『🔬憎しみの遺伝子と思い出話』中編の上


「やぁ、織田博士。あなたを探していたんだ」


 大塚はポケットに両手を突っ込んだ姿勢で、親しげにわたしに微笑みかけてきた。

 本人にとっては何度も練習を重ねた上等の笑顔のつもりだろうが、その仮面の下に隠された人間性は隠しきれない。

 大塚が隠しているそれは、意地悪さと狡猾さだった。


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「わたしに何か用ですか? 長官じきじきとは」

「まぁね。キミと面談が必要のようだから」

 大塚はパチンと指を鳴らした。

 同時にリハーサルでもしてきたかのように、二人の看守が扉の両脇からぬっと姿を現した。二人とも腰の警棒を抜いて胸の前に構えている。


「まぁ、ここで話すわけにもいかないだろう。この刑務所に尋問室があるのは知っていたかね?」

「知りませんでした。初耳ですよ」

「じゃあ、ご案内しよう。実は私も使うのは初めてなんだ」

 この状況ではもちろん断れるはずもなく、わたしはひとつうなずくと大塚の後について歩き出した。


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 尋問室は刑事ドラマでよく見るような、六畳間ほどの小さな部屋だった。

 グリーンのタイル張りの床に、グリーンの壁、壁の一面にはマジックミラーらしき大きな鏡がはめ込まれている。窓はなく、薄暗い蛍光灯が天井でまたたいている。

 部屋の中央には飾り気のないグレーの机があり、机の上には鉢植えの花のように小さなライトが置かれていた。

 なんとも気の滅入る感じの部屋だった。

「これまた古風ですね」

 わたしはそういってパイプイスのひとつに腰を下ろした。

「まぁね。この収容所もずいぶんと古いから」

 大塚はわたしの向かいに腰掛けた。


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 それから看守の一人が大塚の背後から手を伸ばし、ベージュ色のマニラ封筒を大塚の前に置いた。

「そうそう、カノウ君だったね。キミの警棒を貸してくれ」

 大塚が手の平を上に向けると、その手に木の警棒が置かれた。それは本当にただの木の棒なのだが、この狭い部屋の中では、まるで銃のような危険な凶器に見えた。

 もちろんそういうことも計算に入れているのだろう。

 大塚はそういう男だった。

「キミたちは下がっていいぞ」

 二人の看守は大塚に敬礼すると、すばやく部屋を出て行った。

 そして部屋の中にはわたしと大塚の二人だけが残された。


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「さて、君に届け物があるんだよ」

 大塚は封筒から一枚の葉書きをつまみだした。

「実は二日前に届いていたんだが、すべての郵便物を検査するのが決まりでね。君があの事件を起こしてから、こっちも大変な事になってるんだよ」

(わたしの事件じゃないがね……)

 と、そう言いそうになったが、その言葉はなんとか胸の奥にしまいこんだ。

「郵便物に毒を塗って暗殺する、っていうのも結構ある話なんだ。毒だけじゃなく細菌兵器を忍ばせたり、ICチップを入れて狙撃の標的にしたり、こういうのは君の専門だったかな? とにかく君は世界中のあらゆる組織から狙われているからね」

 そう言って、大塚は葉書きを滑らせてよこした。


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 それは山川鋭子からの絵葉書だった。

 いつもはごくごく普通の字で手紙を書いてよこすのだが、今回は妙にかわいらしい字でわたしの名前が書いてある。

 さらにその下には同じ字でこう書いてあった。


『ピチピチのわたしを見て、元気を出して!

 リクエストどおりよ! それ以上かも?』


 葉書きをひっくり返すと、そこには十二才の山川鋭子がいた。

 真っ白なワンピースの水着姿で白い砂浜と青い海をバックに微笑んでいる。その髪はさらさらと長く、潮風に運ばれるままに後ろに流れている。

 写真の中の彼女は今も美しかった。

 初めて会った時の初恋の淡い衝動が胸によみがえるようだった。


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 だが何よりも大事なのは、彼女が微笑んでいる場所だった。

 この空の色、雲の色、間違いなくスペインのアゾレス諸島だった。そこはアトランティス大陸があったとされる候補地の一つでもあった。

(ちゃんと伝わったようだな……)

 わたしは喜びの表情が出ないよう、なんでもないもののように葉書きをひっくり返した。

「なんとも懐かしい写真ですね。でもそれだけです」


 そう言いながらも、胸の中には熱い思いがあふれ出してきて止まらなかった。

 かつて交わしたあの約束を彼女は覚えていてくれたのだ。

 大丈夫。まだアトランティス大陸への道はちゃんと伸びている。これで二百人の科学者と、そのペットたちをこの収容所から脱獄させ、さらにアトランティス大陸へと導くことができる。

 その時が来てはじめて、わたしは鋭子との古い約束を果たすことができるのだ。


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「本当にそれだけかね?」

 大塚はそう言ってジッとわたしを見た。

 たぶん、彼はなにかに気付いている。

 だがまだ確信がないのだ。だからこうして二人で話している。

 脱獄の前に、まずは目の前のこの男だった。

 だいたい彼が何の理由もなしに護衛を連れてあらわれるわけがないのだ。あの場ですぐわたしを拘禁しなかったのは、なにかが足りないからなのだ。そして今、彼はわたしと話すことでその足りない何かを埋めようとしている……

 わたしにもそれぐらいは分かった。


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「君と山川鋭子が知り合いというのも実に不思議なものだね」

「彼女とは小学校が同じだったんです」

 大塚は警棒を右手に持ち、左手の手の平にたたきつけながらしゃべっている。いまのところは特に威嚇している様子は無く、世間話でもしているようだ。

「まぁそれが縁の始まりというわけだ。それにしてもだよ、山川鋭子は女優であるばかりじゃなく、実業家として億万長者として世界的にも有名な存在だ。そして君もまたノーベル賞を受けた世界的に有名な科学者だ。これは実に不思議な縁だよ」

「縁なんかじゃありませんよ、たんなる偶然です」


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「だが君と山川鋭子の間にはそれ以上に深いつながりがある。君たちは単なるビジネスパートナーではない。かといって夫婦、恋人でもない。そうだろう?」

「まぁ、そうですね」

「私が思うに、君たちは同志のようなものだ。なにか共通の目的を持っている」

 大塚の警棒を動かす手が止まり、再びじっとわたしを見つめてきた。

 わたしはその視線を正面から受け止めた。

 大塚の目的がなんなのかさっぱりつかめない。

「さて、本題だ。君たちにはもう一人、同志がいる」


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「同志? いったいなんのことです?」

「とぼけるのはやめたまえ。日本最大の暴力団組織『サクラ組』の会長、神城龍次という男だよ。もちろん知っているね」

「サクラ組?」

「元は『龍虎会』という名前だったよ。改名したそうだ。それなら分かるな?」

「ええ、彼の事はもちろん知っていますよ」


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 神城【龍のツギ?】龍次はわたしのもうひとりの親友である。

 親友ではあるが、もうずいぶんと彼には会っていない。

 わたしが彼と最後に会ったのは二十二歳の夏だったから、かれこれもう三十年近くたっている。

 そのあいだ手紙はおろか、電話の一本も交わしたことはなかった。だが彼とわたしはそれでも親友であり、今もひとつの古い約束で結ばれていた。

 わたしはそれをはっきりと覚えているし、彼だって忘れるはずがない。


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 ちなみにわたしと龍次は小学五年生のときに初めて知り合った。

 山川鋭子と知り合ったのも同じころで、わたしたちは三人で一組の親友だった。

 わたしたちはずいぶんとタイプの違う仲間だった。

 山川鋭子はこの頃からテレビでも有名な美少女であったし、神城龍次はヤクザの大親分の息子で、勉強もスポーツも万能の秀才だった。そしてわたしはといえばクラスの変人でのけ者だった。

 見事にバラバラな三人ではあったのだが、そんな三人を結び付けている共通点があった。

 それが『アトランティス大陸』だった。


 わたしは小さな頃からアトランティス大陸の存在を確信していたし、山川鋭子はテレビの取材を通じてアトランティスに強く惹かれていた。そして神城龍次もまた、わたしに負けないくらいアトランティス大陸に夢中だった。

 あの頃はアトランティス大陸のあった場所、文明の痕跡、滅んだ理由、そういったことを、三人で飽きることなくいつまでも話しあったものだった。


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 しかしこの三人組は小学校を卒業すると同時にバラバラになってしまう。わたしたちはそれぞれ違う中学校・高校に進学したからだ。

 だがわたしたちのアトランティスへの情熱が消え去ったわけではなかった。特にわたしと龍次は、アトランティス大陸を実際に探しに行く約束を交わしていた。大学生になったら二人でお金をためて一世一代の冒険と発見の旅に出よう、そしてかならずアトランティス大陸を見つけよう、と誓いあっていたのだ。


 本当は鋭子も誘いたかったのだが、彼女は小学校を卒業するころにはすでに有名になっており、わたし達の手の届かない世界へと飛び立ってしまっていた。

 だからこの時の約束はわたしと龍次だけのものだった。


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 ちなみに、それからわたしは東京大学に進学した。科学者になるためだったというのが理由のひとつで、もう一つの理由は龍次がここにくるだろうと思ったからだ。

 わたしの考えたとおり、龍次も同じ東京大学にいた。もっとも学部は別で、彼は弁護士になるべく法学部に籍を置いていた。

 とにかくわたしたちは再会し、あの日の約束がまだ有効であることを確認した。


 そして大学を卒業する予定だった二十二歳の夏、わたしたちはともにアトランティス大陸を探しに旅立ったのである!


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