第7話 Presto~急速に~
練習とは言え椿先生と2人っきりは
やっぱり意識してしまう
「今日はなんだかテンポが合ってないね」
「すみません」
「どうしたの?体調悪い?」
「…いえ」
「…渡辺さんの事考えてた?」
「えっ?」
「集中できてない感じだったから…」
「いえ…すみません」
「何かあった?」
「…いえ」
「…そう、じゃもう一回弾いてみて」
「はい」
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“最近の侑はおかしいよ”
“演奏がいつもと違う”
“体調悪いのかな?”
“前は上手かったのに”
周りの声はしっかりと聞こえてた
練習の時に感じる周りへの嫉妬と
嫉妬をしている自分への虚しさ
何をどうしたいのかも分からない
どうにもできないもどかしさで募る苛立ち
色々な気持ちが溢れてて気持ち悪い
演奏中もふと浮かぶ汚れた気持ち
それを無理やり掻き消そうと思えば
演奏が乱れる
“次のコンテストはきっとダメだ”
そんな風に言われるようになった
「先輩…」
「渡辺さん、ごめんねなかなか練習見れなくて」
「いえ、それよりどこか体調悪いんですか?」
「…ううん」
「でも、先輩苦しそうです」
「えっ?」
「廊下や校内で見かける時は普通なんですけど、
練習の時はどこか苦しそうで…」
「…」
「椿先生と何かあったんですか?」
「…なにもないよ」
「そう、ですか」
「調子戻ったら練習見るから」
「はい」
「帰り気を付けてね」
「先輩も。お疲れ様です」
「お疲れ」
「ただいま」
「おかえりなさい。
お父さんも帰ってきてるわよ」
「うん」
「ただいま」
「侑」
「はい」
「最近ピアノの調子悪いらしいな」
「…すみません」
「次のコンテストも近いんだろう?
まさか1位以外を取るつもりじゃないよな」
「…はい」
「失望させるなよ」
「はい」
しっかりしなきゃ
1番じゃなきゃダメなんだ
期待を裏切る訳にはいかない
失望される訳にはいかない
もっと上手くならなきゃ
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「森先生」
「あら、成瀬さんどうしたの?」
「お願いがあって来ました」
「お願い?」
“椿先生を担当から外してください”
一緒に居たら意識する
誰かと居るところを見たら嫉妬する
それなら
会わなければ、
見なければいい
椿先生よりもピアノが大切だ
今までずっとそうだった
それでずっと1番だった
だから、前に戻るだけ 戻るだけだ…
「成瀬さん!」
「…」
「どう言うこと!?」
「何がですか」
「何がって…
どうして担当を外してなんて!
どうして急に!」
勢いよく練習室に入ってきた椿先生は
真っ直ぐに私の所にやって来た
「1人で練習したいんです」
「どうして?」
「集中したいからです」
「今までの練習も集中してたじゃない」
「1人でやった方が上手くいくから」
「えっ…」
そんな悲しそうな顔しないでください
こうするしかないんです
あたなから離れなきゃ
平常心で居られないんです
だから
だから、私はあなたを突き放す
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♪~~
“あれ、侑の調子戻った?”
“確かに、前の演奏に戻ってる”
“やっぱり1人が良いのかな?”
個室から微かに聞こえてくる成瀬さんの演奏は
皆が言う通りいつもの演奏だった
少し前まで上手くいかなかった箇所も
綺麗に弾いている
けど、
どうしてそんなに必死なの?
まるで何かを掻き消すような
抑え込むような感覚が伝わってくる
成瀬さん
あなたは何を抱えているの…
知りたい
あなたをもっと知りたい
練習時間が終わって生徒は皆帰宅した
でもまだ成瀬さんは個室から出てこない
コンコンッ
ガチャ
「…」
ドアをノックすれば扉を開けてくれた
「まだ帰らないの?」
「もう帰ります」
「やっぱり1人の方がいい?」
「はい」
「……そっか」
「それじゃ、失礼します」
「あ、うん、気を付けてね」
今日は1度も目を合わせてくれなかった
担当を外された理由は分かってる
私が未熟だったから
もともとあれだけの技術があった成瀬さんに
私が教えてあげられる事なんて殆ど無かった
だからきっと
「私じゃ力不足…」
教師として、担当として教えてあげられる事がない
これは致命的だと思う
これじゃ私が居る意味がない
それに、
あの子に必要とされないと思うと辛い
「…私にできる事を探さなきゃ」
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「成瀬さん」
「…」
「これ聴いてみて?」
「なんですかこれ」
「成瀬さんと同じ自由曲を演奏してる人の
音源を集めてみたの。
どれも有名な人ばかりだから少しは参考になると思って」
「…」
「成瀬さん?」
「要らないです」
「えっ」
バタンッ
そう言って今日も個室に籠ってしまった
「侑冷たい!」
「美穂さん」
「せっかく先生が用意してくれたのに」
「いいの、勝手にやってることだから」
「でも、最近の侑なんか変なんですよね」
「変って?」
「椿先生にだけ冷たいんです。
基本誰にでも優しいのに…」
「私嫌われちゃったかな…」
「いやいや、先生を嫌う理由ないですよ」
「でも…」
「焦ってるんですよ、きっと」
「今まで知らなかった気持ちに戸惑ってるんですよ」
「知らなかった気持ち?」
「先生はそのままで居てください
きっとそれが侑の為になりますから」
「どう言うこと?」
「内緒です!」
「えっ? なんで?」
「これも侑の為です」
「…そうなの?」
「はい!」
自分でも分かるくらいはっきりと
成瀬さんは私に冷たくなった
それに私を避けるようになった
また前みたいに心の距離があいてしまう事が怖い
私以外の先生や生徒には
優しく微笑みかけて
楽しそうに話すのに
どうして私だけダメなの…
どうして…
今日も成瀬さんは最後まで残って
個室で練習していた
コンコンッ
あれ?
いつもはすぐに開けてくれるのに
コンコンッ
コンコンッ
「成瀬さん? 開けるね」
持っていたスペアキーで鍵を開ける
「成瀬さん?」
中に入れば左手を包む様にうずくまる彼女が居た
「成瀬さん!? どうしたの!?」
「手が…痛くて」
「見せて」
「ッ」
「痙攣してる、ちょっと待ってて」
「ッ…」
「はい、これで冷やして」
「…はい」
「腱鞘炎かもね、病院行こう?」
「いえ、大丈夫です」
「だめよ、酷くなったらどうすの?」
「コンテストが終わるまでは…行けません」
「どうして?」
「出場出来なくなったら困ります」
「怪我してるのに何言ってるの?」
「これくらいなら冷やしてれば大丈夫です」
「でも」
「本当に大丈夫ですから」
「でも」
「どうしてまだそんなに優しいんですか」
「えっ?」
「いつも酷い態度取ってるのに…」
「…寂しかった」
「えっ…」
「屋上に連れて行ってくれた時凄く嬉しかった
特別な場所に私だけ入れたことが嬉しかったの。
でも、あの日以来段々また成瀬さんの心が
離れて行って寂しかった…」
「…」
「他の先生たちや生徒には優しく微笑みながら
話してるのに私には目も合わせてくれなくて…
辛かった」
「…先生」
「それも嫌」
「えっ」
「私だけ“先生”
森先生や他の先生たちは名前を呼ぶのに
どうして私だけ“先生”なの?」
「それは…」
「どうして私を避けるの…」
あぁ…
もうだめだ
必死に耐えてきたのにもうだめだ
「言えません、言えないんです!
生徒会だから、皆のお手本じゃないといけないから
椿先生の事を……
椿先生の事を想うと苦しくて辛くて
先生が他の誰かと楽しそうに話してる姿を
見るだけで苦しいんです!」
「…成瀬さん」
「駄目だと、いけない事だと分かってます
だから、はっきりとした言葉は言いません」
「…だから私を避けてたの?」
「はい…」
「天邪鬼なんだね」
「…」
「今から言うのは独り言なんだけど」
「えっ」
「私の好きなタイプは、
ピアノが上手くて
先生たちからも生徒からも信頼があって
生徒会副会長として日々頑張ってて
でも、恋に不器用で天邪鬼な年下の
格好良くて可愛い子がタイプなの」
「えっ…」
「ごめんね、独り言多くて」
個室の練習室は防音のため窓が無い
「ここは外からは中が見えないね」
「はい…」
「侑」
「えっ」
名前を呼ばれた
いつもの苗字じゃなくて、名前を…
「椿先生!?」
「少しだけ、少しだけこのままで居させて」
そう言って椿先生は後ろから抱き着いてきた
首に回され腕に触れる
「今は2人だけだから、許して」
「…はい」
落ち着く
椿先生に抱き締められてると落ち着く
「ごめんね、ありがとう」
そう言って離れて行った温もりが恋しくて
自分から先生の方に向き直して
今度は正面から抱きしめた
「温かい」
「熱いですか?」
「ううん、落ち着く」
「……美彩」
「えっ」
顔を上げてみれば優しく微笑む彼女
ギュッと苦しくなる
好き
「侑」
自然と、自然と近づくお互いの唇
一瞬だけ触れ合ってすぐに離れる
「ふふ、真っ赤だよ?」
「…」
「可愛い」
「ッ…」
「帰ろっか」
「侑?」
「…もう少しだけ」
ぎゅっと抱き着く侑
あぁ、好き
もう全てどうでも良い
この子と一緒に居たい
ここから始まった“秘密の関係”
決して“好き”とは告白しないズルい関係
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