『🔬原子の世界はスカスカ』後編

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 さて、わたしは話を続けた。

 むしろこれからが重要なのだ。

 原子の先にある世界。


 


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「では、その原子は何で出来ているんだろう? それ以上には分解できない砂粒みたいなものだろうか? いろんな性質を持った砂粒があるってことなんだろうか?」

 わたしはそう尋ねる。

「うーん、ちょっと違いますね。実は原子には基本的な構造があるんです。それはすべての原子について当てはまります。ただ微妙な違いによってその性質ががらりと変わるんです」

 田中は原子のイラストの隣に、新たなイラストを描き始めた。


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 今度は大きな丸を描き、その丸の中に四つの小さな丸を書き込んだ。

 そして四つの丸の中に二つずつプラスとマイナスの記号を書き入れた。

 その全体をさらに一つの大きな丸で囲み、その丸の線の上に小さな丸をのせた。

 この小さな丸は電子で、大きな丸はその軌道を示している。

 わたしもそれくらいの事は分かっている。


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「まず原子の中心には原子核というのがあります。

 細胞の核と同じような感じですね。分かりやすくたとえると、これは太陽にあたります。中心的な存在という意味です。

 そしてこの太陽の周りを惑星のように巡っている物質があります。これが電子です。これはいってみれば地球のような存在です。

 そしてこの電子の数が、つまり太陽が引き連れている惑星の数が、この原子の性質を決めているのです」

 田中は自分のイラストを示しながら話を続けた。

「そんな簡単な構造なのかい? 全部の原子が?」


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「ええ。さらに突き詰めると、太陽にあたる原子核そのものは陽子と中性子という物質から成り立っています。」

 田中はプラスとマイナスのつまった丸をペンでとんとんと叩いた。

「ということは……さらに原子というものはたった三種類のもので出来あがっているということになる?」

「まぁ、簡単に言えばそういうことですね」


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「驚いたな……世界っていいかげんだ……たった三種類だけで出来てるなんて」

「そうですね。意外と単純に出来上がっていますよね」

「では、もう一つ質問。その原子を作るものは何だろう? この世界を作っている一番小さな単位は?」


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「それはクオークと呼ばれています。クオークには四つの『力』があります」

「力、かね?」

「簡単に言えばクオークとはエネルギーみたいなものですから」

「実体が無いのかな?」

「うーん、説明しづらいけど、そういう感じですね」

「じゃあ、わたしたちの世界は突き詰めていくと、実体の無いエネルギーから出来上がっている。そういうことかな?」

「まぁ、そうですね。しかしそれは学問上の話で、実際にわれわれはこうして生きているわけです。骨や筋肉で出来た体をもってね」


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「なるほど、よく分かったよ。でもやっぱり疑問があるんだ」

「なんでしょう?」

「そのクオークがエネルギーみたいなものだったとしても、やっぱり原子は砂粒みたいに硬いもので出来ているんだろうか?

 もし原子の素がエネルギーみたいなもので出来ていたとしても、形を作るからにはやっぱり硬くないと変じゃないかな。金属だってふにゃふにゃになってしまう」


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 田中は再び、原子のイラストをペン先でこつこつと叩いた。

「ところが違うんです。原子の構造というのは結構余裕があるんです」

「余裕?」

「ええ、結構スキマがあるんですよ」

「スキマ? このイラストで言うと、原子核と電子の事かな?」

「ええ、そうです。結構スキマがあるんですよ」


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「結構、っていうとどれくらいなのかな? さっきのたとえで言えば、それこそ太陽と地球くらい離れているって事なのかな?」

「そうですね……原子核の直径が10兆分の一センチといわれていて、原子核と電子の距離はその5万倍とされていますから……」


  


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 田中はわたしをきょとんと見つめた。

 寡黙な釣り師を決め込むはずだったのだが、わたしは立ち上がっていた。

 もう興奮していたのだ。

 この一言でお互いのヴィジョンが一致していると分かったのだ。


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「まさにその通り! それこそが、わたしの今回の研究テーマなんだ! いいかい、原子核を野球のボールに見立てると、電子は約6キロメートル先の軌道をまわっていることになる!」

「だいたいそんなところですね。もう少し近いかもしれませんが」

「まぁ、それにしてもだ! このカップを原子核とすると」


 わたしはカフェテリアの窓を指さした。実際はカフェテリアのさらに向こう、窓の向こうに広がる芝生の庭のさらに向こう、池を越え、森を越えた向こう、この刑務所をぐるりと取り囲む見えない塀を指さしていた。


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「この刑務所を囲んでいる塀……ちょうど6キロ先にある。あの塀のあたりをやはり小さな電子が回っているということになるわけだ!」

「ここからは見えませんがね」

「そうなんだよ!

 原子の世界はスカスカなんだ!

 そのスカスカの原子が寄り集まってスカスカの分子を構成し、スカスカのわれわれの世界を作り上げているんだよ!」


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「確かにそうですね。原子の世界はスカスカです。でも、それがどうかしたんですか?」

「わたしはね。そのスカスカを何とか少し縮めたいんだよ」

 田中はちょっとうつむいた。

 その目がわずかに閉じられ、完全に一人の世界に入り込んでしまった。同時に指先でペンがくるくると回り始めた。

 わたしは催眠術でもかけるように、さらに田中の耳にわたしの発想をささやいた。


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「いいかい、この距離をちょっと減らすことが出来れば、原子の大きさがちょっと小さくなる。

 原子が小さくなれば、それが無数に集まって作られる分子はもっともっと小さなものになる。

 さらにその小さくなった分子が集まれば、それを無数に集めて作られる細胞はもっともっともっと小さくなる。

 その小さな小さな細胞が集まれば、人の体は……」

 田中の鉛筆がぴたりと回転を止めた。


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 ゆっくりと田中が顔を上げた。

 それから彼は不敵な笑いを浮かべた。

 それはまぎれもない、マッドサイエンティストの笑みだ。


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「いいですね。じつに挑戦しがいのあるテーマですね」

「できそうかね?」

「五分五分ですね」

「五分五分か……」

「並みの科学者なら……でもここには一流の科学者がゴマンといます」

「ということは?」


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 そう言うと田中は模造紙をひっくり返し、すごい勢いでメモを取り始めた。

 素晴らしく汚い字で、広い紙いっぱいに文字や数式が並んでいく。

 わたしはただそれを眺めているだけだった。

 やがてウェイターロボットがやってきて、わたしにコーヒーのおかわりを注いだ。

 だが田中はわき目も振らずにメモを取りつづけた。

 さっきは冷静さを失ってしまったが、とにかく田中はもうわたしのものだった。釣りは大成功だった。


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 それは一時間あまりも続いた。

 田中は模造紙に書き込む隙間がなくなると、学生かばんからノートを取り出し、またすごい勢いで何かを書き続けた。

 やがて田中の手からペンが離れ、コロコロと転がりだした。


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「センセイ、なんとかやれそうですよ。ですが、ボク一人では能率が悪い。それに設備も足りません。

 だから、このメモに従って準備をしてください。このメモには必要な設備が書いてあります。

 それからこの刑務所の誰にどの開発を任せればいいかが書いてあります。たぶん、この刑務所の全員が参加することになるでしょう。

 ちょっと難しいかもしれませんが、この研究所でなら、センセイの発明を実現できるはずです」


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 田中はわたしにメモを渡すと、急にぶるぶると背中を震わせ、どういうわけだか失神してしまった。

 だがテーブルに突っ伏したその顔は幸せそうに笑っていた。

 わたしが突きつけた難題に、明確な答えの道筋を示した喜びのせいなのだろう。

 たしかにこれは彼にしか出来ない問題だった。

 そして彼はわたしの予想通り、百点満点の答案を出してくれた。


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 だがそれでも勝負は五分五分。

 だがわたしはこの勝負に勝たなければならない。絶対に。

 何せこの脱獄には全人類の未来がかかっているのだから。


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 ちょっと小難しい話になってしまったかな。

 なるべく簡単に説明したつもりではあるが、仕方ない。

 とにかくこれで第四章は終わる。


 これから発明されようとしている装置、これこそが脱獄計画の要であり、アトランティスの謎を解く鍵であり、人類を救う鍵となるのである。

 まぁその辺のことはまたゆっくりと。

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