第8話 ハルの場合
もしもハルにまともな判断ができたなら、この状況はたいそう不利であることが理解できただろう。
アーリンたちの魔法をもろに受け、十全の力は発揮できない。加えてアーリンと彼女の魔法の相性は良くない。
それでもハルは笑顔で跳ぶ。
師匠が来てくれた。
彼女の心は喜びにあふれていた。今こそ絶好調だと認識していた。
・
「せっかく来てくれた師匠に恰好悪いところ見せられませんっ」
ハルの連なる神は回転の力をつかさどる。
彼女はそれを糧とした肉弾戦を得意とした魔法使いだ。
足腰に魔法を伝わらせて、一気に爆発させる。爆発した魔力はハルの体を巡り彼女を一発の弾丸にしたてあげた。
まともに喰らえば、それだけで勝負の決まる一撃。
しかし、アーリンは悠々と魔法の土壁を展開。ハルの勢いの乗った回し蹴りを受け止めた。
「馬鹿ね、初手に突撃を選んだ時点であんたの負けが決定したわ」
アーリンは勝利者の笑みを浮かべる。
ハルに意味は通じていなかったが、アーリンはこれまでの少なくないやり取りで理解しているのだ。
「あんた、直接攻撃以外の魔法使えないでしょう? 出来るのは跳んだり跳ねたりして、相手を蹴り飛ばすだけ」
「ど、どうしてそれを……」
「どうしてもこうしてもないでしょう。これまでずっと同じクラスでやってきてたんだから、嫌でもわかるわ」
ハルは一枚の薄壁一枚を隔てた先にいるアーリンに向かって拳を構えた。
相手は動かない。ならば全力で打ち込める。
硬いものと物とがぶつかり合いうときに鳴る鈍い音。
「だったら対処は簡単。対物理の魔法障壁を張って待ちに徹すればいい。どう? 手も足も出ないでしょう?」
障壁はひび割れ一つ入っていなかった。
「痛っ!」
むしろ殴りつけたハルのほうが怯む始末。
「本当に痛そうね。ま、勝負はあったわね。あなたの攻撃力じゃ私の障壁を突破できないわ。諦めて降参――」
「まだまだぁっ」
再び鈍い音。魔力ののった拳が壁にぶち当たる。
が、当然傷一つつかない。
「あ、あんた何やってるの!?」
「なにって、こうやってぇ……! 攻撃していないと……ぉ! 勝てませんか……っらぁぁ!」
何度も何度も殴りつける。
アーリンはふと知れない不安に襲われた。
「え? 何、あんたの言ってる意味が分からない。だから無意味なんだってば。どれだけ殴られても、ああ、あなた勘違いしてるのね? 言っておくけど私の障壁は一度完成すれば、破壊されるまで永久にかあっちを維持し続けるの。何度殴っても魔力切れで崩壊。なんて都合のいいことは起きないのよ」
「ごめんなさい。私はあまり賢くないので……アーリンちゃんの説明、よくわかりません。ただ、勝負はまだ決まってません! 私はまだ負けてません! 攻めないと勝てません!」
轟音に次ぐ轟音。
先ほどと何も変わっていない景色。勝利の確定した景色。しかし……
「くっ、何よこれ。まるで私が追い詰められてるみたいじゃない。無駄なあがきはやめなさい。私は障壁防御を緩めたりしない。あなたの拳は永遠に届かない!」
ハルの打撃音がアーリンの言葉をかき消す。繰り返される無茶な打撃により、その拳は裂けて出血していた。
「諦めません」
「馬鹿じゃないの、馬鹿じゃないの、馬鹿じゃないの!? 怪我してるじゃない。自分から不利になっていってるじゃない。諦めなければ何でもできるってわけじゃないのよ。諦めなかったら……何度も繰り返せば爪楊枝で鉄板を貫けるの? 本気でそんな真似……」
アーリンの悲鳴じみた降伏勧告は途中で止まった。
「私は……これしか、知りませんから」
ハルの目を見てしまったからだ。
その目はどこまでもまっすぐ。そしてより不気味なのが……
ハルは笑っていた。苦痛にあえぎながら、勝機を逃してなるものかと歯を剥き出しにして笑っている。こんな状況でなければ爽やかささえ感じられる笑み。
彼女が本気で打ち込んでいることを察した。
「……ひ、引き分けにしましょう? あなたは私に手が出せない。私もあなたに手が出せない。だから……」
「だあああぁぁぁ!」
引き絞るような叫び声。回転の力をのせた蹴りが障壁にぶち当たる。
「ひぃっ!」
当然無傷。アーリンは焦っているが、それでも彼女の魔法の腕は本物であり、ハルのがむしゃらな突撃により、障壁が突破される可能性はほとんど存在しない。
――その時が来るまでは。
ハルの師匠のほうで何やら動きがあった。そのことに気が付いたのはアーリンが先だった。
アーリンはハルの後方に師匠を見た。
変化は一瞬に身も満たない時間。
彼が軽く足を振り上げた次の瞬間にはすでに、二人の仲間は天井に突き刺さっていた。
「え?」
アーリンの頭が空白になる。
今何が起きたのか。
あの男はどんなトリックを使ったのか。
二人はどうして天井に刺さっているのか。
エリオットのバリツを初めて見たアーリンが、眼前の敵のことを忘れてしまうのは無理もないことだった。
そして、そのわずかな空白をハルは見逃さなかった。
「てやぁぁぁぁ!」
「しまっ……!」
一瞬の意識のゆるみ。それが魔力の乱れとなって、ハルに付け入るすきを与えた。
障壁にひびが入る。ハルはそのひびを無理やり押し広げるようにしてこじ開ける。
「やっと、突破できました。さあ、ここからが本当の勝負です」
障壁と障壁の間でハルは不敵に笑った。
そしてその拳をアーリンに向かって振りかぶる。今度こそ邪魔の入らない。ハルの射程距離。
「ま、ままま、わた、私の負け!」
拳は顔面直前で停止した。風圧がアーリンの前髪を揺らす。
「……私の勝ち?」
それまで笑顔で闘志を剝き出しにしていた少女が、不思議な動物でも見つけたような顔をして言う。
「そうよ! あんたの勝ち。ああ、あ、もう、その手血まみれじゃない! 馬鹿じゃないの。模擬戦にこんなになるまで入れ込んで。さっさとセリア先生に治してもらいなさいよ! 今日は早退して家で休みなさいよ! 傷から病原菌が入らないように、気を付けてお風呂に入りなさいよ!」
「はい! ありがとうございます。楽しい勝負でした。またやりましょう」
緊張感の続く勝負が終わった安堵からか、怒涛の勢いでハルの気を使いだすアーリン。悪人になりきれない彼女を見てハルは言った。
「やっぱりアーリンちゃんはしっかり者ですね。私も見習います」
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