少年と銀河

@607rin

第1話

 夏の空は高く、星は昼の光に負けないほどに輝いていた。


 そんな星の光を反射するのは、少年のこぼす小さな涙だった。


 満天の星たちは、部外者の少年に、容赦なく鋭い視線を浴びせかけ、


 少年は法定の被告人のような状態になっていた。


 少年は顔を伏せてしゃがみ込み、土手の草に隠れているようにも見えた。



 「なぁ少年、君は何をしているのだ。」


 緊迫した状況に似合わない、何とも間の抜けた明るい声が響いた。


 顔を上げた少年の目に映ったのは、声の主、

 天泉 妃(あまいずみ きさき)だった。


 べっこう縁の片眼鏡や、髪を束ねているパールの付きの青いリボンから分かる。

 きっと富豪の亭主か娘なのだろう。


 「放っといてよ」という意味を込めた目線を、少年は妃に送る。


 しかし妃はその意味を、全く持って理解していないようだ。


 なにやら大きな機械の部品を地面に広げ、鼻歌交じりに組み立てている。


 そっきまで音が存在しなかった土手に、ガチャガチャと耳に残る音が響いている。


 ふと音が止み、再び静寂が戻った土手には、

 少年の二倍はありそうな大きな天体望遠鏡があった。


 少年は驚きに、つい音を立てて息を飲んだ。


 「昔から星が好きでね。」


 いつの間にか妃は、少年の隣に座っていた。


 「ここは星を観測するには絶好の場所なのさ。」


 そういうと妃はおもむろに立ち上がり、天体望遠鏡のレンズを調節すると言った。


 「のぞいてみるかい。」


 「いや、いい」と少年は首を左右に振った。


 妃は少し考えたように腕組みをして、しばし空を見上げていたが、

やがて表情を明るくして、手を一度叩いた。


 「少年、身体で覚えるのもいいが、頭で覚えればいいんだ。」


 「そうだよ。何度も何度も聞いて、見て、覚えればいい。

  繰り返して繰り返して、さらに繰り返す。

  そうだ、まるで何度も巡り続ける年月のように、

  夏の大三角形の辺を指でなぞり続けるように終わりがない。

  それはこれから宇宙が滅びるまでまでの時間を

  たぐり寄せてもきりが無いような。

  つまり、とにかく永遠の中のひとかけらを見つけ、

  未知のものを知ることに等しい。

  そしてそれ以上に・・・。」


 妃の話はだんだんと白熱していった。


 既に少年は妃の話を聞いていないようだ。

 しかし妃はそれには気づいていない。


 「いや未来だけじゃない。自分の過去を振り返っ・・・!」


 突然、妃の声が止まった。


 ついさっきまでの明るい表情が一変して、緊迫の表情が浮かんでいた。






 血まみれの母親の手が、まだ幼い妃の手をつかんでいた。

 母親は既に事切れていた。


 妃は思い出した。


 黒いワゴン車が交差点を突き抜け、唐突に左折する。

 激しい衝撃と衝突音。ガラスの砕け散る音が、妃の五感を全て奪い、

気がつけば家族は全員死んでいた。


 もう母親の血は渇き始め、


 父親と姉の身体は、ビニールシートを巻き付けられて、

警察が担架に載せて運んであった。


 その場には、母親の血を体中に浴びて深紅に染まった妃と、

車の残骸だけが残った。


 まだ幼かった妃に、家族の死は余りに残酷すぎた。事故の瞬間が頭に浮かぶ度に、激しい頭痛と吐き気が妃を襲い、情緒不安定になった。


「どうして」


「どうして私だけ」


「こんなに苦しむなら」


「あの時に」


「一緒に死んでいれば良かった!」


 荒々しい感情が妃を襲い狂った。


 その感情に押し流されながら、この先生きていかなくてはならない事を、

妃はその時悟った。






 妃は思い出してしまった黒歴史を理性で押さえ込んでいた。


 そして息を少し整えながら、少年を見た。


「少年。君には家族がいるだろう。ずいぶんと心配されているんじゃあないか。」


 少年はそれを聞いて、思わず息を飲んだ。


「私にはもう家族はいない。

 失ってみて初めて、それがどんなにかけがえのないものだったかが分かる。

そんなものさ。

 少年、大切なものが無くならないうちに、大切にしておけよ。」


 少年は泣きながら何度もうなずいて見せた。


 妃は少し微笑むと、空を見上げて言った。


「ごらん少年。天の川だ。

 これは小さな星が寄せ集まってできた大きな作品だ。

 少年、君の人生もそうだ。

 小さな出来事の積み重ねが、いつしか輝きに満ちた作品となる。」


 妃は立ち上がると、振り返って言った。


「今日は楽しかったぞ。少年、君の名は何という。」


「高遠 昴(たかとう すばる)。」


 妃はまた少し微笑む。


「そうか。いい名だ。私の名は天泉妃。覚えておくといい。」


 昴は深くうなずくと、土手をかけていった。


 妃もまた、明後日の方向を向いて歩んでいった。

 天体望遠鏡と共に・・・。

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