第2話




 夜明けを迎えた洞窟神殿の入口に、モヒートは一人立って樹々の向こうから昇る太陽の輝きを見ていた。

 優しく流れる朝の空気、鼻孔をくすぐる何かの香り、遠くに見える緑色、その何もかも目新しく、モヒートは心の奥底から湧き上がる感情の波を感じていた。


 だが、それを言葉にするにはまだ早い――正確には、言い表す言葉が見つからなかった。


後ろを振り返れば――松明の火が消えた洞窟神殿と、台座の中央に貫頭衣を敷布代わりにして寝ているルイザの姿が見える。


 昨夜の事を思い出す――暗く冷たい洞窟の中に男と女が一人ずつ、求めるのは一晩を共に乗り越える温もり。ルイザという女は、モヒートがこれまで相手してきたどの女よりも、極上のひとときを感じさせた。

 昇りゆく太陽光の温かみが素っ裸の肌を照らし、燃えるように熱い火照りを思い出させる。


 モヒートは昇りゆく太陽と同じようにたち上がる身体の一部に視線を向け――。


「まずは服だな……」


 そう言葉をこぼし、洞窟神殿の中へと歩き出しながら昨夜の寝物語を思い返し始めた。




 ここはフェイム大陸――かつては数多くの大国、小国がひしめき合う広大な大地だった。しかし、現在はそのすべての国々が姿を消した――いや、滅亡を迎えていた。


 その原因はモヒートのいた地球の歴史と同じく、戦争だ。


 だがそれは、資源戦争でも民族・宗教戦争でも終末戦争でもない。一方を滅ぼすことを主目的とする滅亡戦争だ。

 今より三〇年前、海を越えた先にあるという暗黒大陸からの暴威――魔族によって全てが滅ぼされた。


 魔族とは、人間以上の体力とマナと呼ばれる特別な力を持った種族の総称だ。フェイム大陸の国々を滅ぼした魔族の多くは暗黒大陸へと帰って行ったが、フェイム大陸各地にその因子エレメントを残した。

 また、人間狩りと称して暴虐の限りを続ける者もいた。


 生き残った人間たちは僅かに残された文明の残り香にすがり、魔族の影におびえ――更には同じ人間による悪意と暴力におびえながら暮らしていた。


 そんな終焉を迎えて荒廃した世界に、モヒートは転生召喚された――だが、ルイザが言うには召喚したモヒートに何かをして欲しいわけではないそうだ。

 人間と魔族による大戦の最中から異世界人召喚の儀は繰り返し行われ、転生召喚されてくる勇者に一縷の望みを抱き、人々は救世主の降臨を願った。

 しかし、その限定的すぎる転生召喚の条件ゆえに、何度も、何年も失敗が続き、救世主の降臨を待たずして戦争は人間側の滅亡で終わった。

 ルイザの家系はその儀式を司る祭司の一族。度重なる儀式の失敗により、一族は同胞の人間たちから疎まれ、裏切り者扱いにされ、やり場のない敗者という現実の捌け口へとされた。

 それでも一族がこの儀式を続けてきたのは、一粒の砂の如く残った祭司の一族としてのプライドだけだったのかもしれない。


 異世界人を転生召喚すること自体が目的であり、その後の事など、生き残っている一族のだれもが考えたことはなかった。


 だが、ルイザだけは心に決めていた。もしも儀式に成功し、異世界より転生召喚された者が現れたならば、自身の全てを捧げてでも傍にいようと。

 一族が願い、自分の父が――母が待ち望んだ異世界人が、この終焉世界に何をもたらすのかを見届けようと――。




「おはようございます、モヒート様」

「おぅ、起きてたのか。立てるか?」

「……はい、大丈夫です」


 洞窟神殿の中に戻ったモヒートは、自分の従者となり常に傍にいると、同じ布に包まりながら宣言したルイザのもとに立った。

 ルイザは唯一の服だった貫頭衣を破いて敷布としてつかった布に包まり、洞窟神殿の中央にある台座で体を起こしていた。


 ルイザは僅かに赤い血が付くボロ布で身体の一部を隠していたが、その下はすでに隅々まで見たのだがなぁと、モヒートはその姿を見ながら考えていた。

 だが、それを口に出すようなことはしない。立ち上がるルイザの手を取り、引っ張り上げながらも抱き寄せてその匂いを楽しむ。


 荒廃した旧北アメリカ大陸――いや、地球そのものの大気は濁り、酷く生臭い臭いがいつも漂っていた。

 終末戦争による都市部の破壊、それは様々な有害物質を大地に、海に、空にまき散らした。

 そして、数多の生物は死に、腐敗し、地球上の全てが死の臭いに包まれていったのである。


 だが、モヒートの胸に抱かれるルイザの匂いはソレとは全く違った。爽やかな樹々の匂い、花や蜜の甘い匂い。モヒートが今までに嗅いだことのない、鮮やかな香りが漂っていた。


「これからどうする? 俺としてはまず、何か着るものが欲しいんだが」

「サルムの森を抜ければ、私たちが暮らしている小さな村があります。まずはそこへ、それと――」


 そう言いながら、ルイザはモヒートの胸元より下がり、神殿の台座には素っ裸のモヒートが一人立っているだけとなった。


「モヒート様はすでにお召し物をお持ちのはずです」

「ん?」


 ルイザの言葉に、モヒートは何を言っているのかさっぱり理解が追い付かなかった。モヒートは正真正銘の素っ裸で荷物も何もない。


 はるか昔、馬鹿には見えない服というものがあったらしい。もしかして、自分はすでに服を着ているのだろうか? などと思いながら、自分の体をペタペタと触ってみるも、やはり何も着ていない。


「いいえ、すでに身に着けている……ではなく。この世界へと召喚される直前にモヒート様が身に着けていたものや、足元に展開された召喚魔法陣の周囲にあったものを呑み込み、全てを一つにして再構成したはずです」

「……つまり?」

「つまり……モヒート様の体の内部に、亡くなる直前までに着ておられたお召し物があるはずです」

「はぁ? よく意味がわからねぇが、それならどうやって服を出せばいいんだ?」

「自らの内にあるものを正確に思い浮かべ、呼び出せば――」


 ルイザに言われるままに、モヒートは自分が着ていたレッドスパイクの標準的なレザージャケットを思い浮かべた。


 色は茶色で、前を閉じるジッパーは壊れている――皺だらけのレザーには細かい傷が幾つもついていた。

 ズボンは古いジーンズだったが、黒いレガースと一緒に着けるのが普段の服装。

 普段といえばコームだ。命の次に大事なヘアーを整えるロングメタルコーム――肌身離さず持ち歩いていたこれは、絶対に呼び出さなくてはならない!


 そうモヒートが考えた次の瞬間には、モヒートの体は素っ裸ではなく、茶色のレザージャケットを素肌の上に羽織り、下半身にはジーンズとレガースを着けていた。


「こいつはすげぇぜ」


 モヒートは自分の体から滲み出るように出現したレザージャケットやジーンズを確認し、ジャケットの内ポケットからロングメタルコームを取り出すと、しおれてきていたモヒカンヘッドを丁寧に整え始め、天を衝くように綺麗に立たせていく。


「ふぅ~朝一にコイツを整えねぇと、俺の朝が始まらねぇ。ルイザ、お前はとりあえずそのボロ布で我慢してくれや」


「はい、私はこれで十分です」


 ルイザは黒い貫頭衣だったものを器用に巻き付け、再び服らしくなったところでモヒートと共に移動を開始した。

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