アトランティスのつまようじ

【テルオの伝記 ②】

『🐈輝男の秘密』

　輝男が孤独の中でも明るくいられた秘密。

　次はそれを明かそう。

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　輝男には頭の中にだけ存在する友達がいた。

　友達の名は『ネコ』といった。

　動物のネコではない。姿は普通の人間の子供なのだが、両の頬にそれぞれ三本のひげが生えていた。それに何となくネコっぽい感じの目つきだったので、輝男がそう名付けたのだ。

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『ネコ』は輝男が一人でいる時にだけ時々現れるようになった。

　最初の頃は、その間隔は不定期だった。

　三日続けてのこともあれば、一週間姿を見せないこともあった。

　姿を見せているときは、ネコはいつでもニコニコ笑っていて、輝男のやることをおもしろそうに眺めていた。

　ネコは普段ほとんどしゃべらなかったが、口を開くときはいつも輝男が聞きたいと思う言葉をかけてくれた。

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　その『ネコ』が最初に現れたのは父親の葬儀の時だった。

　輝男はそのときのことをほとんど覚えていない。

　その時の輝男は、父親がいなくなってしまったということがまだ実感できないでいた。ただ家族の中にぽっかりと穴があいてしまったような感覚と、その穴が二度とふさがらないのだということを恐ろしく感じていた。

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　その日はおじいちゃんやおばあちゃん、そしてお父さんの兄弟など、たくさんの知らない人たちと会った。

　みんなが黒い服を着ていて、カラスの集会のようだった。たくさんのカラスが羽をバタバタさせて、自分と母親の廻りに群がり、何かをついばんでいる、そんなふうに感じていた。

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　輝男は葬儀の途中で気分が悪くなり、自分の部屋に戻った。

　それから自分でタオルを冷やして、おでこにあてた。

　気持ちがよくてうっとりと目を閉じ、これがいつまで続くのだろうと考えた。

「……おとーさん……帰ってきてよ……」

　そう呼んで目を開けたとき、目の前に『ネコ』が立っていた。

　輝男は心臓が飛び出してしまいそうになるくらい驚いた。

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『やぁ』

　ネコが左手を上げて言った。

「やぁ」

　テルオは右手を上げて答えた。

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　輝男はネコが生身の人間でないことにすぐに気がついた。

　なんだか体が透けているような気がしたのだ。

　でもネコがすごくいい奴だというのはすぐに分かった。

　輝男は彼と友達になりたいな、と感じた。

　するとネコは少し恥ずかしそうに同じ思いを口にした。

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『ぼくたちともだちになろうよ』

「うん！　ぼくはね、てるお」

『ぼくのことはネコってよんで』

「ネコ、だね。じつはそうじゃないかとおもったんだ」

『きみがそうおもったから、それがぼくのなまえなんだよ』

「ぼくたちともだちだね」

　　　🐈

　ネコはうなずいた。

　それから輝男の座っているベッドのすぐ横に腰掛けた。

　ネコは全く重さがないらしかった。

　ベッドはちっとも揺れなかったのだ。

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『きみのおとうさんさ、かなしいね』

　そのときネコはそういった。

　それと全く同じことを輝男も感じていた。ただ輝男の気持ちとぴったり同じ言葉を、ネコはしゃべってくれたのだ。

「うん。でも、おかあさんがいる」

『でも、やっぱりひとりぼっちだね』

　それも輝男が漠然と思っていたことだった。

「そうなのかな……やっぱりそうなんだよね」

『だからぼくがきたんだ。きみはひとりぼっちじゃないんだぜ』

「ねぇ、きみはずっと、ともだちでいてくれる？」

『ああ。もちろんさ』

　そういってネコはいきなり消えた。

　輝男がまばたきしたほんの一瞬のことだった。

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　それから輝男は母親の無関心にも耐えられるようになった。

　母親が話を聞いてくれなくても、歌を聴いてくれなくても、ほめてくれなくても。

　そんなときは自分の部屋に行き、少し悲しい本を読んで泣いた。

　泣いたあとにはいつもネコが来てくれたからだ。

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『きみはよくなくんだね』

「なくとネコがきてくれるからだよ」

『なかなくたってくるよ。ねぇ、きょうはなにをしてあそぶ？』

「なんでもいいよ」

『じゃあ、たんけんにいこう！』

「たんけん？　どこに？」

『きみのおとうさんのへや』

「でも……おかあさんがなんていうかな？」

『きがつくわけないよ』

「そうだね、ほんとうはぼくもいってみたかったんだよ」

『よし、いこう！』

　　　🐈

　それから二人は（実際は輝男一人だが）父親の部屋で遊ぶようになった。

　幸男の部屋は彼が最後に出かけていった日のままだった。

　部屋の中はなにひとつ片づけられることはなく、ドアは閉じられたままだった。

　幸子にはもうそれだけの気力が残っていなかったのだ。

　彼女は過去を振り切ることができず、また忘れることもできず、ただただ毎日を生きていくことしかできなかった。

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　父親の部屋にはあらゆる本があった。

　幸男が興味の向くままに買い集めた本だった。そこには小説があり、童話があり、経済書や宗教書、物理学、化学、生物学を扱った本まであらゆるジャンルの本が集められていた。

　だが父親の幸男自身はその本の中から何も学ぶことはなかった。単純に好奇心を満たしたかっただけだったからだ。

　だが輝男は違った。

　彼の幼い脳は知識をどんどん吸い取っていったのである。

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　そこから輝男の天才は始まった。

　輝男はネコと二人でどんどんとページをめくった。

　分からない言葉は何でもネコが教えてくれた。

　ネコも知らないことは二人で辞典を引いて調べた。

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　ここで忘れてならないのは、ネコは輝男が創り出した創造物だったということだ。

　輝男はネコと一緒に本を読んでいるつもりだったが、実際は一人でやっていた。

　これが何を意味するのか？

　単純に言えば輝男はネコを通して常人の二倍の学習量をこなしていたと言うことである。さらに推測するならば、輝男は学習で得た記憶の大半を、ネコという存在を通して、無意識という巨大なスペースに詰め込んでいったのである。

　　　🐈

　無意識というのは意識下では較べものにならないほどの情報量を蓄積することできると言われている。

　たとえば無意識の中では、生まれてから現在までに見たものすべての映像がおさめられているともいわれる。

　この情報量とは莫大なものだ。

　しかもそれすらも無意識のもつ広大な記憶力の一部なのだ。

　ただ問題は、普段はその記憶に手が出せないということだ。その情報は意識して取り出すことができないのである。

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　だが輝男はネコを通してその情報を簡単に取り出すことが出来た。

　本人はもうそのことを全く覚えていない。

　ネコという存在すらも忘れている。

　だが彼はネコをとおしてその技術を学び、おそらくは今も使っているに違いない。

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　だが問題もあった。

　輝男はネコと交信しているときは、軽いトランス状態に陥ってしまったのである。

　つまり、ぼぉー、としてしまうのだ。

　ネコはたいてい輝男一人きりの時だけに現れたのだが、姿がないときでも輝男はよくネコと話をしていた。

　それは幼稚園で歌っているときや、先生の話を聞いている最中にも行われた。

　時にはネコに向かって話しかけているつもりで、独り言をつぶやいていることもあった。

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　当時の幼稚園の保母は、輝男のことを『危ない子』だと思っていた。

　暴力的ということはなかったが、精神のネジが一本飛んでいると思い込んでいた。独り言といい、とつぜんのトランス状態といい、彼は明らかに普通の子供ではなかったからだ。

　彼女は一度そのことを母親の『幸子』に相談したことがある。

　だが『幸子』はあまりに輝男に対して無関心だった。まるでその存在を認めないかのように、まるで空気か何かであるように、輝男に対して無関心だった。

　保母の印象では、母親はあまりに疲れていて、息子に対するあらゆることに関心が払えないように見えた。

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　結局その保母も輝男に関しては無関心な態度をとることに決めた。

　輝男がどうしようと何も言わなかったし、無関心を貫いた。

　ただまわりの子供たちが輝男に近づくと、

『輝男君にかまうんじゃありません』

『輝男君は一人が好きなの。近づいちゃだめ』

　そういって輝男から遠ざけた。

　これは輝男を守る言葉のようだが、逆に輝男をますます孤独に追いやっていった。

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　ここでも彼は愛されない子供だった。

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　輝男の一部はそのことに敏感に気づき、また傷ついた。

　だがそれでも輝男にはネコがいたし、ネコを通して結果的にいつでも自分を慰める事ができた。

　輝男はそうやって、多感な幼児期の精神的バランスを取っていたようだった。

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　ネコは輝男が傷ついたときによくこんな言葉を言った。

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『ねぇ、ないちゃだめだよ』

『きみがないていると、ぼくもかなしくなるんだ』

『きみはぼくをそんなきぶんにさせたいの？』

『ちがうならきみはがまんして、わらわなくちゃ』

『おとこってのはつよくなくちゃ、そうだろ？』

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　そういわれると、輝男はいつでも笑った。

　痛々しい笑みでも、彼はしっかりと笑って見せた。

　彼はネコが好きだったし、彼に嫌われたくなかったから。

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「ぼくは、なかないよ」

「ぼくは、がまんするよ」

「ぼくは、いっぱいわらうよ」

「ぼくは、つよくなるよ」

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　輝男は繰り返しネコにそう約束した。

　それは輝男が自分自身へと課した誓約でもあった。

　彼はそれを何度も何度もネコと約束した。

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　それが彼の幼稚園時代だった。

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　だが彼の不幸はまだまだ続くのである。