エピローグ
『🌎手帳に書かれなかった物語』前編
ハロー。
ボクの名前はスケイプ。
これからダイアモンドのつまようじに刻まれなかった物語をつづろう。
これはエピローグだ。
ボクの物語の後日談。
ずいぶんと昔の思い出話である。
○
あの日、ボクはただ一人、ジェット機を飛ばしてエジプトに向かった。
ちなみにこの頃は本来の人間の大きさに戻っていた。その方がなにかと好都合だったからだ。天気は快晴。群青色の真っ青な空を、真白い飛行機雲を永遠に引き伸ばしてボクの飛行機は飛んでいった。
キャノピーから地上を見下ろすと、文明への道を歩き始めたばかりの人類が、轟音を立てて飛んでいくボクの飛行機を指さしながら見上げているのが見えた。
○
様々なところで、様々な肌の色をした人間達が、ボクの飛行機を畏怖のまなざしで見上げていた。
今のボクは知っている。
彼らがこのときの目撃談を龍の伝説として語り継いでいくことを。
永遠と伸びる飛行機雲は龍の体。
飛行機の立てる轟音は龍の声。
ジェットエンジンから漏れる炎は龍の息になる。
ボクのたどった飛行コースは龍の伝説の発生地点とかさなり、それをつないでいけばアトランティスとピラミッドをたどる線となる。
○
アトランティスから追いかけてくるもの、引き止めるものは誰もいなかった。
もっとも追いかけてくることは不可能だった。ボクはアトランティス人たちのあらゆる道具を盗み、海に捨ててしまったからだ。
それがアトランティスに残された人々にもたらす影響も十分承知していた。
事実それ以来アトランティスでは、道具の発展がもたらす文明の進歩は完全に止まってしまう。それが再開するのは実に七千年後、二百人の科学者がやってくる時まで待たなければならない。
それまで、大学生の時の輝男と龍次が見たように、アトランティスに高度なテクノロジーはなく、ただただ平凡で素朴で、平和だけが取り柄の文明社会を維持していくのである。
だがそれはそれでよかったのかもしれない。
アトランティスは人類史上類を見ない、争いのない平和で豊かな世界を、七千年という長さにわたり維持していくことになるのだから。
○
アトランティスの文化は成熟し、モラルを高め、完全な大人の社会へと生長していった。そして七千年の時を超えて織田博士達がこの島にやってきたとき、かれらはテクノロジーの進歩に振り回されることのない、確固たる文明を作り上げていた。
今のボクにはわかる。
この二つが噛み合ったからこそ、未来のアトランティスはユートピアに、聖書でいう『エデン』になりえたのだ。
○
話を過去へ戻そう。
ボクはナイル川の上流に飛行機を着陸させると、レーザーナイフを使い、ピラミッド建設に必要な石材の切り出しにかかった。
レーザーナイフはどんなに硬い石でも文字通りバターのように切ることができる。切ること自体はたいして苦にもならないが、その量だけは大変なものだった。
ボクは暑い日差しに体を焼かれながら、朝から晩まで石を切り続けた。
切った石は全て物質小型化装置の光にあて、角砂糖のほどの大きさに縮め、その日に切り出した分をポケットに入れて、河口沿いのキャンプに持ち帰った。
○
ひたすら石を切りつづけること一ヶ月。
ようやくボクのキャンプではピラミッドの仮組みが完成した。
小さな石を積み上げたそれは、ボクの背丈ほどの大きさになった。
もっともボクの工夫はその中身にあった。
巨大な石の建造物のなかに無数の迷路を走らせ、そのディテールに星の運行を感じさせるような趣向を凝らしてあったのだ。
もちろん設計した時はピラミッドが墓として使われるとは思っても見なかった。ただ見つけた人間を楽しませようと、それだけを考えて無数の趣向を凝らしたのだ。
○
仮組みが完成すると、ボクはいったん小さなピラミッドを壊し、飛行機に積み込んだ。建設地はもう決めてあった。それはもちろん今のエジプトである。
今でこそ砂漠の広がる不毛の大地だが、当時はナイル川の恵みを受けた緑豊かな楽園だった。そこにはさまざまな動物が暮らし、植物が生い茂り巨大な生命圏を作り上げていた。
そこは人間だけがいない楽園だったのだ。
ボクは建設予定地の草を刈り、木を切り倒して完璧な正方形を地面に描いた。それからそのまわりに、運んできた小さな石を積み重ね、物質小型装置を反転させてひとつひとつの石をもとの大きさに戻していった。
土台の正方形の周りを、ずらりと巨大な石壁が何重に取り囲む形となった。
あとは並べたブロックを設計通りに積み上げていけばよかった。
○
当然疑問に思うことがあるだろう?
小さい石のままでピラミッドを作り、それをそのまま拡大すればいいのではないか? わざわざ積み上げるのは二度手間というものではないか?
○
それはボクも考えた。
だがその方法は上手くいかない。石の一つ一つがバラバラに大きくなるため、石の三分の一以上が破損してしまうのだ。
ボクは今回のピラミッドは完璧なものにしたかった。
永遠に人類の歴史に刻まれるような、掛け値なしに完璧な芸術品を作りたかった。
それには大きな石を一つ一つ積み上げなければならなかったのだ。
○
全ての準備は整った。
あとはボクの覚悟ができるのを待つだけだった。
これを完成させるにはボクの命と体を懸けねばならなかった。
最後の仕上げ、石を実際に積んでいく作業には、
ボク自身が大きくなる必要があったからだ。
○
計画はこうだった。
ボクは物質小型化装置を反転させ、自分の体を巨大化する。
どこまで巨大化できるかは分からないが、とにかくできる限り大きくする。
そして十分な大きさになった所で一気にピラミッドの石を積み上げる。
積み上げる時間は約二時間。
これは自分でだした計算結果だった。
○
二時間以内に積み上げる練習は十分につんできた。トランプでピラミッドを作るのとはわけが違う。それはすごく集中力を要する仕事だった。だから何度も何度も練習を積み重ねた。
ただひとつだけ問題があるのは、大きくなった体では小型化装置の小さなスイッチが押せないということだ。だから小型化装置は二時間後に小型化する光を出すようにタイマーをセットした。
それがボクの計画で、唯一生還するチャンスだった。
○
ただ、これらはすべて机上の計算と計画であり、うまく行く保証はどこにもなかった。この装置をこのように使うことは織田博士も想定していなかったはずだ。
だから命をかける覚悟が必要だった。
ボクは少しうつむき、この世に未練がないか思い返してみた。
○
父や母はもう遠くの世界にいる。
チャールズは死んでしまい、ボクが生きている間に復活する見込みはゼロだった。
モノはもう父親となって子猫たちの面倒を見ている。
唯一気になるのはエイプリルのことだけだった。
ボクはたぶん彼女のことを愛していたのだと思う。
だがボクは彼女と幸せになることはできない。
それは分かっていた。
○
ボクの逃避衝動はあまりに強烈で、周りの人間に不幸を撒き散らすだけだからだ。
これに引きずられるのはボク一人の魂と体だけで十分だ。
その時のボクはそう思い、あまりにあっさりと覚悟はついた。
いや、もう最初から覚悟はできていたのだ。
引き返すつもりがないことを確認しただけだった。
○
時刻は真昼だった。
その日も朝から快晴だった。巨大な太陽からは強烈だが、生命力にあふれた日差しがさんさんと照り続けていた。
ボクは建設予定地の真四角でまっさらな地面に立ち、それをぐるりと取り囲む石のブロックを見つめた。
ふと、この光景が監獄に似ていることに気がついた。
アトランティスを取り囲んでいたあの壁と同じだった。
ボクは再び、檻の中に戻っていたのだった。
しかし今度はそこから新しいものを作り出そうとしていた。
○
ボクはスイッチをつけた。
物質小型化装置を反転させ、自分の体に浴びせる。
スイッチを解放したまま、小型化装置はボクの首からさげた袋の中に入れ、ボクの体にずっと光が当たるようにした。
やがてボクの体は見る見る大きくなり出した。
二メートル、三メートル、四メートル、ゆっくりとだが確実に大きくなっていく。地面がどんどんとはなれ、手のひらが大きくなっていくのを見つめた。
二十メートルほどに巨大化したころには、壁の向こうを見渡すことが出来た。
壁の向こうに広がる深い緑の森も眼下に見下ろしていた。
だがまだ足りなかった。
○
ボクはさらに大きくなり、やがて自分の作った四角い建設予定地から、二本の足がはみ出すほどになった。
ボクは一またぎで壁を乗り越えた。
それから腰をかがめ、一気に石を積み上げはじめた。
巨大な石は、さらに巨大なボクの手のなかにすっぽりと納まった。
大きさも重さも角砂糖一つ分の重みしか感じられない。
ボクはなんども練習してきたように、黙々と、次々に石を重ねていった。
○
巨大な背中いっぱいにエジプトの太陽が照りつけ、ボクはバケツ何十杯分の汗を流した。その頃にはボクの巨大化のペースも少し遅くなった。計算では巨大化した分、作用がいきわたるのに時間がかかるのだ。
ボクは巨人の姿で、ピラミッドを前にしゃがみこみ、周りに積んだ小さな石をせっせと積み上げていった。
○
そしてとうとうピラミッドは完成した。
緑のジャングルに浮かび上がる完璧な四角錐は、とても崇高な感じがした。
自分で作ったものだったが、ボクはとても感動した。
そして自分がこれだけのものを作り上げたことをとても誇りに思った。
この建物は永遠に残る。
長い年月のあいだには風雨にさらされ、今ほど完璧な姿を維持することはできないだろう。
それでもボクという一人の人間が作り上げた、ボクという人間の意志を、永遠に多くの人間の心にとどめることになるだろう。
ボクの両目からは涙が溢れ出し、その
○
完成したとき、ボクの体はピラミッドの五倍以上の大きさになっていた。
○
胸元につけた袋を見つめた。
ほんの微かに物質小型化装置が見えた。
タイマーはちゃんと作動していた。
それでもボクの巨大化はとまらなかった。
もはや小型化できるレベルを超えていたのだろう。
だが不思議と後悔はなかった。
それは予想していたことだったから。
○
ボクの体は膨張を続け、その限界を超えようとしていた。
自分の体を見下ろすと、手や足が透け始めているのがみえた。
ボクははるかな高みから地上を見下ろした。
地平線が丸みを帯びているのが見えた。
大陸の形もはっきりと見えた。
そこに流れる川や、森や、人の集落が見えた。
ボクは世界を眼下に一望した。
○
それからまっすぐ空を見た。
雲の上には群青色の鮮やかな空が広がっていた。
その色彩の美しさは地球の美しさだった。
空を見上げると輝きだしたばかりの星が見えた。
星もまた美しい生物だった。光を出して燃えている。
それこそが星が生きている証明だった。
○
この世界には生命が満ちあふれていた。
地面からはるかな星々まで、全てのものが生きている。
ボクは急にエイプリルに会いたくなった。
自分の意志で死んでいく事が急に悲しく思えた。
それをエイプリルに許して欲しかった。
彼女にちゃんとさよならの言葉を伝えたかった。
○
ボクは大またでアフリカ大陸を歩いた。
まるで大きな世界地図の上を歩いているような感じだった。
そうしているうちにもボクの巨大化はとまらず、頭の先は雲に届こうとしていた。
○
余談になるが、このときのボクの姿をいろんな国の人間が目撃し、巨人伝説として語り継いでいくことになる。
この巨人伝説とは洪水伝説と並び、世界中に共通して残る伝説の一つなのだが、ちゃんと原型があるのである。
そしてその伝説の糸を辿れば、エジプトからアトランティスへとつながるコースにかさなるのである。
○
ボクは七千年の昔、そのコースをたどりアトランティスへと歩いた。
そしてアトランティスを見つけると、ズボンがぬれるのもかまわず海の中にしゃがみこんだ。
今やボクの巨大な体はおぼろげな存在ながら、巨大な山脈ほどの大きさに膨らんでいた。
と、ボクの胸につけた袋から物質小型化装置がこぼれ落ちた。
○
どのみち助かる見込みはなかったのだが、ボクの死はこれで決定的になった。
ボクは小さなアトランティス大陸に顔を近づけ、エイプリルの姿を探した。
しかしそれは至難の業だった。
なにしろアトランティス人のエイプリルは小さな人間だったからだ。
今のボクのサイズでは、顕微鏡でも持ち出さないと見つけられそうになかった。
○
だがそれでもボクはエイプリルを見つけた。
彼女の存在を確かに感じ取った。
そして風に運ばれて彼女が叫ぶ、小さな小さな声が聞こえた。
スケイプ! あなたなんでしょ?
そうだよ、エイプリル。
どうして?
また逃げたんだ。
戻れないの?
ああ、だからさよならを言いに来たんだ。さよなら、エイプリル。君もさよならを言ってくれる?
○
彼女の声が聞こえていたはずはなかったが、ボクの心はちゃんと彼女の声を聞いていた。
彼女の姿が見えるはずはなかったが、ボクの魂はちゃんと彼女の姿を見ていた。
彼女はボクに大きく手を振っていた。
涙を流しているのも見えた。
そうしているうちにもボクの体はさらに膨張を続け、これ以上ここにとどまってはいられなくなった。
○
ボクは立ち上がった。
ボクの頭は雲の上に突き出していた。
体を見下ろすともうほとんど透けていた。
それでも巨大化は止まらなかった。
ボクの視点はさらに上空へと上り、体は実体を失っていった。
真っ青な色をした地球の丸い輪郭がはっきりと見えた。
やがて真昼の月に手が届きそうなほど巨大化がすすむと、とうとうボクの体は世界に溶け出した。
体の輪郭がゆらゆらと揺れ、透明度が増し、静かに静かに実体がなくなっていった。
いよいよ死ぬのだ。
ボクは最後の瞬間、目を閉じた……
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