暴れ馬を始めるようになって、僕なりに納得がいく試合が出来るようになって、やっぱり僕にはこれしかないと思ったんです」

「私は暴れ馬を取材して5年目になるのですが、子供の頃の原さんが見た暴れ馬と今、チャンピオンとなった原さんから見る暴れ馬に変化は感じられますか」

「神秘という点では変わっていないとは思うのですが、選手のマナーの無さが最近になって目立つと思う。僕がこの何年かで感じたことは、『勝てばそれでいい。勝つためならなんでもする』っていう選手が増えたことですね。僕が子供の頃に見た暴れ馬は選手やセコンド達が本当に楽しんで試合に臨んでいた。あの頃の華やかさが今のグランプリには必要だと思います」

「確かに最近、事故が多いですね」

「暴れ馬はスポーツなんだからWMA側も安全性をもっと考えるべきだと思う。何かがあってからでは遅いんです」

「質問は変わりますが、私生活を教えてくださいますか」

「えっ、私生活。いたって普通ですよ」

「普通にも色々あるんじゃないのですか」

「ううん、妻とは仲が良いですね。色々とサポートしてくれますし頼もしい存在ですね」

「実はですね、原さんには秘密にしておいたのですが、妻の千恵子さんからメッセージをお預かりしているのです。代読させていただいてよろしいでしょうか」

「え、まあ、はい」

「それでは、代読させていただきます。『一休くんへ。あなたは私に初めて出逢った日のことを覚えていますか。少年のように暴れ馬のことを嬉しそうに、楽しそうに話してくれましたね。私も楽しかったよ。そして、もう一つ、一休くんは覚えていますか。進が産まれた時、必ずチャンピオンになって世界一のパパになってやると言った事を。一休くんがチャンピオンを決めた時、一休くん以上に私と進は喜んだのかもしれません。結婚して9年。私は本当に幸せ者です。今年もチャンピオンになって私達を喜ばせてくださいね。頑張れ、原一休。それでは、原一休の一番のファン。原千恵子より』以上となります。本当に素敵な奥様ですね」

「何か、照れくさいね」

「羨ましい限りですよ」

「ここまで言われたら頑張らないとね。今年もチャンピオン、獲りますよ」

「最後に二つ、質問します。まず、今までの試合中に怖いと思ったことはありますか」

「今のところはないですね。ただ、馬が死んでしまうというのは事実です。死んでいく馬を見て、なんて僕達は残酷な事をしているのだろうと虚しくなる時があります。でも、あまり、悩まないようにはしていますが」

「それでは、最後の質問です。日本グランプリの抱負をお聞かせ下さい」

「必ず、決勝に出て、優勝。それしか頭にないですね。サベチーノくんもいい感じみたいだし、かなり手強いと思うけど、いつも通り頑張ります。ちなみにあなたはどちらを応援するのですか」

「も、勿論、原さんです」

「彼女も応援してくれるので日本のために、原一休、頑張ります」

このインタビューの後、原一休の愛妻、千恵子さんにも話を聞く事が出来た。

「普段の原さんってどんな人なのですか」

「子供ですよ。とにかく、子供。去年、チャンピオンを決めてから、すぐに電話があったんです。それで私が『ご褒美に好きなものを一つだけ買ってあげる』って言ったんです。そしたら、『カニ、カニ、カニが食べたい』って彼は言うんですよ。『カニにも色々あるでしょう』と私が言うと、『北海道で一番、美味いカニ』って彼が言うんです。それで通販でカニを注文したんです。そしたら、彼が帰ってくるなり『ただいま』の一言も言わずに、『カニ、カニ、カニはどこだ』と私に聞くんです。それで進と二人で『美味しいね。これもパパがチャンピオンになったから、こんな贅沢出来るんだよ』って。にこにこと嬉しそうに言うんですよ」

「そういう一面もお持ちなのですね」

「そうなんです。困っちゃいますよ。それでカニを食べ終えたら、『カンガルー、カンガルーの肉が食べたい』って。一休くんは言うんです。『ご褒美は一つでしょ』って私が言うと『来年のご褒美はいらないからさ、頼むよ』って言いだしてきかないんですよ。カンガルーのコマーシャルを向こうで見たらしくてね。『カンガルーのお肉は健康にいいんだよ』って。本当に影響されやすいんですよ」

「かわいいですね」

「かわいいというかわがままというか」

「原さんの好きなところを教えてくださいますか」

「頑固なところですね。一生懸命で自分に真面目な人ですから、そこに惹かれました」

「これは治してほしいというところはありますか」

「考え過ぎるところかな。仕事でも何事に対しても一休くんはどうすれば自分にとってベストなのかって常に考えてる。それからチャンピオンシップ全体の事を必要以上に深く考えてしまうんです。チャンピオンになってから特に考え込むようになっちゃって。時々、そういう彼の姿を見て辛くなることがありますね」

 

 日本グランプリ、開幕前日。選手達、スタッフ達が試合会場である横浜デーブドームへと足を運んだ。そして、その日の午後二時。トーナメントの組み合わせが発表された。

Aブロックの第一試合に原一休とフランスのリカルドパリス。WMAの気の利いた演出であろうか。Aブロックから見て、一番、遠いLブロックの第一試合にサベチーノ渡辺とイタリアのティティエロンティーニ。原一休とサベチーノ渡辺。両者が勝ち続ければ決勝であたる事になるのだ。

サベチーノ渡辺に言葉を求めた。

「決勝まで行かないと原選手とあたらないという事ですが」

「いつも通り頑張るだけです」

「因縁の対決と言われていますが、どう思われますか」

「あまり、意識していません。やる事をやってきたんで勝ちに行くだけです」

 彼はボディーガードに囲まれ、車に乗り込んだ。

一方の原一休にも話を聞いてみた。

「いいんじゃないの。わかりやすくて。勝ったらチャンピオン。負ければ二位なんだからさ。何せ、因縁の対決なんでね」

 彼は余裕の笑みを見せつけて、会場の視察へ行った。リングの状態を注意深く見る原一休。気持ちはもう、日曜日の決勝を見据えているかのようだ。

運命の週末は始まった。2016年、最終戦、日本GP。チャンピオンが決まるグランプリ。十月十四日、金曜日。AブロックからOブロックまでの第一試合が行われた。原一休はリカルドパリスを難無く下し、土曜日に駒を進めた。サベチーノ渡辺はティティエロンティーニに手を焼き、一時間四十分の長丁場の末に勝利を納めた。今までのサベチーノ渡辺からは考えられない試合運び。動揺を隠せない表情を彼は見せる。

ヘルメットをリングに叩きつけ悔しがる渡辺。血まみれの白衣。彼は無言で会場を足早に去る。

グランプリ二日目。十月十五日、土曜日。日曜日の決勝へと生き残りをかける選手達。原一休はランキング三位のアメリカ人、マイケルギンザ―相手に危なげない試合を進め午前の準々決勝を終えた。

サベチーノ渡辺は昨日の試合が嘘のように中国のオウヤンコウを二分三十一秒の速さで片づけ、勝利をものにする。彼もまた準決勝に想いをはせる。原一休はサベチーノ渡辺の動きを見つめていた。最大のライバルの姿だけを黙々と見つめていた。

そして、ここまで勝ち抜いたもう一人の日本人、日本からの推薦選手、高橋正和が準決勝に進出。準決勝第一試合は原一休と高橋正和が戦う事になる。会場内に設置されているスクリーンには高橋の勇姿が映し出され、スタンドは大きな声援を彼に送る。

原一休が準決勝への調整の為に一旦、会場からトレーニングジムに向かう間、彼と動物愛護団体との間に、ちょっとした騒動が起きた。

「お前にも親がいるだろう。何故、罪のない馬を殺すんだ。こんな馬鹿げた事なんて、すぐにでも中止しろ」

「馬殺しのチャンピオンなんて日本にはいらない」

「何が暴れ馬だ。原一休なんて日本の恥さらしだ」

 彼等は原が車に乗り込むまでの間、彼の全身にホースで水を浴びせた。このような場面はどのグランプリでも見られることである。これがこのスポーツの現実。オリンピック実行委員会からの競技中止要請もあり、WMA関係者は頭を抱えている。

こんな事もあってか、準決勝の原はチャンピオンの風格を見せつける、一方的な試合を行う。午後二時三分。試合開始。原、ロングナイフにより馬の全ての足を切断。高橋は何も手出し出来ない。二時八分、原、レギュラーナイフにより、馬の腹部を切開し、心臓をえぐり取り、神棚へと心臓を投げ入れ、試合終了。彼はあっさりと決勝進出を決めた。会場からは大きな歓声が飛ぶ。控え室に向かう原と高橋。白衣を脱ぐ彼等は苦笑い。

「これはスポーツですし歴史も伝統もあります。彼等の言い分も分からないことはないけど、原さんに対してああいった行動をとるのは行き過ぎだと思います」

 高橋はそう言い残し家路に着いた。原一休は、その後、控え室で無言。何一つ、言わずにベンチに腰かけている。

続く、準決勝第二試合。ここでサベチーノ渡辺が負けると原一休の二年連続ワールドチャンピオンが決まる。しかし、そう、たやすく負けを知る男ではないのが、サベチーノ渡辺。対戦相手はイギリスのロバートマーク。

ロバートマークは2001年ワールドチャンピオン。ベテランの41歳。今季限りで引退する。サベチーノ渡辺は彼に憧れてこの世界に入った。ロバートマークとの対戦成績はサベチーノ渡辺の6勝5敗。リングに向かう二人。そして、二人が握手を交わすとスタンドのユニオンジャックが揺れた。午後四時。ロバートマークにとって、最後のゴングが鳴った。先手を取ったのはロバートマーク。馬に跨り、ロングナイフで馬の頭部を切る。午後、四時五分。ロバートマークのレギュラーナイフにより、馬、背中から大量の出血。しかし、悲劇は起きた。ロバートマークがいきなり落馬したのだ。試合中断のアナウンスが流れる。セコンド達、審判団が彼の元に急ぐが、すぐさま、ロバートマークは担架に乗せられる。静まり返るスタンド。選手達もこの出来事の行方を追う。医務室に運ばれていくロバートマーク。彼の意識は戻ってはくれない。彼は吐血し、救急車の中へ。

 午後五時十九分。会場にアナウンスが流れた。

「ロバートマーク選手は試合中に倒れこみ、意識を失った。現在、横浜市内の病院に収容され、ICUにて治療を受けている。本来なら両者失格。ポイント剥奪となるのだが、WMAで審議した結果、準決勝第二試合はサベチーノ渡辺選手に勝利を与え、明日の決勝には原一休選手、サベチーノ渡辺選手に出場してもらう事とした」

 会場から様々な想いを抱き帰り始めるファン達。そして、選手達も続々と出てきた。すぐさま、原一休に群がる報道陣。

「原さん、これじゃあ、ただの殺し合いじゃないですか。一言、お願いしますよ」

 彼は一言も発せず車に乗り込む。サベチーノ渡辺にも多くのマイクが向けられるが彼もまた、車中に消え、ロバートマークの元へ向かう。


午後八時五十分。悪夢のような宣告がくだされた。ロバートマークの担当医の記者会見が始まった。

「ロバートマーク選手の容体ですが、極めて難しい状態です。脳の全ての機能が停止しております」

「もう、手の施しようはないのですか」

「残念ですが手遅れです」

 ロバートマーク、無念の戦死。WMAでの死亡事故は1977年、ドイツGPでのステファノモントの落馬事故以来の出来事。病院から続々と出てくる選手達。何を想う、サベチーノ渡辺。最悪の瞬間を見てしまった彼は下唇を噛みながら再び、車の中へ。原一休もまた、病院を静かに出て行った。


決勝の朝が来た。よく晴れた日曜日。会場内のポスターも決勝用に貼り換えられ、ファンはそれぞれの想いを抱き会場へ足を運ぶ。

 午前十時。選手ミーティング。サベチーノ渡辺と彼のセコンド達はミーティングルームへと急いだ。しかし、どうした事であろう。原一休が来ない。刻々と時間だけが過ぎて行く。サベチーノ渡辺が審判団に呼ばれる。

午前十一時過ぎ。やっと、原一休のセコンド達がミーティングルームへとやって来た。そして、原一休のセコンドから会見が行われた。

「原一休は体調を崩し、原、本人と話し合った結果、本日の決勝を棄権させていただく事になりました。彼を応援してくださったファンの皆さん。期待に応えることが出来ず、誠に申し訳ございません。また、サベチーノ渡辺選手に心からお詫びを申し上げます。本当に申し訳ございませんでした」

 何故だ。彼の身に何が起こったのであろうか。この後、審判団も原一休の体調不良を理由とし、決勝を中止。サベチーノ渡辺の不戦勝とした。

この時点で2016年、WMA暴れ馬ワールドチャンピオンはサベチーノ渡辺が獲得したことになる。スタンドからはブーイングの嵐。チャンピオンを称える表彰式が始まる。苦悩の表情を浮かべるサベチーノ渡辺。君が代が流れる中、客達は帰り始めた。


十一月十三日。原一休が、全てを明らかにするため、記者会見に臨んだ。日本WMA協会。彼のセコンド達が現れた。そして、原一休が出てきた。その隣には千恵子夫人。一カ月前の彼とは全くの別人のよう。やせ細り、やつれた目。原一休の顔にはもう、勝負師の表情はなかった。報道陣からは多くのフラッシュがたかれる。そして、彼のセコンドが一枚の文章を読み上げる。

「それでは、原一休本人に代わりまして、引退表明文を読ませていただきます。『私、原一休は今年度を持ちまして、WMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップから引退する事を決めました。これまで、自分の全てを暴れ馬に捧げて参りました。しかし、日本グランプリでのロバートマーク選手の事故死をきっかけに私の人生における考え方が急変致しました。もう、私はリングに上がることが出来ません。これまで応援してくださったファンの皆さん、本当にありがとうございました。感謝してもしきれないくらいです。私の第二の人生がこれからスタート致します。力不足の私でございますが今後も温かく見守ってくださるようお願い致します』これが原一休、本人のコメントでございます」

 無念の引退宣言。ここから、彼への質問攻めが始まった。

「RHRの立山と申します。決勝当日、どこで何をされていたのですか」

彼は黙って下を向き、鼻を触り、頭をかきむしる。そして、大きな、ため息を一つ、吐いた彼は、マイクへと向かった。

「正直にお答えします。決勝当日、私は自殺を図りました。それだけです」

 原一休が自殺未遂。考えられない。

「何故、自殺しようとしたのですか」

 深く目を閉じて再び頭をかきむしる、原一休。

「生きる事に怖さを感じました。これ以上、答える必要はないでしょう」

彼の表情からは疲れと焦りしか見えない。

「ちゃんと答えてください。原さんには答える義務があるんです」

 千恵子夫人と目を合わせ、言葉を一つ、二つ、交わす、原一休。そして、今度は千恵子夫人が力強い表情できっぱりとマイクに向かう。

「一休くんはこれまで暴れ馬に全力を尽くし正々堂々と戦ってきました。皆さん、もう、いいでしょう。私が一番に想う事と皆さんにお話できる事は一休くんが助かって良かったということ。それだけです」

 原一休は一旦、上を見上げ、まばたきを繰り返す。

「BTKスポーツの岩本と申します。原さんの今後のご予定をお聞かせくださいますか」

千恵子夫人と目を合わせ、会見場を見渡した原一休が話し出した。

「しばらく、妻と息子や家族で日本から離れます」

 やせ細った頬を触る彼に再び、多くのフラッシュがたかれ、これもまた多くのビデオカメラが彼だけに集中する。そして、一人の記者が切り出した。

「原さん、本日は我々、報道陣のために長い時間をいただきありがとうございました。最後に一言、暴れ馬についてお願い致します」

 彼は最後の質問には首を横に振り作り笑いか苦笑いか小さな会釈を残しセコンド達、千恵子夫人と共に会見場から、ゆっくりと去って行った。


2016年、WMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップ。最終成績。

チャンピオン サベチーノ渡辺  157ポイント。

二位     原一休      140ポイント。

三位     マイケルギンザ― 101ポイント。

チャンピオンシップは幕を閉じた。混沌とした一年だった。ロバートマークの事故死。原一休の引退。サベチーノ渡辺の三度目のワールドチャンピオン獲得。

この世界に住むヒーロー達のたった一つの夢。この実現のために伴う多くの苦悩と純粋な希望。その両輪を教えてくれるシーズンであった。

 2016年、十二月二十四日。フィンランド、ヘルシンキ、世界WMA協会の夜は華やいだ。WMA表彰式。サベチーノ渡辺の手の中には世界王者の証である、たった一つの小さなトロフィーが残った。会場はあたたかな拍手と喝采で彼を包んだ。

暴れ馬。たった一つの夢のために突き進む人間達の高き能力と鋭い本能。求め続けるもの。それは自らを犠牲にしてまでも戦う、何一つ、偽りのない技術と芸術。そして、人間として生き続ける優れた心。ワールドチャンピオンは、この世でたった一人しか存在しない。血を流し、涙を流し、本当の自分を乗りこなすまでの全てがここにある。WMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップ。この愛と云う名の哀しみを知った気高きスポーツを揺るぎない、豊かな未来へ。必ず君を待っている人がいる。この純粋なる人間達のきらきらと光る心のときめきをいつまでも。

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WMA暴れ馬ワールドチャンピオンシップ2016 ムラカワアオイ @semaoka3

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