第15話
警備隊員の一人とモヒートは、砦内部を移動して地下にある一際大きな倉庫へと来ていた。
「ここにアクマリアの全食糧が納まっているのか?」
「そ、そうです……」
モヒートに肩を抱かれている警備隊員は何故か鼻を赤くし、鼻血を垂らしていた。だが、モヒートにそれを気にする様子はない。警備隊員が涙目で鼻を抑えながら話す地下倉庫の説明を、満足そうに何度も頷きながら聞いている。
モヒートが警備隊員に案内させたのは、アクマリアで栽培・採集された食糧を保管する貯蔵庫だった。
「ほっほ~ぅ、こりゃぁ随分と貯め込んでやがったなぁ」
警備隊員が地下倉庫の鍵を開けると、モヒートの眼前には多数の大箱に大籠、そして積み上げられた麻袋の山があった。
明かりはモヒートが手に持つランタンのみのため、倉庫の奥は闇に包まれて何も見えていないが、奥にまで食糧がびっしりと詰まっているのは判る。
「盗もうと思っても無駄だぞ。運び出す道具は一切置いてないし、運び出せないように地下に置いているんだ」
「へぇ~それじゃぁ、どうやって運び込んでいるのよ?」
「バ、バストラル様の
「階段を、坂に……ねぇ」
そういえば、この地下倉庫に降りる階段は随分と緩い階段だったな――と思い返しながらも、モヒートは悪戯っ子のような悪い笑みを浮かべてニヤけていた。
「さぁ、もういいだろ。早く警邏に戻らないと、どんな罰をくらうか判らないんだ」
「おぅ、行っていいぞ」
「え? それじゃぁ、あんたはどうするんだ。ここに残してはいけないぞ」
貯蔵庫内の食糧たちに目を奪われているモヒートを残していくわけにはいかない。運び出すことは不可能でも、服のポケットに入れたり、この場で齧ることぐらいは出来てしまう。
もしもそんなことがバストラルに知れれば、警備隊員の命は間違いなくこの世から消される。たとえ命だけは助かったとしても、北側の開墾地で死ぬまで重労働を課せられるのは目に見えていた。
だが、事態は警備隊員の男が考えていることよりも、遥かに深刻なものへと急変していく。
貯蔵庫内へと入っていくモヒートが並べられている大籠を順々に撫でるように触れていくと、次の瞬間にはソレが消滅した。
「――なっ?! お、おい! あんた何やっているんだ!」
「ん~? みりゃぁわかんだろうが、頂いてるのよ」
「い、いただ――ッ?!」
「早く行けって、行ってルイザとバストラルを呼んで来い。じゃねぇと……」
「じゃないと……?」
警備隊員へと振り返ったモヒートの顔には、凄惨で邪悪、醜悪にして奸悪な笑みが浮かんでいた。
「この砦の食糧は、俺がぜ〜んぶ俺が貰う。さぁ、あの口臭デブを呼んで来い!」
もう言葉は必要なかった。警備隊員はすぐさま振り返り、緩い曲線階段を駆け上がっていく。
その背を僅かに見つめ、モヒートは食糧を体内に取り込むのを再開した。この作業はモヒートの今後にとってとても重要なことだ。マナで構成された体に物質を取り込めば、マナを消費していくらでも複製することが出来る。
地下倉庫に納められた多種多様な食材や果実を複製可能にしておけば、今後それがどれだけ役に立つことか――貨幣経済が崩壊し、生きるために最も必要な要素の一つ、“食”を掌握することの重要性を身をもって知っているモヒートにとって、食糧を強奪することは過去の価値観でいえば銀行を襲うことに等しい。
さらにそれらを複製することが可能となれば、それは造幣局を手に入れたも同然のことだった。
そしてなにより、体内に取り込む限界量を知るには丁度いい物量だ。
掌に吸い込まれていく大箱や大籠を、自分がやっていることながら不思議な現象のように思いながら取り込んでいく――。
ついでに生で食べられそうな果実を齧り、マナの補充もしておく。自分の体がどういうメカニズムをしているのかは理解できないが、食材を体に取り込んでもマナとして吸収することが出来ないことは判った。
マナとして吸収するためには、直接口から胃へと流し込まないといけないらしい。体に吸収するのと、口から食べるのと、どこに違いがあるのかモヒートには判らないが“口から食べた方が美味しい”という単純明快な理由で、これでよかったのだと感じている。
しばらくすると、地上へと繋がる通路から誰かが走る足音が聞こえてきた。
「モヒート様!」
「おぅ、ルイザ。お前のところに行こうと思っていたんだが、先にもっと面白い場所を押さえておきたくてなぁ。それにしても、なんつう恰好だ」
「――どうやら、お怪我はないようですね……」
地下倉庫へと駆け込んできたルイザは服を着ておらず、体を拭くための長布を腰と胸に縛り付けているだけだった。
ルイザは“何一つ置かれていない”地下倉庫に、ランタン一つぶら下げて佇むモヒートの姿に安堵の息を吐くと、ようやく自分の姿に気を回せるようになった。
「あ、あの、これは――食堂で戦闘が起きたと聞き、モヒート様の身に何かあったのではと、その……」
モジモジと片手で胸を隠し、腰に巻いた長布の位置を調整しているルイザを見て、モヒートは今更隠す間柄でもないだろうと思いつつも、明かり一つではルイザの姿がよく見えないなと考えていた。
それに、これからバストラルたちを迎えるのにこの暗さでは味気ない。
(たぶん……あるはずだと思うんだが……)
モヒートはこの世界に召喚するときに体内へと取り込まれた武器製造プラントを思い浮かべ――更にその内部にあるべき物――高さ九〇cmほどの円柱型機器を産み出した。
「これは……なんですか?」
モヒートが産み出した機器を物珍しそうにルイザが見ている。機器の上部には操作パネルが付いており、モヒートがそれをポチポチと操作すると――鈍い駆動音が鳴りだし、円柱の側面が四つに割れるように展開した。その中には細いタワーに納まるようにして、同型の細長い機器がさらに四つ並んでいた。
その四つの機器は、まるで意思をもっているかのように動き出し、細長い一文字から十文字へと変形し、地下倉庫内を浮遊し始めた。
「す、すごい……飛んでいる」
地下倉庫内を浮遊する四つの十文字の機器の先端には、浮遊するための無音に近い静音ローター四基が付いている。十文字の浮遊機器は貯蔵庫の四隅にゆっくりと飛行して移動すると――。
「直視しないほうがいいぞ」
「えっ?」
モヒートの忠告でルイザの視線が十文字の機器から外れると同時に、ランタンしかなかった貯蔵庫内に新たな光源が四つ生まれた。
モヒートが産み出した機器は、旧アメリカでも希少な設置型の照明ドローンだ。
室外では設定された範囲内を照らし、室内などの閉鎖空間では広さをスキャンして適切な場所に浮遊し照らす。
終末戦争が勃発した当初、発電所や変電所は真っ先に潰された。その為、人々は小型アルキメデスによって稼働する、小型ドローンを様々な用途で利用した。
この照明ドローンもその一つで、野外での作業や二四時間稼働する製造プラントでは必ず使われていた。
「これで明るくなったな」
「まさか、太陽を作り出すとは……しかし、ここで一体何を?」
ルイザは倉庫内を照らすドローンにも驚いたが、モヒートがなぜ何も置かれていない、ただ広いだけの倉庫にいるのかも判らなかった。
モヒートもその理由は言わず、ニヤニヤと笑みを浮かべながら木箱を一つだけ出して、そこに腰かけている。
「待っているのさ」
「待っている――バストラル卿をですか?」
「そうだ――それと、このアクマリアも俺が頂くことにした」
「アクマリアを? この街を出たら大陸を回るのでは?」
モヒートとルイザはアクマリアの支配圏を出た後、アリオンに乗って大陸各地に残る
だが、食堂でジルーバに襲われた段階で考えが変わった。奪う者は奪われる覚悟を持たなければならないが、奪われる者は奪い返してもいい。それがモヒートの哲学だ。
そして、その権利を持つ者はモヒートだけではない。
「これはお前にとっても悪い話じゃねぇ」
「私にとっても……ですか?」
「お前の村を盗賊に襲わせたのはバストラルだ。証拠は何もねぇが、あのボロ布男の話を考えりゃぁそうなる」
食堂で仕掛けてきたボロ布男――ジルーバは盗賊の襲撃時に村にいた。タイミングを考えれば、それは盗賊が確実に村を襲撃したかどうかを、また――奴らがルイザによって殲滅されたかどうかを確認するためのものだ。
ルイザはモヒートの話を黙って聞いていた。その表情からは怒りや哀しみを見て取ることは出来ない。窺い知れるのは落胆と諦め――。
「どうやら、薄々感づいていたって
「……はい、バストラル卿からは何年も前よりアクマリアに定住するよう言われていましたから」
村を襲った盗賊がバストラルの差し金だと聞かされても、もはやルイザには何も関係がなかった。自身はモヒートの従者としてついていくことを決め、村の者たちとは静粛な別れの時を過ごした。
それに――盗賊の中には
運悪く――もしくは運良く、異世界人召喚の儀に成功したことで村へ帰るのが遅れ、村の仲間は全滅した。
だがその結果――ルイザはモヒート共に二人で旅に出ることを決意することが出来たとも言える。
魔族によってフェイム大陸の国々が滅亡した後に、勇者召喚とも言える異世界人召喚の儀に成功し、村人が全滅したから旅に出られた。
滅亡の先にしか――自身の未来が開けていかない。自分は何かに呪われているのではないか? ルイザはそうして魔族やバストラルを責める前に、自分を責めていた。
そんなルイザの内心をよそに、モヒートはその背後から聞こえてくる多数の足音に気がついていた。
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