甘め
階段を一段上がるたびに彼と私は掛け声を出し合った。何回か掛け声がずれて、その度に落っことしそうになって、お互い慌てて、何とかバランスを取り戻しては互いに微笑み合った。教室に着いた頃には私の額から、じんわりと汗が滲み出ていた。彼は腰を軽く叩きながら「ありがとう」と言った。息を整えながら軽く彼に手を振った後、私は周りを確認しながら小声で彼に言った。
「こんな重たいもの一人で運ばせるなんて酷いね」
彼も釣られるように周りに注意を払いながら小声で言った。
「本当にな。こんだけ頑張ったんだから、もう解放させてほしいわ」
笑いながら言う彼に深く同調し、興奮してきた私は胸の中に秘めていた物をぶちまけてやろうと思い立った。
「私も!こっちは受験が待ってるんじゃ!!」
「全くだよ。実行委員の奴ら推薦だから俺等のこと何もわかっちゃいねえ!」
止まらなくなった私達は場所を教室から移すと、実行委員の悪口を吐き散らした。今思うと、とんでもなく最低だが、悪口というものは人と人との距離を急速に接近させる。私と彼はこれを機に一気に親密になった。
それからの文化祭は楽しかった。あれだけ私の頭を支配してた受験の二文字は一時的に消え去り、彼と同じシフトに入り、自由時間も彼と共にする事が多かった。正直ここまで男子と親密になったことは私の生涯では一度もなかった。休憩中、不意に友達が言ってきた。
「彼氏出来たの?」
そう言われて真っ先に思い浮かんだのが彼だった。急に体が熱くなった。付き合ってるわけじゃないと必死に否定するも友達は聞く耳を持たず、ニヤニヤ笑いながら言った。
「おーおー、仮にも受験生ともあろうものが。羨ましいですな~」
「そんなんじゃないってば~」
そう言いながら私は友達の肩を掴んで激しく揺さぶるも、友達は真赤になった私の顔をいじるのみだった。
そう言われてから私は彼のことを途端に意識し始めた。仲良くなってから数日だというのに、異性として意識し始めた。文化祭が終わり、後片付けになっても彼の事が頭から離れなかった。その後も彼は普通に接してきてくれたが私はかなりぎこちなくなっていた。あまりにわかりやすかったのか、日が経つにつれ彼も気付き始めたようで、互いにどこかよそよそしくなった。
それからも彼とはちょくちょく連絡をとるようになったものの、面と向かって会話をする事は少なくなった。もどかしい気持ちはあったが、今は受験に専念すべきだと自分に言い聞かせ我慢した。
お互いの気持ちは分かりきっていた。でも受験のこともあって中々言い出せなかった。私も彼も時々何か仄めかすような事を言っては相手の反応をうかがって、それが自分の望んでいたものであることを確認しては安心感に浸った。
そんな関係がしばらく続いていたが、十二月、きたるクリスマスイブ。受験勉強のストレスだろうか。我慢できなくなったのだろうか。彼の方から会おうと言われた。場所は喫茶店。何を言われるのかは大体予想できたし、それが受験に悪影響を及ぼすかもしれない事も分かっていたが、その時の私は彼の誘いに応じる以外の行動をとろうなど微塵も思わなかった。恐らく私もまた彼と同じく限界だったのだろう。
待ち合わせの時間よりも大分早く着いたつもりだったが彼は既にいた。彼は私を見つけると、ぎこちなく手を振った。慌てて私も手を振り返した。彼のいた席に小走りで向かい、挨拶もそこそこに腰を下ろした。だがいつものように会話は始まらなかった。無言が続いた。
「な、何飲む?」
沈黙に耐えかねた彼はおもむろにメニューを取り出し私に見せてくれた。
「あ、えっと…甘いのがいい…かな?」
てんぱった私はやたら抽象的な返事をした。彼は少しメニューを眺めた後指をさしながら言った。
「ココアならあるけど」
「うん、じゃあそれで…」
彼は早速店員を呼ぶとホットココアを頼んだ。彼は既に注文を終えていて、私より一足早くドリップコーヒーをすすっていた。緊張してるのか彼はぐびぐびそれを飲んだ。その光景を眺めていた私はふと彼に聞いた。
「それブラック?」
彼はカップを握っていた手を止め、こくりと頷いた。
「え、凄い。よく飲めるね」
受験の事も彼が呼び出した目的も忘れ、何故か私は彼の些細な大人な一面に絶大な興味を示した。彼も最初は戸惑っていたが、ちょっと考えた後、得意げに語りだした。
「君はまだまだ子どもだなあ~」
「私のが誕生日早いんだけど!」
これが発端となり、いつの間にか普段のしょうもないやり取りが始まっていた。最初の緊張はすっかり忘れ、会話は弾んだ。
そして話が少し落ち着いてきた時、彼はいきなり口調を変えて真剣な目で喋りだした。私も彼の目を見て、彼の言うこと一言一言に集中した。
間もなく私達は付き合うことになった。
気付けば辺りも暗くなり、彼は私を家まで送ってくれた。
別れ際にした初めてのキスは、甘くどこか酸っぱかった。
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